断 想

----インターネット接続のトラブル----

1996.10.20

(・・・断想の森に保存)


 先週、突然、インターネットが接続しなくなって、せっかく開店したばかりのホームページはおろか仕事に使っているメールさえ使えなくなった。
 結局、丸3日間、四苦八苦した挙げ句、知り合いの知り合いの方のアドバイスで(殆どボランティアですね)、インターネット接続関係のソフトを再インストールして、ようやく回復した次第。

 このとき、自分でも我にもあらず、取り乱した。
 まず、何でこんな目にあわなけりゃあならないんだ、という憤り。
 ただの一介のパソコンユーザーに過ぎない者が、これまで普通に使えていたインターネットが突如接続しなくなるという目になんで遭わされるのか。これは、たとえて言えば、これまで平穏無事に住んでいた家の壁がある日突然崩れ落ちてきたようなもの、あるいは家の屋根がある朝目覚めたら、ふっ飛んですっぽんぽんになっているようなビックリもん、というよりガッカリもんだ。
 で、平気で故障してくれたパソコンを前にして、こいつ、金槌で 叩きのめしてやろか、と本気で思った。 こんな不安定で、気分屋の機器って、扇風機や冷蔵庫のようなほかの家電製品じゃあ、まず考えられない。

 どうも、パソコンは未だに一般ユーザーが使う機器としての扱いを受けていないのではないか。つまり、この業界ではメーカーも利用者側も、パソコンとはもっか、一般ユーザーが使う代物なんかではなく、依然、特別なマニアが使う代物であると、実は腹の中で思っているのではないか。
 もし、一般ユーザーが使う機器と本気で考えているのなら、とっくにパソコンやアプリケーションに対して、製造物責任がきっちり適用されていた筈だ。だが、新聞紙上でも、車や家電製品の欠陥商品の記事は見ることはあっても、(あんなにしょっちゅう故障やポカがある筈の)パソコンやアプリケーションについて、欠陥商品の記事は未だ見たことがない。

 次に、自分自身が、今回、インターネット接続に故障が生じたとき、この予定外の異常事態を一刻も早く正常化したいと心から強く願った。ところが翻って思うに、それはいかにも不自然なことではないか。
 なぜなら、自分の身の回りには、これ以外にも、異常事態が生じてきていることは実際山ほどあるから、反抗全盛期の子供たちのこと、夫婦のこと、仕事のこと、等々。しかし、それらに対して、今回と同じく、耐えきれない、一刻も早く正常化したいと心から強く願っただろうか。
 だから、今回、自分で思わず、この異常事態には一刻も我慢ならない、即刻正常化したいと願ったことは、実は、素直な自然の感情でも何でもない。既に、そこにある種の選択が働いている結果なのだ。
 だから、今ここで、どうしてそのような選択をしたのか、その意味を問い直さなくてはならない。

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