小森陽一さんへの手紙

12.15/93


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 91年9月、私は40歳の誕生日を区切りに店じまいをし、ニセ・チンピラ学生として大学で数学の勉強を始めた。
 しかし、その後、その取り組みに自信を失い、大学からはじきとばされてしまった。
 そのような頃、日本近代文学研究者の小森陽一さんと出会った。彼は抜群に優秀な人だったが、むしろ私には彼の中にある異邦人性に関心があった。いつも、既存のシステムをそこからはずれたところから眺める彼の視線というものが当時の私には何よりの励ましであった。
 それで、彼に宛てて、当時一番感じていたことを吐き出したのです。
 


 小森陽一  様

 小森さん、私はこの8年間この大河ドラマの著作権の裁判事件をずっとやってきましたが、作品内容からしても、紛争の内容からしても実にくだらないこの事件でも、8年間も付き合ってくると、不思議なものでして、色々と有意義なことが得られることに気がつきます。それは恐らく、どんなものでも真正面から取り組み、格闘すれば、必ず何らか得るものがあるということにほかならないのでしょう。しかし、それが分かり、そこで得た収穫を実感している最中にこそ、ここから一刻も早く立ち去りたいという願いに襲われました。そして、あるがままの自分が立ち向かいたいと思っている課題に、このしょうもないドラマの事件に傾けたと同じだけの精力を一刻も早く傾けたいと思ったのです。それゆえ、一刻も早くNHKから逃げ出そうと思ったのです。 他方で、この時期、自分の感性が間違いなく或る曲がり角に来ていることを実感していました。それはちょっと前例のない話かもしれませんが、一言でいって、私にも、ここに来て始めて小説や戯曲といった言語作品の理解しようとする感性の芽が育ってきたということです。
 もともと私は、ギネスブックに載る記録を2つ持っていて、その一つが1951年生まれとして、受験勉強の世界最長期間の記録保持者ということです。小3の9歳のときから大学受験勉強を意識して開始して以来、遊び呆けた大学3年間を除き、司法試験に合格した29歳まで、毎日、詰め込み勉強をやらされてきました。その御蔭で、30歳になったときには、もう文学だの戯曲だのまともな言語作品を読む意欲も感性をすっかり喪失しました。つまり、毎日毎日、単なるメッセージとしての、単なる情報伝達手段としての言語にいやというほど接しているうち、いわばメッセージ言語・思考言語としての言語にすっかり嫌気がさして、それゆえ、言語一般がもうどうしようもなく疎ましい、呪わしいものに思えてきて見るのも我慢ならなくなったのです。
 そこで、そういう私がまず夢中になったものは音楽でした。毎日、朝5時から夜まで聞いて、それでいやになるくらい音楽に浸ったあと、今度は映画に夢中になった訳です。それが約10年続いた。そして、昨年あたりから、生まれて始めて自分にも言語作品が読める気が、言語作品を読む快楽を体験する能力が備わってくるのを実感したのです。それは、えも言われぬ一種不思議な気分です。何故今ごろになって、幼児のような、そんな気分になるのか。
 しかし考えてみれば、反対に、これまで私がやってきたことの意味が、この言語作品読解能力への目覚めという今回の到達点から振り返ってみて始めてはっきりしたともいえるのです。全ては或る種の回復を目指して生きられたものであったことが今になってはっきりしたのです。もっとも10年前当時、私はそれを埴谷雄高から知った《魂の渇望》という言葉で理解していましたが、現実に私が渇望したものは、実在とのつながりの回復ともいうべく《或る種の回復》でした。
 私の数学への取り組みも、きっかけはどうあれ、やはりこの或る種の回復、それも最も明晰な回復を期待して始められたのです。しかし、現実はそれとは正反対で、私は、その抽象的、形式的で索漠とした数学の世界から冷や水を浴びせかけられるような仕打ちを受けたのです。むろん最初は自分が無知だからきっとこういうはぐらかされるような目に会うのだと思い込んでいましたが、そのうち、これは単に自分の無知だけではないと思うようになりました。そもそも数学者たちの目指すものと自分の目指すものとがどうも全然ちがうということに気がついたのです。例えば、過去の偉大な数学者たちの存在は、私にと って数学という体系と並んで、いやそれ以上に重要な問題でした。だから、彼らがどういう世界観を持ち、どういうライフスタイルだったかは、(数学自体がよく分からず、行き詰まっていただけに、よけい)大いに関心をそそる事柄でしたが、しかし、数学を研究する人たちにとっては、「何や、ケッタイなおっさんやな」と奇人変人のようにしか思われませんでした(しかし、内心、私は数学の授業・ゼミに出るたび、教師や研究生たちを睨みつけてこう呟いたものです「あいつらは数学という拠点に立て籠っていやがって、一歩も外へ出やしない!」)。逆に私は、数学研究者たちが或る現象を説明するのにいかなる微分方程式を用いたらよいか苦心惨憺しているのを見て、思わず「こいつらアホか。そんなもん、たかが方程式を当てはめたところで何が明らかになるんか。その現象の実在性に一ミリも近づかれやせんわい」と彼らの努力に呆れ返ってしまったものです。それで、結局、彼らの目指すところの数学という「言語ゲーム」の中に入っていくことがどうしても出来ず、それで、毎日、外の三四郎池で寝そべっていたのです。
 しかしその中で、実在とのつながりの回復を正面から取り上げた数学者に出会うことができました。それは小平邦彦と岡潔です。例えば、岡潔の分かりにくさは、数学者の拠点となっている「言語ゲーム」からはみだした場所からいつも話している、そのズレに由来します。彼の居場所というのは、例えば吉川英治を評して「近代的な言葉で表現されるものではないが、決して動物的な要素ではない。しかも割合に評価されていない。……こういう素朴な、古代的な良さ」と言うとき、或いは「容貌を見ても『古怪』という言葉がぴったりする」と言うときはっきりするような気がします。というのはここで岡潔自身が まさに『古怪』そのものという容貌であり、近代的な「言語ゲーム」の世界の住民ではないことが明らかにされているからです。
 そして、この『古怪』という言葉を読んだ時ふと思い浮かんだのが、「ふたりのケンジ」宮沢賢治と中上健次の顔でした。ふたりとも実に奇怪な風貌の持ち主です。しかも、宮沢賢治は晩年、2回にわたって高等数学に熱中したと年譜に書かれています。病床の彼が、何ゆえ無理を押してまで高等数学に熱中したのか、それは私にとってとても大切な謎です。何故なら、宮沢賢治は、この年になった私に言語作品読解能力への目覚めを与えてくれた恩人であり、すなわち、宮沢賢治は私に、音楽や映画以外にも言語作品においても実在との紛れもない明確なつながりを表現した読むに値する作品があることを教えてくれた人物であり、そのような実在性とのつながりに最も鋭敏だった作家が、病床で数学をやるということは、いわゆる近代的な「言語ゲーム」としての数学、実在と何の絆も求めず、ひたすら形式の中での整合性に腐心するだけの閉鎖的なシステムとしての数学、こんなものに宮沢賢治が惹かれた筈がないからです。彼は、そこにもっと別なもの、実在性とのつながりに最も鋭敏だった作家のみが持ち得る問題意識のようなもの、つまり、高等数学に実在性とのつながりをもっと明晰に、もっと明確に表現する可能性というものを予感していたのではないか、とすら思うのです。彼はそこで死に、その可能性は可能性のままで終わってしまいましたが……

