ダバに3人目の友達ができました。名前はミヒャル・エンデ。
2人目の友達と出会ってから2年半ぶりのことでした。
久しぶりに新しい友達ができて、しかもこれから次々と新しい友達が出来 そうな予感がして、ダバは嬉しくてたまりません。
御蔭で、ダバの生活は、この新しい友情の光に照らし出されて、一変して しまったかのようです。
もし、人生の至福の瞬間というものがダバに考えられるとすれば、今まで のダバにとってそれはダバ自身が一生涯かけても解かずにはおれないような
課題に巡りあえた時のことでした。
そして、その瞬間という時には、決ってこの課題を啓示してくれる何者か がおりました。
その何者かとは、時には未知の人間であったり、また未知の自然であった り、時には親しい家族であったり、また普段から身近かに見かける草花や生
き物であったりしました。
ですから、ダバは、自分の永遠の仕事が見つかるたびに、同時に永遠の友 達・自然にも出会えたのですし、また全く違う新鮮な眼で吾が子や妻を、ま
た身近かな自然を見ることができるようになったのです。
今回、エンデと友達になれて、ダバが歓喜の余り気が違いそうになったの も全く無理ないことでした。
ダバが最初に出会った友達----それはあの坂本龍馬でした。
今から3年前の6月のことでした。
ダバは、ふとしたことから「龍馬がゆく」という本を読み始めました。
実は、19歳のとき失恋して以来、彼はずっと文学書なるものを手に取っ て読んだことがありませんでした。
ダバは、20歳の誕生日以来、学生運動という「政治」の世界の隅のまた 隅のドブの中で、ドブ鼠のように、声も立てず、ひっそりと生きてきたので
す。
そのため、かりに文学書なるものを紐解く時でも、当時の雰囲気の中でし か、つまり全てを「政治」的観点からしか見ない当時の雰囲気の中でしか読
むことができませんでした。従って、文学書といえども、政治活動の発展に とってどれほど有益か、という政治至上主義の観点からしか読まれませんで
した。その意味で、ダバには、文学書を読むという芸術的体験(おお!この 言葉は、当時、何という軽蔑を込められて口にされたことでしょう)を十数
年間経験することができなかったのです。
ところで、ダバの学生時代というのは、まさに政治の時代でした。しか し、それはまた最後の政治の時代でもありました。
一方で、政権交代の可能性が華々しく取沙汰され、歴史は、この政治的転 換によって、大きく切り開かれるかのように見えました。ところが、順風満
風の下で政治的転換を目指していた潮流は、いつのまにかよく自分でも訳が 分からぬままに、対立拮抗する潮流とは全く次元を異にする新たな「支配
者」によって、次第に根こそぎ食いちぎられていきました。その「支配者」 という奴は、まるで、光という光を全て飲み込み、食い尽くしてやまない不
気味なブラックホールのような勢いで、政治改革という理想の光を飲み尽く していきました。
このような不気味なブラックホールが登場した時代に、ダバは自分の仕事 に就かなければなりませんでした。そこで、彼は、殆ど「政治」という一点
にのみ費やされた自分の20代を振り返ってみました。が、そこに彼の未来 の支えとなるような光明は何一つ見出すことはできませんでした。
当時、ダバの親しい友人は、よりよい裁判と裁判所の実現のため、裁判官 になってみたらどうかと勧めてくれました。しかし、彼が観察したところに
よると、裁判所という所は、裁判という、本来それ自体は人権擁護という高 次元の目的に奉仕すべきものが、これを何処かに忘れて、裁判自身のシステ
ムの中にすっかり安住し、その結果、自己の歴史的使命の探究に何の関心も 抱かず、それは、いかにも、硬直し、滅びゆくものにふさわしく、権威と傲
慢さに溢れた遺物のように見えました。
この現実を前にして、すっかり失望 したダバは、自分が裁判所に入ったら、早晩この高慢ちきで体面ばかりを気 にする雰囲気の中で、息詰まって窒息してしまうだろうと思われました。
しかし、他面、だからこそお前は裁判官になるべきなのだ、と彼の良心は 彼にひそかに囁くのでした。
そのため、彼は、ここ数カ月、この迷いの中ですっかり行き詰まってしま いました。そんな状態の中で、彼は「龍馬がゆく」を読んだのです。
