私と自森との出会い

--教えること自体の問い直しに向けて--

H2-6父母:柳原敏夫
1996.12.07

(・・・自由の森に保存)


----最初に、最近の自森をどんな風に見ている?

 実は、昨夜、カミさんと息子が喧嘩したのです。なんでかというと、たまたま自森の授業料がまた10%値上げされるという話を聞いて、それで、もう授業料だけは埼玉県の私立学校でもトップクラスにランクされるという名誉ある事態だというのに、肝心の息子は「自森の授業なんて聞いていられるか」と殆ど授業にも出ないで(それで、かつてのように、まだ自分でやりたいことを見出していて、それに打ち込んでいるんならともかく)、最近の口癖「ああ、毎日、自森に流される‥‥」と言ってただプラプラしているだけの息子を眺めていて、彼女は思わずプッツンしてしまったのです。「お前なんかのためにこれ以上、金をドブに捨てることはもう止めた。自森をやめるのかどうかきっちり考えろ!」という感じでしたね。
 確か、去年なんか、初めて夜中の1時過ぎまで引越のアルバイトをやって目を輝かせて帰ってきたり、自主講座のゲストの小森さんの話を東大までモグリで聞きに行って「授業というのがこんなに面白いもんだとは思わなかった」と感激したり、薬害エイズ問題で厚生省前に一晩中座り込みして支援の人たちと語り合ったり、とにかく好奇心がきらめていたところがあったのに、今年になってそういうのがバッタリなくなった。そして、ずっと目の輝きが死んでいる。実は、ちょっと前、「自由の森の起源について」という感想を書いたとき、彼のことに触れて、かなりずけずけ書いたのです。そしたら、或る父母の人からこう言われました。
「娘が『感性のいいことではピカイチ!』と絶賛する息子さんにはひどすぎる!!」
 しかし、はっきり言って、彼は自森に入る前から感性は、というより感性だけは良かったのです。3歳くらいで漫画「がんばれ元気」の元気の父親の死の場面をひとりで読んでたまらなくなって母親に抱きついて泣いたり、4歳くらいで「シートン動物記」の勇気ある鹿の話を読み聞かせしたとき、突然「お父さん、ボク分かったよ、勇気あるっていうのがどういうことか!」と叫んだり、小1で映画「蒲田行進曲」を観て、畳に顔をすり付けてボロボロ泣いたりするような子供でした。そういう彼の感性が、この自森に来て、さらに深められ、さらに研ぎすまされたとは到底思えない。
 また、知性に関していえば、今の彼の知力ははっきり言って小学生時代以下です。小学生のときの方がまだましだった。確か、小5のとき、一緒に夜の電車に乗りながら、電車を例にしてアインシュタインの相対性原理の話をしたとき、彼は目を輝かしすごく興味を示して、そのとき一瞬物理学者になろうかなとすら思ったという。その程度の知的興味を持ち、アインシュタインの相対性原理のイロハくらい理解する知的力を持っていた筈なのに、それすら自森に入ってからというもの、この5年間で失せてしまった。
 その意味で、文字どおり、ただのアホに成り下がった感があります。だから、母親の堪忍袋の緒が切れるのも無理はない。

----でも、それは、君んちの息子だけのことなの?

 いや、そうでないと思う。去年、一緒に自主講座をやった生徒連中たちも軒並み元気がない。というより、何かすごく荒れている。それは、彼らの心が腐っていて、すさんでいるという感じなんだ。

----それは、どういう訳で。

 よく分からない。ただ、ひとつ言えることは、去年、一緒に自主講座をやった生徒たちというのは、中学ではなく、高校になってから自森に来た連中が割合多くて、彼らは、中学時代、今のニッポンの公立中学校の荒廃ぶりを肌身で痛感していて、それだけに、彼らなりに切実な思いで、この自森に必死の希望を託す積りで、ここを選んだような人たちです。だから、私の自主講座にもすごく熱心だったわけです。同時に、彼らの自森の学校や自森の教師に対する期待というものもすごく大きかったように思う。
 しかし、現実に今の自森にある「学校や教師の生徒に対するまなざし」はものすごく冷ややかなもののようだ。自森設立当初溢れていたような「今すぐどうにもならなくても生徒と一緒になってうんうん言いながらも考え続ける・悩み続ける」というような姿勢、そんなもんは今は殆ど見あたらないらしい。その反対に、教師たちはこそこそとまるで生徒から逃げるようにしているという。こういう寒々した光景を目の当たりにして、自森の教師に対し大きな期待を抱いてきた生徒たちは今や激しい失望に襲われている。これが彼らが荒れ、すさんでいる最大の理由ではないかと思う。

----で、大人の親たちはどうなんだろう?

