H2-6父母:柳原敏夫
1996.12.07
(・・・自由の森に保存)
そのとき、私が考えたことは、このまま息子を自由放任のままではダメだということでした。彼をそんなにもニッポン資本主義の「物欲のとりこ」「消費の奴隷」に陥れているものに対し、闘わざるを得ないと思ったのです。しかし、そこで、再び、あの「管理や競争」を導入してやったら、せっかく今まで頑張ってきたことがふいになる‥‥。
----で、あなたは何をしたの。
そこで、私が選んだのは、彼をにらみつけるということでした。
----にらみつける!?
そうですね。もはや放任はできない。しかし、かといって、ゴリゴリにせよソフトにせよ管理を再び導入することもしたくない。そこで、迷った末に選んだのが、「にらみつける」ということでした。それは言い換えると、彼との間で、今までになかったような「或る種の緊張関係」に立とうとしたことです。
----それは、結局、何をするんですか。
何もしないですよ、特に。でも、その緊張関係の中で、彼と私との関係が少しずつ変わっていったのは確かです。私としては、親として最低の養育の責任は果たす代わりに、それ以外のことは或る意味で単なる他者として息子に接するようにしたのです。だから、共同生活の場である家庭において、私は彼にめいめいの分担をちゃんと果たすように、自分のことは自分で責任を持ってやるように、他者に接するような積りで提案し、守らない場合には他者として非難しました。その代わり、彼が自分の意志で決めたことについて、原則として干渉しませんでした。
----それで、変わりましたか。
どうでしょう。でも、私はもう彼を自分の息子という風に見ていませんから、そのことだけは感じているようです。だから、昨年、私が自主講座とか言って、週に半分くらい自森に出没したときなんか、ゲストで自森に来た小森陽一さんが息子に「君なんか、あんなに親父が自森に来て嫌だろ」とさも嫌げに尋ねたときでも、彼は「いいえ、ちっとも。だって親父は親父だし、ボクはボクだし」と答えていました。その意味で、彼は、
元々「教師のファンクラブ」には決してはまらないタイプの生徒ですね。
----その意味では、彼は教師から自立してるんだ。
そうかも知れません。しかし、彼の大敵は教師なんてレベルではなくて、彼を「物欲のとりこ」「消費の奴隷」に陥れているニッポン資本主義です。これはガッコウの教師とはちがって、管理とか競争ではなく、快楽と誘惑という形
で彼に迫ってくるからです。だから、めっぽう弱い。この点では、相変わらず、彼は負け続けています。
----その点は、どうしようと思っているのですか。
はっきり言って、よく分かりません。しかし、最近、彼はずっと「物欲のとりこ」「消費の奴隷」でいる自分のことを、「毎日、自森に流される」と自覚するようになってはいるのです。いわば自分のアホさ加減にだんだん自分でも嫌気が差してくるようになっているのです。その意味で、やはり、「はてしない物語」のバスチアンみたいに、自分なりに、「物欲のとりこ」「消費の奴隷」であることについて、それを自分なりにやりきったところでやはり自分なりに無知の涙を流すしかないのではないかと思います。
----それ以外にも、あなたが自森に関わろうと思った理由はあったの。
やっぱり、最大の理由は自分自身のことです。うまく言えないのですが、自分でも全く意外だったのです、自森にこんな風に関心を抱くようになるなんて。それは、私自身が仕事上の上で、またいろんな意味の上で、このニッポン的な風土に心底うんざりして、ニッポンから出ようと思って、それで、本気でアメリカに行くつもりで自分なりに何度かあっちをうろつくうちに、自分の目指しているものが、アメリカ人になることなんかではなく、要するに日本にもアメリカにも何処の国にも属していない「すきま人間=無国籍人」になることなんだということにようやく気がついたのです。事実、ニューヨークでも私から見て輝いている連中というのは、土着のアメリカ人ではなく(ニッポンのビジネスマンと同じで、単にアメリカというシステムの中をうまく泳いでいるだけのつまらん連中にも出会いました)、むしろよそから渡ってきた在米外国人、本質的には無国籍人或いは亡命者たちだったのです。すると、私もこの無国籍人的存在を目指すんであれば、あえてアメリカという場所にこだわる必要はなく、このしょうもないニッポンという場においてもこれを追求することはなお可能なのだということに気がついたのです(ちょうど藤原新也とか柄谷行人みたいに)。それで、ここしばらくニッポンという牢獄を仮の所在地にして、無国籍的な在日日本人として頑張ってみようと思ったのです。そしたら、たまたまこの自森を訪れたとき、そこで非常になつかしい経験をしたのです。それで、自森にはもしかしたら私が求めているようなケッタイな「無国籍的な在日日本人」がいるのではないかという気がしたのです。以来、自森にはまってしまったという訳です。
----あなたが経験した「非常になつかしい」ことって、どんなこと?