ところが、彼が久々に読んだ文学書「龍馬がゆく」は、ダバを大いに魅了し、御蔭で、彼の眼の前には、初めて、新しい可能性が洋々と開けて来たよ
うな気がしたのです。
それは、今から思えば、次のようなことでした。
それまで、ダバは、歴史の発展という問題について、
歴史の歯車を回すためには、歴史の発展法則というものを正しく、そう、こ の正しく!認識するというやつが絶対不可欠の条件であって、このような正
しい認識者だけが歴史の発展法則に忠実に行動することができ、その結果、 彼らだけが、歴史の歯車を回すことができるのだ、とそう思い込んできまし
た。それは、さながら、科学者の正しい認識とこれに基づく精密な実験によ
ってのみ科学の進歩があるのだという信念と同じようなものでした。
しかし、現実にダバの回りでは、歴史の発展法則を認識したと称する認識 者たちが、自己の信念を貫く中で、どう言う訳か、手のひらからこぼれ落ち
る砂のようにポロポロと現実を見失っていき、その結果、現実を変革すると 豪語した彼等の言う歴史の歯車は、遂に空しくカラカラと空回りするばかり
だったのです。
ところが、この「龍馬がゆく」に登場する龍馬たちはといえば、彼等は、 歴史の発展法則などという代物はからっきし知りませんでした。そんな彼等
がやろうとしたことは、そして、事実やったことはまさにただひとつ----た ヾ己のひらめくところ、己の欲するところに従い、ひたすら狂奔することで
した。 彼等は、我が子を慈しみ育てる母親のように、無私の情に突き動かされて ひたすらのめりこんでいったのです。
しかし、全く不思議なことに、歴史は、彼等の手によってガラガラと音を 立てて、回り出したのです。事実、彼等の大部分は、危険に満ちた冒険にひ
るまず飛び込んでいったため、志半ばにして、或る者は倒れ、或る者は傷つ き、歴史の舞台から、去っていったのでした。しかし、全く意外なことに、
歴史は、まさにその無数の失敗の力によって回転していったのです。
この時、ダバは、歴史を突き動かすダイナミズムというものは、決して 「正解」と評される行為の中にはあり得ないということ、それどころか、そ
れは、常に混沌に覆われている現実を切り開くに相応しい「大胆な冒険心と 憑かれる如きエネルギーの奔出」の結果生じた「失敗」の中にこそあること
を今やはっきりと悟ったのでした。
その上、この「龍馬がゆく」に登場する、歴史の歯車をガラガラと回して いった人達は、ダバをすっかり魅了しました。
というのは、ダバは、それまで理想とする人物像として、例の、歴史の発 展法則を正しく明確に認識し、その認識したところに従って忠実に自己を規
律できる人物を思い描いていました。それは、あたかも、自然法則の真実性 を証明するための、精密な実験用具の如き人物でありました。
そして、かつて身の程知らずのダバは、この精密機械の如き理想像を目 指してやみくもに突進したのですが、残念なことにダバはちょっとの間は決
められた通りにやれたのですが、それも束の間、やがて決まったように心の 中から精密機械とは似ても似つかないような助平根性丸出しの赤裸々な欲望
がムラムラと顔を覗け、ダバをしきりに誘惑するのです。すると、優柔不断 のダバは、そのまま精密機械の途から煩悩の途へと、先程の理想像を目指し
て突進したのとちょうど同じだけの激しさで突き進み、堕落していったので す。その後に、ダバは決まって極度の自己嫌悪に襲われ、何とか自己批判を
行なった末、再犯防止を胸に誓うのですが、事態の本質には何の変化もあり ませんでした。
ダバは、再びこのような突進と転落の途を歩み、そのような突進と転落と 自己批判を何度も繰り返した挙句、とうとうダバの20代は過ぎていってし
まったのです。
それは、考えてみれば恐ろしく長い消耗の日々でした。で、この長い消耗 の期間の末、ダバはやっと自分のやり方がどうやら間違っていることに気が
つきました。それで、今では、かつてのように精密機械の如く突進するよう なことはなくなりました。しかし、かといって、今のダバに、かつてのよう
に情熱の炎を燃やすことのできる新しい理想像というものがある訳でもなか ったのです‥‥‥
そんなダバに対して、この「龍馬がゆく」に登場する龍馬達は、実に奇妙 な印象を与えたのです。