 私は昨年から、自森に急に深く関わるようになったのですが、以来、あちこちから「自森にすごく失望した」という話を嫌になるほど聞いた。それはさきほどの生徒の場合と同じで、それまで人一倍熱心に自森に関わって、力を注いできた人たちほど、今や自森の現状に、深い、とりかえしのつかない失望を抱いていました。

----そういう人たちって、どんな風に失望していたの?

 先ほどの生徒たちと同じですね。要するに、学校管理職と教師たちに完全に失望していました。そして、もうこんな所にかかずらわるのは止めて、もっと有意義なことに時間を費やした方がましだと思うようになったのです。例えば「つばさ」という雑誌を編集していた人は私にはっきりと
「私はもう自森に見切りをつけました。というのも、自森はこの10年間で結局、教師が育たなかったのです」
と自森見切り宣言を言い渡しました。こういう風に、もう自森に対して文句も何も言わなくなって、自森に対し深い失望を抱いてひっそり離反していくのです。ひょっとしてガッコウ側としては、ようやくうるさい親が静かになったと喜んでいるのかも知れませんが、しかし、こういう光景を見ていると、このような失望と離反の累積というものが実は、あたかもかつての社会主義政権やニッポンの社会党みたいに、じわじわと自森の内部崩壊への道を準備しているのだということを痛感しますね。

----なんか末期的な感じですね。

 そうです。ある意味で自森は今や荒廃の極限に至っていて、さながら焼け野原と言えるかもしれない。

----荒廃した焼け野原ね。

 でも、そうであったとしても、なお自森が意義があると思うのは、自森にいると、ここが荒廃している場所であるということがよく分かるということです。
 我々が荒廃しているということと荒廃していることを知るということは、全く別のことだと思う。たとえば、今の東大にいたって、我々が荒廃の中にいるなんてことは容易には自覚できないと思う。それどころか、なんかバラ色の未来がいまだに自分たちの手中にあるかのような幻想にすら容易に陥ってしまう。そういう倒錯した連中が将来の第2、第3の岡光みたいになったって何の不思議もない。
 ところが、幸い、自森にいると不思議なくらい荒廃ぶりがよく見える。だから、我々は幻想に陥らずに、これと正面から取り組むことができるし、必要とあらばこれに抵抗し、闘うこともできる。

----なんか随分楽観的ですね。

 そうですね。それはきっと、私がこれまで自森に対して、一度も希望を抱いたことがなかったからかも知れません。だから、絶望する必要もなかったのです。
 ということで、私と自森との出会いについて少し語らせて下さい。

----では、最初のきっかけから。

 自森が設立された当時、新聞記事で自森のことを知りました。また、遠藤豊さんの「理想の学園自由の森学園」という本をカミさんが買ってましたが、正直言って、当時、何の興味も沸きませんでした。言っていることがきれいにできすぎている----そういう印象でした。

----それはあなたがちょっとひねくれているんじゃないの。

 そうかも知れません。ただ、私は自分自身の経験から「元来人は人に教えるなんてことはできないもんだ」という気持ちがずっとあって、「教えること」の傲慢さをずっと感じてきたものですから、このとき、管理と競争を排斥すれば素晴らしい教育ができるという自森の話にも、依然「教えること」自体に対する根本的な反省がなされているとは思えなかったのです。そして今、その点でのツケ、つまり、この自森でも相変わらず「教えること」の傲慢さをずっと引きずっているということのツケが今や自森にも間違いなくきているように思います。

----そうすると、あなたが自森にかかわったのはどういうきっかけだったの。

 息子が確か小6のとき、彼が自森に興味を持ったので、それで、文化祭とか公開研に連れていったのがきっかけでした。小学校に入学して1週間で、それまで遊びの王国(保育園)で傍若無人に振る舞ってきた彼は、「ボク、もうガッコウ行きたくない」ともらしたくらいの人ですから、その後、勉強のことは一切言わず、好きにやらせた筈なのですが、本人はもう公立中学校ではゴメンだと感じていたようです。

