恐 怖

----1970年ボクの町は戦場だった----

1995.11.17


第4章 ノート2(続き)


6、Q
 ものごころついた頃、Qが最初の出来事として覚えていることは自分につけられた あだなである。それは「あまのじゃく」だった。珍しく家族旅行に出かけた折、旅先 で二またに道が分かれたところで、家族のものがみな右の道を行くというのに、幼い Qだけ左の道を行くといってきかなかった。そのとき、母から「あまのじゃく!」と 吐き捨てるように言われた。
ちょうどその頃、狭い庭に小さな風呂場を建て増しした。その風呂場に初めて入ったとき、母が髪を洗うのが大変そうなのを見ていたQは、母が髪を洗うそばで、洗面器の洗い湯を捨ててやった。気をきかした積りだった。そしたら、母は怒鳴った。「何もったいないことするんだ!」しかし、それはよごれたあわぶくだらけのお湯だった。貧しさという実感がQの身に滲みた。以来、Qの記憶にあるのは、いつも「あまのじゃく」にまつわる思い出か、家の貧乏を思い知らされる思い出しかなかっ た。だから、Qは小さい頃からずうっと何とも言えない窮屈な思いを感じてきた。自 分がくつろげるのは、親でも兄弟でも友達でもなく、原っぱで虫や草花と遊んでいる ときだけだった。しかし、それも小学校に上がるまでだった。小学校に入学するやQ の母は彼を呼んで父親の給料明細書を見せた。それは今なお口にするのも恥ずかしい ような安月給だった。彼女は殆ど憤懣をぶちまけるように、学歴がないとどういう目 にあうかQにさとした。
それから、彼女の親戚でT大合格を果たした人物のことを、ことあるたびに口にし た。その人の名前が出るたび、生活の貧しさとの闘いの中でいつも険しい表情をして いた彼女の顔がパッと明るく輝いた。そんな瞬間はほかになかった。それがQに託さ れた彼女のたったひとつの夢であることは明々白々だった。それで、Qは小三のと き、訳も分からぬままT大受験をひそかに決意し、まずはT大受験の体験記を本屋で 買ってきて読んでみた。そこで、悲惨な受験体験の事実を知り、以来、彼の不眠症は 始まった。
或る晩のことだった。Qと妹が先に夕食を食べ終わると、あとから食卓についた母は 彼が食べ残した魚の骨をおかずとしてむしゃむしゃ食べ始めたのである。彼がただ目 を丸くして眺めていると、Qの母は「お前たちが頑張ってるんだから、かあちゃんは 骨でも何でも食うぞ」とばりばり言った。思わず彼は目をふせた。
その頃、それまであれほどうるさく子供たちに手伝いをさせてきたのに、或る日突 然、Qの母は、今日から家の雑巾がけと買い物をしなくてもよろしいとQに宣告し た。Qは一瞬、言葉に詰まった。むろん、家の手伝いの時間は勉強する時間にあてな さいという意味だった。
それから、居間のすぐ脇にあった二畳ほどの物置部屋を改造して、Qのための勉強部 屋を作った。しかし、勉強部屋とはいっても居間とは障子一枚しか隔たっていなかっ た。夕食後、家族が居間でくつろいでいると、やがてしびれを切らした母がきまって Qに勉強部屋に行くように合図を送った。立ち上がったQが勉強部屋に向かうと居間 はとたんにしずまり返った。父親はイヤホーンでテレビを見、母親と妹たちは声をひ そめて話した。机に向かうQにとって、それは息詰まるような瞬間だった。
Qは真面目に勉強した。だが、すぐ飽き飽きした。理科の虫や草花についての授業 も、決してかつての喜びを彼にもたらさなかった。それどころか、授業は彼に、二度と、勉強を通じて原っぱで虫や草花と遊んだときの喜びを求めてはならないのだという教訓を 教えた。しかし、かといって勉強を放棄するわけにはいかなかった。大学に受かる までの九年間、石にかじりついてでも頑張らなければならないと自分に言い聞かせ た。それは恐ろしいことだった。自分は一生に二へん、鯉の滝登りをしなければなら ないのだとQは思った、高校受験と大学受験という滝登りを。しかも、その滝は途方 もなく高い、険しいものに思えてならなかった。本当に自分のような者でも登れるだ ろうか、そのことを考えるたび、彼の胸は押しつぶされ思わずため息がもれた。
だから、中学に入学したQは、実のところふらふらしている自分を鞭打って、この受 験勉強に邁進できるように先導してくれるものを熱烈に求めるようになった。そし て、彼は見つけた。論語という書物に登場する君子だった。Qは憧れの女性のことで 頭がおかしくなりそうになるたび、或いはこんな受験勉強から逃げ出したいと激しい 拒絶反応に襲われるたび、この書物を開いては、自分の軽薄さを戒めた。こうして、 彼は論語という書物をバイブルにして、素直になることを徹底的に軽蔑し、T大合格 という最終目標に向けて熱烈な受験信者に化していこうとした。
しかし、それは最初の滝登りまでが限度だった。高校受験を首尾よく果たし、首席で 高校に入学したとき、彼の心を満たしていたのは成功した喜びなんかではなく、ただ 途方もない緊張感だった。この時、Qの頭をにしきへびが締めつけるように縛りつけ ていたことは、いよいよT大受験という最終戦だということだった。しかし、彼の頭はここ七年間の受験勉強の緊張と最終戦に向けての準備の緊張とで限界に達していた。まもなく、糸がプッツンと切れてしまった。激しいノイローゼで勉強はおろか食事も睡眠も取れなくなった。はじめて自殺のことを考えた。そして、このとき、Qを救ってくれたのはまたしても書物だった。しかし、論語の君子はもはや救いにはならなかった。今度の救いはそれとは正反対の、詩人ランボーのような無頼漢の書いた書物だった。こうして今や彼は、無頼漢の書物をバイブルにして、受験勉強を徹底的に軽蔑し、ランボーのような反逆児になりたいと熱烈な無頼漢信者に化していこうとした。
こういうQにとって、葉子はいかにもありきたりの平凡な女性に思えた。すごく物足 りなかった。しかし、それは彼が何も見えていなかった証拠である。彼は、自分こそ ありきたりでない、ユニークな人生を送ろうとしているのだと信じていた。しかし、 彼こそ実は全く月並みだったのだ。ユニークな人生----そんなもんただの演技にすぎ なかったのである。その反対に、葉子こそ、演技でなく、本当にあるがままの自分で あり続けようとして苦しんでいたのだ。だから、葉子だけがQの演技を最初に暴き、 これを粉砕したのだった。

