◆H 8. 9.30 東京地裁 平成03(ワ)5651 著作権 民事訴訟事件
主 文
一 被告日本放送協会、被告布川憲二及び被告仁平雅夫は、原告に対し、連帯して金一八〇万円及びこれに対する平成二年一一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告日本放送協会及び被告仁平雅夫は、原告に対し、連帯して金六〇万円及びこれに対する平成二年一〇月一八日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、原告に生じた費用の八分の三、並びに、被告日本放送協会、被告布川憲二及び被告仁平雅夫に生じた費用の各二分の一を、被告日本放送協会、被告布川憲二及び被告仁平雅夫の連帯負担とし、その余を原告の負担とする。
五 この判決は、第一項及び第二項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
一 被告らは、原告に対し、連帯して金六〇〇万円及び内金二〇〇万円に対する平成二年一〇月一八日から、内金四〇〇万円に対する同年一一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告NHK及び被告仁平雅夫は、原告に対し、連帯して金二〇〇万円及びこれに対する平成二年一〇月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告谷本一之及び被告日本放送協会(以下「被告NHK」という。)は、原告に対し、北海道新聞全道版及び札幌市で発行する朝日新聞道内版の社会面に、別紙目録一及び二記載の謝罪広告を別紙目録三記載の形式で各一回掲載せよ。
第二 事案の概要
本件は、原告が、
1 被告らに対し、
(一) 被告谷本が出演し、被告NHK函館放送局(以下「函館局」という。)の被告布川、被告仁平が共同して製作に関与し、被告NHK(函館局)が製作して北海道で放送したテレビ番組「ほっかいどうスペシャル・遥かなるユーラシアの歌声ー江差追分のルーツを求めてー」(以下「本件番組」という。)によって、原告が著作した小説「ブダペスト悲歌」(以下「本件小説」という。)の著作権(翻案権及び放送権)が侵害されたとして、著作権使用料相当損害金一〇〇万円、著作者人格権(氏名表示権)が侵害されたとして慰藉料五〇万円、及び、右各損害金に応じて案分した弁護士費用合計五〇万円についての共同不法行為による損害賠償、並びに、これらに対する共同不法行為後の遅延損害金の連帯支払いを、
(二) 本件番組の放送、被告NHKが行った本件番組の全国放送用の宣伝、被告布川の本件番組の視聴者に宛てた手紙、及び、新聞、週刊誌に掲載された本件紛争についての被告布川のコメントによって、原告の江差追分についての研究者及び本件小説の作家としての名誉権が侵害されたとして、慰謝料三〇〇万円及び弁護士費用一〇〇万円についての共同不法行為による損害賠償、並びに、これらに対する共同不法行為後の遅延損害金の連帯支払いを
2 被告NHK及び被告仁平に対し、本件番組の製作、放送によって、原告が著作したノンフィクション「北の波濤に唄う」の著作権(翻案権及び放送権)が侵害されたとして、著作権使用料相当損害金一〇〇万円、著作者人格権(氏名表示権)が侵害されたとして慰藉料五〇万円、及び、右各損害金に応じて案分した弁護士費用合計五〇万円についての共同不法行為による損害賠償、並びに、これらに対する共同不法行為後の遅延損害金の連帯支払いを、
3 被告NHK及び被告谷本一之に対し、右1(一)及び2の著作権及び著作者人格権侵害行為により、著作権法一一五条に基づく別紙目録一記載の謝罪広告の掲載、並びに、右1(二)の名誉毀損行為により、民法七二三条に基づく別紙目録二記載の謝罪広告の掲載を
それぞれ求めるものである(被告NHKについては、右1ないし3の被告布川、被告仁平の行為についての民法七一五条に基づく使用者責任を含む。)。
一 基礎となる事実
1 当事者等
(一) 原告は、朝日新聞に勤務する傍ら、江差追分に関するノンフィクション「北の波濤に唄う」(昭和五四年三月三〇日講談社発行、昭和六〇年一月二〇日朝日新聞社(朝日文庫)発行)、及び、江差追分の起源を一つのテーマとした本件小説(平成元年四月一〇日新潮社発行)を著作した。(甲一、二、二二、乙一〇四)
(二) 被告NHKは、平成二年一〇月一八日、本件番組を北海道でテレビ放送した。(争いがない。)
(三) 被告谷本は、本件番組放送当時、北海道教育大学学長であり、かつ、ハンガリー音楽の研究者であるとともに、アイヌ音楽、エスキモー音楽等の北方民族音楽のすぐれた研究者でもある。(争いがない。)
(四) 被告仁平は、本件番組放送当時、被告NHKの函館局放送部副部長であり(争いがない。)、本件番組製作の現場責任者として、同局職員太田浩一朗(以下「太田」という。)を指揮するなどして本件番組の製作に関与した。(乙一二、一〇二、一一二、被告仁平)
(五) 被告布川は、本件番組放送当時、函館局放送部長であり(争いがない)、本件番組の製作について被告仁平及び太田を監督する立場にあった(乙一一二、被告仁平)。
2 本件小説の内容
(一) 本件小説の概略は、概ね次のとおりである。(甲一)
(1) 組織の主流からはみ出した社会部の新聞記者の秋間は、三年前から休暇を取っては江差町に出かけるようになり、追分節に託して自分の胸中を描いたノンフィクション「彷徨える旋律」という本を執筆したが、その本がきっかけで、日曜版に連載する「世界歌物語」の執筆スタッフに抜擢された。
(2) 秋間は、そのころ、札幌の大学で民族音楽論を講じる谷川英之と会い、ハンガリーのセーケイ教授より、最近ブダペストの国立音楽アカデミーにある録音テープの中から、日本の追分節とウリ二つの曲が見つかったとの連絡を受けたとの話を聞き、右の曲と追分節との関係を探り、世界歌物語を執筆するため、ハンガリーへ取材旅行をすることになった。
(3) 秋間は、ブダペストで、セーケイ教授から江差追分とウリ二つの曲のテープを聞かされ、かつ、その曲が葬送歌であるとの説明を受け、江差追分も葬送歌である旨を説明した。
(4) セーケイ教授によれば、右葬送歌は、四、五世紀ころからウラル山脈に居住しているオスチャークやヴォグールによって現在まで歌い継がれているとのことであった。
(5) 秋間は、ブダペスト滞在中に、五年前から国立リスト音楽院ピアノ科で学んでいる日本人留学生野島友子と出会ったが、友子は、ハンガリー人の恋人ミクロシュとの別れを決意したところであり、秋間の著書「彷徨える旋律」を通して、秋間に惹かれていく。