----そのとき、あなたはどんな印象だったの。

 既に、昨年書いた感想で述べたので重複は避けますが、公開研で、午前の授業参観をしたとき、参加者が感想を言う段になったとき、ふたりほどまあ同じ教育という業界の連中でしょう、彼らがその授業内容にものすごいケチをつけ始めたのです。それで、ビックリした。ああ、このガッコウって、もしかして、世間からものすごく注目されていて、それで、ムキになってケチをつけようというゲスな根性の奴等も随分いるんだということに初めて気がついたのです。その上驚いたことに、そういう嫌がらせに対して、私なんか腹が立ってきて思わず「それは嫌がらせか」と言い返してやろかと思ったくらいなのに、当の自森の教師は黙って大人しく聞いているのです。それで、私は、ああ、自森の教師って、もしかして理想的な人物になることを何かものすごく期待されているんじゃないか、一種のスターのように、すごく不自由な存在なんじゃないかと思いました。
 その不安は午後の授業研究で的中しました。当時、私は仕事をやめてしばらく数学のニセ学生をするつもりでおったので、高校の数学の部に参加したのですが、そこで、やられていた「指数関数の導入」というテーマの説明のところで、自森の教師の人たちはちょっとしたトリックをやったのです。それで、私が「それはおかしい」と論理の飛躍のところを指摘したら、ちょっと騒然となって、自森の生徒は「おれは今まで騙されていた!」と叫ぶし、或る先生が「実は私もここのところが分からないのです」と告白し始めたんです。それで、面白くなったところで、どうなるかなと興味津々で眺めておったところ、お偉い先生が「まあまあ」とか手を振って、なだめて結局うやむやにしてしまったのです(誰です、「いかにも自森らしい」なんてささやいている人は?)。これはちょうどミヒャエル・エンデが言った「間違いと失敗はともに人生で最も価値あることです」とは正反対を行く道、間違いと失敗を極度に恐れる極めて非人間的な道だと思えたのです。どうしてこう、自分の過ちや失敗をもっと素直に認められないのだろうか。自森の教師をこういうふうにガチガチにさせているのは、ひょっとして(彼ら自身が実は「間違いと失敗を極度に恐れるエリートである」ことのほかに)彼ら自身の中に、自分たちが自森の理想を追求する選ばれた人たちという思い(上がり)や、さらに、周りからの、ものすごい期待をかけられた強烈な視線というものがあるのではないかと思ったのです。
 事実、こういう熱い眼差しといったものを翌年、息子が入学してから、随所に感じました。つまり、このガッコウには至るところに教師のファンクラブのようなものができている感じがしたのです。で、私はそういうの、嫌なんです。それで以来3年間、このけったクソ悪い自森には一度も行かなかった。ひたすら自分のニセ学生生活に埋没しておったという訳です。
 但し、今思うに、この「教師のファンクラブ」的なもの、それが、自森をダメにしている張本人のひとつだと強く思いますね。

----どうしてですか?

 要するに、教師が堕落するんだと思うのです、そんな風に特別な存在に祭り上げられて、ちやほやされていたら(ついでに、親の方も何時までたってもミーハー的な存在から抜けられないし)。
 昨年から、自主講座でこの自森に深く関わってきて、或いは「自森の理念を継承する会」と学校の関係をずっと見ていて、或いは今年になってから、禁煙・禁バイク問題や最近の生徒の演劇のビデオの無断発売問題なんかで教師や管理職の態度を見ていて、つくづく思うのは、彼らがとにかく横暴であるということです。世間ではとても通用しないような横暴な態度を平気で取る。しかも、とくに気になったのは、彼らが自分自身の横暴さに殆ど気がついていないということです。いわば自分自身のやっていることの意味を認識していないのです。その意味では、他意はないといっていい。しかし、それだけに一層たちが悪く、悪質です。そして、では、どうして、そんなたちの悪い横暴さが発生するのだろうか、というと、それは、教師や管理職の中に他者に対する緊張関係というものが根本的に欠如していることに一番の原因があると思う。それは一種のナルシシズムです。自森という閉鎖的な空間の中だからこそ、初めて可能になるようなナルシシズムです。そして、それが今、「自由と自立」という自森の出発点を根本から否定するものになっていると思う。

----「教師のファンクラブ」的体質と「自由と自立」という自森の基本理念とがどういう風に関係するの。

 単純に言えば、「教師のファンクラブ」的体質というものが、教師と生徒との関係、教師と親との関係というものを、対等で自立した自由な関係にしなくなるということです。そこには、相変わらず、教師が親や生徒を導き、指導し、反面、親や生徒たちは指導者である教師に引き続き依存し、拝きする(ひざまづく)といった、人類が始まって以来綿々と続いた「支配と隷属の関係」がここでも相も変わらずはびこっているということです。そして、このような「支配と隷属の関係」というのは「自由と自立」にとって正反対のものだからです。
 但し、この問題は恐らく、自森の教師にとって、最大の躓きの石ともいうべき最も困難な課題だと思います。なぜなら、本質的には「自由と自立」を経験してこなかった我が国のようにところで、教師自身が、この「支配と隷属の関係」をずっと自明のことのようにしか思えなかったとしても不思議ではないからです。その意味で、「自由と自立」の問題を真正面から掲げたような自森でこそ、「支配と隷属の関係」ではない、「自由と自立」に相応しい教師像、「自由と自立」に相応しい教師と生徒との関係、「自由と自立」に相応しい教師と親との関係といったものが問い直されることが初めて可能になるのです。
 しかし、残念ながら、この問い直しが自森のこの10年間でなされたとは到底思えない。しかし、自森が曲がりなりにでも、「自由と自立」を真正面から掲げたからこそ、自森における教師像がおかしいぞ、何か狂っているぞということが、この10年間でだんだんはっきり見えてきたとも言える。その意味で、自森における「自由と自立」を模索する遠大な探索の旅は、まだ始まったばかりと思うのです。
 それに幸い、自森はもう世間から誰にも注目されなくなりましたしね。これからは、心おきなく、真に「自由と自立」に相応しい教師像を周りの目なぞ気にせずに、思う存分試行錯誤しながら模索できるというものです。