7、浪人(秋・東京)
 九月の東京は残酷だ。熱風がこめる地下鉄に乗り、予備校から下宿に帰ってくる と、体中がボロボロになるような気がした。すると、Qの心は訳もなくひとりわめい た。
----そうだ、いっそのこと、ここに人がまるっきりいなけりゃあいいんだ。なまじっ か人がいるばっかりに、オレはこいつら東京にバカみたいに苦しめられるんだ。
 五月にかかった正体不明の風邪も依然直らず、この九月の不順な天候のため悪化してき た。おまけにQの成績もじわじわと悪化してきた。正直なところ、苛立ちと焦りを覚 えた。にもかかわらず、Qは相変わらず受験勉強をしなかった。一学期だって受験勉 強しなくてもやれたんだから、やらなくてもいい、それがQの考えだった。しかし、 不安がつのるのはどうしようもなかった。だから、葉子の手紙が頼りだった。実は彼 女のほうこそQが上京したあと、四月の時と同様、無気力と混乱の極にあった。だか ら、本当いえばQこそ葉子を励まさなければならなかったのである。しかし、Qはそ れをしなかった。葉子から一方的に慰めてもらうことのみを求めた。彼女は彼を気遣 い、彼を想う手紙を書き続けた。やがて、それはこんな風になっていった。

