債権者準備書面 (4)
----タイガーマスク無断続編作成事件----
東京地裁平成5年(ヨ)第2538号著作権侵害差止仮処分申請事件
事件番号 | 東京地裁民事第29部 | 平成5年(ヨ)第2538号 著作権侵害差止仮処分事件 |
当事者 | 債権者 | 辻なおき |
債務者 | 真樹日佐夫ほか2名 | |
申立 | 93年 5月23日 | |
決定 | 94年 7月 1日 | 申立を認める。 |
債権者 辻なおき
こと
辻直樹
債務者 真樹日佐夫こと
高森真士
外二名
平成5年11月18日
右債権者訴訟代理人
弁護士
柳 原 敏 夫
東京地方裁判所
民事第二九部 御中
準 備 書 面 (4)
一、「タイガーマスク」が二次的著作物か共同著作物かという議論
「タイガーマスク」が二次的著作物か或いは梶原一騎との共同著作物かと問われれば、むろん二次的著作物にほかならない。
しかし、万歩譲って梶原一騎との共同著作物だとしても、それは本件の侵害差止の請求にとって何ら影響がない。
何故なら、もともと侵害の差止が各共有者の単独で出来る保存行為に該当することは一般私法の大原則であり、著作権法でも、明文で共同著作物の各著作権者が他の著作権者の同意を得ないで単独で著作権侵害に基づく差止請求ができる旨定めているからである(一一七条一項。なお、このような当然の規定を置いた趣旨については加戸守行著「著作権法逐条講義」新版五五八頁一行目以下参照のこと)。
従って、本件侵害差止の判断にとって右の議論をする実益は何ひとつない。(しかしなお、参考までに、「タイガーマスク」の執筆過程を説明した債権者陳述書を、後日提出する予定である。)
二、著作物の内面形式の厳密な把握
債権者がキャラクタ−を漫画と別個独立な著作物として保護を求めたことは本申請以来一度もない。首尾一貫して、漫画著作物の一構成要素をなす「内面形式としてのキャラクタ−」の保護を求めてきた(本申請書一三頁末行目以下。準備書(1)
一二頁以下参照)。それは、あたかもドラマの翻案権侵害において原作の一構成要素をなす「内面形式としての筋・ストーリー」の保護を求めるのと同じことである。
ところで、キャラクタ−に限らず、凡そ著作物の内面形式の中身を一点の疑義もなく、厳密に明確な形で取り出し、これを万人に了解可能な形に表現するという認識作業は、「云うは易し、行ない難し」の諺通り、実際、至難の技である。
第一、日本の裁判史上いまだ嘗てこれを正面から成し遂げた判決例はひとつもない(参考までに、翻案権侵害が真正面から争われた事件の判決例を別紙に引用する)。
従って、現段階におけるこのような我々の認識能力の限界の下において、翻案権侵害仮処分事件をすみやかに合理的な解決をせざるを得ない裁判所としては、内面形式の中身の把握の仕方も或る程度直感的、総合的な把握とならざるを得ない。つまり、原告作品の「エッセンス」(加戸著右「逐条講義」一三八頁下から二行目)ともいうべきものを利用して被告作品が作られたかどうかという総合的
判断が付き纏わざるを得ない。そして、この総合的判断を根底から支えるものが、ほかでもない、これまで繰り返し主張してきた漫画界の良識・常識というものであり、法的な云い方をすれば「不正協業の防止」という著作権法の根本趣旨というものである。
もし、このような我々の認識能力の限界をわきまえず、ただがむしゃらに内面形式の中身を一点の疑義をも残さず明るみに出そうとするならば、それは、果てしのない泥沼の認識作業にはまり込むものであり、その結果は、不正な競合行為を放任するという最悪の事態をもたらすのみで、緊急すみやかに違法状態を是正することを任務とする仮処分事件において断じて採るべき態度ではない。
三、内面形式としてのキャラクタ−
1、準備書面 六頁八行目以下でも主張した通り、キャラクタ−を法的に評価するにあたって最も警戒すべき点とは、人によって、キャラクタ−というものがあらかじめ人物像とか人物の絵そのものとかいうふうに、或る特定の内容をもった概念として勝手にイメージされてしまうことである。すなわち、実際にはキャラクタ−なる言葉によって、一方では、人物像といった極めて抽象的なレベルから、他方で、人物の絵そのものといった具体的なレベルにまで幅広く使われているにもかかわらず、或る特定のレベルのことを意味するものとして用いられてしまう。その結果、キャラクタ−の法的評価は、キャラクタ−の用い方に応じて、様々な評価に分かれてしまう。従って、そのような無用な混乱を避けるために、この多様な意味を含んだキャラクター概念はそのレベルに応じてこれをきちんと分類・整理し、その類型に応じてそれぞれ著作権法上の保護のあり方を考える必要がある。