----そういうあなたが、それから3年後に、再び、自森に出かけるようになったのはどうしてなの。

 直接的には、息子のアホぶりにさすがの私も危機感を持ったからです。前にも書きましたが、 教師はあの不毛な「競争と管理」をやってくれなけば十分であって、あとは本人が自主的にやるだろう、その意味で教師はいてもいなくてもいい、透明人間みたいな存在でいいと思っていました。しかし、実際のところ、前半の3年間を過ぎた頃、「競争と管理」から解放された息子が実現したものは何かというと、自主的に道を進むということではなくて、それとは正反対の、金さえあれば何でも手に入るといった物欲のとりこ、ただの消費の奴隷ということでした。その全く予想外の展開に初めて事態の深刻さを覚りました。それではじめて自森に出かけるようになって、そこで、自森が抱えている困難な事態、先生たちが文字通り殆ど透明人間になっているような事態を目撃しました。10年前に、競争と管理から解放された学校さえ作れば、素晴らしい教育実践が出来るはずだと自信を抱いてきた先生たちにとって、これは理解を絶するようなものすごいショッキングなことだろうなと思いました。自由放任をモットーとしてきた私だって、何時までたっても物欲の奴隷に成り下がっている自分の息子を見ていて、この際、スパルタ人みたいに、ひと思いに息子を谷底に突き落としてやろうかという衝動に思わず駆られます。

 そのとき、私が考えたことは、このまま息子を自由放任のままではダメだということでした。彼をそんなにもニッポン資本主義の「物欲のとりこ」「消費の奴隷」に陥れているものに対し、闘わざるを得ないと思ったのです。しかし、そこで、再び、あの「管理や競争」を導入してやったら、せっかく今まで頑張ってきたことがふいになる‥‥。

----で、あなたは何をしたの。

 そこで、私が選んだのは、彼をにらみつけるということでした。

----にらみつける!?

 そうですね。もはや放任はできない。しかし、かといって、ゴリゴリにせよソフトにせよ管理を再び導入することもしたくない。そこで、迷った末に選んだのが、「にらみつける」ということでした。それは言い換えると、彼との間で、今までになかったような「或る種の緊張関係」に立とうとしたことです。

----それは、結局、何をするんですか。

 何もしないですよ、特に。でも、その緊張関係の中で、彼と私との関係が少しずつ変わっていったのは確かです。私としては、親として最低の養育の責任は果たす代わりに、それ以外のことは或る意味で単なる他者として息子に接するようにしたのです。だから、共同生活の場である家庭において、私は彼にめいめいの分担をちゃんと果たすように、自分のことは自分で責任を持ってやるように、他者に接するような積りで提案し、守らない場合には他者として非難しました。その代わり、彼が自分の意志で決めたことについて、原則として干渉しませんでした。

----それで、変わりましたか。

 どうでしょう。でも、私はもう彼を自分の息子という風に見ていませんから、そのことだけは感じているようです。だから、昨年、私が自主講座とか言って、週に半分くらい自森に出没したときなんか、ゲストで自森に来た小森陽一さんが息子に「君なんか、あんなに親父が自森に来て嫌だろ」とさも嫌げに尋ねたときでも、彼は「いいえ、ちっとも。だって親父は親父だし、ボクはボクだし」と答えていました。その意味で、彼は、 元々「教師のファンクラブ」には決してはまらないタイプの生徒ですね。

----その意味では、彼は教師から自立してるんだ。

 そうかも知れません。しかし、彼の大敵は教師なんてレベルではなくて、彼を「物欲のとりこ」「消費の奴隷」に陥れているニッポン資本主義です。これはガッコウの教師とはちがって、管理とか競争ではなく、快楽と誘惑という形
で彼に迫ってくるからです。だから、めっぽう弱い。この点では、相変わらず、彼は負け続けています。

----その点は、どうしようと思っているのですか。

 はっきり言って、よく分かりません。しかし、最近、彼はずっと「物欲のとりこ」「消費の奴隷」でいる自分のことを、「毎日、自森に流される」と自覚するようになってはいるのです。いわば自分のアホさ加減にだんだん自分でも嫌気が差してくるようになっているのです。その意味で、やはり、「はてしない物語」のバスチアンみたいに、自分なりに、「物欲のとりこ」「消費の奴隷」であることについて、それを自分なりにやりきったところでやはり自分なりに無知の涙を流すしかないのではないかと思います。