私は今 たまらなく 恋しい 人恋しい。
秋という期間だけでしょうか。誰からか愛されたい。
人間がたまらなく好きです。忘れられません。
私のような幸福者が愛を求めるのはいけないことでしょうか。
むろん男女の愛を含むより大きな愛のことです。
ほんとうに恋しいのです。
でも一言も声にでない。
変に誤解しないで下さいね。
淋しいのです。そして悲しい。
だから恋しくなります。
私はあなたにだかれてねむりたい。
いけないことかしら。
                      葉子

しかし、この後ぱったり葉子の手紙がとだえた。予備校から戻ったQが真っ先に目を やる郵便受けには葉子の手紙は見いだされなかった。この発見は辛かった。Qは続け ざまに手紙を書いた。そこでQは初めて自分の考えをずけずけ書いた、受験勉強のた めにふたりのつきあいが邪魔されるのはごめんだ。どうして文通を中断する理由があ るのだろうか。自分はそんなやり方に我慢できない、と。
 すると、ようやく十月に葉子から返事が来た。うすい封筒だった。Qはむさぼるよ うに封を切った。

  毎日、テストに追われて考える時間もないほどでした。貴方のことは気にかかって はおりましたが、できのわるい私の頭には二つのことが同時にはできないのです。 正直なところ、何度ペンをとったか知れません。が書けませんでした。でもあるい はそれだけでの理由ではないかもしれません、それだけかもしれません。
私は受験生です、そして貴方も、‥‥貴方の勉強に対する考え。それは本来正しい ことかもしれません。それは認めます。でも、私は私なりにしかやっていけない。
この時期を大切にしてほしいのです。私もこうしているとつい貴方を頼ってしまい ます。苦しければ貴方に逃げてしまいます。そしていつぞやのような内容の手紙ま で書いてしまうのです。我ながらショックでした。自分で書いておきながら無責任 だとは思いますが、そんな自分がたまらなく恥ずかしく思えてきたのです。ようや く今は少し平静でいられます。が、いつ又あのようなことを書くかと思うと恐ろし いくらいです。今の私はだめなんです。入試が済むまではどうやっても無理でしょ う。それに貴方にも考えてほしいのです。私が友人でいられるうちに‥‥
私をどんなにおこってもばかにしてもいいのです。そして今は全てを忘れて勉強し て下さい。そのためならどんなばかにもなるつもりです。
気持ちが落ちついて私の答えが出たらお手紙を書きます、必ず。できるなら、来春 まで黙っていたかったのです。今は何を書いても気持ちを表わすことはできませ ん。この内容も誤解なしで受け取られるとは思いません。
今は、この私を卑怯者とののしることだけが自分自身の救いです。私のような者が 貴方と友人となったことがまちがいでした。貴方を理解してあげられないことがど んなに苦しいことか‥‥‥‥弱すぎるのですね、私が。