(6) 秋間は、追分節とハンガリーの葬送歌との関係について取材を続け、@フン族については、五世紀末ころ、アッティラの死後に、その息子チャバに率いられて、東の果てまで駆けて、ヨーロッパに現れるよりはるか以前の故郷へ帰ったのであるが、それは大海のほとりであるとの伝説があったこと、A続日本紀によれば、八世紀ころ、東北地方に勢力を張った蝦夷一族の英雄阿弖流為がいて、大和朝廷軍を相手に騎馬兵を率い、毒矢を放って果敢に抵抗したことで知られており、いったん退却すると見せかけ、敵を油断させておいて急襲するとの戦法もとったことが記載されていたこと、Bアッティラとは、古代ハンガリー語でアテレ又はエテレと発音され、阿弖流為(アテルイ)と類似の発音であることと、いったん退却すると見せかけて急襲するという戦法は、アッティラのフン族と全く同じ戦法であることを総合すれば、チャバがたどりついた大海のほとりとは、日本海であり、阿弖流為は、フン族のアッティラの子孫であると推測されること、以上@ないしBから、チャバが五世紀末に東へ駆け、ボルガを渡りウラルを越えるときに、途中で幾つかの種族がこれに合流したが、当時ウラル山脈付近で遊牧生活を送っていたオスチャーク、ヴォグール、及び、ハンガリー人の先祖マジャール族の一部やマジャール族の歌姫もこのときこれに合流し、オスチャークやヴォグールが今も歌っている葬送歌(ハンガリーで発見された葬送歌)は、このとき東への旅に出て、チャバにより日本へ伝えられ、追分節として残っているのであり、長い歳月をかけてユーラシア大陸をさまよった右葬送歌の西の終着駅はハンガリー、東の終着駅は江差であるとの構想を得たものであり、帰国後に「ユーラシアの悲歌」と題して右の構想で執筆する予定であった。
(7) ハンガリーでの取材をほぼ終わった秋間は、友子とトカーイへ旅をして結ばれ、その後、友子がリスト音楽院を卒業したら迎えに来ることを約束して帰国する。
(8) 日本に帰った秋間は、補足の取材を行い、一週間かかって、前記の構想に基づいた原稿を書き上げ、そのタイトルを「ブダペスト悲歌」としたが、その原稿については社内の局長会議での了承も得られ、編集幹部からもねぎらいの言葉を受けた。
(9) 秋間は、東北旅行の計画をし、一方、友子も、年末に一時日本に帰国することになり、一緒に東北へ旅行することになったが、友子は、そのころピアノのコンサートへの出演依頼を受け、帰国をあきらめていたところ、ミクロシュに連れ出され、交通事故のため死亡する。
(10) 秋間は、友子と一緒にくるはずだった恐山で、友子の死の知らせを受けるが、傷心の秋間の耳に、ラジオの音か、チャバや阿弖流為の葬送歌か、遠くに幽かな歌声が聞こえた。
(二) 本件に関連する本件小説の内容の一部を抜粋すれば、次のとおりである。(甲一)
秋間は、江差追分の歌詞の一つを教授に紹介して、それが船出する恋人との離別を意味すると同時に、死者が無事にあの世に行けますようにとの祈りをも表現しているのだ、と説明した。
「不思議な一致です……」
セーケイ教授はそう言ったきり、何か考えこむ表情になった。
部屋にしばしの沈黙がきた。そろそろ日暮れに近いのか、窓の向こうのドナウ河にかかるチェーンブリッジのイルミネーションが、瞬きはじめている。その下を平ベったい荷船をひく動力船が、舳先を波だたせて上流に向かっているのが見えた。「うーん、この一致を秋間さんが物語のなかでどう描くか、興味深いですね」
教授が、夢からさめたように、言った。
「御教示のほど、よろしくお願いします」
「いや、私こそ貴重な事実を教えられました。さて、もういちどお聴きになりますか」
教授はまたテープを回した。女の歌う旋律に合わせて、秋間は低くハミングをのせてみた。薄暮の古都の空に即興のハーモニーが消えていった。
「やあ、これは素晴らしいアジアの競演だ」
教授は拍手し、秋間に握手をもとめた。
「ずっと昔から、この歌を知っていたような気がします」
「なるほど。アジアの血でしょうな。同じ五音音階でも、
中世ヨーロッパのグレゴリア聖歌を歌うのとはわけが違いますからね」
「ところで、この葬送歌の起源ですが……」
「ええ、千五、六百年、いやもっとさかのぼるかもしれませんよ」
教授は自信たっぷりにそう言うと、
「ちょっとお待ちください。エスプレッソを淹れてもらってきますから」
と言い残して、部屋を出ていった。
冬時間のブダペストは日暮れが早い。チェーンブリッジの光の瞬きも赤みを増している。その点滅を見つめながら、秋間は頭のなかを整理してみた。まず第一にテープの曲が葬送歌だとわかった。ここに追分節との関係を考える大きな鍵がありそうだ。そして、千五、六百年以上もさかのぼる歌の起源‥‥‥。千五、六百年前と言えば、ヨーロッパから朝鮮半島に至るユーラシア大陸の各地で、フン族やゲルマン族などの大規模な民族移動が起きた時代ではないか。まだ神話時代にあった当時の日本列島にも、大陸から続々と人や物が渡ってきたらしいことは、様々な考古学上の史料が物語っている。
(もし追分節の起源もその時代に求められるとすれば……)
秋間の頭のなかで、何かがひらめいた。それはまだ曖昧模糊としているが、遠く離れて見る花火のように、静かに、しかし鮮烈な光芒を内に秘めて炸裂しようとしていた。
そのとき、教授が戻ってきた。
「どうも、お待たせしました。エスプレッソを喫みながら、話しましょう」
赤い花絵柄のカップに入った真っ黒なハンガリー風コーヒーが、クリームと角砂糖とともにテーブルに並べられた。
「さて、起源の問題ですが、秋間さんはソ連領ウラル山脈の麓、オビ河の流域で生活するオスチャークやヴォグールのことは、ご存じですか?」
一口すすって教授が訊いた。
「確か、ハンガリー人と同系の少数民族だったですね」
教授が彼らの音楽の権威であることは、出発前に谷川から聞いた。
「そうです、我々の本家筋に当たると言えばいいでしょうか。ハンガリー人は現在でこそヨーロッパに定着していますが、千五、六百年前まではウラル山脈から西シベリアにかけての地域で彼らと一緒に暮らしていたのです。共通の言語を話し、同じ歌を歌っていた。
現代語だって、そっくりですよ。手はケーズとケーツ、魚はハルとフル、とせいぜい方言の違いです」
「そして、このテープの葬送歌もそのころから歌われていた、と?」
「はい、その通りです」
「それは証明できるのですか?」
「同じ曲をオスチャークとヴォグールが今日も歌っています」
「ほう……」
「私もこの耳で聞きましたが、まさにウリ二つ、です。まさか現代になって、我々がレコードかなんかで教えたなどとは、お考えにならないでしょうね。」
と、教授は笑った。
(本件小説三二〜三四頁)
・・・殺しだ誘拐だと殺伐な事件を追いかける目つきの鋭い新聞記者が、翌日は港町で追分節の世界にどっぷりとひたっていた。彼(注 秋間)のまわりにはいつも追分を歌う人たちの輪ができた。漁師がいて、坊さんがいて、ローカル線の駅長がいた。飾り気のない荒削りな語り口が、昼間みた秋間の風貌を思い出させた。
江差と同じ北海道に生まれ育ちながら、何ひとつ知らなかった追分節について、友子はいろいろなことを教えられた。追分節には信濃追分、越後追分、佐渡の小木追分、秋田の本荘追分など数多くの種類があるが、ふつう追分節と言えば江差追分を指すこと、主に北陸から東北地方にかけての日本海沿岸に分布し、北へ行くにつれ旋律は少しずつ変化すること、北海道には江差が鰊漁で栄えた江戸時代に伝播し、そこで練りに練られて今の歌型に仕上がったこと、曲の起源については諸説あり、騎馬民族系の渡来人がユーラシア大陸の何処かからもたらしたとする説が有力であること‥‥‥。作者はそんな歌の歴史を随所で語り明かしながら、歌をとり巻く様々な人たちとの交わりを何の飾りもなく描いている。友子は知らず知らずのうちに惹き込まれていった。