というのは、彼等は、凡そダバが今まで抱いてきたような理想像のイメー ジとは似ても似つかない連中ばかりだったのです。実際、彼等は、もしかし
たら、自慢の種にでもする積りなのかと錯覚したくなるくらい沢山の欠点を 持ち、しかもこれを全く悪びれず表に出し、また、過ちというものも、まる
で屁でも放る調子でしょっちゅう犯しているのです。
しかし、そんな彼等に対してダバがぞっこん惚れたのは、次の理由による のです。
つまり、彼等は、一方では数え切れないくらい沢山の欠点や誤りを持って おりながら、と同時に、他方で、それはもしかしたらたった一つかもしれな
いが、しかしそれだけで断然素晴らしい長所を持っていたからです。百の欠 点を持ちながら、尚これを帳消しにしても余りある、抜きんでて輝かしい精
神の持ち主だったからです。
その精神とは――失敗を全く恐れぬ大胆な冒険心と憑かれた如きエネルギ ーの奔出の精神でした。
こうして、ダバは、この「龍馬がゆく」の中から、かつて考えたこともな かった全く新しい歴史像と人間像を発見したのでした‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
にもかかわらず、ダバは、依然職業の選択について、決断を下すことがで きずにいました。それで、当時、相変わらず、毎日「龍馬がゆく」の本を読
みふけっていました。
かれこれ2週間近く読み続けていて、6月17日になった時のことです。 この日、ダバは、例によって朝からこの本を読んでいました。
この時、彼は、どう言う訳か、ふと音楽が聞きたくなり、たまたま最近買 ったばかりの、ブルーノ・ワルター指揮のブラームスの交響曲第4番のレコ
ードをかけました。
曲は、冒頭から、ある一つの終末を目指して魂の奥底まで轟き入るかのよ うな鋭敏な音を鳴り響かせ、それはなにものかに飢えていたダバの心を締め
つけるような感動で満たしていきました。
彼は、もはや自分から何かを求めようとはせず、ただ陶酔を胸に秘め、曲 の進行に全て身を委ねました。それは、冒頭からまるで人生の希望と苦悩を
共々背負い、さ迷い続けた揚句、新しい出口を求めずにはおれない人間の魂 の叫びのような、旋律を幾重にも積み重ね、やがて、第1楽章の結びに至る
と、それまで何処か新しい出口を探しあぐねて、空しく高い塔のように幾重 にも積み上げられてきた旋律の塔が、遂に、神の恩寵を受けて、天上に届
き、そこから新しい第1歩----苦悩の間から歓喜に満ちたすざまじい飛躍の 第一歩が踏み出されようという瞬間、その瞬間、ダバはそのごうごうと響き
渡る音の間から、これと呼応するかのように
----あゝ生きるんだ、生きるんだ。俺は、生きてやるぞ。生きて生き抜く ぞ!
という満腔の叫びがダバの全身を貫いて響き渡るのを聞きとどけたのでし た。その瞬間というもの、彼は、まるで雷に打たれたかのように動けなかっ
たのでした。
この一瞬の後、ダバは、自分が裁判官にならない決断をしてしまっている ことに気がつきました。
それだけでなく、実はこの瞬間、彼は、歴史の法則を認識し、これを正 しく実践する人々の側から、己れの欲するところに従って狂奔する人々の側
へ飛び移ったのでした。
そのあと、ダバが二番目に出会った友達----それは埴谷雄高でした。
それは、ダバに最初の友達が見つかり、嬉しさの余り、未だ興奮が醒めや らぬ1ケ月そこいらの後にやって来ました。しかも、それは、またしても、
ダバ自身に全く予想もつかない形でやって来たのでした。
それは、彼にとって、奇跡といっていいくらい衝撃的な事件であり、この 一瞬の後、ダバの人生は一変したのです。これは、まさに彼の人生のコペル
ニクス的転回とも云える出来事、いや敢えて誤解を恐れずに云えば、彼の人 生にとって天地創造の第一歩を踏み出した歴史的な出来事だったのです‥‥
‥‥‥‥‥‥
6月17日の経験のあと、ダバは、自分が新しい出発点を見出した思いで 意気揚々としていました。
実は、彼は、まだ極めて僅かなことしか確信に達していなかったのです。 しかし、その僅かな確信とは、この出発点がたとえ双葉の芽でしかなかろう
