小説「恐怖」を書くにあたって

--Uへの手紙--

1995.03.17



最近、小説を書くことを決めました、23年ぶりです。
今その準備に着手しようとしているところです。で、君を恰好の肴にして、この作業の話し相手になって貰おうと思ったのですが、構わないですね。



 それは、まだ若い男女の恋愛小説です。というより、ひとつの恋愛が女性の側では破綻し、男性の側では目覚めるといった正反対の事態が同時進行するお話です。

私は、このお話を23年前に思いつき、以来、これをわざわざ小説として書かねばならない動機がずっと分からずじまいでした。つまり、書くことが生きることにほかならないという事態にならなかったのです。だから、ずっと放っとおいた。しかし、今になって、やっとそれが分かったのです。それはもっぱら倫理の問題です。他者とのかかわりを問うことです。そして、それは同時に、あの晩年の小津安二郎や黒澤明をダメにした張本人である美学の問題と向き合って、これをやっつけること、つまり他者との倫理を無視する美学に対する批判ということになります。この美学批判、美学との闘争・抵抗、これが今書こうとする最大の動機です。もし、私が今回、こうした動機で小説を書くことに成功したならば、初めてこれからもしばらくずっと小説を書けるようになれると思うのです(だから、また失敗するかもしれない。しかし、そのときはまたそのとき。改めて、チャンスを待つしかない)。

 それと、私がここにきて小説なんぞを書こうと思い立ったのは、昨年、あれこれ外国をウロウロしてきて、それで、自分の未来のスタンスをどうしようとするのか、それが決まったからです。一言でいうと、それは日本にはもちろんのことアメリカにも何処の国にも属さない、いわば無国籍人的存在になることです。もっとも、その具体的なイメージがなかなか見つからなかったのですが、最近、ようやくめっかったのです。それはフランス映画「ふたりのベロニカ」のポーランド人監督キェシロフスキみたいな感じなのです。この映画を最初見たとき、なんだか随分ケッタイな映画やなと思ったのですが、それは一体この映画がどこの国の映画なのか正体不明だったからです。それはこれがフランス映画でもなければ、ポーランド映画でもない、奇妙な位置の映画のように思えたからなのです。それで、私はこの映画の作者はフランスにもポーランドにもいずれにも属しない無国籍人のように思えました。それで、厚顔無恥(無知)にも自分もこの作者キェシロフスキみたいなどこにも属さないやつを目指そうと思った次第なのです(しかし、段々彼のことを知るにつけ、「ヨーロッパの天才監督」なんて評判を聞くと、気後れして困ってしまう)。それで、無国籍人として世界(ここで私がいう「世界」というのは、単に世界中という意味ではなく、世界中の無国籍人たちが集まる場所、例えばニューヨークとかパリのことです)を相手にする以上、世界=ニューヨーク・パリに通用するような何かを持って行きたい。彼らと共感できるような何か代物を用意しておきたい。そういう意味で、世界=ニューヨーク・パリに通用するような商品を作らなければ、という(やや追いつめられた)気分になっているのです。しかし、あんまり気負っても仕方ないので、これはあくまでも抱負にすぎません。

 さて、私が、この種のお話を書けなかった理由はこの動機のほかにまだあります。それは、いかに書くかという、書き方の問題でした。つまり、何を書くかという、内容の問題ではなく、あくまでも書き方という形式の問題で、これまでいつも躓いてきたのです。具体的には、これまで私は、もっぱら正統に従って、伝統的な小説・物語の形式に沿って考えてきました。しかし、正直なところ、それらはどうも自分にぴったりこなかったのです。映画の例でいえば、私が心から惹かれる映画は、「風とともに去りぬ」とか「カサブランカ」とか「第三の男」とかいった伝統的な物語の形式の枠組みに則った映画ではなく、むしろ明確な初めも終わりもなく、起承転結といった筋も持たないような映画だったのです。それはタルコフスキーの「ノスタルジア」や「サクリファイス」、ヴェンダースの「ベルリン天使の詩」、そして最近ずっと思っているキェシロフスキーの「ふたりのベロニカ」「トリコロール青の愛」などです。しかし、それらの映画になぜ自分が惹かれるのか、その訳はずっと自分でもよく分からなかった。が、どうやら、少しずつ、その謎が解けてきたように思えるのです。例えば、「トリコロール青の愛」の主演女優ビノシェは、自ら演じた主人公ジェリーについて、こう語っています。

