最近の謎・疑問・出来事(96年12月分)
- 96.12.07(土)
- 今ニッポンで一番の有名人小山博史とかいう人は、恐らく90年代のニッポンを代表するような人物になるような気がする。ただ、それでも、彼の功績は、例えば、彼の悪行によって、厚生省が初めて「綱紀粛正」と称して、やってはいけないことを明らか
にしたことだ。11月28日の新聞によると、利害関係者との会食、ゴルフ、旅行、中元、歳暮、人事異動の際の餞別などなどの禁止。
よくもまあ、特定の連中と、これだけ色々とずるずるべったりの関係を持っていたんだ、ということを公開させ明らかにしたことは、何をおいても小山博史師の特筆すべき功績というほかない。
紛争が世界を写し出す鏡であるということを、ここでもまた再認識した次第ですが、では、どうして紛争が鏡となれるのだろうか。
それはもしかして、紛争が世界を、一回(仮定的なものにせよ、或いは暫定的なものにせよ)否定するからではないだろうか。ちょうど、いずれまた、ぞろ復活するに決まっているが、「利害関係者との会食、ゴルフ、旅行、中元、歳暮、人事異動の際の餞別などなど」をとりあえずにせよ、否定(禁止)してみることによって、世界が見えてくるのではないか。それは、数学でいえば、世界の真実を証明するために、とりあえず世界を一回否定してみるという背理法ということに対応しているのではないか。
- 96.12.08(日)
- カミさんと映画「学校2」を観る。
私は、山田洋次の中にある、ある種のセンチメンタリズムが嫌で、この作品にもそれが目障りだった(要するに、作品の本質にとって不要なものだから)。
ただ、前作「学校」より、ずっといいと思った。そして、どんなにけなされようと、この「学校」という作品を考え続けようとする意思が、作り続けようとする意思が伝わってくることが、なにより良かった。
彼に会って、色々話してみたいと、初めて思うようになった。
- 96.12.12(木)
- 私的な出来事だが、この夜10時すぎに、同居している親父が珍しく我々のいる2階にやってきて、苦しげなにこう訴えたのです----「おい、浣腸ないか」
意地っ張りで、めったに人の世話にはならない人だから、このときはよほどのことだったらしい。それで、「やあ、ないなあ」と答えると、「薬局に買ってきてくれ」と言う。こりゃあ、よっぽどひどいんだと思い、もう1回洗いざらい薬箱を捜すと、幸い、1個だけ浣腸が見つかった。
これで、一件落着かと思ったら、また、1階の便所から何やら叫んでいる。行ってみると、浣腸の液がうまく入らないという(スミマセン、ちょっと生々しくて)。聞いてみると、便器に座ったまま、下か突っ込んで入れようとしていたらしい。それで、一緒になってあれこれ工夫してみたものの、どうしてもうまく入らない。やっぱり、重力の法則に逆らってもうまくいく訳がないから、自分の部屋に戻って、そこで、うつぶせに馬乗りの姿勢になって、横から差して入れるしかないという結論を勧めたのに、そこは、例の意地っ張りで何としてでも重力の法則に逆らってでも便器に腰掛けたまま入れてやるといって聞かない。
こっちも頭にきて、「でも、それじゃあ、何遍やっても入んないよ」と怒鳴ったら、さすがの親父も上手くいかないので参ったらしい。すごすご便所から出てきた。
----まあ、部屋でゆっくりやってごらん。
と思って2階に上がろうとしたところ、何と、突然、便所の前の廊下であおむけに寝転がって、そのままパンツをおろし始めるではないですか。ちょ、ちょっと、待ってよ、そんなところに寝っころがらないでよ、子どもたちがこれから風呂入りに下に降りてくるんだから。お産じゃあないんだよ、もう。
そしたら、当人はパンツ下げながら、自分でもへらへら笑っているんだから、こっちには返す言葉もない。
とにかく一度決めたらやり通す頑固人間ですから、そのまま、そこにひっくり返って、浣腸を差し込んで、数分後にはめでたく用が足りたという結末でした。