これも既に書いたから詳細はくり返しませんが、簡単に言って、次のようなことでした。
平日、自森に授業参観に行くようになったとき、自森の校舎は迷路みたいになっていて、校内でしょっちゅう道に迷うのです。で、そこらへんにいる生徒をつかまえて行き方を尋ねたわけですが、そのとき、私は彼らの対応ぶりに一種異様なショックを受けました。というのは、彼らが、どこの馬の骨ともしれない(身なりも見るからにいかがわしいそうな)私のような奴に対して、ごくごく自然に、すごく親切に教えてくれたからです。私は、このとき、自分が本当にひとりの人間として扱われている、肩書も見かけもくそもない、ただの人間として扱われているという強烈な実感を持ちました。こんなこと、実は私にとってこれまで日本ではおよそ考えられなかったことなのです。
それで、私はふとある話を思い出しました。
昔、あるアメリカ人からこういうことを聞きました。日本では「国際化」ということが言われているらしいけど、日本の田舎に行くと、すごく国際的な人間がいると思うと言うんですね。もちろん彼らは外国語も外国文化も知らない。しかし、たんに見知らぬ異邦人に親切にするということ、それが一番普遍的で、国際的なわけです。(大江健三郎と柄谷行人の対談「中野重治のエチカ」)
思えば、私自身この「たんに見知らぬ異邦人に親切にする」ような個人と出会いたい一心で、はるばるアメリカまで出かけて、そこで、やっとそういう素晴らしい連中に出会えたというのに、何だ、それはこの自森にもあったんだということに初めて気がついたのです(感想4)。
このことをまた、以前、或る人にこう書いたこともあります。
たまたま、仕事に追いつめられて日本に嫌気がさして(また少し頭がおかしくなって)、昨年の今頃、初めてアメリカをうろつくという経験をして帰国したあと、突然、この自森という場がそれまでとは違うものに見えてきたのです。それは、アメリカに行って、何か特別な経験をしたり、誰か特別な連中に出会ったという訳でもないのです。あそこで、ごく普通の人たちと知り合い、話をし、眺めてきただけなのです。ですが、そうであるが故に、それは私にとってとても深く心に残ったのです。私はアメリカのごく平凡な人たちから、例えば税関の職員とか語学学校の先生から
「アメリカはマイケル・ジョーダンのように、いくら年を食っても、自分の夢を追いかけることを許容する国だ。お前も全然遅くない。今からでも思う存分やるがいい」
というようなことを言われました。しかも強烈な印象だったことは、その言い方が、私に媚びるでもなければ、私をバカにするでもない、ただ単に素直にごく自然に言われたのです(勿論こういう連中ばかりではないことも分かりましたが)。つまり、この時、私はこの連中から、自分がただのI(アイ)として扱われているという体験を初めてしたような気がしました。それは、アメリカだったら当たり前のことかもしれませんが、日本長期滞在者の私にとっては初めての経験、そして心が晴れ晴れする、ものすごく気持ちのよい経験だったのです。そしたら、ごく平凡なアメリカ人たちを見ていて、Iが歩いているのに気がついたのです。ともかく、このIと出会えたことがアメリカで出会えた最大のものでした。こんなもの、日本ではお目にかかったことがなかったように思えたからです。
ところが、帰国して日本にもこのI(アイ)がいるのに気がついたのです。それがこの自森でした。世間からは「アホが行く学校」とか「どろぼう学校」とか散々バカにされているこの自森で、私は、この学校の生徒たちからIとして扱われた経験を何度かしたのです。例えば、この学校の中で迷子になって、生徒に行き先を教えてもらった時、その教え方がすごく素直で、自然で、私は自分がまちがいなくIとして扱われているという実感を持ったのです。私がIとして扱われたということは彼ら自身がIであることの証拠です。それで、私はこの「アホが行く学校」と言われている自森をすっかり見直したのです。それで、この自森は、私にとって日本では稀な「日本の中の外国(外部)」になったのです。或いは少なくとも、そのような外部の可能性を持った場所になったのです。で、この自森が持っている可能性を追求してみたいと、以来、自森に、はまってしまったのです(感想6)。
----随分、自森が持ち上げられているような気がするけど。
