著作権の未来と過去

----印刷業界のレポートを素材にして----

5.24/91


コメント
 これは、5年ほど前、或る出版社から、当時出された印刷業界のレポートに対しコメントして欲しいといわれ、それで思ったままに喋ったものです。
 通常なら、もっと党派性を発揮して出版社が喜びそうなことを言うのでしょうが、この当時、私は事務所を店じまいする直前で殺気立っていて、言いたい放題喋ったので、それで、列席していた人たちに随分嫌な顔をされたのを憶えています。つまり、このまま行けば、かつて没落した印刷業者と同様、あなたたちも早晩没落しますよとはっきり宣言したからです。
 但し、このとき、私にはまだ今後の著作権ビジネスの主役となるような、いわゆる「情報編集能力」を主体的に発揮した連中のイメージを持っていなかった。しかし、最近、これを感じさせるような場に出会った。それは雑誌「インターネットマガジン」というメディアです。私は、もっか、この雑誌の成りゆきを注目しています。
 なお、ここで喋った最後のテーマ「著作権法の主役は誰だったか、誰か、そして誰になるのかについては、その後、続編を著作権法の幻想について4--著作権法の未来は、著作権法の起源にある--で書いています。

目 次

印刷業界の問題提起

 昨年6月、日本印刷産業連合会でまとめたレポート「印刷産業における知的財産権に関する調査研究」が一体何を言わんとしているか。
 今回のレポートのうち、印刷業界の主張は次の(1)〜(3)にまとめられます。
(1)印刷物と著作物性
 これは、いわゆる古典的な印刷と違い、現代の印刷というものは製作過程が極めて複雑分化して、非常に多様な分業がなされた上で最終的な出版物ができる。そのような印刷の複雑な過程において、様々な「著作物」というものが発生していて、それについて印刷業界は著作権を主張し得るのだということをここでは言っている
(2)出版物の版面保護に関する問題
 昨年6月、文化庁著作権審議会の第八小委員会で、出版物の版面権に関する出版社の権利を認める報告書が出されました。それに対して印刷業界から、、ここでいう「出版社」というのがいわゆる本を出版する出版社という狭い意味でしか解されないのはおかしい。印刷業界、あるいは編集プロダクションも含めて幅広い業者がこの版面権の利益を受けてしかるべきだと。
 しかも、版面権のみならず印刷物全体に関して抜本的な見直しをすべきだという、極めて意欲的、大胆な視点から著作権審議会の報告書に対してコメントをしています。
(3)CTS、電子出版に関する権利問題
 CTS処理とか電子出版物の製作に関してこういった業務の過程で従来にはなかったような新しい著作物が生まれている。それについては、原則として印刷業者が著作権者、あるいはデータの所有者としての権利があるという主張をしていて、そこで、印刷業者と出版社あるいは出版社の背後にいる作家との間で、権利関係の調整が必要になってくる。そういう問題提起をここでしています。

印刷業界の主張をどう考えるか

 こういった印刷業界の主張ははたして認められるか否かという間題が今回のテーマです。
 私の結論をひと言で要約すると、次のようになります。つまり、
A.或る意味では印刷業界の主張は認めざるを得ない。
 しかし、また反面、
B.或る意味では認めるべきではない。

 どうも、訳のわからない結論ですが、そこで、ここで言う「或る意味」ということを、次に補足します。
 今回のレポートでは、別の箇所に、このレポートをどういう観点、どういう基本姿勢から作ったのかということが書いてあります。それを読みますと、こういうことを言っている。
 あくまでも現在の著作権法の枠組みの中で、現在の印刷業界の実態を解釈して結論を出したのだ、と。
 確かに、現在、情報社会の進展という新しい時代がどんどん進んでいるわけです。この事態に着目した場合、やはり情報社会の進展を反映している新しい印刷業界の実態、その実態に即してある程度、否応なしに情報保護に関する新しい権利は認知せざるを得なくなってきている。そういう側面があります。そういう意味で今回のレポートの中で言っていることは正当であり、これを否定することは難しいだろう。それが結論のAのことです。
 しかしながら、ここで問題なのは、このレポートがあくまでも今の著作権法の枠組みの中で実態を解釈しますよと言っている点なのです。
 といいますのは、言葉はやや過激なのですが、私が思うには、近い将来、現在の著作権法の枠組みは(うわべは色々取り繕うに決まっているが、しかしその本質的な内容において)崩壊して全く新しい著作権法の枠組みができるであろう。その新しい著作権法の枠組みの中で、改めて保護を受けるに値するものが権利者として生き残るといいますか、認められていくだろう、と。
 ところが、このレポートは、相変わらず従来の古い著作権法の枠組みの中での解釈でこと足れりという態度を取っている点で極めて不十分なのです。その点において、印刷業界の主張はそのまま認めるべきではない、それがBの結論の意味です。

