槌田 敦 VS 日本気象学会
−−損害賠償請求事件−−
地球温暖化の原因をめぐって、開かれた論議をしようとしない日本気象学会に対して、科学本来のあり方を回復し、科学者の社会的責任を果すための闘い


since 2009. 5.27
last update 2010. 3.22

速報と報告(10.03.18)

本日午後1時10分より、裁判所の判決言渡し→主文は原告の請求棄却(原告敗訴の判決) -->>判決文
判決の吟味
裁判の論点について、原告主張と判決を対比した表(10.03.22追加)
-->>論文の掲載拒否について、対比表
   大会の一般講演拒否について、対比表

報告−−3つの初対面と2つの驚き−−(10.03.21改訂版)
1、略歴
 私は、そこらへんにいるようなごく普通の法律家の一人である。環境裁判の専門家でも何でもない(単に、これまで著作権を専門にしてきた→著作権その可能性の中心)。だから、地球温暖化問題についても、世間並みの理解しか持ち合せていなかった。つまり、例えばこれだけ排出取引が大々的に行われているご時世なのだから、地球温暖化の原因がCO2にあるというのは、確立した科学的真理なのだとすっかり思い込んでいた、ちょうど水が水素原子と酸素原子から構成されるという科学的真理と同様に。
 しかし、その思い込みに最初の疑問を抱かせてくれたのが、数年前に観た放送大学の講義だった。確か「地球環境科学」という科目で、東京大学の海洋研究所の木村龍治教授が、番組の中で、自分は地球温暖化の原因はCO2であるかどうかまだ不明だと思うという発言をした。これを聞いてビックリした。今ごろ、そんなスキャンダラスな発言をする科学者がいるのか、と。世の中がこぞってCO2原因説で動いているとき、彼はまるで非国民みたいに見えた。

2、初対面の槌田さん
 第2の「非国民」に出会ったのが原告の研究者槌田敦さんである。しかも、今度の非国民は前述の懐疑的非国民ではなく、確信的非国民だった。槌田さんは、CO2は地球温暖化の原因ではない、真実はその反対で、地球が(何らかの原因で)温暖化したので、その結果、CO2濃度が上昇した、と確固たる確信を抱いていたからである。
尤も、このとき私が求められたことは、槌田説の正しさを裁判で証明することではなく、彼が所属する学会(被告の気象学会)が本来の科学探求の場として機能不全に陥っているので、これを裁判を通じて、是正して欲しいということだった、
つまり、彼が「CO2は地球温暖化の原因でなく、その逆である、地球温暖化がCO2濃度の原因である」ことを証明した共著論文を、所属する学会(被告の気象学会)の機関誌に投稿したところ、最初、これは査読者によって、

@《これまで考えられなかった新しい発見への道を開く可能性もある》(甲5。査読者Aの1回目のコメント。冒頭部分)
A《定説を覆そうという非常に野心的な試みであり、その意欲は評価できる》(甲5。査読者Bの1回目のコメント。冒頭部分)
B《本論文は‥‥科学的論文であると認識する》(甲5。査読者Aの1回目のコメント。3))


という評価を与えられ、査読者から指摘された問題点も、以下の査読者の指摘の通り、改訂稿(甲3)において基本的にクリアした。

ア、《本稿は第1稿に対してのコメントに沿って、考察部分を大幅に増やしていることは評価できる。これによって著者らが本論文の結論を導いた理由が幾分明らかになり、議論がしやすくなった。》(甲7。査読者Aの2回目のコメント。冒頭部分)
イ、《今回の原稿は、前回の査読コメントを受けて多くの点で改善したと認められる。》(甲7。査読者Bの2回目のコメント。冒頭部分)

 ところが、最終段階において、突如、次の理由により掲載を拒否されるに至った。

原稿では、数年スケールの変動において、気温変動がCO2の変動よりも先行する(位相が進んでいる)ことが指摘され、これを根拠にして、長期的なトレンドにおいても気温上昇がCO2増加の原因であるとの主張がなされておりますが、両査読者が指摘するように、数年スケール変動における因果関係と、長期トレンドにおける因果関係が同じであるとする根拠はなく、原稿中ではその点においての説得力のある論拠が示されていません》(甲10。2009年2月12日付「天気」編集委員会から原告への書面1頁下から10行目〜)

