感想6:柄谷行人氏への手紙

----「自由の森」学園での第1回自主講座を前にして----

1995.10.26

(・・・自由の森に保存)


 柄谷行人 様

カントゼミ 柳 原 敏 夫 

 私が柄谷さんの名前を知ったのはすごく遅くて、今から10年ほど前、大学生協の 書籍部の文芸のコーナーで、「マルクスその可能性の中心」という本を見つけた時の ことです。その時、この本を手に取りながら、なんで文芸のコーナーに今頃こんなケ ッタイな題名の本が並んでいるんだとすごく奇妙な異和感を覚えた記憶があります。 しかし、それから5年間とりたてて柄谷さんの熱心な読者でもなかったのです。それ が一変したのは、1989年の天安門事件の時です。あの事件で私は頭がおかしくな り、そのあと突然、柄谷さんの本しかそれ以外誰の本も読めなくなったのです。それ まで思っても見なかったことでしたが、しかし以来、私は柄谷さんの読者になってし まったのです。
 これとほぼ同じことが、この「自由の森」学園(以下、略称して自森と言います) についても起こりました。私がこの学校のことを知ったのは今から5年ほど前です が、息子を4年前からこの学校にあげておきながら、この5年間、自森には全然関心 がなかったのです(むしろ、こんな能天気でふやけた、けったクソ悪い学校なんか大 嫌いでした)。ところが、たまたま、仕事に追いつめられて日本に嫌気がさして(ま た少し頭がおかしくなって)、昨年の今頃、初めてアメリカをうろつくという経験を して帰国したあと、突然、この自森という場がそれまでとは違うものに見えてきたの です。それは、アメリカに行って、何か特別な経験をしたり、誰か特別な連中に出会 ったという訳でもないのです。あそこで、ごく普通の人たちと知り合い、話をし、眺 めてきただけなのです。ですが、そうであるが故に、それは私にとってとても深く心 に残ったのです。私はアメリカのごく平凡な人たちから、例えば税関の職員とか語学 学校の先生から「アメリカはマイケル・ジョーダンのように、いくら年を食っても、 自分の夢を追いかけることを許容する国だ。お前も全然遅くない。今からでも思う存 分やるがいい」というようなことを言われました。しかもその言い方が、私に媚びる でもなければ、私をバカにするでもない、ただ単に素直にごく自然に言われたのです (勿論こういう連中ばかりではないことも分かりましたが)。つまり、この時、私は この連中から、自分がただのI(アイ)として扱われているという体験をしました。 それは、アメリカだったら当たり前のことかもしれませんが、日本長期滞在者の私に とっては初めての経験、そして心が晴れ晴れする、ものすごく気持ちのよい経験だっ たのです。そしたら、ごく平凡なアメリカ人たちを見ていて、Iが歩いているのに気 がついたのです。ともかく、このIと出会えたことがアメリカで出会えた最大のもの でした。こんなもの、日本ではお目にかかったことがなかったように思えたのです。
 ところが、帰国して日本にもこのI(アイ)がいるのに気がついたのです。それが この自森でした。世間からは「アホが行く学校」とか「どろぼう学校」とか散々バカ にされているこの自森で、私は、この学校の生徒たちからIとして扱われた経験を何 度かしたのです。例えば、この学校の中で迷子になって、生徒に行き先を教えてもら った時、その教え方がすごく素直で、自然で、私は自分がまちがいなくIとして扱わ れているという実感を持ったのです。私がIとして扱われたということは彼ら自身が Iであることの証拠です。それで、私はこの「アホが行く学校」と言われている自森 をすっかり見直したのです。それで、この自森は、私にとって日本では稀な「日本の 中の外国(外部)」になったのです。或いは少なくとも、そのような外部の可能性を 持った場所になったのです。で、この自森が持っている可能性を追求してみたいと、 以来、自森に、はまってしまったのです。