----それ以外にも、あなたが自森に関わろうと思った理由はあったの。

 やっぱり、最大の理由は自分自身のことです。うまく言えないのですが、自分でも全く意外だったのです、自森にこんな風に関心を抱くようになるなんて。それは、私自身が仕事上の上で、またいろんな意味の上で、このニッポン的な風土に心底うんざりして、ニッポンから出ようと思って、それで、本気でアメリカに行くつもりで自分なりに何度かあっちをうろつくうちに、自分の目指しているものが、アメリカ人になることなんかではなく、要するに日本にもアメリカにも何処の国にも属していない「すきま人間=無国籍人」になることなんだということにようやく気がついたのです。事実、ニューヨークでも私から見て輝いている連中というのは、土着のアメリカ人ではなく(ニッポンのビジネスマンと同じで、単にアメリカというシステムの中をうまく泳いでいるだけのつまらん連中にも出会いました)、むしろよそから渡ってきた在米外国人、本質的には無国籍人或いは亡命者たちだったのです。すると、私もこの無国籍人的存在を目指すんであれば、あえてアメリカという場所にこだわる必要はなく、このしょうもないニッポンという場においてもこれを追求することはなお可能なのだということに気がついたのです(ちょうど藤原新也とか柄谷行人みたいに)。それで、ここしばらくニッポンという牢獄を仮の所在地にして、無国籍的な在日日本人として頑張ってみようと思ったのです。そしたら、たまたまこの自森を訪れたとき、そこで非常になつかしい経験をしたのです。それで、自森にはもしかしたら私が求めているようなケッタイな「無国籍的な在日日本人」がいるのではないかという気がしたのです。以来、自森にはまってしまったという訳です。

----あなたが経験した「非常になつかしい」ことって、どんなこと?

 これも既に書いたから詳細はくり返しませんが、簡単に言って、次のようなことでした。
 平日、自森に授業参観に行くようになったとき、自森の校舎は迷路みたいになっていて、校内でしょっちゅう道に迷うのです。で、そこらへんにいる生徒をつかまえて行き方を尋ねたわけですが、そのとき、私は彼らの対応ぶりに一種異様なショックを受けました。というのは、彼らが、どこの馬の骨ともしれない(身なりも見るからにいかがわしいそうな)私のような奴に対して、ごくごく自然に、すごく親切に教えてくれたからです。私は、このとき、自分が本当にひとりの人間として扱われている、肩書も見かけもくそもない、ただの人間として扱われているという強烈な実感を持ちました。こんなこと、実は私にとってこれまで日本ではおよそ考えられなかったことなのです。
 それで、私はふとある話を思い出しました。

昔、あるアメリカ人からこういうことを聞きました。日本では「国際化」ということが言われているらしいけど、日本の田舎に行くと、すごく国際的な人間がいると思うと言うんですね。もちろん彼らは外国語も外国文化も知らない。しかし、たんに見知らぬ異邦人に親切にするということ、それが一番普遍的で、国際的なわけです。(大江健三郎と柄谷行人の対談「中野重治のエチカ」)

 思えば、私自身この「たんに見知らぬ異邦人に親切にする」ような個人と出会いたい一心で、はるばるアメリカまで出かけて、そこで、やっとそういう素晴らしい連中に出会えたというのに、何だ、それはこの自森にもあったんだということに初めて気がついたのです(感想4)。
 このことをまた、以前、或る人にこう書いたこともあります。
 たまたま、仕事に追いつめられて日本に嫌気がさして(また少し頭がおかしくなって)、昨年の今頃、初めてアメリカをうろつくという経験をして帰国したあと、突然、この自森という場がそれまでとは違うものに見えてきたのです。それは、アメリカに行って、何か特別な経験をしたり、誰か特別な連中に出会ったという訳でもないのです。あそこで、ごく普通の人たちと知り合い、話をし、眺めてきただけなのです。ですが、そうであるが故に、それは私にとってとても深く心に残ったのです。私はアメリカのごく平凡な人たちから、例えば税関の職員とか語学学校の先生から
「アメリカはマイケル・ジョーダンのように、いくら年を食っても、自分の夢を追いかけることを許容する国だ。お前も全然遅くない。今からでも思う存分やるがいい」
というようなことを言われました。しかも強烈な印象だったことは、その言い方が、私に媚びるでもなければ、私をバカにするでもない、ただ単に素直にごく自然に言われたのです(勿論こういう連中ばかりではないことも分かりましたが)。つまり、この時、私はこの連中から、自分がただのI(アイ)として扱われているという体験を初めてしたような気がしました。それは、アメリカだったら当たり前のことかもしれませんが、日本長期滞在者の私にとっては初めての経験、そして心が晴れ晴れする、ものすごく気持ちのよい経験だったのです。そしたら、ごく平凡なアメリカ人たちを見ていて、Iが歩いているのに気がついたのです。ともかく、このIと出会えたことがアメリカで出会えた最大のものでした。こんなもの、日本ではお目にかかったことがなかったように思えたからです。
 ところが、帰国して日本にもこのI(アイ)がいるのに気がついたのです。それがこの自森でした。世間からは「アホが行く学校」とか「どろぼう学校」とか散々バカにされているこの自森で、私は、この学校の生徒たちからIとして扱われた経験を何度かしたのです。例えば、この学校の中で迷子になって、生徒に行き先を教えてもらった時、その教え方がすごく素直で、自然で、私は自分がまちがいなくIとして扱われているという実感を持ったのです。私がIとして扱われたということは彼ら自身がIであることの証拠です。それで、私はこの「アホが行く学校」と言われている自森をすっかり見直したのです。それで、この自森は、私にとって日本では稀な「日本の中の外国(外部)」になったのです。或いは少なくとも、そのような外部の可能性を持った場所になったのです。で、この自森が持っている可能性を追求してみたいと、以来、自森に、はまってしまったのです(感想6)。

