弁護士の楽屋裏4

----紛争出生の秘密をめぐって----

1990.07.14

(・・・著作権紛争の森に保存)


1、雨漏りをめぐるトラブル
 ここ一週間は或る紛争処理に殆ど追われ、それは雨漏りをめぐるトラブルと いう平々凡々なやつでどうってことない紛争だったんですが、しかし、一区切 りついた一昨日、物凄い充実感で体中が高揚して止まなかったのです。
 この紛争は昨年、建築工事紛争審査会というところで一度調停になったので すが、そのときは解決に至らず、先日再度、この審査会の仲裁にかけられたも のです。私の依頼者は工事を担当した工務店(元々私はゼネコンがへどが出る 位大嫌いで、この工務店だけは山形出身のとても善良な人たちなので例外的に 仕事してるんですが)。この紛争の特徴は、まず雨漏りをめぐる延々15年間 にもわたる紛争であること、そして当初きわめて良好だった施主と工務店との仲 が或る時点からメビウスの帯のように逆転し、現在きわめて険悪な仲になって しまったが、果してどの時点でどのような理由から険悪な仲に逆転してしまっ たのか実に双方にとっても決定不能(不明)であること、ついでに施主という人が80 歳くらいのすっごく意気軒昂なジイサンであることかな。
 元々私は意地でも著作権の紛争しかやらないということで通してきたもので すから、建築工事の紛争には全くのド素人で、そのため昨年の調停のときは、 とにかく15年間分の雨漏りに対し工務店の無過失を立証するのに必死で、躍 起になって防戦したというだけという感じでした。
2、紛争物語の謎の解明
 しかし、今回は紛争物語としてきちんと組み立ててみようと思ったのです。
そもそも他人の弁護をやっていて一番辛いことは、自分で依頼者の身の潔癖さ に確信が持てないことと紛争発生の真の理由を把握できないことかな。
 それでこの事件のときも前回の調停の最中に依頼者と喧嘩したんですね。というのは、当初 、工務店の専務という人が訪ねてきて『わしらに何らやましいところはない。 先方の言われなき中傷・非難から会社の名誉を守ってほしい』と胸を張って述 べた言葉を信用して(たとえ、それがいい加減だったりするとしても、とにかく我々はまずは信用するのです。そして、後から遅れを取り戻そうとするのです)やっていくうちに、事実関係を細かく追ってい くと、15年間の歴史の中でどうしても埋められない空白部分が出てきたので す。その空白部分というのが、相手方も全然取り上げていない、事件では一見 瑣末な部分に属することでした。しかし、私にはその空白部分の前後で何かが 突然飛躍したように感じられて仕方なく(つまり連続性が損なわれたように思 えて)、その部分を埋めるため本人たちに事実聴取しましたが、結局解らずじ まいでした。ところが、意外なところからその謎が解けたのです。
 それは、先方のジイサンが江戸っ子の生まれで、どう勘違いしたことか私の こともてっきり江戸っ子だと思い込んで事務所にちょくちょく電話かけてくる ようになり(私の文書作成の基本方針が依然小林秀雄流で、とにかく「徹底的 にやっつける」ことを旨としているものですから、それでジイサン、江戸っ子 の小林秀雄と同じみたいに勘違いしたのかもね)、私には願ってもない情報収 集とコミュニケーションの場なものですから、楽しくヘラヘラとお喋りをして いるうちに、ジイサンがふと『先代の社長のときは良かった…』と洩らしたん です。むむっ、これは何だ?今まで先代の社長の話なぞ一度も出てないぞ。さ っそく確認してみると、この先代の社長が亡くなったのがちょうど問題の空白 部分の時期。ここで社長が現在の若社長(だいたい私の辞書ではバカしゃちょ うと読む)に交代している。そこで、雨漏りというシビアな状況にある本件の 人間関係が一挙に悪化した。そしてこのときジイサンは、ちょうど今から2100 年近く前、漢の名将李陵が時の皇帝武帝により一族をいわれなき理由によ って誅殺されたとき、それまで誉れ高く思ってきた過去の「武帝と一族との関 係」を全て否定し去り、
『我が一族は今まで常に武帝に呪われてきたのだ!』
と正反対に読み替えたように、彼も過去というテクストを
『そうだ、わしの家は今まで常にあの工務店の手抜き工事に呪われてきたのだ!』
と読み替えてしまったのだ。それが本件紛争出生の秘密の場であり、あのメビウスの帯が逆転 した跳躍の場なのではないか……
 そう思って再度、工務店の専務に問いただすと(だいぶ私の聞き方がきつか ったらしく、彼は顔を真っ赤にして)、正直に白状してくれました。そして、 わざわざ遠方から私のような若造に弁護を頼んできた本当の理由は、同じく若 造で未熟者の若社長と遠慮気がねなく話をして、彼の力になってほしいからだ と初めて打ち明けてくれました。私は隠し事をされたという無念さでむかっ腹 を立てましたが、この時専務が心から詫びる態度を見て、また二代目バカ社長 をめぐる懊悩の深さという事態もよくわかりますから、むしろ私のような若造 の詰問を逃げずによくぞ受け止めてくれたということでコミュニケーションは 回復したと信じ(ここでも決断で信ずるしかないのですが)、気持ちを一新して事件処理 に当たり、なんとか調停では工務店の無過失が認めてもらえたのです。