確かに、私はビックリしてしまったのです。ですが、私がビックリしたようなことを、不幸にして、このガッコウの教師たちは必ずしもたいしてビックリしていなかったように思えます。その反対に、自森から東大に入学した生徒が出たなんてことを、ほくほく顔で報告するような無惨な雰囲気すらあったのです。それは、ここにいる教師たち自身が実は未だ自由とか自立の何たるかを、人がI(アイ)として存在することの困難さと素晴らしさということをよく知らないからだと思います。だから、ビックリしていいことを全然ビックリできないのだと思う。
----それと、あなたは確かもうひとつ自分自身の理由をあげていたよね。
そうですね。これもちょっと全く個人的なことになってしまいますが、前にも言った通り、私は40のとき、仕事を店じまいして、数学を学ぶためにニセ学生を始めました。このとき、私の予想では、今度こそかつての惨憺たる受験勉強とは異なる、本物の勉強ができる、数学者遠山啓が言った言葉
「数学とはひねくれたむずかしいものではなく、その反対にバカバカしいほど簡単な事柄を根気よく積み重ねたものにすぎない。我々はひねくれるために数学を学ぶのではなく、もっと素直にもっと大胆になるために数学を学ぶのだ」
の通りのことができる筈だと信じていました。
しかし、現実は全くちがったのです。何だか、とにかくルールを教えこまされているだけという感じだけで、数学がちっとも明晰に分かるようにならなかったのです。書いてある論理を一生懸命理解し、追いかけていくのですが、途中から頭がモヤモヤしてきて、論理についていけないのです。のみならず、数学の書物を読み進んでいくと、その抽象的で索漠とした数学の世界に、頭から冷や水を浴びせ掛けられるような仕打ちを受
け、殆どノイローゼにならんばかりに気が滅入りました。この体中の血が凍えるような、身が凍りつくようなそらぞらしい空虚感に耐えか
ねて、ついに数学書を読み続けていく気力を失いました。その揚げ句、しょっちゅう発熱しました。こうして数学をいったんあきらめて物理に切り替えたのですが、これまた全然うまく行きませんでした。授業を聞いても入門書を読んでも放送大学を聞いても、それらは私が感じたいと思っている不思議に満ち満ちた深遠な自然的実在を少しも感じさせるものではなかったのです。単なる冷ややかな形式的なゲームにすぎないという印象でした。
私は何か裏切られたような思いでした。そして、その欺かれたという思いを語れるような人物を研究者や大学院生たちに求めましたが、残念ながらそういう人物はいませんでした。それで、こんなところにいてもしゃあないと、私はヤケのヤンパチであとは滅茶苦茶やるしかないと思い、研究室を飛び出しました。
その後、色々な目に会って、ようやく、私がこのとき直感的に直面していた数学に対する異和感・悩みというものが決して単に私の頭が悪いからではなく、実は数学・物理の根本的な問題にかかわるものであること、もっと言えば、現代科学が行き着いた先で明らかになった非人間的な正体にかかわるものであることにようやく気がついたのです。
そしたらふと、数学などに知的関心が全くない我が息子や自森の生徒たちのことが思わず浮かんだのでした。ひょっとして、彼らこそ、受験勉強のしがらみから解放された彼らこそ、日々の数学や科学の授業で私が味わったのと同様な、砂を噛むような味気ない経験をしているのではないかと思ったのです。
それで、急に、自森の生徒のことがひと事ではなく、まさしく自分が味わってきた体験を共有できる貴重な連中ではないかと思えるようになったのです。
----それは随分、思いがけないことですね。
ええ、我ながらそう思います。だから、この点での私の突拍子もない夢は、こうです----もしかして、芸術と同じような人間的な尺度で新しい科学が作られたとすれば、それは、受験勉強のしがらみのない自森の生徒たちのような連中に真っ先に受け入れられるのではないだろうか。だから、自森という場でこそ、生徒たちがあたかも歌の合唱で全身全霊で感動したように、科学の授業においても全身全霊で感動することができるような科学を模索していくことができるのではないか、と。
----何か、ホントに突拍子もないことをここで考えついたようですね。