追分節は時に漁の歌になり、馬車を追うときの歌になり、祝い歌になり、また或る時は死者を送る通夜の歌にもなるという。<私>の口を借りれば、それは遠い嶺に煙がたなびくような旋律である。不思議だった。読み始めてからじきに音を感じた。いちども意識して聴いたことのなかったその旋律が、とつぜん耳の奥で鳴り始めた。
或るときは甘く、或るときはささやくように、また或るときは嵐のように‥‥‥。言いようもなくなつかしい感情に胸を揺さぶられた。ショパンやリストやドビュッシーからは感じたことのない、素朴で豊かで温もりのある未知の音楽世界が、友子の目の前にひらけてきた。(同九五頁)
・・・追分節と葬送歌のメロディー、セーケイ教授の話、チャバ伝説、チャバハロムの丘の光景……。(注秋間は、)あれやこれやと考えているうちに、眠りに落ちたようだった。
……月明かりの下を騎馬の群れが駆けて行った。何百、いや千に近い数であろう。馬はすらりと四肢が長く、栗毛に鹿毛に葦毛と様々な毛色である。群れのまんなかには、家蓄や道具や女や子供たちを乗せた馬車も行く。武者たちの服装は襟をぴたりと合わせた筒袖のシャツと革のズボン。耳まで覆った獣毛の帽子をかぶり、胸には短い鎧、腰には衣服の乱れを防ぐための革帯をつけ、革の長靴をはいている。その顔立ちは見る角度で日本人のようにも思え、彫りの深いヨーロッパ風ともとれる。
一隊ははるかに海を望む岬にきて、馬を休ませた。
顔は蒼白いが見るからに精悍そうな感じの男が先頭にいた。
「我々はこれから海を渡る。行き先は倭の国の北部。そこには我々の近縁の種族が棲みついているはずだ。彼らと力を合わせ、新しい国を建てるのだ」
(あれはフン族のチャバだ)
秋間がそうつぶやいたとき、隣に甘い匂いをさせて女がきていた。
「そうよ、あれが私たちの首領のチャバよ」
「おや、友子さんじゃないか」
巻き毛気味の長い黒髪、瞠いたような大きな瞳、高くはないが形のいい鼻、ふくらみのある花の蕾のような唇……。そのどれもが野島友子のものだった。
「いいえ、私は一族の歌姫ですわ」
女は不思議そうな顔をして秋間を見つめた。
「歌姫だって?」
「ええ、闘いに斃れた戦死を弔う葬列の先頭に立って、私が歌うのですわ」
「……葬列?」
「葬列には歌姫たちの他に、笛を吹いたりツィターや鉦を鳴らす人々も加わるのよ」
そう言って立ち上がると、足元まですっぽりと隠した長い紫の衣装を、小刻みにふるわせながら葬送歌を歌い始めた。何処からか、長く尾をひく笛とツィターの音が重なってきた。
「それは、マジャールや、オスチャークやヴォグールが歌う葬送歌だ」
秋間は叫んだ。
「あら、よく知ってらっしゃるのね。でも、あなたはこの葬送歌を一番昔から歌っていたのがアッティラ王のフン族だったことは、ご存じなさそうね」
「フン族の葬送歌だって?」
「そうよ。もともとフン族やマジャール族も、それからオスチャークやヴォグールも、お互いに皆親しく付き合っていたわ。ユーラシアの一つの大きな輪のなかでね。そこでは歌も踊りも、あるいは言葉さえ共通だったわ。時代とともに、その輪がばらばらに崩れ、兄弟たちは西に東に散り散りになったの。もちろん葬送歌もね」
「一つだけ教えてくれないか」
「何かしら?」
「チャバハロムの丘の葬送歌は、いったいフン族の名残なのか、それとも後にウラル山脈から出てきたマジャール族の歌なのか?」
秋間はこの夢がさめないうちに、と興奮して尋ねた。
「さあ、そんな後世のことは私にはわからないわ。たぶんフン族がまずハンガリーに伝え、後はマジャール族が歌い継いでいったのでしょうね」
「わかった。それで友子さん、いや、きみもフン族の娘なのか?」
「私はチャバの一向に途中で合流したマジャール族出身の女ですわ」
「合流したって?」
「そうよ。ウラル山脈の西で一行に加わったの。マジャールの本隊は西へ向かったけれど、私たちの一族は羊を生贄にして占った結果、チャバと運命を共にすることにしたの。チャバはアッティラ大王の死後、故郷をめざして東へ東へと駆けたと話しているわ。ボルガを渡りウラルを越え、ゴビの砂漠を突っ切り、そして今ようやくここまでたどりついたというわけなの。どこにも安住できる故郷なんか残ってなかったのね。同じような故郷を失った人々が途中で合流したので、ごらんのように一行は大部隊にふくれ上がったわ。そして、今、海を渡って倭国へ行こうとしているところなの」
女の話を聞いて、これは俺の描こうとしている物語とそっくりだ、と秋間は驚いた。
「いったい、今は何時代なのだ?」
「五世紀もあと残り少なくなったわ」
「えっ、五世紀だって?千五百年も昔じゃないか」
秋間がびっくりしていると、そこへ白馬にまたがったチャバがきた。
「そう、今は五世紀だ。あと三百年後、蝦夷の国を見ていてくれ」
チャバが馬上から言った。黒い瞳が鋭く、獣毛の帽子から縮れた髪がはみ出している。
「蝦夷の国というと、日本の東北地方のことか?」
「そうだ。きみよく知っている岩手県の北上川流域地方だ。そこに我が父アッティラの再来が現れるであろう」
「わかった。それは阿弖流為のことだな?」
「ご明察だ。このことを、きみの物語にぜひ書いてほしい」
と、チャバは言って、はじめて笑顔を見せた。贅肉のない頬に、刃物でつけたような深いえくぼができた。どこかで見かけたような顔だった。
そのとき、また何処かから歌声が切れ切れに聞こえた。女たちが合唱しているようだ。空の星々が触れ合って奏でるような、この世のものとも思えない調べ。葬送歌とも聞こえ、別の曲のようにも思える。秋間は耳をすまし、月明かりの岬に目をこらした。紫のそろいの衣装をまとった女たちが、両手をひろげ夜空を仰いで歌っていた。青白い月光が彼女たちの横顔に深々と翳を落としている。友子の姿も見える。
秋間は女たちの発する歌の言葉を聞きとろうとした。なんともわれの分からぬ言葉の連なりのようでもあり、民族の運命を歌った叙事詩と解釈することもできる。彼は頭のなかでこんな風にまとめてみた。
冥い夜、胸裂ける悲しみの月
英雄はみまかった
(同一四四〜一四七頁)
彼(注 秋間)は机の抽出しからホテルの便箋をとりだし、一番上に大きく「ユーラシアの悲歌」と書いた。アカデミーではじめてテープの葬送歌を聴いたときから、胸に温めていたタイトルだった。それから取材ノートを見ながら、書いたり消したり、文章と文章の間に線をひいたり印をつけたりして、構想を練り上げていった。要はハンガリーの葬送歌と日本の追分節を一つの布に織り上げればいいのだ。秋間の頭のなかでキイワードは決まっている。フン族の大王アッティラと古代東北の蝦夷の首領阿弖流為だ。
……フン族の王子チャバは、父アッティラの急死後、ひたすら故郷をめざして東へ駆けた。ボルガを渡りウラルを越えた。途中で幾つかの種族が合流した。そのなかには当時まだウラル山脈付近で遊牧生活を営んでいた現代ハンガリー人の先祖マジャールやヴォグール、オスチャークの一部も含まれていた。例の葬送歌もこのとき彼らとともに東への旅に出た。