 葉子の手紙にはかなりの誤字や脱字があった。論旨を読み取ったQは、またかと思っ た。受験勉強で葉子と妥協する積りなぞ毛頭なかった。それだけのことだと思った。 だが、葉子ははっきりと書いていた「でも、私は私なりにしかやっていけない」と。 しかし、この言葉はQの頭にかすりともしなかった。だから、返事は単純明快だっ た。
「受験勉強なんて真っ平だ、変な心配はいらないから、手紙を書いてほしい」
しかし、二度と葉子の手紙は来なかった。すると六月ころ抱いた例の不吉な予感が再 びじわじわと頭をもたげてきた。
 十月、空は高く、Qの心は闇だった。秋は眠るに限る、そう信じてQはひたすら眠 った。というより起きていられないのだ。しかし、眠りからさめる瞬間、ふたたびQ はたえがたい淋しさに襲われた。葉子の手紙を失って初めて葉子の重みを感じた。か といって今更東京で高校時代の友だちと会うこともできなかったし、予備校で新しい 友人を作ることもあり得なかった。葉子を失ったとき、ほかには誰もいなかった。こ れ以上辛い発見はなかった。そこで、Qはひたすら白昼の眠りをむさぼった。
 十月の末、Qは都心のはずれにあるA大学で公開模試を受けた。大学の回りには枯 れ草の野原がひろがっていた。こんな広々とした野原を見るのは上京以来初めてだっ た。秋晴れの日曜日、金色に輝く一面の草っ原にQの心は思わず躍った。Qは道を それ、野原に入り、枯れ草を踏みしめた。枯れ草のやわらかい感触が靴底に伝わって きて、思わず、枯れ野に寝っころがって、ここにある枯れ草全部を抱きしめてやりた いと思った。上機嫌のQは最終科目を放ったらかしにし、再び、金色の草っ原に飛び 込んで日が落ちるまで思う存分歩き回った。しかし、都心に戻る途中、乗り換えの新 宿駅は日曜日の人混みでごった返した。Qは、この目の前にいる人間たちが皆自分と まったく無縁な連中なのだと思ったとたん、無性に怒りがこみ上げてきた。焦ったQ は、道に迷った。
夜、下宿に戻ったとき、Qはすっかり気が弱くなっていた。だが、葉子の手紙がある 筈もなかった。そこで、Qは自らペンをとり葉子にあてて書き出した、というより書 かずにはおれなかった、今日の喜びを、そして新宿で迷子になったドジを。もっと も、今ではもう「手紙を書いてほしい」という文句が厚かましく思えて口にすること はできないと思った。にもかかわらず、最後に、この文句を書かずにおれなかった。 しかし、そのあとためらいからこれを消し、消してはまた書いた。そしたら、ずっと沈黙を続ける葉子に対し、突然いいようのない怒りがこみ上げてきた。と共に、ためらいなが らもそれまで保留してきた不吉な予感がQの全身をとらえた。彼はブルブル震えなが ら、心の中で叫んだ----葉子に男ができたんだ!
そう叫んだ瞬間、もうだめだった。あとは葉子に罵りの手紙を書くまで一直線だっ た。
もちろん返事はこない。
  十一月、Qはいつも真夜中に起き出し、ずっと星を眺めていた。空には満天冬の星 が輝き、Qの心はまっくらだった。
‥‥しかし、今にして思えば、葉子だって同じ心境だったのだ。だが当時、そのこと にQが気づくはずもなかった。
  或る日、Qは夢を見た。冬の寒い昼のことだった。なのに、外では黒い雪がぼさぼ さ降っていた。彼の家もその黒い雪にすっぽり埋まっていた。家具ひとつない家に、 Qのほかに父と妹がぽつんと座っていた。彼らは黙ったきりだった。窓が開けっ 放しになっていた。Qがぼんやり外を眺めていると、とつぜん叫び声がした。胸騒ぎ がした。誰かがやって来た。それはQの母だった。彼女はぼろぼろ泣いていた。する とQもわっと泣き出してしまった。尋ねると、母は、実は訳があって帰れないのだ よ、行かなくてはいけないのだよと答えた。Qは夢中になってその訳を尋ねた。しか し、母はただ泣くばかりで答えなかった。彼女の姿は次第に遠ざかっていく。Qは追 いすがろうとした。だが、金縛りにあったように体が動かない。彼は思わず叫んだ‥ ‥
 十二月、ようやく持ちこたえたQは葉子の不誠実をどうしても許せないと思った。 このまま引き下がることはどうしてもできないと思った。それで、二学期が終了する とすぐ帰郷して、葉子に会わなければと思った。

8、浪人(冬)
 二学期が終わった。Qの成績は予想通り惨憺たるものだった。このままではT大は 無理だと太鼓判が押されてあった。しかし、そんなことはもうどうでもよかった。自 分を滅茶苦茶にした葉子に今すぐ会ってケリをつけなければとそう思った。しかも、 それはものの三十分もかからない訳ない話だと思った。で、帰郷すると、家にカバン だけ置いてそのまま飛び出した。
 しかし、現実はまったく思っても見なかった結果となった。Qは自分でも殆ど信じ られなかったが、葉子に会うために、翌日から冬休みがあけるまで、殆ど毎日のよう に高校にあるいは自宅に通ったのである。そして、彼がそこで見た葉子、そこで知っ た葉子、それは初めて見る別人のようだった。彼は葉子のことをまだ何にも知らなか ったのだ。そして知らされた。それまで、どうしてあんなことが信じられたのか、ど うして「葉子の不誠実をどうしても許せない」なんて口にできたのか、どうして葉子 を「卑劣な裏切り者」などとののしることができたのか。今なら断言できる、Qのこ のときの行動こそ醜悪の一語に尽きると。
なぜなら、なぜなら、
それは----目もくらむような瞬間だった。