 この掲載を拒否された顛末を槌田さんから聞かされたとき、最初信じられなかった。なぜなら、彼の論文のどこにも書いてないのに、気象学会は、この論文は数年間の短期の気候変動の検討結果を根拠にして長期の気候変動について主張をしていると読み替えているからである。世論調査になぞらえれば、槌田さんは市民全員に当って、調査をしてその結果を発表しているのに、気象学会は、これを無作為に選んだ小人数の調査結果に基いて、市民全員の考えを導き出そうとしていると決めつけるようなものだからである。この誤読は小学生でも理解できる程度の誤読である。
 だから、そのような論文はダメだと掲載拒否されたことを知ったとき、咄嗟には事情が理解できず、「これはきっと、何かのボタンのかけちがいで、不幸にもコミュニケーションが不通になったのだろう」と思ったくらいである。
 
3、初対面の学会(気象学会)
 また、私にとって、学会を相手にする裁判は初めてである。とはいえ、てっきり、裁判の中で、掲載拒否の真相が解明され、不明な点がただされ、コミュニケーションが再開するだろうと思った。何しろ相手は素人ではなく、科学的思考のプロフェショナルな集団なのだから。
 しかし、ふたを開けたら予想と正反対の結果となった。
 裁判の中で、我々が、掲載拒否の理由について《速やかにかつ正面から堂々と反論すべきである》(注※)と口をすっぱく求めたにもかかわらず、一流の研究者集団であると思われる被告(日本気象学会)は、なぜ槌田敦さんの論文を掲載拒否したのか、その理由について、最後まで一言も説明しなかったからである。槌田さんの論文の機関誌掲載拒否の判断について、本当に自信があれば、堂々とその正当性を主張すればよい。それが納得が行くのであれば、我々もそれでよしとするだろう。それがコミュニケーションの回復をめざす裁判の目的でもある。
 しかし、そのような事案解明に被告は全く取り組もうとしなかった。単に、査読者のチェックを受けて審査されたのだから、これで問題ないという形式の一点張りだった。堂々と自己の判断の正当性を主張せず、こそこそ逃げるような態度に、これが、本当に、一流の研究者集団と思われている気象学会が取るべき態度か、と本当に驚くべきことだった。

注※
被告学会は答弁書で、被告の主張として一般論、抽象論を述べるだけで(第4)、個別具体的には拒否の正当理由を何ひとつ明らかにしない。これは、このたびの被告学会の本論文掲載拒否・本一般講演拒否に対し、原告が度重なる申入れをしたのに対し、聞く耳を全く持たなかった被告学会の姿勢とウリ二つである(甲11〜14)。
しかし、このような不誠実な態度はもはや許されない。被告学会は、訴状で明らかにされた個別具体的な問題点に対し、速やかにかつ正面から堂々と反論すべきである。
》(原告準備書面(1)1頁)


4、初対面の裁判

 さらに、私にとって、学会の民主主義を裁判で問うことも初めての経験だった。もちろん学会が自主的に民主的に運営されている限り、むやみやたらと問題が裁判に持ち込まれないほうが望ましいのは当然である。しかし、いったん民主的な運営が損なわれ、自主的な話合いの余地がない場合には、その是正のために法的な救済が必要となる。それが法治主義である。もともと裁判所の存在意義は人権保障の砦の点にあり、今回も、裁判所のそのような使命が発揮されるべき裁判だった。
 しかし、予想に全く反して、裁判所は、そのような使命を全く発揮しようとしなかった。審理のときから判決に至るまで、裁判所は学会の民主主義といった問題には関心ありません、という態度だった。
 尤も、私自身が最初そうであったように、本件の論文掲載拒否の理由が「高度の専門性が必要である」(判決14頁2行目)事柄のため、科学の素人である裁判所には、掲載拒否の理由の正当性を判断することは事実上、不可能ではないかと思い込んでいる可能性があったので、本件の掲載拒否の理由が「小学生でも理解できるような」レベルの事実誤認であることを分かってもらうために、訴状提出直後に、裁判所に提出した「訴訟進行に関する照会書」に次の通り、述べたのみならず、その後も、再三再四、この真相解明のための取組みを求めた(原告準備書面(4)7頁など)。