----随分、自森が持ち上げられているような気がするけど。

 確かに、私はビックリしてしまったのです。ですが、私がビックリしたようなことを、不幸にして、このガッコウの教師たちは必ずしもたいしてビックリしていなかったように思えます。その反対に、自森から東大に入学した生徒が出たなんてことを、ほくほく顔で報告するような無惨な雰囲気すらあったのです。それは、ここにいる教師たち自身が実は未だ自由とか自立の何たるかを、人がI(アイ)として存在することの困難さと素晴らしさということをよく知らないからだと思います。だから、ビックリしていいことを全然ビックリできないのだと思う。

----それと、あなたは確かもうひとつ自分自身の理由をあげていたよね。

 そうですね。これもちょっと全く個人的なことになってしまいますが、前にも言った通り、私は40のとき、仕事を店じまいして、数学を学ぶためにニセ学生を始めました。このとき、私の予想では、今度こそかつての惨憺たる受験勉強とは異なる、本物の勉強ができる、数学者遠山啓が言った言葉
「数学とはひねくれたむずかしいものではなく、その反対にバカバカしいほど簡単な事柄を根気よく積み重ねたものにすぎない。我々はひねくれるために数学を学ぶのではなく、もっと素直にもっと大胆になるために数学を学ぶのだ」
の通りのことができる筈だと信じていました。
 しかし、現実は全くちがったのです。何だか、とにかくルールを教えこまされているだけという感じだけで、数学がちっとも明晰に分かるようにならなかったのです。書いてある論理を一生懸命理解し、追いかけていくのですが、途中から頭がモヤモヤしてきて、論理についていけないのです。のみならず、数学の書物を読み進んでいくと、その抽象的で索漠とした数学の世界に、頭から冷や水を浴びせ掛けられるような仕打ちを受 け、殆どノイローゼにならんばかりに気が滅入りました。この体中の血が凍えるような、身が凍りつくようなそらぞらしい空虚感に耐えか ねて、ついに数学書を読み続けていく気力を失いました。その揚げ句、しょっちゅう発熱しました。こうして数学をいったんあきらめて物理に切り替えたのですが、これまた全然うまく行きませんでした。授業を聞いても入門書を読んでも放送大学を聞いても、それらは私が感じたいと思っている不思議に満ち満ちた深遠な自然的実在を少しも感じさせるものではなかったのです。単なる冷ややかな形式的なゲームにすぎないという印象でした。
 私は何か裏切られたような思いでした。そして、その欺かれたという思いを語れるような人物を研究者や大学院生たちに求めましたが、残念ながらそういう人物はいませんでした。それで、こんなところにいてもしゃあないと、私はヤケのヤンパチであとは滅茶苦茶やるしかないと思い、研究室を飛び出しました。
 その後、色々な目に会って、ようやく、私がこのとき直感的に直面していた数学に対する異和感・悩みというものが決して単に私の頭が悪いからではなく、実は数学・物理の根本的な問題にかかわるものであること、もっと言えば、現代科学が行き着いた先で明らかになった非人間的な正体にかかわるものであることにようやく気がついたのです。
 そしたらふと、数学などに知的関心が全くない我が息子や自森の生徒たちのことが思わず浮かんだのでした。ひょっとして、彼らこそ、受験勉強のしがらみから解放された彼らこそ、日々の数学や科学の授業で私が味わったのと同様な、砂を噛むような味気ない経験をしているのではないかと思ったのです。
 それで、急に、自森の生徒のことがひと事ではなく、まさしく自分が味わってきた体験を共有できる貴重な連中ではないかと思えるようになったのです。