 このあと、それまで思っても見なかったことだが、Qは葉子のものすごい愛情を感 じた、それは今までいっぺんも経験したことのないようなものだった。と同時にQは ものすごい孤独も感じた。Qにとって葉子は恋人であったことは一度もなかった。た んなる軽いガールフレンドぐらいにしか思っていなかった。にもかかわらず、今こう して、葉子と何度も会い、彼女を知ったとき、Qは思わず未だかつてない孤独に襲わ れた。
彼は冬休み中、毎日夢を見た。日ごと、葉子に捨てられるという恐怖を強める中で、 もうあきらめるしかないという思いを強める中で、毎日、フトンのなかでのたうち回 っているうちにやがて眠りに落ちると、決まって強烈な夢を見た。夢は、もうあきら めなければならないと語っていた。Qは殆どうなされるように目覚めた。すると決ま ってQの心は、不意に、どこからともなくやって来た
----あきらめる‥‥えっ!誰にそんな、誰にそんなことができるもんか!
という叫び声にとらえられた。心が張り裂けんばかりになって、彼は失神した。
しかし、このとき、この男の頭を占めていたのは葉子とよりを戻すことだけだっ た。だから、葉子は二度と戻ってこなかった。

 一月上旬、Qは上京した。全てが終わったと思われた。Qの体もボロボロだった。
高血圧と慢性の咳と慢性胃炎と慢性の鼻血だった。おまけに足がかゆくなったり、も のもらいができたり、鼻が化膿した。しかし、唯一幸いなことに、東京の街を歩くQ にもはや以前のような激痛はなかった。これらの建物どれひとつとってもみなQにと って遠い無縁なものにしか思えなくなったのである。また、予備校の生活ももうあま り彼を苦しめ、憤らせることもなくなった。自分と違う別世界の出来事なのだ、この 認識に以前のように悩まされることがなくなったのである。
‥‥だが、今思うに、それが何だろう。痛みからの解放、悩みからの解放、そんなも のが何だってんだろう。
しかし、このときのQはそんなことはもうどうでもよかった。そして文字どおり坂道 を転がるようにQの成績は落ちていった。
一月末、QはこのままではT大合格は絶対あり得ないことを悟った。
やっぱり駄目だったのか----これまで受験勉強を拒否し続けてきたQは、とうとう自 分の敗北を認めた。
‥‥だが、今思うに、なぜこれが「敗北」だったのだろうか。受験勉強から逃走する ことに意義を見い出していたのなら、T大不合格ぐらいでどうして「敗北」なんてこ とになるのだろうか。それならば、T大合格が受験勉強を拒否し続けてきたQにとっ て、「勝利」とでも言えるのか。全てはまったく葉子の言う通りだった。冬休みに葉 子から糾弾された通りだった。
しかし、このときのQは、そんなことはもうどうでもよかった。とにかくQがこれま で考えてきた受験勉強からの逃走が偽善的、欺瞞的なものであり、そんなもんにこだ わってもしょうがないんだと分かった以上、Qはただもう受験勉強を一刻も早く終わ りにしたかった。だが、どうやって? このとき、大学進学以外に進むべき未来の姿 を何一つ持てなかったQは、恥も外聞もかなぐり捨て、石にかじりついてでも、今春 T大に合格するしかないと思った。そこで、深く息をつき、硬直し、ほかのどんな受 験生でもやったことがないような最悪の受験勉強に陥っていった。
----俺は、文学や哲学といった書物に人生の青春を感じていたのだ。受験勉強では決 して得られない青春を感じていたのだ。ところが、実際、俺のやってきたことといえ ば、書物から教えや教訓を奪い取り、これを主張することではなかったか。これは俺 の言葉だ!と。ちょ、こしゃくな夢さ。この馬鹿げた夢からいっぺんも覚めないで、 俺がしたことといえば、覚え込んだ教えや教訓をくり返し葉子に押しつけ、厳しく指 摘することだった。真実は守らなければならない、と。ところが、どうだろ。肝心の 自分はといえば、裁かれるような厳しい立場には決して立とうとはしなかった。いつ もわきで寝そべっていたんだ、いつも怠けていたんだ!
フン、書物といえど受験勉強といえど、どっちも五十歩百歩さ。人生のたわけた夢に はちがいないんだ。どっちだって、そうだ!どっちにしたって、あの葉子の涙には、 足下にも及ばないんだ。‥‥