印刷業界の主張の具体的な検討

 次に、印刷業界はいろんな面から自分が著作権者であるという主張をしていますが、新しい著作権のシステムになった場合、はたして印刷業界の主張がそのまま通用するかどうか、まだ不明である。これが私の大雑把な結論ですが、次に、この点をもう少し細かく見ていきたいと思います。

 以上三つの項目をあげて順に検討していきます。

(1)根底から揺さぷられている現行著作権法の枠組み
 最初が、現在の著作権法の枠組みをどのように評価するかという問題です。
結論を先に言いますと、現在のところ、従来の著作権法の枠組みというものは至るところで根底から揺さぷられ続けています。
そこで、それをざっと図で描いておきました。まず、従来の著作権法の枠組みです。
 これにはまずという枠組みというものがありまして、従来の著作権法は、いわゆる海賊版業者の無断複製行為を防止するためにあり、側の著作権者と著作権ビジネスの企業(出版社とかレコード会社、映画会社等)と国民の三者の間は、調和のとれた私的自治=話し合いによって円滑に処理されていて、あえて法律が出るまでもなかった。著作権法が出るのは、あくまでもこのなる世界ので無断で海賊版を発行する海賊版業者に対して規制をする、そのところでだけ著作権があれば足りた。そういうのが古典的な枠組みだったのです。
 それに対し、紛争の中心がからへ移行するようになったというのが現在の著作権をめぐる世界の著しい特色です。
 現代でも無断複製行為というのは、確かに大きい問題の一つではあります。けれども、もはやこういった問題は副次的なものにすぎなくなりまして、かつて話し合いの中で平和裡に過ぎてきたなる世界が今では極めて激しい紛争に陥っているのです。例えば、かつて著作権者というのは特に内輪の紛争を起こすことはなかったのですが、最近になりますと、著作物の製作にあたって他人の作品を参考にしたり利用することをめぐって著作権者同士でかなり激しい紛争を起こようになったというのが大きい特色の一つです。
 それと、著作権者と著作権ビジネスの企業(出版社とか映画会社、レコード会社)の間で著作権のイニシアチプをめぐって争いが起きています。出版界のほうはそれほどでもないんでしょうけれども、JASRACとか、シナリオ作家協会、放送作家協会、そういった著作権者(の団体)とそれを利用する企業との間で、権利の帰属なり権利の利用範囲をめぐって今や熾烈な闘いが起きています。
 いま一つ大きい問題は、一番わかりやすいのはホームテーピングといって、音楽産業のほうでは極めて深刻な間題になっています。つまり、一般国民が家庭で著作物を録音・録画して使う。そういう私的利用をめぐる争いが、今や著作権者と一般国民、のみならず著作権ビジネスの企業と一般国民の間でも深刻な間題となっています。
 最後が著作権ビジネスの企業間で著作権のイニシアチブをめぐる或る種の争いが出ています。この争いの一環が今回の出版社と印刷業界の問題だろうと思うのですが、この種の間題は他の業界でもやはり起きていて、いわぱ情報社会に向かって新しい秩序づくりの中で著作権ビジネスの覇権争い、権利のイニシアチプをめぐっての争いが出ています。
このように、かつては、話し合いで足り、ほとんど間題にならなかったなる世界において今や激烈な争いが起きてきていて、にもかかわらず、これに対して現在の著作権法がほとんど対応していないため、よけい紛争がこじれている。こういったのが今日の著作権をめぐる紛争の現状です。

