ニフティの会議室での自己紹介

----加藤直之さんとの出会い----

1995.01.09

(・・・著作権法の森に保存)


コメント
 これは、2年ほど前、アメリカをうろついたのち、ニッポンで在日日本人として頑張るしかないと思ったとき、他方で、海外との交流をパソコンを通じてやっていきたいと漠然とインターネットのようなものを考えていて、その手始めとしてパソコン通信を始めようと思った。そのとき、私を助けてくれたのがイラストレーターの加藤直之さんだった。
 それで、加藤さんが熱心に参加していたニフティサーブのグラフィックフォーラムの「著作権の辛口味噌」という会議室に私も参加することになった。
これは、その時の初参加の自己紹介の発言です。当時の孤独感も反映していて、例によって饒舌です。



 はじめまして。昨年10月、通信ソフトの設定で格闘の末(?)挫折し、加藤さんに 救いを求めた者です。
 その時はただ、購入したAIWAのFAXモデムに付属のマニュアルが素人に全然理解不 可能な代物だったので、その憤りをぶつける相手としてたまたま加藤さんを選んだにす ぎなかったのですが‥‥どういう訳か、彼からすぐさま電話が返ってきて、助っ人をよ こしてくれたのです(kossさんです)。そのスピーディな対応ぶりにすっかり圧倒された のですが、さらにビックリしたことは、お礼を、という私の言葉に対し、kossさんは 「いりません。敢えて言えば、フォーラムに参加してどんどん発言してくれることがお 礼と言うことになります」という趣旨の返事(正確な内容は忘れた)だったことです。
 この一連の出来事は私に、5、6年前に読んだ「ハッカーズ」という本に登場するアメ リカのハッカーたちの精神を思い起こさせるものでした(おっ、ニッポンにも、やつら に負けないようなハッカー的精神を持ち合わせた連中がおったのか、と)。
 しかしその後、2カ月間というもの、私は(5年ぶりにパソコンと向かい合ったら、 昔の恋人にでも再会したように)ComNiftyと茄子Rを使いこなす作業にすっかり夢中に なり、毎晩のようにKossさんにラブレターの質問状書きに明け暮れ、肝心のフォーラム 参加の方はあっちいってホイでした。で、年が明け、ComNiftyと茄子Rにも少し馴染ん で、ひと頃の興奮も峠を越し(体もだいぶ参っ)たので、遅ればせながらフォーラムに 参加することにしたのです。
 私が加藤さんと知り合ったのは、次のような(殆ど無関係な)経緯によるものです。
 私は著作権の仕事を始めてから10年ほどになります。だいたい10年ひとつのこと を打ち込んでやっていると飽きがくるもんで、今は休業して、学生をしています。10 年ほど前は(ゼニになる)コンピュータの著作権問題も日本ではまだ殆どなく、その 頃、著作権をやるなんて唐変木かでくの棒にしか見られなかった。事実、当時、著作権 を専門にやる弁護士なんて日本にひとりぐらいしかいなかった。というのは、著作権紛 争は労多くして報われないため、著作権では到底食べていけなかったからです(では、 そのひとりの人はどうやって食べていたかというと、彼はNHK・松竹・ビクター・レ コード協会といった著作権ビジネスの大企業をこぞってクライアントに していたからで、この彼にして初めて可能だったのです)。では、なんでお前は、そん な食えない著作権にむざむざ首を突っ込んだのかというと、要するに、当時、あこぎな 弁護士稼業にすっかり嫌気がさしていたからで、著作権紛争が(みんな誰もやりたがら ないという意味で)当時最も弁護士稼業らしくない稼業に見えたからです。
 それで、著作権ビジネスの関係者がみんな参加しているという著作権資料協会(現、 著作権情報センター)という所に参加して、著作権の勉強を始めたのですが、どうした 訳か、ここに参加している連中の顔がどれもこれもすごく暗いのです。芸術は本来、歓 喜を求めて作成される筈なのに、その芸術に最も隣接した著作権の担当者が歓喜とは凡 そ無縁な暗闇みたいな顔をしているのでウンザリして、それで、夏の講習会のとき、壇 上から参加者全員に向かって、

