実務修習を振り返って

----友 へ----

1982.12

(・・・プロフィールの森に保存)


 僕は、最近、自分がつくづく恵まれた環境にいたこと、殊に、実 務修習の期間を過ごせたことは一生涯のうち最も幸福な時期であろ うと思わざるをえません。
 僕は、とうとう巡り合えたのですよ----自分の情熱を表現する形式に。

 御存知のように、僕は小学生以来、受験体制の申し子でした。従 って、この間、勉強といわず遊びといわず、自己の情熱を表現でき る形式に出喰わしたことはついぞありませんでした。いつも、いつ も、冷ややかだったし、嘲笑的だった!そんなことで、30年近く も費やしてしまったのだ。
 だから、司法試験に合格したとき、僕は、自分の情熱や感性を完 膚なきまでに荒廃させたこの受験体制に対し、腹の底から、言語を 絶する怨念が次から次へと吹き上げてくるのをどうしようもなかっ たのです。
 しかし、幸いのことに、この時、僕は暴発しませんでした。とい うのは、その頃、未来に限りない希望を与えてくれる息子と出会え たからなのです。僕は、息子の輝くまなざしに支えられて、過去に 復讐を誓うのではなく、未来に再生を図るべく、自己の情熱と感性 の回復を求めて、出発しました。

 このような想いで実務期を迎えたのです。で、司法試験にパスし た成り行き上、この課題は「法律家としての情熱と感性」の発見と いう形で、無意識のうちに追求されました。即ち、法律家としての 骨格を形成すべき、最初の、重要な時期に、一生の導きとなるよう な道標を模索すること、これが最大の関心だったのです。----小手 先だけで起用にたち振る舞い、その結果、自己の情熱も感性も枯渇 させてしまうような冷笑的な偽善者だけにはもう金輪際なりたくな かったのです。

 しかしながら、この課題は、仲々困難に満ちたものでした。とい うのは、実務修習中に「法による裁判」等の法的手続が、果して人 間の不幸の除去にどれだけ肉薄できるのか、首をかしげざるをえな いケースに幾度か----とくに刑事裁判において----遭遇したからで す。もし、法的手続が、人間の幸福の実現に1ミリでも関与できな いとすれば、そんなもの糞くらえだ。そんな生命のない、死んだ理論に、どうして緑なす生に満ちた情熱と感性を賭けることができよ うか。
 僕は、次第、この課題そのものが重荷になりました。そして、こ の重苦しさの中で、初めて坂本龍馬に出会ったのです。彼は、何 より、既成の観念を根底から覆すことのできる大胆奇抜な発想と緑 なす生に満ちた、羨ましいほどの活力の持主でした。
 そして、その 次に埴谷雄高に出会ったのです。そして、このふたりとの出会いの 中から、初めて自己の使命は彼らの精神を未来にむけて1ミリでも 引き継ぐことにあること、そして、この精神のリレーともいうべき 仕事のなかに、自己の情熱と感性の輝きの場があることを悟ったの です。

 では、何故この時期に、このような体験ができたのかというと、 それは、これまで絶えず抱いてきた法律に対する違和感をこの時期 を通じてそれなりに徹底して追及してきたからです。法律に対する 率直な違和感への探究の末、自己の情熱の存在形式が見えてきたの です。闇を見てきたからこそ光も掴まえることができたのです。
 今はたゞ、このような探究の機会を与えてくれた実務期間に限りない 感謝の念を抱いています。

以 上 

コメント
 司法試験に合格すると、2年間修習生活を送ります。そのうち、司法研修所で過ごす前期の4ヶ月と後期の4ヶ月の間に、1年4ヶ月の実務修習というものがあって、全国に散らばって、各地の裁判所(民事と刑事)・検察庁・弁護士事務所でそれぞれ4ヶ月ずつ修習をおこないます。
 この文章は、東京で1年4ヶ月の実務修習を終えた直後に、大阪で実務修習していた友人に宛てて書いたものです。私は、司法研修所の教室でのお勉強に(今更、何で教室なんだ!)いささかうんざりしていて、実務修習に入った直後、担当の民事の裁判官が、
「君、知っている?修習生時代というのは人生最後の無責任時代なんだということ」
と語ってくれたのを聞くやすぐさま「おっ、これだ!」と思い、以後、1年4ヶ月、ひたすらこの言葉に忠実に暮らしたのです(もっとも、当の裁判官はあとから、そんな言葉を吐いた覚えはないと否認してましたけど)。
 しかし、このあと始まった、後期修習における教室での連日の試験漬けは、1年4ヶ月を「人生最後の無責任時代」として謳歌した私に到底耐え得るものではなく、たちまちノイローゼに陥って、苦しむことになりました。
 その悲惨な出来事は、次の「後期修習の思い出」に書かれてあります。

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