ええ、我ながらそう思います。なぜって、この自森では今いろんな意味で条件が備わっているからです。「管理や競争」といったものを取っ払った場所だからこそ、旧来の科学の方法にのっとった授業の問題点が初めて白日の下にさらされた訳です。もう従来のような科学のやり方ではやっていけないことが自森のような場だからこそ思い知らされた筈です。ついでに、今では誰も自森のことなんか注目していませんから。だから、周りの目を気にすることなく、大胆にやっていいわけです。
----どうも、あなたは、自森の関係者が普通悩んでいる現象(授業が成立しないとか生徒の非行・暴力が絶えないとか)をどこかで評価しているというか、逆転させているというか、何かひねくり回しているようなところがありますね。
そうですね。私が自森をどういうふうに見ているかひと言で言うと、それはニッポンでも貴重な「アホになる場所」、自分があるがままの自分であり続けることの困難さに絶えず突き放されるような場所という感じです。つまり、自森が「自由と自立」を真正面から掲げたということは自らものすごい困難な道を選んだことだと思うのです。しかし、たとえそれがものすごく困難だとしても、そのためしょっちゅう迷ったり、悩んだりすることが避けられないとしても、やっぱり、この「自由と自立」を出発点に据えてやるしか我々の未来はもうないのだというのが、これまで散々「管理と競争」の無惨な人生を強いられてきた私の偽わざる気持ちです。
だから、自森がもっか直面している様々な困難な課題というのは、自ら「自由と自立」を真正面から掲げたがために、初めて赤裸々に明らかにされたようなタイプの課題だと思うのです。「自由と自立」と本気で取り組んだがために、初めて直面し得た新しい質の課題だと思う。だから、この困難さの新しさ故に、我々はあらゆる点を根底からもう一度、教えるということとは何か、教師とは何かとかも含めて根底から考え直すことを強いられていると思うのです。
----そう言えば、最近、あなたは「教えること自体の見直し」とか「教師自身の見直し」をよく口にしますね。
そうですね。というのも、今の自森では、まず、この点「教えること自体の見直し」とか「教師自身の見直し」とかをやらないと、教師自身が、そしてその相手をさせられている生徒までもが完全に生きる屍になってしまう気がするからです。
----そういうあなた自身、その点についてどう考えているのですか。
まだよく分かりません。ただ、自森の教師の中に、相も変わらぬ明治以来の伝統的な教師像が依然根深く息づいているのを感じます。そういう教師って、自分が本質的には教室の中の王様だと思っている。たとえば、生徒の演劇をビデオにして無断で発売したときだって、「もう(生徒の)承諾を得てるものと思ってた」と言ってしまえるような権力者として振る舞っているのです。しかし、もともと自森設立の理念「自由と自立」には、そういう教師の権力を否定するものが含まれていたと思う。しかし、ここに来て、授業が成立しないとか生徒の非行・暴力が絶えないとかいった、「自由と自立」を真正面から掲げたプロセスの中で発生した新たな困難な課題に対して、例えば単位制度(落第制度)とか退学処分とか禁煙・禁バイクの通達といった、いわば教師と生徒間の自由で対等な関係の中での解決から、再び、上下の権力関係の導入による強引な解決というものに変質してきていると思う。だから、このようなときだからこそ、実はこの自森でも従来から根深くはびこってきた「指導者としての教師像」「権力者としての教師像」といったものの正体を改めてきっちりと認識し直し、これをとことん批判し、そして、「指導者・権力者としての教師像」に代わる新しい教師像を模索していくことが大事だと思ったのです。
----そこで、あなた自身、その「新しい教師像」をどのように考えているのですか。
素人の私にはとても手に余ることです。しかし、反面、このような課題がいわゆる旧来の教育学者たちの手によって解決されるとも思えないのです。なぜなら、この課題は、そもそも旧来の「教育」そのものの意味を根本から問い直すものに違いないからです。その意味で、そのような「新しい教師像」のイメージは教育者なんかとは全然別な人たちがもたらしてくれるのではないかと考えています。たとえば、山田洋次というような映画監督とか藤原新也というような写真家とかミヒャエル・エンデというような作家です。
----どうしてです?
