相続制度の根拠について

2003年5月14日

相手方代理人(私)は、正直なところ、本件の遺産分割調停に関与してきて現行の相続制度の不条理感といったものをずっと感じてきたが、しかしその理由を明確に掴めなかった。しかるに、ここに至り、その理由が明確になってきたので、最後に、本件の遺産分割を考える際のバックボーンとなる相続制度の根拠というものについて、一言言及しておきたい。

私が、ここで相続制度の根拠に目を向けたいと思ったのは、何も特別なことではなく、むしろ困難で厄介な問題に直面した際の基本原理のようなものである。つまり、困難な問題のときには絶えずその制度の根拠・存在理由に戻れ、ということである。

現に、つい先ごろも、最高裁は、非嫡出子の法定相続分を嫡出子の半分としている民法の規定について、判決中で、「事実婚、非婚の増加傾向と国民の意識の変化には相当のものがあり、区別を正当化する社会的事情や国民感情は失われたのではないかとすら思われる」とその正当性について吟味したが(平成15年4月 日最高裁第一小法廷判決)、ここからも、法律とはが単に条文があるからそれが適用されるのではなく、その条文を正当化する根拠があって初めてその法律が適用され得るもの、なおかつその正当性の範囲でのみその条文は自分を主張し得るものであるということが明らかである。


今回、私が、改めて吟味したいと思う相続制度の根拠というのは、子が相続権についてである。他方で、昔からのことわざとして「子孫に美田を残さず」と言われているが、では、法律上、なにゆえ、子は親の遺産を相続できるのか、その根拠、正当性はどこにあるのか。

正直なところ、相続に関する専門書を読んで瞠目することは、現行法の相続制度の正当性というものを専門家とて殆どまともに説明できていないということである。現に、相続法の大家中川善之助ですら、現行法の相続制度について、そのズサンさを次のように指摘している。

遺留分に関係なく、もし共同相続人の一人が、遺産分割前に、その相続分を第三者に譲渡すると、他の共同相続人は、その価額と費用を償還しさえすれば、折角いい家を買ったといって喜んでいる第三者から、むりやりその家を取戻してくることができる仕組みになっている(905条)。その他、欠格だ、廃除だ、非嫡出子や半血兄弟は半分だというような細かい規定も、みんな前の時代の集団所有に繋がりを持っているともいえる。(法律学全集「相続法」6頁)


その意味で、現行法の相続制度についても、改めて、その根拠・正当性をきちんと吟味した上で、その適用がなされなければならない。

この点、前述の中川善之助は、「現代における相続権の根拠」を、次の3つに求める(同上7頁)。
1、 遺産の中に含まれてはいるが、もともと相続人に属していた潜在的持分ともいうべき財産部分の払戻し
2、 有限家族的共同体が、その構成員に与えるべき生活保障の実践
3、 一般社会取引の要請する権利安定の確保
このうち、3は被相続人の債務の相続に関することであり、ここでは取り上げない。

同じく民法の大家である我妻栄は、相続権が与えられる根拠について、次のように述べている。

遺言のない場合の一種の補充規定であり、‥‥法は無遺言相続に備えて、人類の本然の愛情・近代市民の共通の意識を推測して、相続人の範囲とその順位とその相続分を定め、遺産の承継を認めている。(民法V親族法・相続法251頁[一粒社])


 つまり、相続権の根拠は、つまるところ「人類の本然の愛情・近代市民の共通の意識」に求められるというのであるが、しかし、問題はこの抽象的な表現の具体的な意味である。その具体的な意味について、我妻栄は、被相続人の意思に反してまでも、配偶者と子に相続の権利を主張させることを認めた遺留分制度(その意味で、この制度こそ配偶者と子の立場からみた相続の権利というものを最も端的に物語る制度である)の根拠を検討する中で、その根拠を次の2点に求めている(同上252頁)。

1、 その一つは、夫婦が生活を共同にし、その共同生活における責任を分担するのに、それを本拠とする経済活動が夫婦の一方、多くの場合に夫によって、或いは夫名義によって行われる結果、財産の蓄積が夫名義で行われるという点である。いいかえれば、妻が潜在的な共有者であって、夫の死亡によって、夫婦の共同生活が終了する場合にその顕在化――形式的には相続――が要求されるのである。
2、 その二つは夫婦親子の間では、相互に扶養の義務を負担している。公的な扶助の制度が完備していないところでは‥‥扶養義務の延長として、死者の財産の一定の割合をその財産に依存した者のために留保することが要求されるのである
(太字部分は相手方代理人による)。


