恐 怖

----1970年ボクの町は戦場だった----

1995.11.24


終章 おわりに


 この思い出を、二十で人生を終えたQに捧げる。

 だが、これを読んで人はこう思うかもしれない。Qとは何というひ弱な男だろう、何というケチ臭い、了見の狭い男だろう、と。なぜなら、ここで描かれたQの苦しみというのはいずれも、もとはといえばQが自分の将来を大学進学というありふれたコース以外に何も思い描くことができなかった「貧しさ」に由来しているからだ。もしも、彼がもっと別な生き方を未来に思い描くことさえできれば、Qはこんなにくよくよ思い煩うことはなかったのだ、と。
 確かにそうかもしれない。Qは自分の意志で授業をサボることを決め、自由を最も実感した最中であっても、依然それは、大学進学というコースの中における自由でしかなかったし、葉子との間であくまでも受験勉強を排した純粋のつきあいがしたいと強く願った瞬間においても、依然それも、大学進学というコースの中におけるつきあいでしかなかった。もしQが大学進学というコースを私みたいにどうでもいいことだとほんとに思えていれば、葉子が少しぐらい受験勉強をやろうがやるまいが、そんなことはどうでもよかったはずである。葉子に一秒でも受験勉強をやらせまいとするQの異常なこだわり方は、実はQ自身の大学進学というコースに対する異常なこだわりの反映である。そのことは認めよう。その意味で、Qのやっていることは滑稽ですらある。しかし、人はQを笑えるだろうか、Qの愚かさを簡単に笑えるだろうか。言い換えれば、人はだれもQの無知を簡単に克服できるものだろうか。Qがたとえいくら自由な生き方を見出したと思っても、それが実は相変わらず大学進学というシステムの中での自由でしかなかったという「貧しさ」を、人は簡単に克服できるものだろうか。
Qの人生は確かに貧しかった。それは家の貧しさに劣らず貧しいものだった。しかし、自分自身が貧しい人生を送っていたということとそのことを身をもって知るということは一見たいした違いでないようで、実はその間には天と地ほどの違いがある。それは決定的な違いである。ひ弱で了見の狭い男であったQも少なくとも自分の人生の貧しさを知るに至った、しかも身をもって知るに至ったのだ。だからこそ、この決定的なことを教えてくれた葉子に対し、Qはその後生涯こだわり続けたのである。
しかし、Qの葉子に対するこだわりは、そのことだけにとどまらなかった。彼は葉子という平凡な女性の中に、はじめて、ありふれていながら、にもかかわらず真にユニ−クな人間の姿というものを見い出したのだ。それは貴いものだった。これこそ彼が長い間自分が本当に望んでいたものであることをこの時悟ったのである。それゆえ、葉子を失うことはQにとって何ものにも替えがたかったことだったと思う。

 さて、もうそろそろおしまいにすべきだろう。だが、ベンゴシという職業柄のせいか、私はこのまま終わりにする気にはどうしてもなれない。蛇足と承知しているが、最後にもうひとつだけ言わせて欲しい。
こうしてQの人生を振り返ってみたとき、正直なところ、私はQをこのまま受け入れることはできない。というより、Qをどうしても許すことができないという気分が残っている。それはQが自殺したからではない。たとえQが自殺せず、そのまま生き延びたとしてもやっぱり許すことはできないという気分だ。私が許せないと思うのは、Qが、一度は、せっかく葉子という女性から、その夢想面を思いきり張り倒されるという目のさめるような一撃にあっておきながら、つまり、ここでQは自分の人生の「貧しさ」を知るという決定的な一歩を踏み出しておきながら、その後----ほかならぬ葉子への夢想だったとはいえ----再び夢想に、それも「全ては終わった」といった意識に支えられて果てしない夢想に陥ってしまったからだ。それは、結局のところ、単なる自己愛でしかないではないか。そして、それはそのような自己愛をあくまでも嫌い、これと徹底的に闘ってきた葉子に対する最大の裏切り行為ではなかったのか。

しかし、Qはただ単に夢想に浸っていたわけではない。彼のノート2から分かるように、QはQなりに自分自身が何であったのかを知ろうとくり返しもがいていた。だから、ひょっとしたら、彼はもう少しのところで、こんな終わり方をせずに済んだのかもしれない。だが、彼の自己認識というのは葉子に対する罪の償いを色濃く帯びているように思えてならなかった。だから、彼は自分を正確に認識すればするほど、(むろん葉子のありがたさを身に沁みていっそう認識することになったはずだが、それ以上に)二度と戻ってこない葉子へのこだわりを益々強めていったように思われる。
その結果、Qはふたたび、自分の内面世界----それはQにとって、かけがいのない葉子への追憶に捧げられた唯一絶対の世界となってしまったのだが----を閉ざしてしま い、もはやそこから決して出ようとしなくなったのである。

だから、私は半ば批判と半ば無念の思いを込めてこう思う、Qこそ、死ぬまでに是非とももう一度、何かから思いきり張り倒されるべきだった、と。いや、必要なら一度といわず何度でも反復して、思いきり張り倒されるべきだったのだ、と。
だが、それは一体何によっていかにして可能だったのだろうか。それは----もはや私にとっても語り得ないことである。

(1995.10.29 完)

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