このことは、実務界でつとに指摘されてきたことである。つまり、
「キャラクタ−の語が人によりその説明の仕方が違う」(秋吉稔弘ほか「著作権関係事件の研究」三五六頁終わりから三行目)
「著作権法の解釈として、抽象的にキャラクタ−に著作物性があるかという問を発しても、キャラクタ−の概念いかんにも係わることであって、一概に答えを出し難いことと思われる。個々具体的事案におけるキャラクタ−が問題なのである」(右同書三五九頁八行目以下)
そうだとすれば、キャラクタ−の一類型として、あたかも小説・映画・ドラマにおける筋(ストーリー)のレベルに対応するような漫画におけるキャラクタ−というものが考えられる筈であり、現にこの点も実務界では
「漫画のキャラクタ−の利用がどのような場合もすべて右の有形的再製の概念でとらえられるか疑問がないわけではない。複製の概念に当たらないとすれば、著作物の変形その他翻案する行為に当たり、その行為は翻案権(著作権法二七条)の侵害になるのではないかという考え方も生じるであろう。」(「サザエさん」事件のコメント判例時報八一五号二八頁二段目二行目以下)
と以前から指摘されていた(しかし、それ以上、誰一人として漫画のキャラクタ−の翻案的利用の問題を真正面から考察する人間がいなかった)。
つまり、今一歩勇気を奮って考察すれば、漫画著作物にはその一構成要素として、小説・映画・ドラマにおける筋(ストーリー)のレベルと同次元の、抽象的な人物像でもなく、また人物の絵そのものでもないような中間のレベルとして、具体的な「容貌、姿態、性格、役割」という内面的表現形式(=内面形式)が見い出せるのである。これこそが本件で問われている漫画著作物の「内面形式としてのキャラクタ−」のことにほかならない(準備書面
七頁五行目以下)。
2、漫画「タイガーマスク」における主人公の「内面形式としてのキャラクタ−」がいかなるもので、それが「タイガーマスクTHE
STAR」の主人公においてどのように再現されているかという点については、既に本申請書及び準備書面
において主張済みである(本申請書四頁六行目以下。準備書面
一二頁以下・同二〇頁以下参照)。
しかし、ここでは視点を変えて、準備書面
で取り上げた「創作性」という面から、本件における「内面形式としてのキャラクタ−」のイメージを明らかにしようと思う。
準備書面(3)で主張した通り、「創作性」の本質とは、素材も含めて無から新たに創造することにあるのではなく(それは神話にすぎない)、あくまでも既にある素材の新たな「選択」と新たな「組み合わせ」という点にある(浅田彰・後藤明生)。従って、この観点から、「タイガーマスク」の主人公には、少なくとも
(1).「プロレスラーのマスクと本物の虎」という画期的な組み合わせ
(2).「プロレスラーとマント」というユニークな組み合わせ
という余人の追随を許さぬ際立った「創作性」が認められる(疎甲第二九号証債権者陳述書(2)一頁以下・同七頁終わりから四行目以下)。
すなわち、これらは
(1).「迫力と凄味のあるプロレスラー」という抽象的な人物像(アイデア)を、当時誰一人として思い至らなかった「プロレスラーのマスクと本物の虎」という組み合わせによって具体化したものであり、
(2).「より颯爽感を出す」という抽象的なアイデアを、やはり当時誰一人として思い至らなかった「プロレスラーとマント」というユニークな組み合わせによって具体化したものである。
従って、これらはいずれも純然たるアイデアないしは着想ではなく、また、これらはむろん本物の虎の絵柄やマントの模様といった外面的な表現までをも問題にする訳ではなく(疎甲第二九号証債権者陳述書(2)七頁終わりから四行目以下参照)、それゆえ、これらはまさしく漫画著作物の内面的表現形式に属するものにほかならない。
従って、「タイガーマスクTHE STAR」は少なくとも、「タイガーマスク」の内面的表現形式に属する創作的な
(1).「プロレスラーのマスクと本物の虎」という画期的な組み合わせや
(2).「プロレスラーとマント」というユニークな組み合わせ
を無断で利用したものであり(それは漫画著作物の内面形式としてのキャラクタ−を無断で利用したことにほかならない)、その点だけからしても既に翻案権侵害の責任を断じて免れない。