一行はモンゴル高原を突っ切り、やがて日本海を望む地へとたどりつく。ハンガリーから大陸の果てまで約一万キロ、現代人の感覚でも気の遠くなる距離だ。しかし当時の騎馬民族は一日に数百キロを平気で駆けた。何の不思議もない。むろん、ここに到達するまでには幾度もの挫折があったに違いない。彼らが最初にめざしたであろう先祖、匈奴の故地はすでに言葉の通じない種族の支配下にあり、入り込む余地はなかった。
チャバは戦乱に明け暮れる大陸を捨て、海を渡ることを決意する。日本列島の東北部に自分たちと近縁の種族、蝦夷が棲みついていることを知っていた。身を寄せようと考えたのだ。その時期はおそらく五世紀末、つまりアッティラが死んだ西暦四五三年から三、四十年後のことと思われる。もちろん日本の史書はチャバの渡来について一行も語ってはいない。
八世紀に至り、阿弖流為を名乗るチャバの後裔が歴史の舞台に登場してくる。彼は日本列島統一をもくろんで北上する大和朝廷の勢力を相手に、東北地方の蝦夷をたばねて奮戦した。その勇猛ぶりは兵一人で大和勢の十人に匹敵した、と官撰の史書「続日本紀」が記している。強さの秘密は大陸渡来の快速馬と弓だった。弓は馬上から射ることのできる機動性にすぐれたフン族ゆずりの短弓で、トリカブトの根から抽出した毒液を鏃に塗っていた。
この騎馬軍団をひきいた阿弖流為こそ、フン族の大王アッティラの生まれ変わりだった。子孫に秀でた統率者が現れるならば偉大な大王アッティラの名を継ぐべし。それはチャバの遺言であり予言であった。アッティラは古代ハンガリー語ではアテレあるいはエテレと発音された。ボルガ河の意味だ。ボルガ河の川辺で生まれた男の子とでも言うのだろう。阿弖流為はこのアテレ、エテレの漢字表記にほかならない。
……このように推理したとき、ハンガリーの葬送歌と日本の追分節の関係は、もはや明白である。二つの曲は、千五百年前までは一つの曲だったのだ。チャバ一行と海を渡った流れは追分節となった。一方、ハンガリーの地に残り、後にウラル山脈方面からカルパティアを越えてやってきたマジャール族によって歌い継がれたのが、音楽アカデミーに保存されているテープの曲の元になった。
追分節は主に日本海地方で歌い継がれてきた。いや、正確に言えば山深い内陸部にも、その系譜をひく旋律はしっかりと生き残っている。それは阿弖流為の敗北後、東北蝦夷の多くが、囚われの身として各地に強制移住させられた悲しい歴史と関係あるだろう。
いずれにしても、チャバや阿弖流為に連なる人々の、或る者ははるかに大陸を望む海辺の町で、また或る者は山奥の村で、長い長い年月、望郷に胸を揺さぶられながら孤独にさまよう一族の魂を歌いつづけてきた。そして北海道の江差では、今もチャバの時代とかわらず死者を送る通夜の曲として生きつづけている‥‥‥。
(同一七三、一七四頁)
3 本件番組の内容
(一) 本件番組の概略は、概ね次のとおりである。(甲三、乙一、検甲一)
本件番組は、北海道教育大学学長の被告谷本を番組のコメンテーターとして出演させ、被告谷本のコメントとナレーション、及び、ハンガリー、バシキール自治共和国(以下「バシキール」という。)、モンゴル等への取材により、江差追分の起源に迫ろうとしたものであり、また、世界追分祭の様子も伝えているものであるところ、その内容は、(1)追分節と類似の曲が、騎馬民族の影響を受けた日本、韓国、中国の東北部、内モンゴル、モンゴル、そしてソビエトのカザフ共和国、バシキール、さらにハンガリー、ルーマニアまでユーラシア大陸に帯のように存在し、一万キロに及ぶ追分ロードがある、(2)九月に江差町で年に一回江差追分全国大会が開かれ、町は一気に活気づくのであるが、今年は、海外からも参加者が訪れる、(3)被告谷本は、二〇年前に江差追分と出会って以来、江差追分に取り付かれ、ユーラシアの歌と江差追分とが一つの絆で結ばれているのではないかとの思いを持ち続けてきた、(4)モンゴルには、オルティンドゥーという追分によく似た歌があるが、馬とともに暮らす民が、広大な草原の中で人間の孤独を唱ったのがオルティンドゥーである、(5)バシキールにも追分に似た歌がある、(6)追分の名人青坂満が、追分とは、別れの歌であり、故郷をしのびながら父や母への思いを歌うものであると語る、(7)追分の原形は、七世紀ころ、大和朝廷が農耕のため、大陸から馬を輸入し、馬とともに大陸から渡ってきた馬飼いが歌を伝えたともいわれているが、オルティンドゥーも追分も人間の孤独を歌う点で共通している、(8)追分ロードの東の端が日本であるのに対し、西の端がハンガリーであるとの考えは、被告谷本が三〇年にわたってユーラシアの民族音楽を研究する中で、ハンガリーのエルディ地方(トランシルヴァニア)の不思議なメロディー「兵士の歌」に出会ったときに生まれたものであり、ハンガリーの東洋的なタイプの民謡は、騎馬民族がもたらしたものである、すなわち、四世紀にはフン族、九世紀にはウラルからマジャール族がヨーロッパへ侵攻し、一三世紀にはモンゴルが大帝国を築き、ハンガリーにも影響を及ぼしている、(9)五音音階でこぶしがはいっている古いハンガリー民謡と似た民謡は、旧ハンガリー領であるトランシルヴァニア地方を取材してみたが、見つからなかった、(10)九月の世界追分祭は、ユーラシア大陸の各地に散らばる追分タイプの民謡を比較するシンポジウムやコンサートを開く初めての試みである、(11)被告谷本は、ウラル山脈がアジアとヨーロッパを分ける場所であること、バシキールの民謡が素朴であることからすると、ハンガリーから江差までの一万キロの追分ロードの中心は、ウラル地方であり、そこから追分タイプの歌が東西へ伝わっていったといってよいと考えている、(12)バシキールの結婚式では、バシキールの追分に当たる別れの歌が歌われる、(13)ウラル山脈の山奥に、馬の群れが現われて、東西へ散っていったという伝説の湖があるが、この湖の源にある洞窟の馬の絵は、馬と暮らす人間は別れの悲しみを一つの歌に託し、その歌がやがてユーラシア大陸の各地へと伝わっていったとの空想へと駆り立てる、(14)世界追分祭のコンサートでは、韓国、モンゴル、バシキール、ハンガリーの民謡が歌われ、被告谷本は、その多くが離別、悲しみを歌っていると語る、(15)ユーラシア大陸、東西一万キロ以上に及ぶこの大陸に、かつて民族から民族へ伝えられ、時代を超えて歌い継がれてきた素朴な民の歌があるが、大地の無限の広がりと、人々の孤独を歌うその歌は、今も各地で歌われている、というものである。
(二) 本件小説に関連する本件番組中の被告谷本の発言及びナレーションの一部を抜粋すれば、次のとおりである。(甲三、乙一、検甲一)
被告谷本「追分のようなですね、音階と、それから、ま、追分タイプといわれるメロディ、その重なった音楽的な特徴というのが、帯のようにずうっとこういうふうに西の方へいっているわけですね。東の方は、日本、さらに韓国、モンゴルになるわけですけれども、一番西側が、ハンガリーとかルーマニアとかルーマニアの北部ですね。エルディ地方といわれるこの辺り。」
(略)