 この勉強会では、単なる著作権の知識や情報を交換・収集するだけの場に 終わらせないで、できる限り、各分野の人達が日頃から直面している困難な 問題を出しあって、これについて納得がいくまで遠慮のない質疑応答を重 ね、たとえ直ちに解答が得られなくとも、せめて疑問点にひそむ本質的問題 まで明らかにし、順々にではあれ、確実に著作権における法律的な「考え 方」というものを理解し、これを身につけ、最終的には、各人が新しい問題 に直面した時でも自分の頭で自主的に考えていける能力を身につけられるよ う互いに鍛錬したいと考えています。
 そのためには、まず法律的な考え方の専門家である(筈の)法律家と、著 作権ビジネスの実態に通暁している第一線のビジネスマンとの共働作業が不 可欠と考えます。そして、この勉強会を充実したものにするため、私たちと しては、各人が対等であること、自主性を持っていること、目先の損得を考 えないこと、議論に際しては、間違いと失敗を恐れないことを基本としたい と思っています。

という呼びかけを行ったのです。しかし、結果は惨憺たるもので、誰一人賛同してくれ なかった(著作権ビジネスの連中とは、かくも覇気のない、しょうもない連中であった かと、思い知らされたのです)。しかし、これに懲りずに、当日参加した参加者全員に 改めて書面で、勉強会参加をアピールしたのです。そしたら、ちょっと目には一癖も二 癖もありそうなケッタイな連中ばかり集まってきたので、今から8年前、彼らと一緒に 勉強会を始めることになったのです。
 しかし、真面目に3年間も著作権法を勉強していれば、大方のことは分かってしまう ので、それで、4年目からはコンピュータをやろうということで、回路図やら人工知能 やら始めたのですが、私の関心がだんだん数学に傾いていって、ある日「コンピュータ の問題は全て数学の問題に置き換えられるのだ」ということを悟って以来、数学の勉強 会に変身してしまいました。こうして、5年目あたりから毎月数学の問題と取り組んだ のですが、さすがにケッタイなわがメンバーも(唯一、映画のプロデューサーの人を除いて) 誰も出席しなくなり、それで、この会も終わりにしましょうとメンバーに提案したとこ ろ、みんないやだというのです。それで、仕方なく、今更だらだら勉強してもしょうが ないので、これからはサロンということで、色々好きなことをお喋りしましょうと著作 権サロンを始めたのです。このように勉強会が終焉を迎えた段階で、だらけたサロンに さっそうと姿を現したのが、ほかならぬ加藤さんだったのです。そのため残念ながら、 加藤さんには、我が勉強会の絶頂期の白熱ぶりをお見せできず、さながら引退した選手 の老醜をさらけ出しただけで、失礼なことをしてしまいました。

 正直云って、今私はニッポンのことを考えるのがかったるくてたまりません。しか し、加藤さんは不思議な人で、最初見たときからぜったい日本人には思えないのです。 なりからして宇宙人というか、少なくとも外人(日本的なものから外の人)です。それ に、加藤さんって、(宇宙人らしく見えても)全然有名人らしく見えない。だって、す ごく優秀でしょ。それはこの会議室の彼の発言からして明白です。これに追い打ちをか ければ、彼はすごく原理原則的でありながら、なおかつおそろしく素直ですね。とても 日本人とは思えない。だから、私にとってここの会議室は、ニッポンの著作権ビジネス に最も欠けている在日外人的精神が満ち溢れる、極めて例外的で貴重な場に思えます。 だから、このような精神が溢れる場がニッポンにまだ残っている以上、そういう場で小鳥のように (たいそう柄が悪い駄鳥ですが)さえずってみようと思うのです。
 極めて私的なあいさつになりました。よろしくどうぞ。


注:ノラこと松井正道氏のこと。

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