1995.09.20
(・・・自由の森に保存)
1、はじめに
先日、中二の保護者で小川さんという人の「お手紙」という文章を見ました。
私は一読して、その文章の率直さ、素直さに打たれました。内容がどうあれ、今、自森にはこういった率直な意見の表明といったものが余りに少なすぎます。私たちはもう、単に自森を素晴らしい学校だなんて礼賛したり、或いはその反対に堕落したどうしようもない学校だなんてこき下ろしたりするのは止めて、もっか自森が直面している困難な課題を正面から取り上げ、遠慮会釈なく、率直に意見交換を行ない、お互いに少しでも考えを深め合うべきではないでしょうか。
なぜなら、この自森がかかえている困難な問題とはひとり自森だけに固有な課題なんかではなく、私にとっては、この日本社会が抱えている根源的な問題を最も鮮やかに、あたかもリトマス試験紙のように鮮明に映し出すもののように思われるからです。だから、単に先生を非難したり、親を責めたりしただけではどうしようもないし、或いは誰かが特効薬のように教えをたれたところでどうしようもないことだと思うのです。だから、何よりもまず、あきらめず自森が直面している課題の意味するところを考え続けることだと思うのです。
以下の文章は、この小川さんの文章に触発されて書いたものです。
2、私にとっての自森
正直なところ、私は自森にずっと何の関心も期待もありませんでした。
遠藤さんら自森の指導者の人たちの話を聞いても特に何も感銘することなんてなかったですし。
ただ、息子が自森の中学に入学して2年目の頃、学校で、ちょうど小川さんが書いておられたような様々な出来事をよく耳にするようになりました。確か、息子自身も体育の時間中に財布を盗まれたとか、定期を盗まれて駅で払い戻しされて換金されたとか、或いは弁当を盗まれて食べ残しのまま無惨に捨てられたとかいう話を聞きました。そんな出来事を聞くたび、これはかつて貧しい者が生活に困ってつい盗みをするとか、腹ペコの余りつい取ってしまうような非行とは全然レベルがちがうじゃないか、要するに、ここには特に生活にもお金にも困っていない連中の何かものすごい浪費的なもの、なりふり構わない消費的なものがあるような気がして、こういう腐敗し切った行動に胸がムカムカして、思わず自森もこういう経済的繁栄の退廃の中で勝手に自滅していくんだろうと捨てぜりふを吐いたものです。
ですが、自森はかつて私自身がイヤというほど経験した、人間をただアホにするだけの不毛な受験勉強をやらせないということなので、私にとって自森はその一点だけで十分でした。
そういう無関心派の私が偶然、奇妙な経験をしたのは、昨年、初めて参加した中三の父母会の時のことです。そこに、「ひょっこりひょうたん島」の唐変木にそっくりな感じのお父さんが来ていて、この人は今までいろんな仕事をやってきた人らしいのですが、その彼が、兄弟のうち一番勉強ができない不自慢の、自森に来ている息子のことをこう紹介したのです。
「彼は生意気にも私にこう言ってくれたのです。『お父さん、もうひと花咲かせなよ』」
間違いなく、彼はその息子に励まされているようでした。私はショックでした。我が身を振り返っても、とうてい、中学時代、親にそんな言葉をかけるようなことはあり得なかった。それで、興味を持ってこの唐変木さんの息子を見たのです。なおのことショックだった。彼がものすごく若者らしかったからです。それで、私の自森のイメージは奇妙に揺らいだのです。
----どうして、こういった退廃の中からこういう心優しい、自分の息子より心ひかれる若者なんかが出現するのか、と。
その年の夏、この日本にほとほと嫌気がさした私が、海外なんか殆ど知らないくせに、1ケ月間、米国のボストンの片田舎にひっそりとホームステイしたときのことです。そこで必死になって英語を覚えていると、隣家にホームステイしている日本の若い男がいつも勝手に上がり込んではへらへら遊んでいるのです。見るからに生意気そうというかチンピラ風といおうか目障りでしょうがなかったので無視していたら、勝手に人の部屋に入り込んできたので、「どこの出身だ!」と尋問したら、そしたら「自森だ」と言う。何で自森の奴がこんな所にいるんだ、とビックリ仰天して、「年いくつ」と聞くと、「17」だと言う。「休学してんの」と聞くと、「あんな学校やめた」と言う。「どうしてやめたんだい」と尋ねると、「いやもう、さんざん悪いことやったし、悪いことやっても全然しからないんだ。もうあそこにいても意味ないからさ」とか何とか自森のことをしばし滅茶苦茶こき下ろす。