著作権法の幻想について1

----著作権者の謎----
(ニフティの会議室での発言)

1.10/95


コメント
 これも、先ほどの、ニフティサーブのグラフィックフォーラムの「著作権の辛口味噌」における自己紹介・「弁護士の楽屋裏」に続いて、翌日発言したものです。
この「著作権法の幻想」も、やはり、このときに書きたかったテーマらしく、その後ずらずらと書いている。
ただ、ひとりで勝手に興奮して書いている節があって、ちょっと説明が分かりにくい。


 ここ数年の不気味な不況の中で、最近、発砲事件が目立ちますよね。とくに福岡あたり でしょっちゅうドンパチやってる記事なんか読むと、5、6年前、福岡でやった或る著作権事件のことを思い出します。

 ある日、ニッポンで唯一といわれる著作権専門の 弁護士が私にこう言ったのです。
「あなたに、福岡の貸しレコード店の強制執行に立ち会ってもらいたい」

その店は、何度催促しても、貸しレコードの使用料を払おうとしないので、ついに店の レコード・CDを差し押さえることにしたのだという。裁判も起こして、判決も取って あって、あとは店を強制執行するばかりという。
「で、私、何を用意したらいいでしょう?」

さっそくやる気満々で尋ねたところ、その弁護士は、ちょっと困ったように
「そうだねえ、もう準備は済んだことだし(ニヤニヤと)‥‥じゃあ、防弾チョッキだ けでも持っていってもらおうか」
「??」



 さて、朝一番の飛行機で福岡に乗り入れ、強制執行を実施する執行官と会い、腕っぷし の強そうなアンチャン十数人(この人たち裁判所の職員じゃありません。私らが自前で 手配してくるのです。念のため)を引き連れて、その店に乗り込んだのです。そして、 執行官のおっさんが店長に紙っきれを見せて、強制執行の説明し始めても店長は何のこ とか分からずボーとしていたのが、執行官の合図とともに一斉に例のアンチャンたち が、店のレコード・CDを段ボールに詰め込み始めたら、店長は「やめて下さい!」と 半べそをかいて訴え始め、店の回りにはぐるりと近所のおっちゃんだのおばちゃんだの が騒ぎを聞きつけて「みんな東京から来たもんらしいよ」とかなんとかやけに大声でひ そひそ話をし、何だか急に騒然となったのです。

それまで、ぼーと突っ立ていた私もヤ バイ、ヤバイと思い、アンチャンたちに混じってレコードの荷造りを手伝おうとした ら、その時、アンチャンたちの指揮をとっていた元刑事とかいうおっさんが、私に向か っていかつい顔で怒鳴ったのです。

「せんせえはそんなことはせんでもいい(この訛り、完全に再現不正確)から、そこの 入り口んところに、こうしてずうーと胸を張って突っ起って、外をにらみつけていて下 されば十分でさあ。せんせえは私らの指揮官なんだから、偉そうにでえーんとしていて 下さいよ」

うかつにも、その時になって初めて、私は自分が要するに強制執行のただの玉よけでし かなかったことに気がついたのです。道理で、防弾チョッキでも用意しようかなんて言 ってた訳だあ。執行が終了するまで約1時間、私の祈りは神に通じたのか、仁王立ちを 演じていた指揮官の私に向けて、幸い発砲はありませんでした。

 ところで、この話を聞いて、皆さん、私の依頼者は一体誰だと思いましたか(ヤクザでも背広を 着たヤクザでもありませんよ)。
 ちゃんと、論理的に考えて下さい。論理的に考えれ ば、貸しレコード問題で一番著作権侵害の被害を被っているのは、むろん音楽著作物の 著作権者たち、具体的にはJASRACなのですから、JASRACが依頼者であって いい筈です。しかし、正解はレコード協会でした。JASRACは、少なくともこの件 については全く関与していませんでした。命がけで執行を終えた私としては、音楽著作 権の侵害がまさに問われている本件において、なんで本家本元の著作権者たちがこれに まともに取り組まないのか、なんで精々隣接権者でしかないレコード会社にこういう重 大なことを任せているのか、不思議で(というよりごっつう不満で)なりませんでし た。著作権法はがんらい著作者・著作権者のための法律なのだから、著作権侵害があっ たときにも著作権者がこれと取り組むのは当然だろう、と。しかし、この謎は私がずっ と著作権法の幻想のただ中にいたので、解けなかったのです。

 もうひとつ、これは3年前のかわぐりかいじ氏の漫画「沈黙の艦隊」が或る写真家から著作権侵害で非難されたときのことです。
 私は、かわぐち氏側の代理人として交渉 にあたったのですが(この事件は著作権侵害の核心にかかわる問題をはらみ、なおかつ ありふれた単なる誤解、行き違い、失敗などがすったもんだの末どのようにして奇々怪 々な修復不可能な紛争へと変貌していくか、さらに新聞などのマスコミがこの事件を予 め想定した結論に向けてどのように創作(デッチ上げ)していったか、という紛争物語 を知る上で恰好の素材を提供するのものですが、今は立ち入らない)、このときとても 不思議だったことは、私がかわぐち氏と出版元の講談社両方の代理人だったにもかかわ らず、最初からおしまいまで一度もかわぐち氏と会ったこともなければ、電話で喋った こともなかったのです。かわぐち氏の意向を確認する必要があるときには、いつも「沈 黙の艦隊」を連載しているモーニングの編集部に聞いたのです。

 幸い、モーニングの編 集長という人はすこぶる原理原則にうるさい人で、おかげでかわぐち氏の立場は十分守 られた筈だと思いますが、しかし、もし著作権法の立場を原理原則通り貫けば、やっぱり主 役の著作権者かわぐち氏は全権を委任する私と直にコミュニケーションすべきだったの です。ところが、著作権法上は単なる出版権者にすぎない講談社は、自分たちこそ著作 権者であるかわぐち氏に代わって、この著作権侵害事件を解決するのが当然だという意 識なのです。しかも、講談社には、自分たちが著作権法を無視しているなんて気はさら さらないし、むしろ著作権者であるかわぐち氏を大切にしているという気持ちなので す。これって、実はすごく気持ち悪い。著作権法だけ見ていると、(著作権者の立場を完璧 に無視して、それで著作権者を大事にしていると信じている)講談社の人間って、頭お かしいのか、それとも倒錯しているのか、としか思えなくなる。しかし、実は講談社は 阿呆でも倒錯もしていない。そう見えるのは、そもそも倒錯している張本人が著作権法 であり、この倒錯物を鏡にして世間を見るからです。
                    

(続く)


注:ノラこと松井正道氏のこと(彼に関するエッセイは→)。

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