もとより原告は、本裁判で科学論争を行なう積りも、また、その決着をつける積りもありません。
しかし、たとえば芸術裁判として著名なチャタレー裁判やサド裁判では法律問題に決着をつける上で必要な限りで、きちんと芸術作品の内容を把握したように、本裁判の法律問題に決着をつける上でも必要な限りで、きちんと論文の科学的内容を把握しておく必要があります。
その意味で、特許裁判における技術問題の把握と類似してきます。そこで、特許裁判においてはそうした専門的知識の把握について、別途、「技術説明会」なる機会を設けていますように、本裁判においても、然るべき時期に、原告論文の科学的内容を正確に把握するために、いわば「科学説明会」なる機会を設けていただくことを強く希望いたします。

 しかし、裁判所は、審理の中で、一度も、本件の最大の争点「小学生でも理解できるような上記誤読があったかどうか」について、原告や専門家の話を聞いて吟味しようとしなかった。
 のみならず、判決でも、原告が終始一貫して主張したこの最大の争点、
「小学生でも理解できるような誤読(彼の論文のどこにも書いてないのに、この論文は数年間の短期の気候変動の検討結果を根拠にして長期の気候変動について主張をしたものだと強引に読み替える)に基いて論文掲載を拒否したかどうか」
に一言も応答せずに、原告の主張は理由がないと片付けてしまったからである(-->>その詳細は、原告の主張と判決を対比した対比表を参照,されたい)。
これは、法治主義ではなく、放置主義である。

 もし学会というところが、一部のマニアックな人たちの内輪の楽しみの場だけであるならば、仮にそこの民主主義が少々損なわれたとしても、まあ、勝手にやって下さいと放置してもいいかもしれない。しかし、本件はそんなことでは済まない。地球温暖化の原因をめぐる科学的解明は、21世紀の地球環境と世界の政治経済を中心的テーマの1つだからである。そのために必要な科学的な議論を封じ込めること、それが被告の気象学会がやっていることではないかというのが、この裁判で問われていることだから。

5、科学と偽装科学(疑似科学)とのはざまに置かれた我々市民
 では、この科学裁判と一審判決は何を明らかにしただろうか。
 科学の素人である私は、地球温暖化の原因がなんであるのかについて、正直に言えば、確信がない。
 しかし、科学哲学者のカール・ポパーと同様、私も、少なくとも科学とは「開かれたもの」でなければならないことは確信している。
初めての海外旅行のとき、飛行機で離陸した瞬間、「ヤバイ!」と思ったことがある。それは、その飛行機の海外ルートが果してニュートンの万有引力の法則がすべて適用される空間かどうか確認していなかったことに気がついて、もしかして飛行機が万有引力の法則が適用されないルートを通過したときにはどうなるのかと思って真っ青になったからである。
 この経験を、しかし、笑って簡単に済ませることはできない。なぜなら、元々、ニュートンの万有引力の法則にしても、所詮、有限回の実験でその正しさが検証されたにすぎず、それが無限回の検証を経たものでない以上、普遍的な法則であることはまだ証明されていないからである。従って、いつ、それが妥当しない空間が発見されるか、分からないからである(実際、20世紀にアインシュタインらによって発見された)。
 この科学の歴史は、もともと科学的命題の真理性とは、たかだか有限回の実験で積極的に証明できるものではなく、単に、その命題が誤りであることを示す例を見つけることができないときに、その限りでのみ成立するにすぎないものであることを教える。つまり、科学的認識はもともと暫定的、仮説的な真理であり、それは反論可能性であることが科学を科学たらしめるものである、と。
従って、常に反論の機会を保証するという意味で、科学は「開かれたもの」であり、それゆえ、反論の機会を奪ってしまった時にはそれは「閉ざされた」非科学である。ポパーも、科学と非科学の区別を、「反証」という手続を受け入れる用意があるかないかに求め、反証の手続を認めないマルクス主義や精神分析を非科学であるとした。