第2次大戦と戦後の労働運動の中で様々な厳しい体験を経てきた人で、今でも戦争と権力の横暴を烈火のごとく憎むジジイですが、しかし、その頑固さは自分でももう変更不可能なくらい、殆ど本能みたいになっていて、それで、ときとしてこういう喜劇みたいことを引き起こしてくれるようだ。
- 96.12.13(金)
- もうひとつ私的な出来事。
カミさんが、今日、「3人目の子どもだよ」とか言って、勝手に犬を連れてきた。
当人は嬉しくてたまらないらしく、ほくほく顔。どうも、ここのところ、中2の娘が荒れに荒れていて「家なんか大嫌いだ!」と言うのを気に病んで、なんとか娘に家庭の団らんを取り戻してやりたいと苦肉の策で思いついたことらしい。
白羽の矢が立ったワンチャンは、生後1ヶ月ちょっとの赤ちゃん。
いつもの通りで、ツンとふてくされて帰宅した娘も、ワンチャンを見るなり、「なにい!」と表情がいっぺんにゆるゆるして、駆け寄る始末。至って単細胞な野郎だ。
最後に、カミさん曰く「仕事にも行かないでいつも家にいるあんたが、これから犬のごはんとウンチの始末するんだよ」。
あゝ、今頃になってまた子育てが始まるなんて‥‥
- 96.12.20(金)
- 今朝の朝日朝刊に、都立大学が中高一環校を設置する方針を盛った報告をまとめた(しかし、結局、何が決まったのか、さっぱり分からない)旨の記事が載っていた。
「高校受験をなくすことで、思春期の子どもへの責任を取り除くとともに、‥‥受験のための知識詰め込み型ではない教育をめざす」のだそうで、総長の山住正己氏によると「いわゆるエリート校でない公立の中高一環校のモデルケースとしたい」らしい。
この山住氏は確か、自由の森学園に設立当時から関わってきた人で昨年まで評議員をつとめてきたが、昨年の自由の森の買収問題をきっかけに評議員を辞め、自由の森と縁が切れてしまった人でもある。
その経緯を眺めていて、かつて、自由の森に「エリート校でない中高一環校のモデルケース」を託していたと思われる山住氏が、自由の森に見切りをつけたあと、改めて、自由の森設立の精神を都立大学の中で模索しているように思われて興味深かった。
何よりも、こういう「受験のための知識詰め込み型ではない教育をめざす」学校がニッポンにあちこちできるようになることが日本全体のみならず、自由の森というガッコウにとっても望ましいと思われる。なぜなら、これまで自由の森学園が「エリート校でない中高一環校のモデルケース」として事実上独占状態にあったため、この自由の森自体が「独占が否応なしに生み出す思い上がりや傲慢」から自由でなかったからである。しかし今後、この種のガッコウがあちこちにできれば、自由の森がひどければ単にここを捨てて、ちがうもっとましな所に移ればいいだけのことになる。思い上がりや傲慢というエリート根性が単純明快に罰を受けるだけのことである。その意味で、自由の森も傲慢不遜・エリート根性の温床というべき独占状態からやっと自由になれるというわけだ。
- 96.12.26(木)
- 佐渡に住むいとこが黒部で死んだという連絡が入る。軽自動車に乗って、夜中、T字路で10トントラックと衝突。30年以上、バスの運転手をしていた運転のプロの最後だった。
80になる父親とその弟が佐渡に向かうことになり、付き添いで私も同行した。
3人とも、冬の日本海を渡ることは初めてのことではないだろうか。その日、予報に反して、空は雲ひとつ、風ひとつなく、夕日がターナーの絵のように日本海に沈む中を船は出航した。お客は10人ほどだった。迫り来る闇夜の中を、デッキにのぼって空を眺めると、恐ろしいばかりの星のまたたきだった。今まで見たどれよりも激しく星が燃えさかる瞬間だった。それは奇跡のように思えた。私は、ひとりデッキにたたずんで、大海原の中を静かに進む船の中から、激しく燃え続ける銀河に向かって、死んだいとこの野辺送りをした。
翌日の葬式、空は荒れ、雪が舞い、船は欠航した。
思わず、オレはこんな死に方も生き方もしないぞと思った。
このホームページを喪に服すことに決めた。
Copyright (C) daba