3、紛争の媒介者としての工夫
 という訳で、今回の仲裁事件も基本的にはこの調停の時の延長でした。たゞ 今度は、依頼者の身の潔癖さ(の程度と言った方が正確)に確信が持て、紛争 発生の真の理由もだいたい把握できていたので、あとは仲裁の委員たちに、この本件紛争全体の風 景をいかに分かり易く描いて見せるか、特に紛争発生の最大の原因となってい る施主の一貫した「天上天下唯我独尊」的な性格をどう暴いて見せるか、そし てこいつをどうおちょくって反論していくか、に専念するだけでした。
 今回は、審査会に提出する答弁書なるものを作成するのが目的でした。元々 私は自分の性で、普通、弁護士がぼちぼち進めていくようなゆっくりしたペー スの仕事ぶりが大嫌いで、いつも相手の予測を覆すようなスピードと内容でも って相手に激突したいという根深い渇望があるものですから、今回もいわば紛 争の二回戦にあたるこの冒頭の段階で一挙に勝負を掛けようと決め、証拠に主 張に全面展開をすることにしました。
 こういう作業というのは、私の場合やり出したらどうにも他のことは考えら れず、この15年紛争物語だけが脳裏を駆け巡り、まだ何も知らない観客であ る仲裁委員の人たちに、どうしたら一読しただけでこの紛争物語を明快で正確 に理解してもらえるか、トイレの中とか電車の中でもあれこれ考える訳です。
そして、答弁書の全体構成をきめて、その次にストーリーラインをがちゃがち ゃメモしながらきめていき、まずは第1稿を言葉にしてみるのです。私の場合 、この第1稿というやつが殆どハチャメチャで、あたり構わず訂正、挿入、挿 入の挿入、その訂正etc.……まさに頭の中から取り立てのなまの紛争物語とい った感じ(依頼者にはとても見せられる代物ではない)。しかしいくら混沌と した表現といっても、やっぱり、紛争物語のストーリーはこの段階でちゃんと 決まってしまっていて、その後の直しは何回やっても、そのやり方はあたかも 円錐形を輪切りにしたような感じで、段々細かくなっていって最後に完成とい う塩梅。不思議なもので、最後の直しになってから、もう一度構成なんかにこ だわってこれを変更するのは生理的にすごくシンドイ。
 もともと私の場合、形式的な論理的整合性とか個々の表現の仕方とか細かい ところには割りと神経を配る反面、紛争の風景・イメージといった大局的なと ころがどうしても弱かった。その弱点ぶりを昨年暮れに初めて意識して、紛争 の風景・イメージさらには紛争の構造を探究する紛争学(私の造語ですが)な るものを是非ともやろうと思い、その中で森センセの「数学の風景をイメージ する」話に出会い、あっ、オレが捜し求めていたのはこれだわ!といたく感銘 を受けたのです。そして、今回の事件ではじめて、紛争の風景の把握から始ま って、紛争物語のストーリーを細部にわたるまで首尾一貫した主張で表現する という作業を、曲がりなりにもなし遂げることができ、その全的な体験にひと つの冒険をなし遂げたようなスリリングな高揚があったのです。
 それで、完成した答弁書を工務店の例の専務に見て貰ったところ、彼は『良 くここまでわしらの気持ちを言い切ってくれた』とすごく喜んでくれ、そして 色々質問するんです。他方、私は根がお喋りでありますから、こういう質問に は際限なくペチャクチャ喋って止まないのです。この専務を素晴らしいと思う のは、彼は法律には全くの門外漢なのに、どんどん質問をしてきて、心から分 かろうとするからなのです。だいたい弁護士っちゅうものは自分の言うことを 黙ってハイハイ聞いてくれるような依頼者を好むもので、しかし、私はこうい う愚民政策主義者が大嫌いだし、また、ネェ、センセなんて猫なで声で甘えるだけの 阿呆な依頼者も劣らず大嫌いだから、この専務はすっごく貴重な人なのです。
 先日、今回の事件の打ち合わせのため、はるばる依頼者の会社までいって、 夜、ちいさなお店で専務たちと飲んだんです。朴訥を絵に描いたような人達と 酌を交わしながら、ふと、こんなあこぎな商売をしていても、巡り合わせで、 こういう幸せな瞬間と遭遇することもできるのだ、有り難い、なんとも有り難 いことだと、思わずあの紛争というやつに感謝を捧げてしまった次第です……

かくして、わたくし、紛争大〜好き!のへんてこオジンになりそうです、マル。


森センセ:例によって、京大で数学を教えていた森毅のこと。

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