数年前、或る教育学者の対談集「子どもをとらえ直す」という本を読んだことがあるのです。その最後の対話の
相手が山田洋次だったのですが、もともと教育関係の書物が苦手な私にもそこだけはすごく面白かった。なんでかというと、この本の著者は、その題名通り「子どもをとらえ直」したかったのに、山田洋次はそんなことは一切お構いなく、渥美清を例に出してもっぱら教師像のことばかり語っていたからです。それはあたかも、今大事なことはいつも教育関係者が好んでやるような「子どもをとらえ直す」ことなんかではなく、「教師そのものをとらえ直す」ことではないか、ということを山田洋次が一番言いたかったように思えたからです。そして、そこで、山田洋次が渥美清を例に出して語っている教師像というのは、指導者・権力者でない教師とはいかなるものであろうかを実に生き生きとイメージしたものでした。そこで、彼は2つのことを言っているように思えたのです。ひとつは、今回の映画「学校2」でもそうでしたが、生徒と心を通いあわせることをする人、生徒と状況を共有しようとする人、分かりやすい例で言えば、「ニューシネマ・パラダイス」の映写技師アルフレッドみたいな人ですね。それともうひとつが、生徒の中にある憧れ・素質・才能を解放し、伸び伸びとさせ、目覚めさせ、それらを精一杯発揮できるように引っぱり出してくれる人、具体的な例として挙げていたのが、小学生時代落ちこぼれだった黒澤明の絵の才能を励ましてくれた立川先生みたいな人です。ここで興味深かったことは、山田洋次の「指導者・権力者でない教師像」として、芸術家としての側面を挙げていたことです。つまり、それは、まだ世界・人生の何たるかを知らない生徒たちに、謎や喜怒哀楽に満ち満ちた不可思議な世界・人生へ橋渡しをする媒介・媒体となることが教師の仕事ではないかということです。そこで重要なことは教師という橋がいかに生徒たちを未知の世界・人生に橋渡しするに相応しい橋となるかであって、あとは生徒自身がめいめい自分の感性とか興味に従って自ら経験し、学べばいいことであって、それ以上、教師がとやかく言う必要はないということです。
私は、山田洋次の教師像の大事なところは権力関係・指導関係を否定しようとしている点にあると思う。そして、権力・指導に代わって、媒体・媒介であること、しかも単に媒体・媒介であって、それ以上でもそれ以下でもないことを目指す点がすごく重要だと思う。
その意味で、自森は今さながら焼け野原みたいなもんで、新しいものを作っていく絶好のチャンスだと思う。そこで、ここで新たに、教師たちが、生徒たちを謎や喜怒哀楽に満ち満ちた不可思議な世界・人生へ橋渡しをする媒介・媒体となることを自覚して、それへの模索を勇気を奮って始めるのなら、きっと「自由と自立」へ向けて新しい一歩が歩めるような気がするのです。
そして、その試みが成果を挙げ得たときには、我々は同時に「教えること」自体についても画期的な真理を手に入れることになるだろうと思います。
----何か、全てこれからという感じだな。
そうですね。自森は今、至るところ、生きる屍がごろごろしているとも言えるのですが、反面それは、藤原新也が言ったように「しかし、死体というのはもっともよい肥やしですから、そこから生まれものを期待しているわけです」。その意味で、自森がこの間おかした誤りと失敗というのは、これまで曲がりなりにも「自由と自立」と取り組んできたからこそ出会えた誤りと失敗と言えるわけで、それはちっとやそっとでは出会えるようなものとは訳が違う、その意味でものすごく貴重なものだと思う。そのような誤りと失敗を残しただけでも既に自森が存在した意義はあったとすら言えるわけです。だから、この点ではもっと自信持っていいのだと思う。そして、この貴重な誤りと失敗を肥やしにして、新しい出発をすればいいのだと思う、何時までも、昔の誤りと失敗にうじうじしないでさ。
現に、最近起きた「生徒の演劇のビデオ無断発売」問題でも、この問題に異議申し立てをした女生徒からずっと話を聞いていたんだけれど、それで、私が一番心に残ったことは、この生徒が自分の人権を無視してビデオを無断で発売しようとした教師に対し猛然と異議申し立てをしたにもかかわらず、当の教師に対して、最後まで信頼関係を自ら切ろうとしなかったことです。それどころか、教師ときちんとした信頼関係を築こうと自分から積極的に努力しようとすらしたことです。どんなことがあっても、自分たちの仲間である教師を決して見捨てないこと----これが彼女の信念でした。私は自分が今ものすごい貴重な瞬間に立ち会っていることを感じました。私はここに、「自由と自立」を目指した、対等で信頼に基づく教師と生徒の関係の可能性を見るような気がしたからです。こういう人たちの存在が私を激励してくれます。
その意味で、自森の試みは今始まったばかりという気がするのです。
おわり
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