と、その信ずる途をどんどん赴けば、やがて必ずや彼の命の証を、そう!こ れこそ、彼にとって最も貴いものと思われた命の証というものを立てること
ができるような遠大な途に通ずることができる筈だ、という深い確信であり ました。
そして、その新しい出発点というものは、次のことでした。
ひとつは、芸術的体験の偉大さということでした。
前にも述べましたように、ダバの二十代は、芸術的体験とは凡そ無縁な時 代でした。当時、彼は、文学や映画を、専ら「政治的なメッセージ」を伝達
する手段の一つ、しかもうまく行けば興奮剤のように効果的にメッセージを 伝えることが出来る手段と考えていました。彼にとって、芸術の使命が政治
に奉仕することにあるのは自明で疑いようのない真理でした。この真理に反 対する者は、ひとり現実逃避の芸術至上主義者の連中だけだ、と考えていた
のです。
ところが、現実にダバに6月17日の決断を導いてくれたのは、政治的メ ッセージなど爪の垢ほども含んでいないブラームスの交響曲でしたし、或い
は歴史小説「龍馬がゆく」だったのです。しかも、この時、ダバはこれらの 作品に、何の先入観も持たず、たゞ全身の感動に襲われ、そしてこの感動の
啓示するところに、何の躊躇もためらいもなく、たヾ素直な心で従っただけ なのです。
おお、それは、常に政治的メッセージを予期しながら、与えられる政治的 メッセージを見落としてはなるまいと無意識のうちに身構え、心の芯は醒め
たまゝ頭だけが興奮するという、かつての体験と何という違いだったことで しょう。
ダバは、この時、芸術的体験を通じ、解放という体験を初めて味わったの です。そして、これにより、これまで探し求めてきた彼の人生の鍵がどうや
ら芸術的体験という所に隠されている気がしてきたのです。
ちょうどその頃、ダバは偶然数年ぶりに映画館には入りました。その小屋 で上映していたのは、モノクロの「泥の河」という映画でした。上映後、彼 はすぐさま映画館から飛び出してきました。とても二本目の映画を見ること ができなかったのです。光と影が織りなすこの虚構の世界は、ダバが日頃、 生活の喧噪の中で眠りこけ、すっかり忘れ去られようとしていた感情---- かつて、ダバが経験し、終生忘れることのできない、親に慈しみ育てられた 幼い頃の、あの感情、そして現在、ダバが親として我が子にたいし、時とし て強烈に湧き上ってくるあの感情、これをはっきりと呼び覚ましてくれたの です。それは‥‥‥‥何という貴い感情だったことでしょう。
同時に、ダバには、新しい謎が、湧き上ってきました。
芸術というものが、我々との一瞬の出会いの後に、何故かくまで我々の心 を震撼して、我々にかくも新しい力を与えてくれることができるのだろう
か?
この不思議な謎が彼の前に表われたのです。彼には「政治」のことが念頭 にありました。政治こそ、しかも科学の方法でもって武装された政治こそ、
現実を最も客観的に分析することができ、それ故現実を最も震撼させること ができる筈だと信じていたのです。 しかし、今や科学的立場に立脚する政治は、百年にわたる、この永年の衝
撃力を失ったかのように見えました。
それに引き換え、所詮架空の絵空事に過ぎない筈の芸術は、依然何という 可能性を秘めていることか。
ダバは、一瞬の後我々の胸裏にかくも貴い感情を呼び覚ましてくれる芸術 の偉大さを、三十を過ぎた今、初めて悟ったのでした。
そしてまた、この芸術に対する新たな認識は、ダバのもう一つの双葉 の芽に連なるものでした。もう一つの芽というのは、政治の把え方の根本的
転換ということでした。
ダバは、現代が直面しているこの複雑怪奇な壁を打ち破って、新しい時代 を切り開いていけるだけの執念深い情熱を発揮し続けるためには、もはや従
来の政治の枠では到底不可能であることを感じていました。既に、今世紀の 初頭、アインシュタインらによって成し遂げられた物理学の根本的変革と同
じような変革が、今や政治という社会科学の領域にも求められているのを感 じていました。
ダバは、自己の政治的使命に燃えて、既成の政治のあらゆる事実と観念に 対する全面的な批判を開始しようと考えていたのです。
この時、ダバのこの仕事を支え、励ましてくれたのは、「戦後思想を考え る」という本でした。彼は、この本から、現代が抱えている課題とは何か?