 ここから余談ですが、受験生の例に漏れず、かつて私は宮沢賢治を受験時代の教科書で谷川徹三の人道主義者宮沢賢治として読み、大嫌いとなり、かつてセンチメンタリストでナルシストの受験生であった私は、彼の童話が、「アンクルトムの小屋」とか「雪国」とか石川啄木の歌のような、要するにセンチメンタルな演歌でないため、全然受けつけず、忌み嫌ったまま忘れていました。
 その彼と再会したのは、数年前、花巻の宮沢記念館にたまたま立ち寄ったからでした。そこで見た宮沢賢治の肉筆原稿を見て、いっぺんで自分の求めていたものがここにあったと直感したのです。そして、その記念館で展示されていた彼の生涯の軌跡を辿っていくうちに、彼が紛れもない宇宙人であることが分かりました。そして今までイメージしていたガチガチの人道主義者ではなく、とどまるところを知らない、その天衣無縫ぶりに、これはモーツアルトの生まれ変わりではないかとさえ思ったくらいでした。聞いたことを聞いたままそのままに五線譜にしるしたのがモーツアルトの作品とすれば、見たことを見たま まそのままに紙に書いたものが宮沢賢治の作品であるような気がしたのです。モーツアルトの曲には小鳥がさえずるような天真爛漫な作品がありますが(事実、こういう曲を鳴らすと、わが家の文鳥もとたんにさえずり始めます)、宮沢賢治の教え子たちは、彼の授業を評して「鳥のように教室でうたってくらした毎日」といっています。
 宮沢賢治の肉筆原稿は私にとって、それ自体が創作することの喜びを思う存分に表わしている貴重な刻印なのです。その意味で、彼の作品と肉筆原稿とは不可分一体という気がします。ただ、それが何を意味するものか、まだ分かりません。しかし、異常な受験時代のために、言語作品読解能力を喪失してしまったような私にとって、視覚的な作家の肉筆原稿というのは作品にアクセスするひとつの可能性なのかもしれません。事実、私は、もうひとりのケンジ中上健次もやはり彼の肉筆原稿から衝撃を受けて、それで始めて彼の作品を読もうと思ったのです。ホント、ケッタイな話ですね。でも、ホントですから。

以 上

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