(2)解決策が見出せない
 では、これらの紛争に対して今の著作権法というのはどういった間題点を抱えているか。
その中で一番大きい問題点をここではっきりあげますと、どういうところに間題があるかという間題の所在は大体わかったのですが、では、これらの間題点、矛盾点をどのような形で解決していったら体系的に一貫した合理的な解決になるカ\その抜本的な解決方法、手段に関しましては、実はだれもわからない状態にある点です。これは文化庁もわからないというのがホンネでありまして、従来はどうしてきたかといいますと、とりあえずこれまでの著作権法にいわばつぎあてをしながら応急措置をしてきた。それが、大体ひと通り限界に達しまして、今やつぎあてではどんづまりの状態になってきている。これは一般論としての話で、細かいところではそれなりに解決していくことはあるのですけれども、全体的には、抜本的な解決が必要にもかかわらず、そこに対しては何ら解決策が提案されておりません。その意味では、今回のレポートは、現在の著作権法の枠組みがもはやどうしようもないところにきていることを知っている学識経験者が入っているにもかかわらず、古い著作権法の枠組みをそのまま使って解釈して事足れりとするところが一番大きな問題点です。

(3)新しい法体系構築の難しさ
 まず、法律というのはそもそもどういう形で出来上がっているかというと、いわゆる世の中には様々な「社会現象」というのがあります。その社会現象に対してこれを合理的に処理できるように、法律の体系というものを作っていく。それが法律の使命でして、今、著作権法でいいますと、小説とか音楽とか映画とかいう芸術作品の創作とか利用(出版とか放送とかレコーディング)といった社会現象に対して、著作権法はこれを合理的に処理するように記述されているわけです。
 ところが、最近、こういった従来の芸術作品の創作・利用といった枠内には収まりきれないような新しい現象、いわゆる情報の利用といった現象がどんどん出てきました。しかし、こういう新しい現象を予想して著作権法が出来上がっているわけではないので、こういった現象に対して古い著作権法の体系ではうまく対応できる筈がない。そこで、この新しい現象に即した新しい著作権法の体系が否応なしに必要になってきている。
 ところが、問題は、この新しい法体系を提案、あるいは構築していくような力量が(少なくともニッポンでは)法律立案者の間に誰にもないということです。その理由は、この新しい現象というものが従来の芸術作品の創作、利用といったものの延長線上に考えらるものではなくて、むしろそこには或る種の飛躍したものがあると思われ、従って、単に古い体系をただ延長していって作れるような代物ではないからです。そこで、法律を考案する側にも、古い体系と新しい現象との間にある飛躍・断絶を十分踏まえた考察力、つまり未だかつてないような創造性が要求されるからです。
 実は、今まで法律家というのは、大体『六法』に載っているような条文を適当に解釈して、いろんな事例の相談を受けたらこれを適当に当てはめて「それはやっても構いません」とか「それは違反です」とかと、それだけ返事していれば足りたのです。しかし、今回のこの新しい現象に対しては、そもそもこれまでの法律のシステムが通用しないものですから、この種の現象に関する質間がきますと正直いってお手上げになってしまうのです。それで、こういった新しい現象にも或る程度対応できるためには、それにふさわしいような法律のシステムを自分なりに考えざるを得ない。そこで、もっか、著作権の法律家というのは占い師や予想屋みたいな感じのことをやらざるを得ません。私も自分が占い師をやるとは思っても見なかったのですが、まあ、これも時代の変動期に宿命的に付きまとうことでありましょう。