について、我々が従来のイメージから抜本的に転換しなければならないこと を教えられました。
ところで、ダバは、9才の時、大学受験のための準備をして以来、司法試 験合格まで約17年間熾烈な受験勉強の中にほうりこまれ、そのなかで、否
応なしに、受験体制がもたらす主体性の喪失、人間性の荒廃というものを、 その頂点において経験してこざるをえませんでした。それだけに、ダバにと
って最も切実な思いというのは、人間としての価値をズタズタに切り裂かれ た無惨な自分を是非とも救済することでした。
そして、ダバは、そのなかで、ある時、自分自身がたどるらざるを得なか った、異常で屈辱的な受験生活が彼個人の特殊な問題なのではなく、現代が
直面している民族的危機を象徴する普遍的な問題であることに気がつきまし た。今まで、深く恥ぢずにはおれなかった、この過去に対して、密かにこれ
が時代の精神というものに深く関わっているかもしれないと考えるようにな り、以来、彼は現代が直面している課題というものを「人間の存亡の危機」
という視点から捕らえるようになっていたのです。
ですから、この「戦後思想を考える」という本は、病的な過去を追いかけ 回した末、ダバがようやくたどり着いた一つの考え----現代の最大の課題
は、核兵器においてだけでなく、教育においても、環境においても、文化に おいても、その他あらゆるところにおいて人間が、人間として生きていけな
くなってきている、という考えに、力強い励ましを与えてくれたのです。
さて、6月17日から、1ヶ月半経過した8月5日のことです。
当時、ダバは、未だ転換したばかりの現代の課題の新しいイメージにふさ わしい「政治」の新しい活動スタイルのことを考え始めたばかりでした。
ところで、その日の午後、ダバはふとしたことから早稲田の古本屋街を歩 いていて、偶然に一冊の本を買い求めました。
それは、埴谷雄高の「意識革命宇宙」という本でした。
ダバは、ただ、表表紙の著者の写真がすこぶる気に入って買ったのでし た。埴谷雄高とは、実に十数年ぶりの再会でした。
さて、帰宅したダバは、「政治」の批判検討の疲れ休みのつもりで、早速 この本を読み始めました。
この日は、夕方になっても妙に蒸し暑い天気でしたが、どういうわけか森 羅万象がまるで暑さに眠り込まされてしまったかのようにあたりは静寂に包
まれていました。ダバは、その静けさのなかでこの本を十数ページ読み進ん だところで
「われわれが白紙に書くということは、あったことの記録からはじまる。‥ ‥‥ところ
で、記録型のほかに、魂の渇望型という白紙の埋め方があって‥ ‥‥」
という箇所にぶつかり、ダバの眼が「魂の渇望」という文字の上に注がれ た瞬間、突如この「魂の渇望」という言葉は、白紙の上から、稲妻の光のよ
うに飛び出し、ダバの眼を射抜きました。
この時、ダバは眼くるめくようなめまいに襲われ、全身が竜巻に巻き上げ られるような衝動のなかで、文学の本質というものを一瞬のうちに了解し、
と同時に「魂の渇望の探究」という一生の課題をはっきり指し示されたので した。
そうだ、これこそ、ダバが30数年間生きて探し求めてきたもの、今こ そ、燃えて燃え尽きても惜しくない生き方ができる、とダバは歓喜の極みの
なかでもう死んでも思い残すことはない、とさえ感じたのでした。
この一瞬の啓示で、ダバはさっきまであれほど熱心に取り組んでいた「政 治」の領域から、魂の渇望を探究する「文学」の領域へひと思いに飛び移っ
たのでした。
こうして、彼は、これまで彼を支え、或いは彼を縛ってきた一切の規範・ 慣習・人間関係から解き放されて、嬉々として、未知の「魂の渇望の世界の
冒険」に旅立ったのでした。
それは全く予測をこえた新しい第一歩でした。
しかし、考えてみれば、それはダバにとって、極めて自然なものだったの です。
というのは、ダバは既に6月17日の経験のあと、己の欲するところに従 って狂奔する人々の群に身を投じていたのですが、その彼が新しい眼で現実
の世界を眺めようとすればするほど、世界は単なる階級闘争の歴史という枠 に到底納まり切れず、むしろ世界は今まさに資本主義も社会主義も区別な
く、主体性を喪失して全体として自己崩壊してゆく絶滅の過程のように映っ たのでした。そこで、彼はこの人間性喪失の息詰まるような事態にたいして