 但し、こうは言ったものの、片方で私は自森に対してすごい不満も持っています。 それは、ここには(一方で、管理も試験もなく、のんびりとリラックスできるという 意味ですごく貴重な環境があると思えるにもかかわらず)片方で、未だどうしようも なく能天気で自閉的な空気が蔓延しているように思えてならないからです。でも、こ れはひとり自森のせいだけじゃないですよね。要するに、今のこの能天気で極楽トン ボのニッポンを自森はきっちり反映しているだけのことだと思えるからです。しか し、世界は今やひとつであり、これからは世界の中に我が身を置いて身の振り方を考 えるしかない筈なのに、未だに自森ではいろんな面でそういう方向に向いていないの です。卒業後の進路ひとつとっても、相変わらず能天気な平和日本の空間の中でしか 考えていないように見えるのです。だから、この点では、自森は自由でも何でもなく て、日本資本主義のただの奴隷としか思えません。でも、普通なら奴隷ってもっと真 面目で勤勉な筈で、ちゃんとつまらない勉強したり、しょうもない規則を守って、忠 勤に励むからこそ、その代償としてそれなりに奴隷としてやっていける訳ですよね。 或いはアメリカなんかだったら、銃の問題があったり、民族の問題があったり、ホー ムレスの問題があったり、そういった社会的な緊張の中で自由を考えていかざるを得 ないから、ただの能天気な奴隷になっているわけにはいかない気がします。ところ が、この自森の場合、一方で勉強もしないし、規則もなしで好き放題やる、しかも他 方で、アメリカのような社会的な緊張もないまま、日本のテレビ番組同様のふやけた 気分のまま、思う存分野放図に消費社会の奴隷をやれてしまう訳で、それこそ手つけ られなくなるでしょうね。だから、自森というのは、まちがえると世界最悪の学校に なるような危険をいつもはらんだ学校だという気がします。
 そこでこれをどうするか、先生たちははっきりとは言いませんが、自森は今この種 の問題に間違いなく直面していると思います。そして、そのことで私がすごく不満な のは、もっか自森では、やっぱり管理を再導入して野放図に歯止めをかけるしかない のではないかといった方向の議論しかなくて、これとは異質な方向からの、ふやけて 自閉的な自森をどうやって世界に開かせたらいいのか、或いは、世界と交わる中でリ アルな現実認識や緊張というものを自森にどうやって導入していったらいいのかとい った議論が全然聞こえてこないことです。ひょっとして、このような方向の議論(つ まり、上からの管理ではなく、自己の認識や緊張といったものによって自由を支えて いくこと)の重要性さえまだ十分に自覚されていないのかもしれません。
 その意味で、私が柄谷さんに自森に来て欲しいと思ったのは、この自森が日本では 稀なI(アイ)がいる場であると思ったからですが、それ以上に、このようなIがI としてあり続けるために持たなければならない現実認識や緊張といったものがどんな ものであるのかをお話しして欲しかったのです。或いはもっと根本的には、そもそも IがIとしてあり続けるために一体どんなことが必要なのかといったことについて、 ざっくばらんなお話を聞きたかったのです。
ですがともあれ、感じたままにあれこれ 遠慮なくお話いただければとても嬉しいです。当日はどうぞよろしくお願いします。

コメント
 これは、昨秋、柄谷行人氏に「自由の森」(自森と略称)という中学校・高等学校に来てもらったときの手紙です。おそらく彼にしても、中学・高校に出かけるのは初めてだったと思う。
 当時、私はその年の春から始まった柄谷氏のゼミ(カントの著作に関するゼミ)に参加を許され、ニセ学生として毎週参加していました。それだけでも十分図々しい筈だったのに、ある時、どうしても彼に自森に来て話をして欲しいと思うようになって、それで、彼に頼んだ。むろん彼は断った。しかし、私にとって、柄谷行人と自森が交わることはきっと意義があるはずだという勝手な思い込みがあって、だから、あきらめなかった。そしたら、とうとう彼が折れて来ることになった。
 彼が自森まで来てくれた日のことは、ひとつ残らず思い出すことができます。
 しかし、私にとって柄谷行人は過去の人ではなく、現在進行形の人物です。

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