はじめに 1

---- 魔法使いの発見 ----

9.21/96


 私はニッポンのベンゴシです。或る人に言わせると、何でも世間も最も恥ずかしい商売のひとつらしい。だから、恥ずかしさの余りこの業界からさっさと足を洗った者もいれば、また、恥ずかしさの余り自ら餓死して果てた者もいたらしい。では、どうしてそんな業界に足を踏み入れるようになったのかというと、これがどうも自分でもはっきりしない。確か、まわりの悪友どもにまんまと騙されて、この世界に引きずり込まれたことだけは覚えている。

 何でも、この業界ほどうわべは世間の覚えめでたく、これほどおそれられ、これほどうらやましがられて、その実、内心これほど軽蔑され、これほど馬鹿にされている世界もないらしい。だから、ベンゴシという肩書がつく者が何か犯罪でも失態でもしでかしたときなぞ、新聞やテレビはここぞとばかりに「ざま見ろ!」といわんばかりに大騒ぎする。先日も、某会社の法務部の人がベンゴシ会に講演に来て、講演のはしはしで、ベンゴシくらいいかがわしい、調子のいい商売はないと、散々皮肉を述べて帰って行ったが、そう言われても仕方あるまい。知れば知るほど、人がこの商売を嫌いになったとしても不思議でない。だから、騙されてとうとうここに身を沈める羽目となった私もこの業界から足を洗いたくて、ずっとその機をうかがってきたように思う。
 しかるに、或る時からその気がなくなってしまった。というのは、私はそれまで或る錯覚に陥っていたことに気がついたからである。

 つまり、ベンゴシという仕事自体がもともと最も幻想的な商売なのだ。なぜなら、ベンゴシとは、法律という、一見単純明快でありふれたものに見えてその実最も複雑怪奇でそれゆえ幻想的と言わざるを得ない本質を有する代物を取り扱う商売だから。それは、ちょうど貨幣という一見「自明で平凡な物のように」見えて、その実「形而上的な繊細さと神学的な意地悪さとにみちた、きわめて奇怪なもの」を取り扱う「ユダヤ人の金貸し」に似ている。彼らもまた古来から、世におそれられ、と同時に馬鹿にされさげすまれてきたのだから。
 だから、ベンゴシは本質的に魔法使いなのだ。私は、この魔法使いという発見が自分でも気に入った。

 そして、世に、このように恐れられると同時に馬鹿にされさげすまれる連中はいないものかと思って見渡してみると、芸術家がいることが分かった。芸術家とは、一見「自明で平凡な物のように」見える言葉や音や色といったものを使って、そこから魔術的で恐るべき非凡な芸術空間を作り出してしまうような連中のことだから。
 そして、この文字どおり魔法使いというべき芸術家が作り出した世界を法的に規制しようというのが著作権法にほかならない。元来幻想的ならざるを得ない法律が、よりによって最も魔術的な空間である芸術的な世界に入り込んでいって作られたのが著作権法なのだから、この著作権法が法律の中でも最も幻想的な法律になってしまって何の不思議もない。だから、著作権法をめぐる紛争がどれだけこじれるかは言わずもがなだろう。

 しかし、紛争とは元々「鏡」、それも最も残酷な「鏡」である。人の正体を情け容赦なく、あられもなく写し出す「鏡」です。だから、人は紛争という嵐を前にして、否応なしにわが身の正体を思う存分見せつけられることになる。それは一種のドラマであり、その意味で、紛争は人生のリトマス試験紙である。
 だから、数ある紛争の中でも最もこじれる著作権をめぐる紛争こそ、最もドラマチックで最も幻想的な見せ物であり、そこに立ち会った者は思わず笑わずにはおれない。かくして、著作権をめぐる紛争は笑いの宝庫となる。

 以下にお見せする文は、こうした魔法使いを自覚したひとりの人間の記録である。

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