「江差追分は、・・・荒れる海を渡り、草原を越え、ウラルを越え、そしてハンガリーまでたどり着くような一万キロの長い長い旅をしている歌です。」
(略)
ナレーター
「この江差追分に取り付かれた一人の研究者がいます。谷本一之さん。ユーラシア大陸の民族音楽を長年研究してきた谷本さんは、二〇年前に、江差追分と出会いました。そして、それ以来、ユーラシアの歌と江差追分が一つの絆で結ばれているのではないかという思いをもち続けてきました。」
(略)
被告谷本
「これは、モンゴルのオルティンドー。追分に随分似ていると思いませんかね。・・・こういう追分タイプの歌は、モンゴルだけではなくて、いろんな国にあるんですね。ウラル山脈ってありますね。ウラル山脈とボルガ河の中流の間、この追分タイプの歌を歌っている民族がいくつもいましてね。」
「バシキールですけれども、最初の尺八みたいな音ですね。音色もそっくりですね。
それから、尺八の途中から歌がでてきますけれども、これも追分のこの出だしのところとそっくり、さらにその先に、一番西端というとハンガリーですね。」
(ハンガリーの民謡)
「これは尺八とそっくりですね。」
ナレーター
「江差追分を代表とする追分様式と呼ばれる日本の民謡が、新潟、秋田などの日本海側に残っています。谷本さんによると、これと同じタイプの民謡が騎馬民族の影響を受けたユーラシア大陸の各地に伝わっているといいます。韓国、中国の東北部、内モンゴル、モンゴル、そしてソビエトのカザフ共和国、バシキール自治共和国、さらにハンガリーまで、一万キロに及ぶ追分ロードがあるというのです。」
(略)
ナレーター
「一万キロの追分ロードの東の端が日本であるのに対して、西の端はハンガリーだと谷本さんは考えています。その発想は、三〇年に亘ってユーラシアの民族音楽を収集する中で一つの不思議なメロディーと出会ったときに生まれました。」
被告谷本「これはあのハンガリーのエルディ地方ですね。今ルーマニア領ですけれども、トランシルヴァニア、そこに古くから伝わる歌で「兵士の歌」というんですけどね。これは東洋的な音楽の痕跡が残っているものなんですけれども。・・・」
ナレーター
「ハンガリーの東洋的なタイプの民謡は、騎馬民族がもたらしたものだと谷本さんは言います。四世紀にはフン族、九世紀にはウラルからマジャール族がヨーロッパへ侵攻しました。マジャール族はそのまま定住し、現在のハンガリー人になりました。さらに、一三世紀にはモンゴルが大帝国を築き、ハンガリーにも影響を及ぼしました。」
(略)
(バシキールの民謡)
被告谷本
「これは、あのバシキールなんですけれども。ソビエトの大体中央部、これウラル山脈がありますね。ウラル山脈がちょうどアジアとヨーロッパを分ける場所なんですけれどね。そこに今聴いていただいているような非常に素朴な、声の技巧も普通の民謡のような素朴な追分タイプの歌が、まあ沢山あって、それは、それぞれの民族の中でも非常に重要なわけですね。で、そういうようなことを、例えば、日本の追分だとか、特に江差追分、それからモンゴルのオルティンドゥーという、非常に洗練されて、声の技巧も最高に発達しているという、そういう音楽にこう対比させて考えますとね、やはり、この一万キロのハンガリーから江差までの一万キロの追分ロードの中心といいましょうかね、最も古いタイプを残していて、そして中心であるというのがウラル地方だというふうにいっていいと思いますね。したがって、そこを中心にこのタイプの歌がそこからの影響でずっと拡がっていったと」
ナレーター
「谷本さんによると、ヨーロッパとアジアを分けるウラル山脈で追分タイプの歌の原形が生まれ、そこから東西へ伝っていったといいます。江差追分のように洗練された民謡ではなく、素朴な原形を残しているバシキールこそが、追分ロードのルーツだというのです。南北三〇〇〇キロに伸びるウラル山脈の南の端、バシキール自治共和国は、かってハンガリー人の祖先であるマジャール族が住んでいた地域でもあります。」
(略)
ナレーター
「バシキールの人たちにも、江差追分の歌を聞いてもらいました。」
レポーター
「これと似た歌はありますか。」
・・・
「よく似ています。あの何という歌ですか。これは。」
クーライの男「ザリファ・ケイ。これは女の子の名前です。」
(略)
ナレーター
「この楽器、クーライの歴史がどれくらい古いのか、ある程度推測できます。」
「フン族がバシキールを襲撃した時代を描いた叙事詩の中にクーライが出てきます。フン族が南ウラルを通ったのは紀元二世紀のことです。つまり一八〇〇年前には既にクーライが演奏されていたのです。」
被告谷本
「それぞれの民族が、特に追分のこぶしの中に込めている一種の情緒ですね。・・・多くは悲しみを唄っているんですけれどね。・・・歌だけでなくて、例えば尺八とバシキールのクーライとかね、それからモンゴルの馬頭琴でも、非常に音色としてはね、非常に似ているんですね。ですから、こう、共通の思いが、楽器なんかの共通の音色の背景になってるということだけは、確かですね。」
ナレーター
「ユーラシア大陸。東西一万キロ以上に及ぶこの大陸に、かって民族から民族へ伝えられ、時代を越えて歌い継がれてきた素朴な民の歌があります。大地の無限の広がりと、人々の孤独を歌うその歌は、今も各地で歌われています。」
4 「北の波濤に唄う」と本件番組のナレーション
原告が著作した「北の波濤に唄う」のうち、本件に関係する部分は、別紙目録四上段記載部分(以下「本件プロローグ」という。)であり、本件番組のナレーションのうち、本件プロローグと対応する部分が別紙目録四下段記載部分(以下「本件ナレーション」という。)である。(甲二、乙一)
5 原告と被告らとの関係の概略
(一) 被告NHKの国際局(以下「国際局」という。)の佐藤園子(以下「佐藤」という。)は、平成元年一〇月六日、本件小説の著作者である原告と会い、本件小説をテレビ化したい旨提案し、原告の承諾を得、同年一一月一六日には、原告に対し、番組製作が実現した折には、ハンガリーへレポーターとして行ってほしい旨を伝え、その快諾を得ていた。
国際局は、函館局と共同で、NHKスペシャルの番組として右の本件小説と世界音楽祭をテーマとした番組の提案をすることにしていたが、平成元年一二月、NHKスペシャルの番組としては、函館局の企画案を元に共同提案をした。しかし、右共同提案は、同二年二月、採用されず、保留となった。佐藤は、そのころ、原告に前記企画が保留になった旨を伝えた。
函館局は、平成二年一月、NHKスペシャルの前記提案が不採択になった場合に備えて、別途北海道スペシャルとして、世界追分祭や追分節とユーラシア大陸との関係を探る番組の提案をしていたが、右提案は、採択され、それに基づき、本件番組が製作された。
函館局は、平成二年六月ないし八月に、モンゴル、バシキール、ハンガリーなどを四〇日間にわたり取材し、本件番組を製作した。
(二) 原告は、平成二年一〇月初旬、佐藤から、「函館局製作の本件番組が一〇月一八日放送されるが、試写を見た人の話や、これまでの経緯からして、本件小説を盗用した疑いが濃厚である」との連絡を受けた。
