恐 怖

----1970年ボクの町は戦場だった----

1995.10.29


「ひとつの生命を救える者が世界を救える。」
(「シンドラのリスト」より)

カタストロフィの用例のなかでのみ言及される廃虚ではなく、その後、何千
年にわたって人々が解読しようとするようなものを残さなければならない。
(タルコフスキー)

               

第1章 友 人


 
國境の長いトンネルを抜けると雪國であった。夜の底が白くなった。

川端康成「雪國」


 私は田舎のベンゴシである。ずっと無味乾燥な文しか書いたことがない。だから、こんな流ちょうな文章はとても書けない。 しかし、その私があえて文を書こうと思ったのは、ひとりの友人について急に書きたくなったからだ。また「雪國」の冒頭を引用したのはそれがほかでもなく雪国の出来事だったからだ。

 その友人は手記の中で自分のことをQと書いていたので、私も それにならって彼のことをQと呼ぶことにする。
 先頃、私はQの妹から訪問を受けた。彼女は最近父親が亡くなったのを機会に自宅 を売り払おうと思い、整理をしていたらQの手記をつづったノートが見つかったの で、わざわざ届けてくれたのである。なんでそれが私に届けられたかというと、ノー トの裏表紙にたまたま私の名前が書かれてあったからだ。

 私とQとは高二と高三時代、クラスメートというだけのつきあいでしかない。大学 には入ってからは一度しか会っていない。もっとも同級生といっても私は高二になる とき、思うところがあって一年間休学して京都の寺に行っていたので、Qより一つ年 上である。その私から見てQはいつも文学や哲学書を読みふけっているような(この 当時、それは別に珍しいことでもない)、目立たないおとなしい生徒だった。それど ころかものすごく内気な性格なように見えた。というのは、進学校だった私の高校に はこれといって魅力的な女生徒はいなかった筈なのに、Qはわが女生徒の顔をまとも に見ることさえできなかったからである。あるとき、どうしても女生徒と話をしなけ ればならなかったときなぞ、天井を見ながらQはずっと喋っていた。
 しかし、成績は優秀だったらしい。らしいというのは、私と一緒になった頃のQの 成績は(むろん私よりずっとできたが)ごく月並みでしかなかったからだ。噂による と、高校入学までは抜群の成績で鳴らしたという。で、予想通りトップの成績で高校 に入学したあとしばらくして、何でもノイローゼにかかったらしい。そして、一年ほ どしてそいつが回復したときにはQの成績は二度と回復しなかった。と同時に(成績 優良児にはよくあることだが)以前にもましてQはおとなしく、文学や哲学の世界に こもる内気な性格になっていったらしい。
 その彼が高三の秋になって突然暴れ出した。もっとも、当時は大学紛争の余波もあ って全国中の高校が騒然としていて、その影響は雪国のわが高校にも及んでいたか ら、学園紛争のようなことは別段珍しいことでもなかった。つまり、当時、私のクラ スでも、私のような受験勉強をはなから馬鹿にした不良どもが中心となって授業をさ ぼったり、教師を批判するような事態を起こしていたのである。ところが、そのうち どうした訳か、私と正反対の一番おとなしい筈のQがその急先鋒になってしまった。 我々不良どもが授業のボイコットにいい加減あきあきしたころになって、Qの反抗ぶ りはいよいよ過熱するばかりで、とどまるところを知らなかった。私を含めもう誰も Qの過激ぶりにはついていけなかった。その結果、彼がクラスで一番最後まで授業を サボり、一番最後まで教師に文句を止めなかったのである。やがて、教師からお定ま りの脅し文句がQに発せられた。
「そんなに授業がいやだったら、退学すりゃあいいだろう」
一緒に騒いだ張本人としては無責任かもしれないが、このあとどうなったか私は知ら ない。少なくともこれ以上騒ぎが大きくならなかったことは確かである。噂による と、その後幸か不幸かQは風邪をこじらせ、しばらく床に伏せていなければならず、 そのため授業に出なくとも退学という事態は免れた。しかし、殆ど追い出されるよう に卒業していった。むろん卒業式にQの姿はなかった。三年前新入生を代表してQが 式辞を述べた入学式が夢のようだったろう。
Qが自殺する二年前のことである。

(第1章 おわり)



コメント

 この小説は私が生まれて初めて書いたもの。確か、95年の3月の確定申告が済んだのち書き始めて、約半年間、第10稿まで書き直して、10月29日に完成。
 どうして今頃になって、こんな小説を書こうと思ったのか、その訳は、途中で書いた「あとがき」にしるしてあるので、その部分だけ引用します。
 とにかく当時、私は柄谷行人にこれを読んでもらいたいと思ったのです。しかし、不幸にしてそれはかなわなかった。しかし、それは今では殆どどうでもいいことのように思える。


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