「ジェリーは観客が自由に解釈することのできる開かれたキャラクターなのです」

同じく、「ふたりのベロニカ」のベロニカも、そういう「開かれたキャラクター」として描かれているような気がします。私がとりわけ印象的だったのは、冒頭の雨宿りのラブシーンの終わり、ベロニカが自分の写真をもうひとりのベロニカを眺めるように眺めているところから、朝の光の中を水たまりに足を取られながら走っていくシーンがあって、その直後に恐ろしい夢から覚めた彼女が父親の仕事部屋で話をするシーンまで、この一連のシーンは一見、起承転結といったガチッとした枠組みなんてぜんぜんなくて、とりとめのない出来事がただ脈絡なく積み重ねられているようなのですが、しかし、そこにはベロニカのものすごく凝縮された心のうねりが見事に描かれているのを感じないではいられないのです。この描き方はいわば未完結のまま、未完成のまま、多様な意味を帯びて、観客がどのようにそれを体験し、受けとめようが自由な主人公を描き出すこと、いわば開かれたベロニカを観客に放り投げ出したようなやり方であると感じるのです。私は、これまで捜索してきた自分の創作のやり方をまさにここに見据えようと決めました。それは同時に、論旨明快な起承転結・強烈な個性の主人公といったガチッとした枠組みの中で、ストーリーを展開していくという方法の上に成立する、これまでの物語批判ということでもあります。

 このことは、他方これまで私が数学と取り組んできたことと深く関連します。私がこの間、数学と取り組んで頭がおかしくなるほど苦しんだことは、この論旨明快で、首尾一貫した物語世界のシステムと私がしっくりこず、それに苦しめられてきたこととパラレルな関係にあります。つまり、数学の世界にも、矛盾のない首尾一貫した世界の構築という小説・物語と全く同じやり方が幅をきかせ、のさばっていたのです。そして、私はずっとこのやり方に苦しめられてきた。ちがう、これは絶対ちがう!こんなものが「緑なす生」を捉えたものである筈がない、と、誰ひとり聞いてくれない抗議の声をひとりで繰り返してきたのです。だから、ベロニカのような小説を書くということは、私にとって、物語批判にとどまらず、数学批判でもあるのです。だからもし、この仕事がうまくいったら、きっと数学の取り組みも新しい段階に入れるような、そんな気がしているのです(だから、一石二鳥、どころか実は一石十鳥ぐらいを狙っているのです)。

 それで、今回、私が具体的に参考にする作品は漱石の「こころ」と、ミヒャエル・エンデの「モモ」と、それと聖書と史記です。行き詰まったら、その都度これらの作品を読んで触発される積りです。以前、史記を(マンガでペラペラと)読んだことがあって、そのとき、思わず感動したことがあるのです。それは未だかって経験したことのない質の感動であって、それをどう説明してよいものか我ながら言葉が見つからなかったのです。あんなに素朴で単純な表現の仕方で、しかも単に出来事をそのまま淡々と描いているだけなのに、それがどうして読む者にこうも激しい感動を呼び覚ますのか、それは深い謎でした。しかし、それは或る意味で、ベロニカや青の愛が感動的なのと共通しているのに気がついたのです。つまり、そこには人間の深い大きな感情が新しい表現方法の中で凝縮して描かれているのです。

 また、かつて読んだ「モモ」の主人公モモは私にとってほかにかえがたい貴い存在でした。つまり、彼女は私にとって貴い感情すべての源泉だったのです。だから、当時はもうそれだけですっかり満足していて、それ以上近づきようもなかった。しかし今は、自分なりに(どんなに稚拙であろうが)、自分のモモを発見しようと思います。

 私がニューヨークの街中に立ったとき、突然、全てをここからやり直せるのだという幸福な思いに襲われました。と同時に、自分はまだなんにも始めていないことも痛感したのです。そして、それからタルコフスキーが言ったように

「自分自身でなければならない。これが私だ、という勇気を持たなければならない。しかし、これはそう簡単なことではない、なぜなら我々はみな他人に気に入られたいと思っているからだ」

ということを噛みしめたのです。これがまさに、かつて司法試験の泥沼にはまりこんだ20代からかろうじて脱出した時の心境であったのであり、それはまた同時に現在の心境でもあるのです。

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