中上健次感想

----ふたりのケンジ----

6.20/95



成人以来、私は文学というものに縁がなかった。ことに日本の現代文学はそうだった。二十代の終わり、ようやく司法試験という重圧から解放されたのちも同様だった。否、以前にもまして文学なぞ見る気がしなかった。ただかったるくて、しょうがなかった。もう、「言葉」(書き言葉)というものにうんざりしていたからだ。金輪際「言葉」というものを信じまいと思った。だから、中上健次も私にとっては単に名前と写真だけの存在でしかなかった。ずっと彼の死までそうだった。彼の作品の名前すら知らなかった。

 ところが、或る日、私は本屋で中上健次の追悼号の雑誌を立ち読みした。そのとき偶然彼の肉筆原稿を見たのである。私は思わず震撼した。たちまち目がくらくらっと来、何か恐ろしいエネルギーが私の脳天を突き刺したようだった。殆ど立っていられない気分だった。紙面一杯に洪水のように溢れかえる彼の字の群れに私は打ちのめされたようだった。私はいっぺんで目が覚めた思いだった。これが中上健次だったのか、と。

 それは私がその前年、宮沢賢治と出会ったときとそっくりだった。私は花巻の賢治記念館ではじめて賢治の肉筆原稿を見、同じく震撼させられた。以来、初めて賢治の作品を読み始めた。私は、同じく、健次の作品を読もうと思った。そして、手にしたのが「岬」だった。

 読んでみて咄嗟に、ウソだろ、と思った。現代の日本にどうしてこんな文学があるのだろうか、どうしてこれほどまでに繊細で力強い文学があるのだろうか、これほどまでに静けさと荒々しさに満ちた文学があるのだろうか、殆ど信じられなかった。私は半ばめまいのようなものに襲われながら、我が目を疑った。これまで私があれほどまでに「言葉」を毛嫌いし、露骨な不信感しか抱いていなかったのに、どうして今、同じ「言葉」によってこれほどまでに揺さぶられるのだろうか、敢えていえば、どうして私の魂が揺さぶられるのだろうか、と。しかし、紛れもなく健次の「言葉」は、聖なる空間を出現させていた。

 しかし、それはオカルトのような超感覚的で幻想的な世界ではなかった。その反対に、これこそ、人間の眼で眺められた世界にほかならないのではないかと思った。私は主人公秋幸に連れられて、彼の眺める世界を彼と一緒に眺め、魅了された。彼が歩き、彼が止まるたびに私も彼と一緒に歩き、止まり、そして彼が聞き、見、嗅ぎ、吸い込む世界を彼と一緒に聞き、見、嗅ぎ、吸い込んだ。それは素晴らしい経験だった。

 それは普段私が何気なく眺めている世界が単に、現在社会というシステムの約束事に従って眺められた世界でしかないことを思い知らせてくれた。のみならず、それは何よりも、そんな約束事に従って眺められた世界とはちがう、もっと生々しい、もっと強烈な、もっと心にぐさりぐさりくる世界があることをまざまざと思い起こさせてくれた。



 一瞬、ここで私は世界の果てを見るような気がした。しかし、これは私の勘違いだった。これこそ世界の始まりなのだ。中上健次こそ人間の眼で眺められた世界の始まりをこの「岬」で描き始めようとしたのではないかと思った。もしそうであるならば、私は、「岬」で秋幸と一緒に思う存分彼の眺めた世界を眺め、彼が経験した世界を経験したように、引き続き、健次の作品を思う存分経験したいと思う。そして、彼にとって、世界の始まりとは何だったのか、そして、それはどこに至ろうとしたのかを、その経験とともに考え続けていきたい。

 それがこのような奇跡を残してくれた中上健次に対する、(最近まで何も知らずに)あとに残った私の感謝の念であり、願いである。

(6.20/95)

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