その意味で、今回の被告気象学会のやり方は、裁判前の行動はむろんのこと、裁判における行動も、凡そ科学とは無縁である。なぜなら、槌田さんに、地球温暖化の通説=CO2原因説に対する反論=反証の機会を保証することを徹底して拒絶したからである。この態度は「科学」を自称する非科学という意味で、「偽装科学」である。

もし、こうした「偽装科学」の問題も、単に科学者集団内部の一部の連中の、一時的な行き過ぎにとどまり、なおかつ自浄作用によりいずれ是正されるのであれば、市民は、まあ、ここはおとなしく見物でもするかで済むだろう。
しかし、今日の科学はそんな暢気はことは通用しない。今日の文明社会であまねく科学の恩恵を受けているということは、我々市民の生存の骨の隋まで科学によってコントロールされていることを意味するからである。だから、もしそこで「科学」を自称する「偽装科学」によってコントロールされることは、我々市民が実は、閉ざされた、独善的、独裁的な集団によってコントロールされることを意味する。

地球と市民生活に重大な影響を及ぼす地球温暖化の問題で、こうした「偽装科学」によって我々市民がコントロールされることは大変由々しいことである。
しかし、この「科学」を自称する「偽装科学」のやり方を、裁判所は法治主義ではなく、放置主義でもって放任した。
したがって、私たちは再び原点に戻るほかない−−「科学」を自称する「偽装科学」の閉ざされたやり方を是正するのは我々市民しかない、と。

21世紀の最も重要な課題は、「偽装科学」に転落する危険をjはらんだ科学にこそ、文字通りシビリアンコントロール(市民による監視)が及ぼさなければならないことにある。
その重要性を改めて痛感させられたのが本日の判決だった。
我々市民にシビリアンコントロールの原点を思い出させてくれたという一点でのみ、この判決は素晴らしい。

被告の準備書面(3)に対する原告の反論を提出(10.3.16)

1、被告準備書面(3)に対する原告の反論、原告準備書面(5)を提出(2009年12月16日)
2、本論文の掲載拒否について、その判断の基礎とされた本論文の基本的内容に関する事実認定についての原告の主張、原告準備書面(6)原告陳述書(4)を提出(2010年1月19日)
3.本論文(甲4)と基本的に同一内容の論文(甲29)を物理学会が学会誌に掲載する決定したことに関する上申書(2010年1月21日)

被告の準備書面(2)に対する原告の反論を提出(09.11.16)

 本日、原告より、被告日本気象学会から提出されていた被告準備書面(2)に対する原告の反論を述べた原告準備書面(4)と植村振作氏の意見書(甲32)を提出。
 次回期日は、11月19日(木)午前10時より。
 以下は、この間に裁判所に提出された、双方の書面。
(1)、原告
2009年 7月10日 求釈明書――原告準備書面(1)の補足と求釈明――
  同年 7月21日 原告の陳述書(2)  
  同年 9月 2日 原告準備書面(2)
  同年 9月 4日 上申書−−被告の次回準備について−−
  同年10月11日 原告の陳述書(3)
  同年10月13日 原告準備書面(3)
(2)、被告
2009年 9月 3日 被告準備書面(1)
  同年10月15日 被告準備書面(2) 

(11.16/09 文責 槌田敦代理人 柳原敏夫


被告の答弁書に対する原告の反論を提出(09.7.9)

 本日、原告より、被告日本気象学会から提出されていた答弁書に対する原告の反論を述べた原告準備書面(1)を提出。

(7.9/09 文責 槌田敦代理人 柳原敏夫


被告日本気象学会から答弁書と書証が提出(09.5.9)

 7月1日、被告の日本気象学会から答弁書と書証(乙1〜3)が提出されました。
これで、とりあえず、両者の最初の主張が出揃いました。
詳細は下記の裁判の経過と提出書面の一覧表をご覧下さい。

(7.5/09 文責 槌田敦代理人 柳原敏夫

速報−−第1回の裁判は、7月9日(木)午後1時10分−−

 本裁判の第1回、口頭弁論の日が7月9日(木)午後1時10分と決まりました。場所は、場所は、東京地方裁判所5階の527号法廷です。
担当する裁判官は、
斎木敏文(裁判長),外山勝浩,横井靖世
の皆さんです。当日は原告の槌田さんも出廷します。関心のある方は、傍聴下さい。