----それは随分、思いがけないことですね。

 ええ、我ながらそう思います。だから、この点での私の突拍子もない夢は、こうです----もしかして、芸術と同じような人間的な尺度で新しい科学が作られたとすれば、それは、受験勉強のしがらみのない自森の生徒たちのような連中に真っ先に受け入れられるのではないだろうか。だから、自森という場でこそ、生徒たちがあたかも歌の合唱で全身全霊で感動したように、科学の授業においても全身全霊で感動することができるような科学を模索していくことができるのではないか、と。

----何か、ホントに突拍子もないことをここで考えついたようですね。

 ええ、我ながらそう思います。なぜって、この自森では今いろんな意味で条件が備わっているからです。「管理や競争」といったものを取っ払った場所だからこそ、旧来の科学の方法にのっとった授業の問題点が初めて白日の下にさらされた訳です。もう従来のような科学のやり方ではやっていけないことが自森のような場だからこそ思い知らされた筈です。ついでに、今では誰も自森のことなんか注目していませんから。だから、周りの目を気にすることなく、大胆にやっていいわけです。

----どうも、あなたは、自森の関係者が普通悩んでいる現象(授業が成立しないとか生徒の非行・暴力が絶えないとか)をどこかで評価しているというか、逆転させているというか、何かひねくり回しているようなところがありますね。

 そうですね。私が自森をどういうふうに見ているかひと言で言うと、それはニッポンでも貴重な「アホになる場所」、自分があるがままの自分であり続けることの困難さに絶えず突き放されるような場所という感じです。つまり、自森が「自由と自立」を真正面から掲げたということは自らものすごい困難な道を選んだことだと思うのです。しかし、たとえそれがものすごく困難だとしても、そのためしょっちゅう迷ったり、悩んだりすることが避けられないとしても、やっぱり、この「自由と自立」を出発点に据えてやるしか我々の未来はもうないのだというのが、これまで散々「管理と競争」の無惨な人生を強いられてきた私の偽わざる気持ちです。
 だから、自森がもっか直面している様々な困難な課題というのは、自ら「自由と自立」を真正面から掲げたがために、初めて赤裸々に明らかにされたようなタイプの課題だと思うのです。「自由と自立」と本気で取り組んだがために、初めて直面し得た新しい質の課題だと思う。だから、この困難さの新しさ故に、我々はあらゆる点を根底からもう一度、教えるということとは何か、教師とは何かとかも含めて根底から考え直すことを強いられていると思うのです。

----そう言えば、最近、あなたは「教えること自体の見直し」とか「教師自身の見直し」をよく口にしますね。

 そうですね。というのも、今の自森では、まず、この点「教えること自体の見直し」とか「教師自身の見直し」とかをやらないと、教師自身が、そしてその相手をさせられている生徒までもが完全に生きる屍になってしまう気がするからです。

----そういうあなた自身、その点についてどう考えているのですか。

 まだよく分かりません。ただ、自森の教師の中に、相も変わらぬ明治以来の伝統的な教師像が依然根深く息づいているのを感じます。そういう教師って、自分が本質的には教室の中の王様だと思っている。たとえば、生徒の演劇をビデオにして無断で発売したときだって、「もう(生徒の)承諾を得てるものと思ってた」と言ってしまえるような権力者として振る舞っているのです。しかし、もともと自森設立の理念「自由と自立」には、そういう教師の権力を否定するものが含まれていたと思う。しかし、ここに来て、授業が成立しないとか生徒の非行・暴力が絶えないとかいった、「自由と自立」を真正面から掲げたプロセスの中で発生した新たな困難な課題に対して、例えば単位制度(落第制度)とか退学処分とか禁煙・禁バイクの通達といった、いわば教師と生徒間の自由で対等な関係の中での解決から、再び、上下の権力関係の導入による強引な解決というものに変質してきていると思う。だから、このようなときだからこそ、実はこの自森でも従来から根深くはびこってきた「指導者としての教師像」「権力者としての教師像」といったものの正体を改めてきっちりと認識し直し、これをとことん批判し、そして、「指導者・権力者としての教師像」に代わる新しい教師像を模索していくことが大事だと思ったのです。

----そこで、あなた自身、その「新しい教師像」をどのように考えているのですか。

 素人の私にはとても手に余ることです。しかし、反面、このような課題がいわゆる旧来の教育学者たちの手によって解決されるとも思えないのです。なぜなら、この課題は、そもそも旧来の「教育」そのものの意味を根本から問い直すものに違いないからです。その意味で、そのような「新しい教師像」のイメージは教育者なんかとは全然別な人たちがもたらしてくれるのではないかと考えています。たとえば、山田洋次というような映画監督とか藤原新也というような写真家とかミヒャエル・エンデというような作家です。

----どうしてです?