 このように見ていくと、配偶者(主に妻)の場合、一定の相続分が認められる根拠・正当性というものは、
1、もともと妻は潜在的な共有者であり、夫の死亡により、夫婦の共同生活が終了する場合にそれが顕在化する(中川善之助の前述の指摘の1に相当)。
2、相互に扶養の義務を負担している夫婦の間で、扶養義務の延長として、死者の財産の一定の割合をその財産に依存した者に残す(中川善之助の前述の指摘の2に相当)。
という2点にあることが分かる。現に、本件の相手方も、もっぱらこの2つの趣旨で自らの権利を主張してきた。

 しかし、これに対し、子の場合に、一定の相続分が認められる根拠・正当性は何か?というと、それは以上の吟味から、次の1点に尽きると言えよう。
相互に扶養の義務を負担している親子の間で、扶養義務の延長として、死者の財産の一定の割合をその財産に依存した者に残す。

そうだとすると、ここから導かれることは、
親から扶養義務を果してもらい、成人して扶養を終了した子には、原則としてもはや相続分を主張できる根拠・正当性はないということである。

従って、本件では、既に主張・立証した通り、被相続人は子である申立人に対し、既に完璧なまでに扶養義務を果しており(それどころか、それ以上に相続分の前渡しさえ済ませている状態である)、それゆえ、このような子の相続権の根拠・正当性に照らせば、実は、申立人には自らの相続権を主張する根拠はもはやないと言わざるをえない。相手方の主張のバックボーンにあるのはこのような認識である。

これに対し、申立人は、いや、現行法は、子の相続権を、その扶養義務の終了の有無を問わず、認めているではないかと反発するかもしれない。いかにも、条文は形式的にはそのように読めないわけではない。しかし、既に前述した通り、また最高裁も認めるごとく、法律の解釈は条文の形式で決まるものではない。あくまでもその制度の根拠・正当性に基づいてのみ初めてその存在とその存在範囲を主張し得るものである。

その意味で、既に扶養義務が終了した子の場合、原則として相続の根拠はもはやないのであるが、しかるに、もしそのような場合でも、なお扶養義務が終了した子の相続権が認められる根拠を探究しようとしたら、それは果してあるのだろうか。最後にそれについて一言言及しておきたい。

 これについては、なお、次の2つのケースについてその検討が考えられる(ここでは、焦点を絞るために、相続人を配偶者と子だけに仮定する)。

1、まず、相続の時点で、配偶者が既にいない場合、つまり相続人が子のみの場合、
このとき、もし子の相続権を否定すると、相続財産は無主物となり、国家に帰属することになるが、しかし、もともと個人の相続財産をそこまでパブリックな扱いをすることは適切ではないという価値判断が働き、そこで、その相続人に最も近いポジジョンにいる子に相続させることが正当化されたと思われる。つまり、そのような子に相続させる積極的な理由は何もないが、かといって、無主物=国有化とまでするのは不適切なので子に相続させるという消極的な理由が、その唯一の正当性として考え得る。

2、次に、相続の時点で、配偶者と子がいる場合、
このような場合、本来なら、すべて配偶者が相続するという扱いこそが、前述の相続の根拠に照らし明快であり、正当性を備えているというべきである。しかるに、なぜ半分を子が相続できるのか。そして、現実にも、このような扱いに対し、世の中ではとりたてて声高に異論が唱えられていないように思えるが、その本当の理由は何か。
思うに、このような場合、通常、子は残された配偶者(つまりそれは子からみて実親である)を養育するという義務を負っていて、それを果すことが期待・予定されているからである。つまり、子が半分相続するといっても、その反面、子は残された配偶者(子の親)の面倒を見なければならないのであり、その意味で、子の相続分はいわば残された配偶者の扶養義務の遂行にとって必要な財産として渡されたものとしての意味を持ち、その限りで初めて、子の相続権が正当化されるのである。

ところで、本件は2のケースに該当するのであるが、しかるに、本件では、通常のケースと異なり、親子の関係になく、子(申立人)は配偶者(相手方)に対する扶養義務はない。また、申立人が事実上それを実行する気配もない。つまり、既に親から扶養義務が果してもらい成人した子に唯一考えられる相続権の根拠・正当性である「残された配偶者に対する扶養義務の遂行」は本件においては一切認められないのである。それゆえ、この点においてもまた、申立人は、自己の相続分を主張する根拠・正当性を持ち合わせていない。

以上の通り、一方で自らは成人するまで扶養義務を十二分に果してもらい、他方で、残された配偶者に対しては扶養義務を果す必要の全くない申立人がただ相続財産だけを主張するということはどう考えても理不尽であることが、相続制度の根拠・正当性に照らし明らかになったと思う。
「子孫に美田を残さず」ということわざは、実に、今なお現代の相続制度の正当性に通じる普遍的な原理である。

 言うまでもなく、本件の遺産分割においても、こうした相続制度の根拠・正当性を踏まえた条理に適った解決を目指すことが要求されているのである。

以 上