(6.8/09 文責 槌田敦代理人 柳原敏夫

 
速報−−原告の槌田敦さん、訴状と掲載拒否論文の要旨を学会員に情報公開−−(09.5.28)

 提訴から一夜あけた5月28日、つくばのつくば国際会議場で、被告の日本気象学会の春季学会が開催されました。


つくば国際会議場

 その学会で、自身の論文の口頭発表を拒否された原告の槌田さん、提訴の夜、つくばに前泊し、学会が始まる翌朝から、受付前にて、今回の裁判の訴状と掲載拒否論文の要旨一式(−−>詳細はこちらから)を、参加する学会員に配布しました(なお、学会誌「天気」に掲載拒否された論文は−−>初稿改訂稿再改訂稿)。
 近代の科学がそれまでの科学(呪術)と決定的にちがったのは、知識を万人に開放したこと、情報を公開したことです。これを失えば科学ではありません。科学的とは何かを問う、今回の裁判についても、この近代科学の原点に則って情報公開したのが、当日の槌田さんの行動でした。



(6.8/09 文責 槌田敦代理人 柳原敏夫


速報−−提訴のお知らせ−−

 本日(2009年5月27日)、日本気象学会の会員である科学者の槌田敦氏は、日本気象学会を相手に提訴します。
 以下は、訴状の冒頭、本件訴訟の概要と本質のくだりです。

訴状の全文と槌田氏の陳述書、日本気象学会の機関誌「天気」に投稿し、掲載拒否された論文はこちらから --->訴状。 陳述書。論文(初稿改訂稿再改訂稿

(5.27/09 文責 槌田敦代理人 柳原敏夫


本件事件の概要と本質(訴状の冒頭より)

著名な科学者であり、量子電磁力学でノーベル賞を受賞した朝永振一郎が、晩年、最も力を注いだテーマが「科学者の社会的責任」と「熱力学理論」だった(「物理学とは何だろうか 下」〈1979年岩波新書〉の解説参照)。この「科学者の社会的責任」と「熱力学理論」(エントロピー論)をライフワークとして今日まで一貫して研究、探求してきたのが本裁判の原告槌田敦である(その略歴は甲1の原告陳述書を参照)。

今日、地球の温暖化に関して「いわゆる石油等の化石燃料の燃焼で発生するCO2が温暖化の原因である」という見解(通説)が世界の社会経済に深刻な影響を及ぼしている。原告は、その研究過程で、この通説の真実性に強い疑問を抱き、これまでに科学的な見地から上記通説に様々な批判を加えてきた(甲24『熱学外論−生命・環境を含む開放系の熱理論』(1992年) 。甲25『CO2温暖化説は間違っている』(2006年)など)。その1つが、気温と大気中のCO2濃度との関係について、通説と正反対の見解(温暖化が大気中のCO2濃度上昇の原因である。以下、ここではとりあえず気温原因説という)である。

そして、原告と訴外近藤邦明は、2007年、気温原因説のメカニズムをさらに解明する発見をした――2006年に訴外近藤邦明により発表された、大気中CO2濃度の変化率と気温変化率を35年間にわたって比較した図(甲2の第3図・甲3の第4図)は、気温が原因でCO2濃度はその結果であることを示すデータであるが、この図において、なにゆえ、気温の変化率がCO2濃度の変化率より約1年も先行するのか、当時その理由は未解明であった。この問題について、原告と訴外近藤邦明は論文「CO2濃度の増加は自然現象」(以下、本論文という〈甲2〜4〉)において、その理由を解明したのである。それが気温そのものとCO2濃度の変化率(CO2濃度の年間平均増加量)とを35年間にわたって比較した図(甲2の第4図・甲3の第5図)であり、この図から両者の変化が極めてよく一致していることが判明した。すなわち、ここから、気温が原因で大気中CO2濃度の変化率(年間増加量)が決まると結論づけることができた。
ところが、原告と訴外近藤邦明は前記発見を記載した本論文(甲2)を、原告の所属する被告の社団法人日本気象学会(以下、被告学会という)の機関誌「天気」に投稿したところ、査読者 (レフェリー)のコメントに沿って、2回の改訂を施し問題点をクリアしたにもかかわらず、原告が思いもしなかった理由「数年規模のデータから引き出せる因果関係を、長期的な規模のデータの因果関係と同じであるとするが、それには説得力ある論拠が示されていない」により掲載拒否され、なおかつ本論文を口頭発表するため本年春季大会の一般講演を申込んだが、これも拒否されるに至った。しかし、後に詳述する通り、そもそも本論文は「数年規模のデータから引き出せる因果関係をもって長期的な規模のデータの因果関係」を論ずるなど全く行なっていない。それは誤読しようがないほどに明快である。その意味で、この掲載拒否理由は「いいがかり」「こじつけ」としか言いようがない。それゆえ、これは恣意的な理由により原告の研究発表の自由を奪う違法な行為であり、断じて容認できない。

