(・・・断想の森に保存)
それと、最近、アプリケーションソフトをあれこれ使うようになって気が付いたことがある。それは、私が手にする(優秀な)ソフトの開発元・発売元がやたらと大阪が多いということだ。
先日も、ホームページの記事の準備のために或るOCRソフト(e.Typist)を購入したが、そのマニュアルが初心者の私にも手に取るように分かりやすく書いてあったので、ビックリした。この種のマニュアルがこれほどまでに分かりやすく、啓蒙的であることは、(7年ほど前に、NECの88を初めて手にした頃、チンプンカンプンのマニュアルに散々苦しめられ、挫折の経験を味わされた)私にとって、感動もんだった。そしたら、その開発会社も大阪だった。
仕事がら私は全国をあちこち出張することがあるが、実は、大阪だけは行くたびに不思議な気分になった。なんかニッポンの割れ目に落ち込んだような、奇妙な断絶感だった。たとえば、福岡に行っても、ああ、ここは東京の延長なんだと思わせるような連続性が感じられた(東北や北海道なんかもそうだった)。しかし、ひとり大阪だけは、行くたびにガイコクに行ったような異和感に襲われた。道を歩いていると、クラクラするような気分だった。
そこで、次のようなエピソードを思い出した。
浅田彰が大阪府からの「大阪を国際都市にしたい、ついては何かアドバイスを」という問い合わせに対して、こう答えたという。「大阪は朝鮮人と中国人が一番多いところであり、すでに国際的都市である、東京の真似などする必要がない」
こういった異和感、ガイコクとしての大阪、これと大阪が今やニッポンの人権の砦であり、ソフト開発・販売の王者であることとはどこかに関係があるのではないだろうか(ついでに、最近始まった、大阪を舞台にした朝の連続ドラマ「ふたりっ子」は、抜群に面白い。あんなドラマ、東京を舞台にしたら、できなかったんじゃないか)。
Copyright (C) daba