抗議の声を挙げずにはおれなかったのですが、しかし、このような態度は6 月17日のあとのダバにとっては、もはや全く物足りないものだったので
す。
そこで、彼が、このみじめな現実に抗議の声を唱える仕事から、このみじ めな現実に取って代わって我々が一体どんな現実を心から欲するのかを明ら
かにする仕事に飛び移ったのは至極当然のことでした。
しかし、それ以上にダバを震撼したのは、ダバが生れて初めて自分が生き ている意味を紛うことなく了解できた、ということでした。
既にダバにもこうした確信はありました----たとえ歴史の発展法則という ものが明らかにされようとも、これにかゝわる関わり方は各人の個性・性格
・能力・環境等に応じて千差万別なものがありうる筈で、この多様性に序列 をつけること、現在の偏差値科学教育が一番大事にしている一番二番という
序列をつけることは断じてできない、と。
しかし、今のダバはこの確信をさらに推し進めて----誰しも人としてこの 世に生を授けられた以上、その人だけにしかない「生きる意味」が必ずある
筈だ。この各人固有の「生きる意味」は歴史の発展法則とは直接には何の関 係もない。しかし、我々にとって最も貴いことは、いつか、自分にとっての
「生きる意味」を発見することだ。
例えば、ごく平凡な五十がらみのサラリーマンのおじさんが、或る時、U FOの話を聞いて、自分のなすべきことはUFOを発見することだと忽然と
悟り、以来直ちに会社をやめ、自宅の屋根を改造してUFO発見の仕事に没 頭している、ということだ。
この話の中には何という深い真実が秘められていることだろう。
問題は、彼が自己の魂の命ずる根源的な渇望にいかにして巡りあえたか、 にある。彼の発見した「生きる意味」の内容は問題ではない。内容の多様性
に偏差値科学教育の一番二番という序列をつけることはできない。まして や、歴史の発展法則に対する忠誠心という観点から序列をつけることに至っ
ては論外である。
歴史----今や主体性を喪失して全体として自己崩壊してゆく過程にある現 代の歴史がもし自己救済の歯車を回すことができるとすれば、それは歴史の
担い手である我々がめいめい自己の魂の命ずる根源的な渇望に巡りあい、そ の渇望の指し示すところに従ってめいめいが狂奔する中でしかあり得ないの
ではないか、とそう考えていました。
ですから、ダバ自身が自ら「生きる意味」に巡りあえたとき、これでもう どんなことがあっても生きていけるぞ、地球上にたった独りぼっちになった
って、この「生きる意味」を追いかけ回すぞ、と力が全身に漲ったのでし た。
現実に8月5日の経験のあと、ダバは彼の見るもの、聞くもの、触れるも の皆全てが初々しく、彼の眼には新緑の若葉のように新鮮に映りました。彼
の心の中は、この世に存在しうるありとあらゆる感動というものを全て体験 し尽くし、吸収し尽くさずにはおれないような貪欲な渇望に満ち、人類がこ
れまで到達しえた最大の幅の感情というものを自分でも全て体験し尽くした いという希いで満ちていました。
ダバは、こうした感動の襲来の中で、自分がどうなっているのか皆目見当 がつきませんでした。しかし、彼は、この感動のなすがまゝに身を任せるこ
とにしました。
ダバは、次々と巡りあう感動の中から、次々と新しい謎に出会いました。 そして、その謎解きをする中で、また新しい自分と新しい世界を発見したの
でした。
こうして、彼には、新たな感動の体験とそこから生まれた謎解きをする中 で、途は自ら切り開けていけるような気がしました。
以上は、ダバの新たな人生の光の部分について語ったものです。
しかし、物事には常に光と影の両方があります。これはダバの新たな人生 についてもいえることでした。
それはまず、8月5日の経験を契機に、ダバはかつて経験もしたことのな いような言い知れぬ不安感に襲われたことでした。
彼もかつて、何度も強い不安感に襲われたことがありました。が、それは いずれも受験体制といったような外部からの容赦のない抑圧・圧迫に基づく
ものでした。ですから、抑圧者は明白でした。ところが、今度新たに経験し た不安感については、何処にも抑圧者らしき者の姿が見当らないのです。で
すから、その不気味さは時として彼をすっかり滅入らせました。それは精神 錯乱の寸前のところまで行くことすらありました。
我々は努力して気違いになる----この真理を、このとき初めて思い知ったのです。