原告は、平成二年一〇月一二日、被告NHKの札幌放送局長永井武司に対し、内容証明郵便で「一八日放送予定の本件番組は、原告の本件小説の著作権を侵害するおそれがあるので、後々まで問題をこじらせないように慎重に対処してほしい」旨の警告した。
(右(一)、(二)につき、甲一二、二二、四八、原告第一回)
(三) 被告NHKは、平成二年一〇月一八日、北海道で本件番組をテレビ放送した。(争いがない。)
6 本件番組と本件小説及び「北の波濤に唄う」との関係
本件番組は、本件小説及び「北の波濤に唄う」を参考文献の一つとして製作されているものの、本件番組においては、本件小説及び「北の波濤に唄う」についての直接の言及はない。(争いがない。)
7 本件番組の宣伝資料
被告NHKは、本件番組をもとにした全国放送のために、新聞各社向けの番組宣伝資料(平成二年一一月三日放送予定分。以下「新聞社向け宣伝資料」という。)において、次の(一)のとおり記載し、被告NHK発行のウイークリー「STERA」(平成二年一一月九日号。以下「ステラ一一月九日号」という。)において、次の(二)のとおり記載し、新聞雑誌を通じてその旨を全国に流布した。(争いがない。)
(一) 「民謡・江差追分はユーラシア大陸各地の民謡と深いつながりがあるとする仮説に基づいて、先月、北海道の江差町で「世界追分祭」が開かれた。大会を提唱したのは北海道教育大学の谷本一之学長。彼の、日本からハンガリーまで一万キロに及ぶ追分ロード説に従い、取材班はモンゴル、ソ連、ハンガリー各国で一か月半にわたって取材を続けた。谷本さんが追分のルーツと考えるソ連の秘境、ウラル山脈の奥地にも初めてカメラが入り、伴奏の楽器までが尺八そっくりの民謡を発見した。東西一万キロの歌の旅路には何が隠されているのか。ユーラシア大陸をさすらった一つの旋律をめぐって、歌とそこに住む人々との関わりを探る。」
(二) 「民謡・江差追分は、ユーラシア大陸各地の民謡と深いつながりがあるという、北海道教育大学の谷本一之学長の仮説に基づき、世界追分祭が開かれた・・・谷本学長のたてた、ハンガリーから日本までの一万キロにおよぶ、追分ロード説に従ったモンゴル、ソ連、ハンガリーでの取材は一か月半におよんだ。谷本学長が追分のルーツと考える、ソ連のバシキール自治共和国にも初めてテレビカメラが入った。バシキール人の暮らすウラル山脈の秘境の地には、尺八そっくりの楽器で伴奏する民謡が存在していた・・・。」
8 被告布川の返書
被告布川は、本件番組を北海道で放送した後に、本件小説の読者から問合せの手紙三通を受領したが、これに対し、平成二年一〇月二二日付けで、以下のとおりの返書(以下「本件返書」という。)を同一内容で三通送付した(甲一〇及び三五及び三六の各1・2、乙一六の1ないし3)。
「番組をご覧いただければ、おわかりのように、今回の番組は北海道教育大学学長で民族音楽学者の谷本一之先生の学問的推論をもとに制作したものです。・・・ご指摘の木内宏さんの著書にも、同じテーマが取り扱われているとのことですが、これは木内さんも谷本先生の推論を聞き、そこからヒントを得て書かれたのではないかと思われます。・・・つまり木内さんは谷本先生のお話をもとに本を書かれ、私どもは谷本先生のお話をもとに事実を追求したドキュメンタリー番組を制作したことになります。」
9 被告布川のコメント
被告NHKは、平成二年一一月三日に予定していた本件番組の全国放送を延期したが、新聞、週刊誌は、これに関する記事の中で、以下のとおり被告布川のコメントを掲載した(以下「本件コメント」という。)。(甲三七、三八)
(一) 北海道新聞(平成二年一一月三日付け)
「さまざまな学説がある中、番組を作り上げ、オリジナルという点では自信がある。しかし、クレームがついた以上、検証する時間が必要であり、三日の放映は見送った。」
(二) 週刊新潮(平成二年一一月一五日発行)
「木内氏にお断りしなかったのは悪かったが、あれは参考文献のあくまでワンオブゼムに過ぎない。盗作だなんてとんでもない。中止ではなく、いずれ内容を手直しして放送したい。」
二 争点
〔本件小説及び「北の波濤に唄う」の著作権及び著作者人格権に基づく請求について〕
1 本件番組の製作、放送は、原告が本件小説について有している翻案権及び放送権並びに氏名表示権を侵害しているか。
2 「北の波濤に唄う」の本件プロローグは、著作物といえるか。また、本件番組中の本件ナレーションの製作、放送は、本件プロローグの翻案権及び放送権並びに氏名表示権を侵害しているか。
〔名誉権に基づく請求について〕
3 原告が主張する名誉(社会的評価)は、存在していたか。
4 被告らの行為によって、原告の名誉が毀損されたか。
5 名誉毀損行為について被告らの責任はあるか、あるいは、違法性阻却事由は存するか。
三 右争点に関する当事者の主張
1 本件番組の製作、放送は、原告が本件小説について有している翻案権及び放送権並びに氏名表示権を侵害しているか。
(一) 原告の主張
(1) 本件小説は、主人公である一人の新聞記者が、江差追分の起源の謎を追求することを主題とした長編小説であり、原告の長年にわたる文献及び現地調査の末に構想を得て作品化されたもので、「江差追分の起源はソ連ウラル地方に求めることができ、その旋律は古代騎馬民族の移動によって日本列島にもたらされた」という独自の仮説を軸に物語が展開されている。本件小説においては、江差追分の起源及びその旋律が日本に伝わった経緯に関わる部分の創作は、物語の進展につれてより深まっていく形式で記述されているが、その内容を要約すれば、次のとおりである。
@ ウラルに起源(オリジン)をもつ一つの「歌」(葬送歌・追分節)が騎馬民族によって日本にもたらされた。
A その「歌」を日本に伝えたのは、東を目指して敗走したフン族の王子チャバの一行及びそれへの合流種族だった。チャバがウラル地方を通過するとき、そこで遊牧生活を送っていたマジャール族の一部など同系の騎馬民族も、彼の一行に合流した。その中に、「歌」を歌うマジャール族の歌姫もいた。
右のような追分節ウラル源流説は、本件小説の主人公の内面を動かして長期の旅へと駆り立て、追分節の起源を追求する情熱の根源として扱われており、物語がこのテーマが内包する謎から出発し、その解明に向けて一貫して流れていることは明らかである。そして、この本件小説の内面的表現形式ないし表現形式における本質的な特徴が、著作物の外面的表現形式に即して認識され得る具体的な展開体系そのものであり、単なる歴史的な素材等のような万人の自由利用が認められる公有のものとは質を異にするのである。
本件小説は、一面で恋愛小説の体裁をとるが、原告が物語の構成で最も腐心したのは、東は日本列島から西はハンガリーに至るまでのユーラシア大陸に帯状に分布する一つの民族音楽「追分」一族の謎解きであり、その結果として、日本民謡の白眉「追分節」の起源とその伝播について構築した独創的な創作がこの作品のエッセンスといえる。すなわち、追分節はソビエト連邦ウラル山脈付近に起源を持ち、日本列島へは古代ヨーロッパに登場する騎馬民族フンの残党によって五世紀末ころ伝えられたとする文学的創作の内にこそ、本件小説の文芸作品としての価値が存在する。追分節ウラル源流説は、事実、史実、民族音楽及び歴史学の分野での研究成果とも全く関係のない創作である。本件小説の発刊より前には、追分節に、ユーラシアの騎馬民族特にフン族の移動を関連づけ、ハンガリー、ウラル、日本列島を一つの歌で結びつけた学問的論文も文学作品も一切存在しなかったのである。