(4)テクノロジーで加工された著作物
 それで、今回のレポートで取り上げている実態の中には、やはりこの新しい現象に関わる部分がかなりあるというふうに思いました。
 例えぱ、現在では印刷の工程が極めて複雑になっていまして、その過程で様々な生成物が生まれてくる。そこで、これらを或る程度、著作権の枠で保護していくべきだという議論が次に出てくるのですが、ともかく印刷という作業そのものが単純な複製ではなくて、いろんな加工という作業の中で知的な創作物が次々と派生している、これはまぎれもない事実だと思うんです。
 ただ、これに対してどういう法的な評価をしたらいいかについてはいろいろ問題がありまして、現行の著作権法の発想でいきますと、知的創作物が発生する都度、そこに著作権が発生し、同時にその著作権利者も認められるわけです。つまり、出版物が出来上がるまでの間にいろんな生成物ができます、一番最初には原稿があるんですけれども、出版物が完成するまでにいろんな二次的著作物が、二次、三次、四次、五次とたくさん出てきまして、それぞれについて著作権者が発生することになる。そのため、この出版物を本屋の店頭に並べるためには、出版社は、全部これらについて権利処理をしなければならないことになる。いちいち許諾を得ないと出版できないことになる。こうして、印刷業界の主張を突き詰めれば最終的にはそこまでいってしまうことなる(このレポートでは、ムニャムニャしてはっきり言ってないようですが)。
 このことはコンピュータ・プログラムの場合でも同じことでして、実際、コンピュータソフトの会社に聞きますと、ユーザーがアプリケーション用のプログラムをつくってもらうときに、そこにはいろいろな段階があって、どういうものをつくるかという要求分析をした企画書とか、プログラムを実際組む前にフローチャートとか、そういう知的創作物をつくるんです。そこで、現行の著作権法の発想でいきますと、そういった知的創作物が発生する都度、そこに著作権が発生することになる。そうしたら、最後に出来上がったプログラムを利用するためにはそれまでに発生した知的創作物全部について著作権の権利処理をしないといけない。実際問題、コンピュータ・プログラムのほうではそれなりに対応しているとは思いますけれども(実際のところ、どうやっているのかよく知りませんが)、要するに、従来の著作権法を使いますと、こういったところの処理は極めて煩雑で、実際問題、あれこれ悩んでいると思うのです。
 そこで、私が思うには、こういった事態は情報社会の避けられない現象であるから(つまり、この現象を社会の病理現象と見るのではなく、避けられない生理現象という風に捉え)、それゆえ、ここは古い発想に固執するのでなくて、権利処理を一括してやるような新しい法体系を作らないと、実際問題対応できないだろうと思う。
 ところが、印刷会社はこの新しい現象に関しては「権利者」の側ですから、権利をもらう分には困らないんで、この点についてはレポートでは余り言ってない。自分が権利を持つ分には不都合はないんでしょうけれど、しかし、著作物を利用する側の出版社とかあるいはコンピュータ・ソフトの販売会社なんかは、こういった権利処理をいちいちやっていたのではとうてい耐え切れない。そこで、いずれは、この権利処理を包括的にやるような法律体系ができないといけないのですが、残念ながらそこはまだできていません。ただ、そういった問題点があることを頭に入れておいて下さい。
 それでもう1点、現在AIといいまして、人工知能というような問題が出てきました。作曲とかコンピューク・グラフィックでも、自動作曲、自動グラフィックといったコンピュータによる自動製作という現象が進んでいます。この自動製作の間題点は、コンピュータによって出来上がった知的創作物ははたしてだれの作品か。これは、実は著作権審議会でもう十年以上審議していると思うんですが未だに結論が出ない状態です。これについて、印刷業界のほうもあまり言っていません。恐らく彼らは、自分たちもコンピュータを使ってやっているので、あまりそういうことをいうと、今度は自分たちの権利がコンピュータのほうに移ってしまい、自分たちは透明人間になってしまうという、ジレンマがあるのでしょう。そういった問題があります。

(5)今後作られるであろう新しい著作権法
 それで、最後にこの新しい法体系の動向は今後どうなるか。時間がないので、ごく大雑把にお話しします。
あたりまえのことですが、一つには、いってみれば情報社会というものの今後の動向によって法律のほうも決まってくるだろう。
 ただ、そのときにキーワードになるのは、一つは大衆に伝達可能なテクノロジーというものがどういうふうに発達するだろうかという、その発達の動向です。つまり、そのテクノロジーを用いてふつうの一般国民が使いやすいようなソフト(広い意味で、出版物とか映画とか音楽とか全部含めたもの)を編集する能力がどういうふうに発揮されるか。一般国民がピッタリくるような、新しいテクノロジーにふさわしい編集能力が発揮されるときにはそれが広く受け入れられるだろうということで、そこらへんの動向によって新しい著作権法も変わってくるでしょう。
 そうしますと、今後の著作権法と現在の著作権法とを対比して大きな違いは、一つには権利の客体というものが芸術作品のような著作物から情報というものに交代するであろう。しかもそれは単に情報ということではなく、一般国民に使いやすい形で編棄された情報というものが中心になるであろう。それが例えばデータベースということだと思うのです。
 もう一つは、これまでは芸術を創作する作者というものが著作権法の(著作者の)中心だったのですが、しかし、これからは、新しい情報社会の情報の編集能力を発揮できる者が主役になるだろう。今までは著作者が主役であって、出版社、レコード会社、放送局といったものが、いわゆる著作隣接権者にすぎなくて脇役扱いだったのですけれども、これからはその立場が逆転するであろう。隣接権者が主役になって、作家のほうはむしろ脇役的な扱いになるであろうと思うのです。

