近況報告

----森毅との面会----

4.21/90



コメント
 90年の春、私はたまたま読んだ浅田彰編集・森毅著の『世話噺数理巷談(さろんのわだいにすうがくはいかが)』(平凡社)という本にいたく感激して、それで、著者の森毅の内弟子にしてもらおうと、会見の申込を自宅宛のFAXに入れたところ、返事がないので「家に押しかけるぞ」と脅したら、さっそく「これがボクの授業日程です」とかいったFAXが来て、それで、京大で会うことになったものです。
 4月24日、名古屋でNHKの大河ドラマの裁判を終えると、そのまま京都に向かい、京大の彼のきたない研究室を訪ねた。森毅は予想に違わずジーパンのケッタイなジジイといういでたちであらわれたが、しかし、会って話をする段になると、ちらと「ボクのところにはときどき頭のおかしいのがいろいろ言ってくるんだよねえ」とか言ったのにはビックリした。私はてっきり大歓迎を受けるものとばかり信じていたからです。結局、彼は来る者拒まず、しかし、それ以上の深入りはお断りという、まあ見事な身のこなし方で私をかわしてしまった。彼が「じゃあ、次の打合せがあるから」とか(ホントか知らん)言って、タクシーに乗って去っていった後、ひとりで京大の前ではぐらかされた冷ややかな思いを味わったことを憶えている。
 しかし、今から思うと、これはこれでよかった。きっとその後、私は森毅に不満を抱いたに違いなかったから。彼のポストモダン的なしなやかな身のこなしが、その後チンピラであることの重要性を自覚してきた私にとって、だんだん鼻についてきたからです。むしろ端的にズカッと言わない彼の姿勢にとても屈折したものを感じるようになった。事実、その後、私はこの屈折した森毅より、ゴリゴリの原則主義者遠山啓のほうに惹かれていった。ひょっとして、当時の森毅は、そのことを既に見抜いていたのかもしれない、こいつとは肌が合わないぞ、と。
 しかし、さらに翻って思うに、森毅も間違いなく彼なりに「新しい数学」を模索していたのだと思う。しかし、その目標はすこぶる斬新なものゆえ、反面すこぶるシンドイ模索だったことと思う。で、彼としては成果らしき業績をあげないまま時間が推移してしまった、そのことが彼を屈折させている要因のように思えてならない。
 しかし、森毅さん、いいじゃないですか、沢山失敗と誤りを犯したって。私には、ドンキホーテのように、何度失敗しても懲りもせず、突進していく単純明快な生き方がとても励ましになるからです。だから、もっと堂々と生きていって欲しいですね。


 昨日、ある所で著作権のイロハの講義をやらされました。が、生来無精でわざわざ初心者用に話をする気も全然ないものですから、ここんところ日がな一日読んでいる森毅の本と織田さんのおもろい話を適当に剽窃し、著作権のトラブルとミックスして、相当エエカゲンな話でお茶を濁してきたのですが、ところが何を間違えたか、出席のお偉いさんがたが、時々いたく感心してうなずくのです。「う〜む、そうだな」「う〜む、らしいな」と----どうも私の話が名誉毀損やプライバシイーなどほかのトラブルに当てはめると合点が行くことがあったらしいのです。それで、私のほうは、お偉いさんたちに褒められながら、困っちゃって、はしなくも森毅や織田さんの話の意味深なることを再認識させられた次第です。もしかして、これえ、謝礼の一部、このふたりに払わんといかんのとちゃうか。
 それで、本日、先月よりかねてから憧れの森毅センセと連絡が取れ(ウシシ……)、24日の夕方、京都で会えることになり、そこで、今更どういう訳でもないのですが、ここのところ森毅センセの本をメチャ読みしてたら、興奮の余り、頭が全然回らなくなってしまったもんで、今一度気を静めていろいろつらつらと思い起こしてみようと思った次第です。

第一、彼は私にとって何なんだろ? ----8年前の8月9日の日記にこう書いたことがあるのです。

最近の心情:あらゆる外界の現象(妻や子さえも)に対する無関心の発生。
日常生活上、いかに多くの規範、慣習のために、真実の自分の存在がくもらされていることか。
もし、かねてからの、批判的精神の徹底を生かすのであれば、自分の存在をくもらせている、良きも悪しきも含めて全ての規範、理想を全て捨象してみよ。
今してみたいこと。
蛙の独語、思索、空想、との交信。
ふくろうの不安、孤独、憂鬱、との交感。

 この当時、私は埴谷雄高という作家を知り、一昨年、吉祥寺にある彼の独居を訪れて台所兼食堂兼の雑駁とした彼の書斎に勝手に座らせて貰った時、私は、彼が私にとって間違いなくあの蛙であったことを確信しました。

 そして今、森毅という人は私にとってあのふくろうにほかならないという気がしてなりません。当時私が人間に全く関心を失っていた頃、激しく憧れた存在であったあのふくろうのことです。この時私は、あのような冷静無比な眼差しで世界を眺め回して見たい、とふくろうへの変身願望に取り憑かれて止まなかったのです。
 しかし、森毅という人はこれだけではない。それはやはり数学屋ちゅうことがある。しかも彼の数学というやつが単に形式的な論理一貫性を目指してお仕舞いというのではなく、むしろ混沌や妄想に立ち向かう際の武器みたいな感じがするのでいい。実は司法試験にようやく受かって虚脱状態でもう何もかも手がつかなかった頃、新聞でひとつの対談を読んだんです。それは湯川秀樹と小松左京の対談とかいうやつで、私は湯川秀樹みたいな優等生づらをした人間が大嫌いだったもんだから、はなから馬鹿にして読んだ訳です。ところが、どう したことか、湯川秀樹は、私のイメージを鮮やかに裏切りやがって、随分イカサマっぽいことをやたら連発した----人間にはもっと妄想が必要だ。妄想はもっともっと大切にされなければならない、って具合にね。それを聞いて、あたしゃはもう嬉しくって嬉しくって、ガキの頃からずうっと悩んできた妄想コンプレックスにこの時初めて解放された、その感激で、いっぺんで元気一杯ね。
 以来、自分の妄想には中身はいかに貧弱であっても絶対の自信を持ってる、というより、こっから出発するっきゃしゃあない、って感じね。ただ、埴谷雄高の時もそうだったんだけど、妄想の中を空多高く飛翔し続けるってことは実はほんとに容易なことじゃない。そのためにはやっぱり道具がいると思った。
で、その最たる道具が数学ではないか、しかも妄想的な数学ちゅうやつではないか、と思った。その意味で、このたび数学的ふくろうというイメージの森毅という人に惹かれたのは、引き続き妄想の中をもっと飛翔し続けたいと隊列を整えて準備にかかっていた私にとって全く自然なことではないでしょうかね。

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