また、原告は、本件小説について、その書名にも象徴したとおり、「追分」一族に悲歌あるいは挽歌としての性格を仮託することによって、物語全編に通底する悲劇性を高めようと意図し、物語を悲恋で結んだことも同じ意図に沿っている。たとえば、本件小説には、「私たちハンガリー人は、要するに、異邦人なのです」「・・・昔から私たちはアジアに残してきた故郷を思い返すことで孤独を慰めてきた。先日お聴かせした葬送歌も故郷を想う一つのよすがでした。死がもたらす悲しみをアジアの思い出で慰めたのです。」「孤独と慰めとが、千数百年もの間、繰り返し繰り返しぬり込められた歌。まさに壮大な叙事詩ですね、人々の思いがユーラシア大陸の東と西を飛びつづけた・・・」とあるが、これらの部分に右意図が示されている。
以上のとおり、本件小説は、言葉と文字により具体的な展開体系をもって外部に発表された原告固有の表現であり、史実を除けばすべて原告の想像力から生まれた創作である。本件小説は、先人の思想や理論、普遍的な感情といった性格の表現とは異質であり、追分節の起源について何人も試みたことのない方法によって、明確な記述の展開に即して推理したものであって、そのテーマである追分節ウラル源流説は、全編を通じて流れる主題曲のようなものであり、意味と意図に統一性を持った内部的表現そのものであり、これは原告固有の財産である。
(2) 本件番組は、前記一3のとおり、被告谷本を、原作者ないしは原案構成者に近い立場で出演させ、被告谷本が、最も重要な発言者、コメンテーターとしての立場から、「江差追分のルーツは、ソ連ウラル地方のバシキールに求めることができ、その旋律は、古代騎馬民族の移動によって日本列島にもたらされた。」との仮説を自己の仮説として提示し、これを基本的な枠組みないしコンセプトとして製作されている。すなわち、本件番組は、このように本件小説の前記モチーフを、外面的には素材を変えつつ、基本的にはそっくり盗用しているのである。
(3) 著作物は、外面的表現形式と内面的表現形式及び内容の三段階の形式に分けられるが、内面的表現形式が同一の場合の外面的表現形式の変更は、著作物の翻案に当たる。文芸作品の場合には、その具体的表現自体を利用するものでなくとも、文字等で表現されている著作者の思想、感情の表現形式としての基本的な筋、構成等に依拠するものであれば、翻案と考えるべきである。もっとも、翻案の範囲を広く考えると、いわゆるアイデア保護に近似することになり、逆に、具体的表現に近接させ狭くとらえると著作権者の権利を空洞化せしめるおそれがあると考えられる。基本的には、原著作物の権利を及ぼすことが社会通念上公正であると考えられる範囲のものとして、翻案の範囲を考えていくべきである。
文芸作品においては、基本的な筋、構成だけでなく、全編に流れる創作的なテーマを内面的表現形式から除外することはできない。すなわち、文芸作品における最も重要な生命というべきものは、テーマであり、これを抜きに文芸作品は成り立たず、その点でいかに独創性を有するかによって作品の優劣が決定されるといっても過言ではない。文芸作品の根本となる中心的な思想がテーマであり、具体的な文章の内容のあらすじが要旨であるところ、そもそも長編小説の形式は、あたかも大河の流れのごとく、右に折れ左に曲りながら、さまざまなエピソードを混じえつつ語られていくものであるが、本件小説においては、追分節ウラル源流説が主人公の内面を動かして長期の旅へと駆り立て、追分節の起源を追求する情熱の根源として扱われているのであり、物語がこのテーマの内包する謎から出発し、それの解明へ向けて一貫して流れていることは明らかである。
本件小説の冒頭から結末に至るまで滔々と流れるテーマは、追分節ウラル源流説であり、それが本件小説の内面的表現形式であり、著作物の外面的表現形式に即して認識され得る具体的展開体系である。
前記のとおり、追分節ウラル源流説は、本件小説の枠組みないしコンセプトそのものにほかならず、本件小説以外には具体的な表現として公表されたことがなかったのであり、これが、前記のとおり本件番組に登場しているのであり、前記被告谷本の仮説は、本件小説で原告が発表した創作を剽窃したものであって、単なる史実や事実の模倣とは次元を異にし、本件小説の内面的表現形式の盗用である。すなわち、本件番組は、追分節ウラル源流説を核とする本件小説の仕組、構成に大きく依存した二次的著作物であって、何人が見ても本件小説の本質的特徴を連想させるのであり、本件番組が本件小説の翻案権を侵害していることは明らかである。そして、本件番組は、諸々の追加物で外部的表現形式を変更し、被告らの剽窃行為を粉塗しているのである。本件小説が恋愛小説のジャンルに属するのに対し、本件番組はドキュメンタリーであるとしても、問題は追分節の起源に関する表現であり、媒体や表現が異なるからといって、翻案権侵害は否定されない。本件小説と全く同一のテーマに依拠して作られた番組は、活字と映像というジャンルの別にかかわりなく、翻案権を侵害しているのである。
なお、被告谷本は、原告に対し、平成三年一月二二日付内容証明郵便で「追分タイプの歌はソ連ウラル地方から各地に拡がったといってよいこと等を、番組中で発言したことはあるが、このことは民族音楽界において現時点で、一般的に認められた知見に属することであり、私自身のみが定立している等とは申していない」と述べているが、被告谷本は、本件番組において、一般的知見ではなく、谷本仮説を持出しているのであり、また、被告谷本がいう一般的知見などは全く存在しない。また、被告谷本は、右仮説の持ち主ではなく、追分の起源に関する著書、研究報告等の学問的実績のない全くの門外漢である。したがって、本件番組は、本件小説の中の虚構(仮説)をそのまま盗用して、第三者が立てた学問的仮説なるものに仕立て上げ、この第三者を番組の原作者、構成者として登場させ、真実のドキュメンタリーに見せかけたものである。本件番組は、企画段階から本件小説を下敷として利用しながら、それを原作として明示することを怠り、その代わり第三者の学者を原作者として登場させたものであり、その結果、原告の独創である架空の創作が、本件番組では、真実を追求した学者の仮説に化けたのである。
また、本件番組と本件小説の同一性については、被告布川が本件返書の中で、本件小説も本件番組もその仮説の出所は一つで、被告谷本から出ていると述べていること、すなわち、被告谷本の仮説に基づき、原告が本件小説を書き、被告NHKが本件番組を製作したことを自認していることからも明らかである。なお、被告布川は、本件番組の全国放送が中止となる直前に、番組の終わりに原告協力のテロップを入れることで納得できないかと申し入れてきたが、このことも、被告布川が本件番組が本件小説を盗用したことを認めていたことを示すものである。