 以上、あれこれ述べた通り、そういった新しい著作権法の体系ができるであろうことを踏まえないと、印刷業界における新しい動向も適切な評価ができないと思います。その意味で、このレポートがいっていることを額面通り受け取ることはまだできません。

著作権法の主役は誰だったか、誰か、そして誰になるのか

 これはちょっと余談になりますが、今回、印刷業界が立派なレポートを作ってきた背景といいますか、本音というのを考えてみたとき(私自身は印刷業界の人たちと直接の付き合いがないので、私の勝手な憶測にとどまりますが)、いわゆる情報社会の到来という時代の大転換期にあたって、歴史上味わされてきた不遇な境遇をここで一挙に挽回する千載一遇のチャンスというふうに見ているのではないかいう気がします。
 むろん個々の印刷業界の人がどう思っているかは別です。しかし、印刷業界に横たわっている無意識の願望といったものにはこういうものがあると思います。といいますのは、下の図に書きましたように、
実は歴史上、グーテンベルグが印刷機を発明した15世紀からフランス革命が起こる18世紀までは著作権法の主役はもっぱら印刷業者(出版も兼ねる)だったからです。それが、フランス革命以後、ギルド制度という封建的な団体が崩壊し、それに伴って出版の特権が廃止になると同時に印刷業者が没落する。その中で、作家(著作者)という新しい権利者が生まれてきて、その作家と密接に結びついて出版物を編集する能力を持った出版社というものが、印刷業者に代わって新しく著作権ビジネスの主役を占めるようになった。そういう歴史はまだここ200年ぐらいでしかなくて、それ以前に300年以上、印刷業者のほうがもっぱら主役だったのです。ですから、再び、今日の時代の大転換期にあたって、いわゆる古典的な産業資本主義という時代は大きく変わり、情報社会になる中で、印刷業界はかつての主役を復権しようしている。そういったことが印刷業者の中に、無意識の刻印として刻まれているように思えるのです。
 ただ私が思うには、では、印刷業者が全てこういった覇者の復権を成し遂げることができるかというと、それは甚だ疑間です(だから、そう心配なさることはないのです)。確かに、印刷業界はもっかテクノロジーを持ってはいるわけです。コンピュータ・プログラムとかデータベースを持ったりしているのですけれども、しかし、問題はテクノロジーを持っているかどうかではない。最終的にはこういったテクノロジーを使ってふつうの一般国民に使い勝手のいい、あるいは面白い情報・ソフトを編集する能力を身につけることができるかどうかによって印刷業界の地位が決まるのではないか。つまり、印刷業者のうち、そのような編集能力を持った者だけが、今後、情報社会の中で主役を占めことができるようになるのではないかと思います。ということは、今は出版業界の中心にいる出版社も、このような編集能力を身につけない限り、いずれ没落の運命を辿ることになるのだと思います。
 要するに、今後の著作権の主役は、これは情報社会の進展の度合いによるのでしょうが、やはり新しい情報を編集する能力があって、国民にそれを提供できる能力を持った者が著作権のほうも中心を占めるのでしょう。誰が一体その地位を担うか、出版社、編集プロダクション、印刷業界、あるいはデータベース業者やコンピュータのハードメーカー、ソフトメーカー、そういった一連のところが、この情報編集能力の覇者をめぐって、お互いにしのぎを削っているというのが現状であると思います。
いずれ、その情報編集能力を身につけたところが、著作権法上も権利者として中心を占めるであろう。占い師のひとりとして、もっか、そんな予想をしているところです。

(おわり)

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