「で、自分でアメリカに行こうと決めたの」という質問に、「そうよ」。「君、英語得意?」という質問に「ううん、オレ全然英語の授業出てなかったもん」。「ここまで誰と来たの」という質問に、「ひとりさ」。最後に「アメリカに来たの、初めて?」と尋ねると、「海外旅行、今度が初めてなんだ」。いや、恐れ入ったな。ホントに久々にこんなふてぶてしい奴に会ったもんだという印象で、もうちょっと日本の高校中退組らしく屈折した雰囲気があってもいいんじゃないのと思わず口にしたくなるほど、この男には不思議なくらい何の屈折も挫折感もない。これは一体どうしたわけだ?しかも、彼は、散々自森をこき下ろしていながら、そのくせ、その後、日本に帰国するたびに必ず自森に遊びに来たそうで、とにかく変な奴だった。
で、こういうふてぶてしい男が愛憎を込めて語り、立ち寄る自森というのは一体何なんだ、ますます訳が分からなくなったのです。
その後、中三の卒業間際、クラスの卒業発表会で生徒たちが「浦和高校教師夫妻による息子殺人事件」をやりたいとすごくこだわって、偶然、私にその裁判記録が手に入らないかという相談が持ちかけられました。一見、受験も締めつけも何もなく、ただの極楽トンボのように脳天気に見える自森の連中が、このような暗い事件にこだわるのを目の当たりにして、彼らがすごくまともに思えたのです。
なぜ、一見極楽トンボみたいな生活しかしていない風に見える連中から、こういうまともな姿勢が生まれてくるのか。私はここでもまた自分の自森のイメージを思いきり引き裂かれ、揺さぶられたのです
その極めつけが、今年の春の卒業お泊まり会で親と生徒たちで一泊したときのことです。生まれて初めて自森の生徒たちを身近にじっくり眺め、つき合う機会を得、そこで、自分でも殆ど思いがけなかった感情を呼び覚まされたのです。それは参加した生徒たちがホントにいとしく、可愛いかったのです(3年前には正直言って可愛くも何とも思えなかったのに)。むろん彼らは親なんて目じゃなくて、好き放題リラックスしていたのですが、私には彼らがものすごく素直なのが感じられたのです。私は酒とかタバコとかには殆ど無頓着なほうで、そんなことよりも人間にとって最も大切なことは、住井すえが言っていたように「ウソをつかない」ことだと思うのです(酒・タバコとちがって「うそつきは二十すぎてから」なんて標語が通用する筈がない)。
ヒットラーにしたって、最近の東京協和信用組合の何とか理事長にしたって、うわべはさも立派なことを吐いて、散々ウソをついて悪事をはたらくというのが大体悪事のパターンで、住井すえが言う通り、人間ウソさえつかなければその他の悪事も生まれないだろうと思われるくらいうそつきは諸悪の根源です。ところが、私がここで出会った生徒たちというのはとにかくとても素直で、とても自分に正直で、およそこういった「うそつき」とは無縁な人たちに思えたのです(現に、これまで自森の生徒のいろんな問題を聞きましたが、ひとつとして「うそつきで困る」といった指摘はなかった)。私は、一瞬、これはまるで、先頃亡くなったミヒャエル・エンデの「モモ」に登場する、円形劇場跡につどうモモとその仲間たちの姿みたいじゃないかと思え、これはひょっとしてものすごいことなんじゃないかと、頭がグラグラしながら思ったのです。
とにかく、私の目には、彼らがこの3年間という長い時間をかけてゆっくり「自分さがし」を続ける中で、たとえわずかにせよ、間違いなくあるがままの自分を見つけてきた連中のように思えてなりませんでした。
そんなこんなでだんだん自森のことが気になって、平日に、自分から勝手に授業参観に行くようになりました。ところが、自森の校舎は迷路みたいになっていて、校内でしょっちゅう道に迷うのです。で、そこらへんにいる生徒をつかまえて行き方を尋ねたわけですが、そのとき、私は彼らの対応ぶりに一種異様なショックを受けました。というのは、彼らが、どこの馬の骨ともしれない(身なりも見るからにいかがわしいそうな)私のような奴に対して、ごくごく自然に、すごく親切に教えてくれたことです。私は、このとき、自分が本当にひとりの人間として扱われている、肩書も見かけもくそもない、ただの人間として扱われているという強烈な実感を持ちました。こんなことは、私にとってこれまで日本ではおよそ考えられなかったことです。
それで、私はふとある話を思い出しました。