しかし、この問題も、考えてみれば至極当然なことでした。ダバはこの 間、彼を支えている価値観を捨て、人類がこれまで体験してきた感情の全て
を体験し尽くしたいと願ったわけなのですから、それはいわば無防備のまゝ 冒険旅行に出かけたようなもので、ダバが得体の知れない存在の世界の中に
ほうり込まれて、未知の危険に晒されたのも尤もなことでした。
しかし、「これは別な物語、いつかまた別のときにお話しいたしましょ う」
いずれにしても、ダバの新しい人生にとって唯一の汚点にしか見えないよ うなこの小さな出来事が実は彼の一生を左右しかねない重大時であることを
彼は肝に銘じたのでした。
もうひとつの影の部分は、ダバが二重人格者として生きてゆかなければな らなかったことにあります。
ダバは8月5日の経験のあと、自分に今与えられている条件を全て無視し て、魂の命ずるまゝにありったけ彷徨してみたい、と烈しい欲求に把えられ
たのです。その結果、ダバにとって彼が現に送っている日々の生活は何の意 味も喜びもないものとなり、彼の眼には亡霊の生活と映りました。
こうして、ダバの生活は、ジキル博士とハイド氏のような、亡霊の生活と 魂の渇望の探究に向けられた緑なす生に満ちた生活とに完全に分裂してしま
いました。
そして、この分裂症の生活の御蔭で一番被害を受けたのはダバの家族の人 たちでした。
しかし、「これは別な物語、いつかまた別のときにお話しいたしましょ う」
さて、この物語もそろそろ終わりに近づいてきました。
ダバはその後どうなったのか?
これは、本来ならば別の物語としていつかまた、別のときにお話したいの ですが、ちょっとだけお話しておきましょう。
残念ながら、ダバのその後の彷徨の旅は、一言でいって失敗の連続でし た。
最初の数ケ月こそ、それこそ天をも翔ける勢いで飛び回ったのですが、そ れも長くは続きませんでした。
やがて、12月に司法研修所の後期修習が始まると、ダバは、亡霊の名に 最も相応しい、この我が国の教育における病理現象の頂点に立つ研修所教育
の御蔭で、たちまちノイローゼに罹ってしまいました。既存の価値観を捨 て、無防備のまゝ未知の冒険のたびに出かけたばかりのダバの精神力は、ま
だこの恐怖の亡霊の生活に耐えていけるだけの強靭さを持ち合わせていませ んでした。
彼はこの時、家庭で家事労働に専念することによって、ついで、忍法「化 身の術」を自分にかけ、我が身を気違いじみた研修所教育のプロに変身させ
ることによって、かろうじてこの危機を脱することができました。
しかし、ダバは、この化身の術によって自ら亡霊に変身した御蔭で研修所 を無事卒業できたと同時に、生き延びるために彼の大切な魂の渇望を焼き殺
してしまったのでした。
しかし、本当の困難はそのあとやって来たのです。
彼を待ち受けていたのは、亡霊中の亡霊といっていい、殺伐として荒れ果 てたこの世の経済社会だったのです。
ダバは生れて初めて定職につきました。今や彼は、金やGNPの数字だけ が万物の尺度となっている経済社会の中にがっちり組み込まれていったので
した。
この、金や名誉や権力といった欲望がどすぐろく渦巻いている経済社会の 中に身を置いていると、ダバは魂の渇望の探求の旅という一文の得にもなら
ない仕事への意欲がどんどん枯れていくのを経験しました。そして、彼の仕 事が成功を納め、報酬が与えられれば与えられるだけ、ちょうどこれに反比
例して魂の渇望のほうは、どんどん痩せ細っていきました。魂の源泉は、ダ バが何時の間にか夢中になって追い求めていた財貨によって根こそぎ食いち
ぎられていったのです。
こうして、経済社会という亡霊の生活にどっぷり漬かったダバは、魂の渇 望の探求の旅という本来の目的をすっかり忘れて、いつの間に金銭や財産に
心を奪われる物欲の迷妄の旅にはまり込んでいったのでした。
それは、まさに亡霊の生活の中での、果てしない煩悩の旅といったもので した。
‥‥‥‥‥しかし、天はダバを見捨てませんでした。
魂の渇望がすっかり枯渇してしまったと思われる絶望的な状況に立ち至っ たときでも、いやそのような状況に至って初めて、天は彼に救いを与えまし
た。それは----病気でした。
ダバは、知らない間に金銭と財産に対する我執の旅に深くはまり込んでい ったのですが、その先で彼を待っていたのは、いつも病気、それも悪性の自