 数年前、或る教育学者の対談集「子どもをとらえ直す」という本を読んだことがあるのです。その最後の対話の
相手が山田洋次だったのですが、もともと教育関係の書物が苦手な私にもそこだけはすごく面白かった。なんでかというと、この本の著者は、その題名通り「子どもをとらえ直」したかったのに、山田洋次はそんなことは一切お構いなく、渥美清を例に出してもっぱら教師像のことばかり語っていたからです。それはあたかも、今大事なことはいつも教育関係者が好んでやるような「子どもをとらえ直す」ことなんかではなく、「教師そのものをとらえ直す」ことではないか、ということを山田洋次が一番言いたかったように思えたからです。そして、そこで、山田洋次が渥美清を例に出して語っている教師像というのは、指導者・権力者でない教師とはいかなるものであろうかを実に生き生きとイメージしたものでした。そこで、彼は2つのことを言っているように思えたのです。ひとつは、今回の映画「学校2」でもそうでしたが、生徒と心を通いあわせることをする人、生徒と状況を共有しようとする人、分かりやすい例で言えば、「ニューシネマ・パラダイス」の映写技師アルフレッドみたいな人ですね。それともうひとつが、生徒の中にある憧れ・素質・才能を解放し、伸び伸びとさせ、目覚めさせ、それらを精一杯発揮できるように引っぱり出してくれる人、具体的な例として挙げていたのが、小学生時代落ちこぼれだった黒澤明の絵の才能を励ましてくれた立川先生みたいな人です。ここで興味深かったことは、山田洋次の「指導者・権力者でない教師像」として、芸術家としての側面を挙げていたことです。つまり、それは、まだ世界・人生の何たるかを知らない生徒たちに、謎や喜怒哀楽に満ち満ちた不可思議な世界・人生へ橋渡しをする媒介・媒体となることが教師の仕事ではないかということです。そこで重要なことは教師という橋がいかに生徒たちを未知の世界・人生に橋渡しするに相応しい橋となるかであって、あとは生徒自身がめいめい自分の感性とか興味に従って自ら経験し、学べばいいことであって、それ以上、教師がとやかく言う必要はないということです。
 私は、山田洋次の教師像の大事なところは権力関係・指導関係を否定しようとしている点にあると思う。そして、権力・指導に代わって、媒体・媒介であること、しかも単に媒体・媒介であって、それ以上でもそれ以下でもないことを目指す点がすごく重要だと思う。
 その意味で、自森は今さながら焼け野原みたいなもんで、新しいものを作っていく絶好のチャンスだと思う。そこで、ここで新たに、教師たちが、生徒たちを謎や喜怒哀楽に満ち満ちた不可思議な世界・人生へ橋渡しをする媒介・媒体となることを自覚して、それへの模索を勇気を奮って始めるのなら、きっと「自由と自立」へ向けて新しい一歩が歩めるような気がするのです。
 そして、その試みが成果を挙げ得たときには、我々は同時に「教えること」自体についても画期的な真理を手に入れることになるだろうと思います。

----何か、全てこれからという感じだな。

 そうですね。自森は今、至るところ、生きる屍がごろごろしているとも言えるのですが、反面それは、藤原新也が言ったように「しかし、死体というのはもっともよい肥やしですから、そこから生まれものを期待しているわけです」。その意味で、自森がこの間おかした誤りと失敗というのは、これまで曲がりなりにも「自由と自立」と取り組んできたからこそ出会えた誤りと失敗と言えるわけで、それはちっとやそっとでは出会えるようなものとは訳が違う、その意味でものすごく貴重なものだと思う。そのような誤りと失敗を残しただけでも既に自森が存在した意義はあったとすら言えるわけです。だから、この点ではもっと自信持っていいのだと思う。そして、この貴重な誤りと失敗を肥やしにして、新しい出発をすればいいのだと思う、何時までも、昔の誤りと失敗にうじうじしないでさ。
 現に、最近起きた「生徒の演劇のビデオ無断発売」問題でも、この問題に異議申し立てをした女生徒からずっと話を聞いていたんだけれど、それで、私が一番心に残ったことは、この生徒が自分の人権を無視してビデオを無断で発売しようとした教師に対し猛然と異議申し立てをしたにもかかわらず、当の教師に対して、最後まで信頼関係を自ら切ろうとしなかったことです。それどころか、教師ときちんとした信頼関係を築こうと自分から積極的に努力しようとすらしたことです。どんなことがあっても、自分たちの仲間である教師を決して見捨てないこと----これが彼女の信念でした。私は自分が今ものすごい貴重な瞬間に立ち会っていることを感じました。私はここに、「自由と自立」を目指した、対等で信頼に基づく教師と生徒の関係の可能性を見るような気がしたからです。こういう人たちの存在が私を激励してくれます。
 その意味で、自森の試みは今始まったばかりという気がするのです。

おわり

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