本来であれば、かつて原告が、核融合に関する当時の通説を批判した「核融合発電の限界」に関する論文掲載をめぐって、物理学会の学会誌の編集委員会(具体的には編集委員長であった有馬朗人氏)と話し合いの上で解決したように(掲載に至る詳細は甲1原告陳述書2参照)、まずは話合いにより自主的に解決すべきものである。しかし、今般、原告の度重なる申入れに対しても、被告学会の「天気」編集委員会は聞く耳を全く持たなかった(甲11〜14)。そこでやむなく、研究発表の自由を不当に奪われた原告は提訴して、本論文掲載拒否の是非を問うこととしたものである。

もとより本裁判は裁判所に科学論争の決着を求めるものではない。現代社会に深刻な影響を及ぼす科学上の見解について、不当に研究発表の自由の機会を奪うというやり方、その結果、当該見解の真偽を論議する機会も排除するというやり方の是非を問うものである。

裁判の経過と提出書面の一覧表

月日

原 告 (槌田 敦)

月日

被 告 (社団法人 日本気象学会)

2009
5.27

訴状

              目次
第1、はじめに――本件紛争の概要と本質――
第2、当事者
第3、債務不履行または不法行為の成立
1、 被告学会に対して原告が有する権利もしくは法的利益       4頁
2、被告学会の違法行為その1「原告の論文掲載の不当拒否行為」   5頁
3、被告学会の違法行為その2「大会での原告の一般講演の申込に対する不当拒否行為」

第4、原告の損害
 
 
 
同上
原告陳述書               目次
1、略歴
2、私の投稿論文をめぐる物理学会の対応
3、通説(人為的CO2による温暖化説)の間違いについて
4、通説(人為的CO2温暖化説)の歴史について
5、今回の投稿論文について――気温がCO2濃度年間増加量を決めるという事実の発見――
6、私のこれからの課題と裁判所に望むこと



同上

学会誌「天気」に投稿し、掲載拒否された論文
1、初稿(甲2号証)
2、改訂稿(甲3号証)
3、再改訂稿(甲4号証)



同上 証拠説明書(1) 提訴と同時に提出した証拠の一覧





7.1 答弁書



同上
証拠説明書



同上 乙2 機関誌「天気」の査読制度に関する編集委員会の考え方と指針、について



同上 乙3 2009年度春季大会の告示
7.9 1弁論
7.10 求釈明書



7.21 原告陳述書(2)



9.2 準備書面(2)



9.3 第2回弁論
9.4 上申書
9.3 準備書面(1)



10.7 準備書面(2) 
10.11 原告の陳述書(3)



10.13 準備書面(3)



10.15 第3回弁論
11.16 準備書面(4) 被告準備書面(2)に対する原告の反論



植村意見書



11.19 第4回弁論



12.11 準備書面(3)
12.16 準備書面(5) 被告準備書面(3)に対する原告の反論


12.17 第5回弁論
10.1.19 準備書面(6) 本論文の掲載拒否について、その判断の基礎とされた本論文の基本的内容に関する事実認定についての原告の主張。


原告陳述書(4) 同上。


1.21 第6回弁論 審理を終結。
上申書 本論文(甲4)と基本的に同一内容の論文(甲29)を物理学会が学会誌に掲載する決定したことに関して。


3.18 判決 原告の請求棄却。

控訴予定





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