律神経失調症といった類の病気でした。
この病気の御蔭で、ダバは幾週間もの間、精神のバランスを失い、体中か ら意欲を根こそぎ奪われました。この時、彼は苦痛の中で自分が心の支えを
失ったことを知り、救いを求めました。
ところが、経済社会が提供しうるあらゆる財産は何ひとつダバの救いには なりませんでした。彼は放浪の末、或る時、救いを発見したのです。
それは、生命の輝きに満ちた若葉の緑でした。ダバの病気は、彼の心が若 葉の緑によって今は失われてしまっている生命の輝きを再び吹き込まれる中
で、少しずつ癒されていったのでした。
こうして、彼は病気によって、自分がそこでは生きていけない世界を選り 分け、その世界を捨て去り、これに代わって自分が住める世界を発見してい
ったのでした。
さあ、最後の締めくくりです。
いくつもの失敗の連続の末、ダバはようや くひとつの転機を迎えました。それは、彼がごく最近とうとうあの亡霊の世 界の中に彼が戻れることが可能な地点を発見したのです。約2年半近い彷徨
の旅を経て、ダバは今、かつては全く無意味な象徴としてしか受け取められ なかったあの亡霊の世界の中に、我々が希求する未来を託する可能性を秘め
た場所があるのを発見しました。
それは----生命の輝きに満ちた子供の世界でした。
我々の枯れ果てた、殺伐とした亡霊の世界に生命の輝きを取り戻すことが できるとすれば、そこへ至る途は子供の世界、あの数量的表現でしか対象を
捉えられない科学によっては決して表現できない子供の世界、たゞ芸術のみ がこれを表現できる子供の世界の中に発見されるであろう。
何故、子供の世界が生命の輝きに満ちているのだろうか?
この問いこそ、今や主体性を喪失して自己崩壊へのと向かう現代文明を根 本から覆す可能性を秘めた問いになるかもしれない。そして、この問いに答
えることが、亡霊の生活にかえて、我々が全く新しい基礎の上に緑なす生活 を築き上げていく契機になるのかもしれない、とダバは思いながら、かつて
頓挫した魂の渇望の探求の旅を、今度こそ心が満たされるまで続けてみたい と願うのでした。
彼は今度こそ----子供の世界という現実世界の中で人々と共に生きるな かで、生命の輝きを取り戻し、その輝きに支えられて、再び魂の渇望の探求
の旅に出て、今度こそ彼自身と彼の人類の根源的な渇望の姿を捜し当て、そ れでもって今後迎えるであろう人類の文明史上最大の歴史的転換の歯車を、
竜馬たちのようにガラガラと回したいと願うのでした。
終わり
(1985年6月15日)
1995.10.10
これを十年前に書き上げたとき、カミさんは職場の障害児教育で職業病をおこしかけていて、家中、火の車だった。にもかかわらず、私はどうしてもこれを書き上げずにはおれなくて、カミさんを看病している合間に、殆ど熱にうなされるようにして書いた記憶がある。
しかし、いざ書き上げてみて、これを人に見せると、ごく一部の人をのぞいて殆ど評判がよくなかった。ちょっとキザっぽい言い方をすれば、宮沢賢治の親父が息子の作品を評して語った「唐人の寝言のようなもの」という言葉をそのまま投げつけられたようなものだった。
しかし、これらの不評に対し、私はひそかにこう抗弁せずにおれなかった、人のことをその言葉じり、文字づらだけをとらえてああだのこうだのと批判することはいかにも容易なことだ、しかし、大切で困難なことは、人をその全体性においてとらえようとすることだ、と。
その気持ちは今も変わっていない。恐らく今でも、この文章を読んだ人の中から、これに対し、やれ神秘主義だの、やれ反マルクス主義だのといったケチ臭い批判が加えられるのを覚悟している。しかし今、こういったしょうもない、消耗な批判を覚悟して敢えてこのような文章を他人に読んでもらおうと思ったのは、あくまでも、自分がこの間暗中模索してきたことがほかでもない「自由」の問題そのものであり、私自身の体験したことが、はからずも「自由」への道を突き進むとき、必ず直面せざるを得ない避けがたい問題のひとつであることを最近になって改めて確信したからである。
だから、私はこの文章が百の欠点を持っているのを承知で、敢えて公表する。その意味で、これは私にとって、私の「はてしない物語」の序章である。
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