「昔、あるアメリカ人からこういうことを聞きました。日本では「国際化」ということが言われているらしいけど、日本の田舎に行くと、すごく国際的な人間がいると思うと言うんですね。もちろん彼らは外国語も外国文化も知らない。しかし、たんに見知らぬ異邦人に親切にするということ、それが一番普遍的で、国際的なわけです。」 (大江健三郎と柄谷行人の対談「中野重治のエチカ」)
思えば、私自身この「たんに見知らぬ異邦人に親切にする」ような個人と出会いたい一心で、はるばるアメリカまで出かけて、そこで、やっとそういう素晴らしい連中に出会えたというのに、何だ、それはこの自森にもあったんだということに初めて気がついたのです。
以来、私の自森に対するイメージは統一不可能なばかりにばらばらに引き裂かれてしまいました。
3、自森の未来について
人は私のこれらの体験を読んでこう思われるかもしれない、
そんなのは自森のほんの一面にすぎない、と。
もちろん私が経験したことは紛れもなく自森の一断面にすぎません。しかし、正直なところ、私は自森で自分がこんな体験をするなんて夢にも思わなかった。
今や私には、私のこれらの体験ひとつだけでも、それが、自森にはこんなダメなことがある、あんなひどいことがある、とその欠点を全てあげつらっていった全てのダメな点を上回るくらい素晴らしい価値のあることに思えるようになってしまったのです。だから、私は、たとえ自森に百の絶望したくなるような欠点があったとしても私の胸に灯ったこのひとつの希望を捨てないことにしました。
でも、誰かからこう言われそうです、
あなたの言いたいことは分かる、しかし、それだけで果して本当に今自森が直面している問題を解決していくことができるのか、と。
その通りです。そこで、私がこの間、自森に通って考えたこと、感じたことをもう少し聞いて下さい。
私はここ半年ほど自森に通いながら、これと並行して(未だに強烈に脳裏に焼き付いている)自分の高校時代の経験のことを「手記」という形でずっと振り返ってきたのですが、その中で判然と分かったことがひとつありました。
それは、私はずっといわゆる典型的な優等生できた(どうしょもない)生徒でしたが、私の勉学、友情、恋愛、その他諸々の全てを支配していた根本的な動機が「恐怖」だったこと、ほかの奴等に負けるとお前の人生はおしまいだといった殆ど本能的な「恐怖」という感情だったことでした。この感情が私の人格を骨の髄まで支配していたのです。そのために、いかに勉学も友情も恋愛も決定的にいびつなものにされていたかを今更ながら思い知らされたのです。ところが、自森にきて4年半のわが息子----彼は依然、毎日殆ど授業に出ないで極楽トンボのように好きなことに熱中して脳天気にやっている筈ですが----には、この種の「恐怖」というものが全然ないのです。私は改めてこのことに恐れを抱きました。彼にとって、授業なんて屁でもない。かつての私のように本能的な「恐怖」の念にかられて授業に受けるようなことをしない。また、未来にとって損するとか得になるとかいう損得勘定もない。かといって、別にヤケのヤンパチで絶望しているわけでもない。要するに、単に面白いから出る、つまらなければ出ないということで結局出なくなっただけのことで、すごく素直で単純明快なのです。しかし、こんなことを親は教えた覚えは一度もない。では、こういうふてぶてしい精神を彼は一体いつどのようにして身につけたのか、今更ながら考えさせられました。
思えば、彼は自森に来て、「自由」を与えられて、一貫して好き放題やってきたのですが、しかし、この「自由」という刑罰の中で、彼はすっかり自堕落になった自分に愛想が尽きて、何度か自森をやめようと悩みました。
「なんでやめようと思うんだい」と尋ねると、
「このままここにいると、アホになる」というのです(もう十分アホになっているじゃないかと思ったもんですが)。
しかし、自分がアホであることと、自分のことをアホであると思う(認識する)こととは一見似ているようで、実はものすごいちがいです。
いうなれば、彼はこのとき「自由」という刑罰の中で試練にあっていたのです。この中で、自堕落と紙一重のところで、それにおぼれそうになりながらも、彼は「自由」を生き抜くためにはもっと強い意志、自立の精神、主体性といったものがなくてはならないことをじょじょにじょじょに身にもって学んでいったようです(しかし、「自堕落」といったものもまた捨てがたい味があって、ときどきこれに舞い戻っしまう。人間なかなか一筋縄ではいかない代物です)。それが今の彼のふてぶてしさを形成している大きな要因だと思うのです。
少し、まとめをします。もっかのところ、私は自森の生徒というのをこんな風にイメージしています。
