数学者山口昌哉氏への手紙

12.15/93


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 91年9月、私は40歳の誕生日を区切りに店じまいをし、ニセ・チンピラ学生として数学の勉強を始めた。
 そこでまず出入りしたのが応用数学の甘利俊一さんのゼミだった。他方、京都の森毅に振られたあと、たまたま彼の友人でやはり応用数学の山口昌哉さんと知り合い、彼が上京する度に会って、いろんな話を聞かせてもらった。その中で、一番印象に残っている言葉が「柳原さん、数学の勉強は独習しかありませんよ」というものだった。
 しかし、私の数学との取り組みは難航し、ちょっちゅう難破し、その都度思わぬ目にあった。そして、2年後に、もう一度隊列を立て直して、数学と取り組む腹が決まったので、その旨を山口さんに書いたのがこの手紙です。


 山口昌哉 様

 山口先生、小森さん宛ての手紙で書きましたように、私はこれからニセ学生 に出来るかぎり専念します。そして、世に言う《数学》、私にとって近代の 《言語ゲーム》のひとつにすぎない《数学》を自分なりに叩きのめすために、 それを目指してやれるだけやろうと思っています。それはまさしく生意気で、 可愛い気のない「破廉恥、無節操、無責任」な心構えかもしれません。
 しかし、私はこういうふうにしかやれないと自分でよく分かりましたので、 今後はもう、お行儀よく、おとなしく振る舞うことはやめました。
 そして、今後、この《言語ゲーム》としての数学を学ぶとしたら、それは、 専らこの《言語ゲーム》としての数学の規則を破るためにだけ、その規則を学 ぶ積りです。
 それで、私は、この「数学の規則を破るためにだけその規則を学ぶ」ために 、ちょうど『古怪』の宮沢賢治や中上健次に相当するような作家と近代小説の 枠の中で抜くぬくぬくと小説を書いている作家どもをきっちりと区別したいよ うに、『古怪』の岡潔やそれに匹敵する数学者と、《言語ゲーム》としての数 学の規則の中でぬくぬくと数学しているだけのそれ以外の連中とをやはりきっ ちりと区別したいのです。
 そこで、また厚かましくも、岡潔に匹敵するような数学者(例えば、リーマ ン)の著作を紹介していただければとお願いにあがった次第です。またお会い して、色々御教示いただければ幸いです。相も変わらぬ「破廉恥、無節操、無 責任」ぶりで失礼します。

敬 具

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