 こうして、農奴ならぬ受奴Qの表情は前にもまして何か動かぬものを示すようにな った。夜、下宿にひとりいると、遠くで車の音が地鳴りのように鳴り響いた。その地 鳴りの音にじっと耳を澄ますQは笑うことも怒ることもすっかり忘れたかのようだっ た。もう葉子のことを考えることはしなかった。その代わり、ぼんやりしていると、 殆ど口も聞いたこともなかった葉子の父親のことをつい考えていた。葉子と父親の間 で共有された時間のことを、葉子が生まれてからこれまで父親と過ごした時間のこと を思った。それはQにずっしりこたえた。
 二月の或る朝、雪が降った。上京後初めて見る雪だった。Qは唖然とした。東京で も雪が降るんだ。あたり一面の雪のため、うそみたいにすっかり景色が変わってい た。いつもとちがって朝の雪道は清潔で、Qがまっしろな雪を踏みしめるたびに言い 知れぬ歓びが靴底から体中に広がるのを感じた。このときばかりは東京に目が傷まな かった。だから外は風は強く寒かったけれど、Qは嬉しかった。とても不思議な気分 だった。こんな素直な気持ちになれたのは生まれて初めてのことではないかとすら思 った。すると、Qの目の前を中年の父親らしき男と幼い娘が歩いていた。四歳くらい のその娘は慣れない雪道を父親の手にしっかりつかまり、あたりの素晴らしい雪景色 をキョロキョロと見回していた。その、おびえた美しいまなざしにQは思わず感動し た。父親はきっと悲しんだことだろうな。すまない、という後悔が胸を突き、涙が止 めどなくあふれた。
 Qは泣き止むまでそこに立ち尽くした。そして歩き出した。しかし、橋を渡ると、 思いがけず全てのことが一瞬にして分かったような気がした。Qは再び胸をしめつけ られた。
----ああ、あれがいけなかった。雪が降るのが遅すぎたんだ‥‥
雪がどんなに大切なものだったか、生まれて初めて雪のない生活を送ってみて今はじめて気がついた。痛いほど気がついた。
----そうだ、こいつが‥‥こいつが、みんないけなかったんだ。
東京にしては珍しく、東の方に林の茂みが、彼が憧れた自然の姿がかすんで見えた。だが、この発見も遅すぎた。
Qはゆっくり息を吐いた。
----あきらめよう。
そこには幾度もくり返された執着と希望がきれいに流れ去り、あとには触れることの できない心、こころというものがむき出しになっているのを見つけ----Qはあきらめ ようと呟いた。

全ては坂道を転がるように落ちていった。

ここでノート2は終わっている。ところで、この手記には肝心の冬休みの出来事 が、葉子との出来事が書かれていない。単に、
それは----目もくらむような瞬間だった。
としか書かれていない。どうして、それしか書かれなかったのだろうか。それはま た、一体何を意味するのだろうか。さらに(私が目撃したように)その後、QはT大 に合格した直後、葉子に会っているはずであるが、それについても書かれていない。 恐らく、ふたりのよりは戻らなかっただろう。
このノート2が書き上げられたのは、Qの大学一年の一二月二一日のこと、Qの自 殺のちょうど四ヶ月前である。

(第4章 おわり)

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