(かつての私もそうでしたが)今の日本の大部分の生徒というのは、ソフトな管理、快適な管理、自尊心をくすぐるような巧妙な管理も含めて、暴走しないように、道をまちがわないようにと様々な管理や敷かれたレールでべったりとおおわれています。ところが、自森という場はそういった管理やレールを一切取っぱらってしまった。生徒はいうならば誰も手綱を握っていない馬みたいなもんです。そこで、これまで先生たちは、競争原理を排し、管理教育を排すれば、自由になった生徒たちはきっと我々の授業に目を輝かせ、胸を躍らせて参加するだろうと思ったと思うのです。しかし、現実はそう甘くなかった。かなりの部分の生徒はそうはならなかった。つまり、暴走馬みたいになってしまった。では、そこに何が起きたのか、どんな事件があったのか。直接、このような現場にいあわせない私には推測の域を出ないのですが(そして是非ともこの問題をきっちり解明したいのですが)、自分の息子たちを見ていて思うことは、競争原理や管理教育から解放され、いわばタガがはずれた彼らに最も強烈に作用したことは、先生たちの授業なんかではなく、バライティ番組やファミコンや消費万能主義をはじめとする様々な誘惑をもつ日本の政治経済文化の社会総体(いわば日本資本主義といったもの)の力です。彼らは快楽を原理とするこの日本資本主義の引力にすっぽり飲み込まれたにちがいないのです。実は、この引力の強さというのは、競争原理や管理教育なんかよりもっとずっと手ごわいものであったことがこの10年間の自森の教育実践の中で明らかになったのではないでしょうか。
それはちょうど石ころ(自森の生徒)を空に向かって投げたところ、その石ころはまっすぐすくすくと飛んでいかないで、地球(日本資本主義)という巨大な引力に引きずられて墜落するようなものです。つまり、一度は彼らはこのふやけた脳天気の日本資本主義の徹底的な申し子になったにちがいないと思ったのです。
それで、ここにこそ、自由と自立を本気で目指す自森の教育が抱えている最も困難な課題があると思ったのです。なぜなら、もし、このふやけて脳天気になっている連中を手に負えないとさじを投げて、再び、「管理」なるものを導入するとしたら、手っ取り早い解決かもしれないが、しかし、それは単に「臭いものにフタをする」欺瞞的な解決にしかならない。かといって、このまま手をこまねいていても、ふやけて脳天気になっている連中が決して自然に自立し、主体的に生きていくようになるかというとそんな簡単なものでもないから。でも、これはまさに自由と自立の道を選んだ故に初めて直面したような貴重なるジレンマですよね。
そこで、私が今イメージするのは、我々に必要なことは我々自身が生徒に再び生きる喜びとエネルギーをもたらすような「引力」を持つことだということです。決して「管理」という形ではなく、真に生徒の一人一人の心の中に共感を呼び覚ますような「引力」(ミヒャエル・エンデだったら「ファンタジー」柄谷行人だったら「知性」、今の私だったら「緊張関係」というでしょうが)を再び生徒と教師と親たちが協力しあって作り出していくことです。この「引力」でもって、今現在生徒一人一人に強烈に作用している日本資本主義の引力に抵抗していくより仕方ないのではないでしょうか。そして、私がひそかに思うには、たとえ微少な力だったとはいえ、これまで自森にはそういう「引力」を営々と築き上げてきた部分があるように思うのです。でなかったら、稀とはいえ、この間、私が自森であんなにビックリするような貴重な経験に出会うはずがない。だから、ひとつには、この貴重な自森固有の「引力」の意義をしっかり再確認しあい、それを何度でも反復していきたいと思うのです。
幸い、ここ自森の生徒は脳天気で極楽トンボみたいかもしれないが、しかし、反面、すごくリラックスしていて、ストレートに反応する連中が多いから、彼らの心にぴったり共鳴できるものなら、すぐさまリトマス試験紙みたいに反応が返ってくる気がします。だから、私はこんなに素直でこれだけ率直な自森の連中と、新しい「引力」を一緒に模索していきたいと思っています。
同時にそれは私自身にとっての、貴重な生きる糧にもなる筈です。
まだまだ考えが浅く抽象的で、思いつきの域を出ません。が、引き続き、より具体的に考え続けていく積りです。ここまで読んで下さり、ありがとう。(この感想続く)
(1995年9月20日 )
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