事務所店じまいの挨拶

1991.08.22

(・・・プロフィールの森に保存)


 元々、私は1951年生まれとしては、恐らく世界最長の受験勉強期間というギネスブック級の記録保持者になってしまったような人物ですし、また、だいたい、学生時代に、仲間の不良どもにまんまと騙されて、この業界に足を踏み入れてしまったような男です。つまり、それまでの私の際立った特徴というのは、ほかでもない、内発的な自発性というものが一貫して決定的に欠如しているということでした。

それ故、私の30代は、専ら自分の内発性を真に発揮できる場所を探し求めるという探索の期間として費やされました。事実、私は、この間殆ど仕事らしい仕事をせず、たゞ芸術に隣接した著作権法の分野でいくばくかの仕事に携わってきただけでしたが、昨秋、この著作権の仕事に一つの決着をつけるべく、また、これまでの僅かばかりの仕事の総決算にする積りで、或る著作権の裁判の準備に、体力・気力・精神力の全てを注ぎ込みました。その時の作業を通じ、私は、はじめて、自分の中に眠っていた力というものを思い知り、と同時に、この力を激突させるに相応しい場所はもはやここではない!と実感するに至ったのです。

 そして、私にとって、自分の力を思う存分発揮できる場所とは、昨今一世を風靡したカジノ資本主義の世界などではなく、それはあくまで、自らの力・知性・情熱でもって世界を切り開いていく、産業資本主義の精神に満ち満ちた場所のことであり、今後は、そのような場所でもって、日本のチマチマした法曹界など無視して、専ら世界だけを相手にして、世界だけを念頭に置いて、もっと自由に、もっと大胆不敵に、そしてもっとアグレッシィヴに我が力を発揮し抜いていく所存です。

 という訳で、この9月の40歳をもってひとまず店じまいする次第です。

 4年前の店びらきのさい、私は、挨拶状の中でこう書いた。
『現代を象徴するような著作権関係の事件に関与するなかで、もはや、従来の法律的な思考方法では解決できない新たな問題が数多く発生していることを知らされました。この問題は、遡れば、従来の法律的な思考方法の根底にある、原因と結果・主観と客観・内部と外部といった二項対立の伝統的な思考の枠組み自体から再構成していかなければならないという課題を背負っており、そこで、私は、これまで法律の仕事とは凡そ無縁と思い込んでいたカン トールの集合論やゲーデルの不完全性定理やソシュールの言語学批判等の業績が、実はこれらの新しい難問を「全体性を少しも損なうことなく、余すところなくその本質をえぐり出し、抜本的な解決をつける」ために、必要不可 欠な道具であることを思い知るに至ったのです。これは数学の夢を捨て切れ なかった私にとって、また何という僥倖でしょう。』

 その後、私は、ひたすら著作権法を突き詰めるという作業だけに専念してきた積りでしたが、その作業の末に、著作権法はもはや著作権法の内部だけでは抜本的な解決は一歩たりとも不可能だと思い知らされたのです。ここに至り、数学との取り組みは、単に年来の夢の実現などという甘い話などではなく、現代情報社会に相応しい著作権法の構築の初めの一歩を踏み出すための必要不可欠な要請となったのです。のみならず、この数学との取り組みを通じ、私は単に著作権法にとどまらず、およそ我々の法的思考を可能にしている基礎的条件そのものを問い詰め、近代法を根底から支えている基礎的条件の起源を、例えば、自らクーデターを起しておきながら、ぬけぬけと「ゴルバチョフは健康が回復したら大統領に復帰する」ような合法的な政府であることを強調せざるを得ない連中の、この「合法性」という概念の起源を暴いていく所存です。

 最後に、今回の店じまいにあたって私に「魂の激励」を与えてくれたのは、ほかならぬ黒澤明の「七人の侍」と夏目漱石の「坊ちゃん」でした。幸い、先ごろ我々にも、これらのチンピラ主人公どもが暗躍するような場ができたのです。それが雑誌「批評空間」の創刊です。私も、「七人の侍」の菊千代のように、常に権威を嗤い続ける永遠のチンピラ激情少年として、今後、彼らと情け容赦なく激突していく積りです。
                            ------お わ り------
TO THE HAPPY VERY FEW

コメント
 36歳で事務所を独立したのに、その4年後にはやばやと店じまいしたので、周りの者はビックリしていた(というより呆れ返っていた)ようでしたが、しかし、一番驚いたのは当の本人だった。よもや4年後に店じまいするなぞ考えてもみなかったからです。
 しかし、人生は一度しかないものだし、その人生もどうやら一寸先は闇らしい。私は、天安門事件が幕末の黒船のごとく、能天気に眠りこける私の脳天を一挙に打ち砕いたように、世界が自分の行く手に用意したものを、できるだけ無頓着に、あたかもstupidのごとく、受け入れるようにしようと心がけた。
それで、たまたま店じまいということが起きたのです。

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