さらに、後記5(一)(2)の原告の主張のとおり、本件番組は、当初被告NHK国際局の佐藤が提案企画したものを、函館局が盗み取ったのであって、企画案の段階から、本件小説を下敷きとして利用し、本件小説に大きく依存していたのである。また、被告NHKが本件番組製作のために被告谷本を実行委員長として行った「世界追分祭」の企画自体も、本件小説のコンセプトを基にしているのである。そのため、本件番組は、ドキュメンタリーであり、真実を追究するものでなければならないのに、本件小説の中の学問的、科学的な裏付けを持たない虚構を盗用して、真実のドキュメンタリーに見せかけ、「江差追分のルーツはソ連ウラル地方のバシキールに求められ、そこから広がった。」というありもしない仮説を基に真実とはかけ離れた嘘の番組を作ってしまったのである。
以上のとおり、本件番組は、本件小説に描かれている細部の肉付けは省略して、大筋だけを剽窃しているのであり、本件番組が本件小説の翻案権を侵害していることは明らかである。
なお、改作利用の場合、著作権の保護の対象は、著作者の思想感情の外面的表現形式に対応した内面的表現形式の同一性に求められ、その内容は、著作者の独創に基づくものであっても、万人の自由利用が許されるものであるという形式的判断に立つと、フィクションをドキュメンタリーに転換する場合、剽窃者が必要のない著作物の全体としての利用は著作権の侵害となるが、剽窃者にとっては最も必要な、著作者が最も表現したかった重要なエッセンスを抜き取ることは著作権の対象外となるのであり、このような考え方は、剽窃者にとって極めて好都合な、時代錯誤の解釈論である。この点を、マスコミのモラルによって対処することを前提とするのでは、著作者の権利は無防備に等しく、むしろ、今日マスコミの側に、著作権に抵触しないのだから勝手に利用して構わないという確信的風潮すら窺える状況を生み、助長することになる。また、本件のような本件小説のエッセンスのみを無断で抜き取ったテレビ番組の製作は、いかなる意味で著作権法一条にいう「文化的所産の公正な利用」で、「文化の発展に寄与する」ことに繋がるのか疑問である。
(二) 被告らの主張
(1) 著作権法が翻案権により規制しようとしている行為は、基本となる原作の筋、仕組み、主たる構成などの内容的表現形式を母体として、派生的著作物を作成する行為、すなわち原著作物の表現形式における本質的な特徴を直接感得することができるものを作成する行為である。そして、右の内面的表現形式ないし表現形式における本質的な特徴とは、着想、アイデア、コンセプト、理論等とは異なり、著作物の外面的表現形式に即して認識され得る、具体的な展開体系であり、外面的表現形式に対応して著作者の内心に一定の秩序をもって形成される思想の体系(例えば、ストーリー、基本的モチーフ、構成など)である。著作物の内面的表現形式を、外面的表現形式から隔絶した著作者の主観的内心に思想の体系、着想、アイデア、コンセプト、理論等と同義に解することは、著作権法の保護が、表現形式にあり、思想、感情自体にはない(同法二条一項一号)という根本原理に反するのである。原告の主張は、外面的表現形式から隔絶した著作者の主観的内心の思想の体系の保護を求めるものであり、主張自体失当である。
(2) この観点から本件小説の内面的表現形式と本件番組の内面的表現形式とを比較したものが、別紙目録五である。
本件小説は、言語上の構成物であり、恋愛小説のジャンルに属し、その大まかな構成は、別紙目録五上段のとおりであり、「初冬の街」「チャバの丘」「雪のトカーイ」及び「さい果ての山」の四個の章区分からなる。
これに対し、本件番組は、登場人物の声音、ナレーションという言語部分、現実音、音楽、効果音等の聴覚的要素に、生の事実や取材過程の再現等の映像の連続とを複合させて一体化したテレビ番組で、ドキュメンタリー作品であり、その大まかな構成は、別紙目録五下段のとおりである。
別紙目録五の上段と下段とを比較すれば、両者に表現形式上の実質的類似性はなく、本件番組(下段)が本件小説(上段)を再現、再生したものでないことは明らかであり、原告の翻案権侵害の主張は失当である。また、本件番組には、原告が主張するような、追分節がチャバに率いられたフン族によってもたらされたという物語は存在していないことも明らかである。
(3) また、本件小説には、追分節は騎馬民族とともにウラルから来たという一義的な表現は存在せず、本件小説の追分節の源流に関する記載とすればチャバがハンガリーを東に向けて出発したときまで遡ることになるのであり、フン族源流説になるのである。そして、単にウラルを通過したというのであれば、それは源流の名に値しないものである。
(4) 被告谷本は、江差追分についても研究しており、このことは、江差・世界追分祭報告書、北海道民謡緊急調査報告書(乙一〇一のもの)、追分節の源流正調小室節集成(乙一〇三のもの)からも明らかである。また、被告谷本は、ハンガリーの民族音楽にも詳しいことから、原告は、被告谷本の協力や助言を得て本件小説を創作したものであり、被告谷本の協力や助言の片鱗が本件小説の中に数多く出ている。例えば、本件小説中の札幌の大学で民族音楽論を講じ、主人公に対しハンガリーと江差追分と似た民謡があることを教え、ハンガリーの学者を紹介した谷川英之は被告谷本であり、国立音楽アカデミーは国立科学アカデミー民族音楽研究所であり、セーケイ・ヤーノシュはヴィカール・ラースローであり、民族音楽界の長老ヴァルジャシュ・アンドラーシュ博士はヴァルジャシュ・ラヨシュである。また、主人公の取材の案内役・恋人のピアノ留学中の野島友子のアパートの情景や練習曲などはまさしく原告のハンガリー取材を案内したピアノ留学中の被告谷本の長女のアパートの情景や練習曲であり、このほか、谷川が語った民謡の緊急調査は被告谷本が主任調査委員であった北海道は民謡緊急調査なのである。
したがって、本件番組も本件小説も、被告谷本の協力を受けて、ハンガリー等で取材を行ったうえで製作され、追分節の起源をユーラシア大陸のかなた一万キロのハンガリーまで求めるという基本的に共通する題材を対象として企画・取材・製作を行った以上、本件番組と本件小説との間に題材内容に共通の部分があったとしても、それは当然のことであり、これをもって本件小説の瓢窃ということはできない。
2 「北の波濤に唄う」の本件プロローグは、著作物といえるか。また、本件番組中の本件ナレーションの製作、放送は、本件プロローグの翻案権及び放送権並びに氏名表示権を侵害しているか。
(一) 原告の主張
本件ナレーションは、別紙目録四下段のとおり、「日本海に面した北海道の小さな港町江差町。古くは鰊漁で栄え、江戸にもないという賑わいを見せた豊かな海の町でした。しかし、鰊はすでに去り、今はその面影を見ることはできません。九月、その江差が年に一度、かつての賑わいをとりもどします。民謡江差追分の全国大会が開かれるのです。大会の三日間、町は一気に活気づきます。」というものであり、次に述べるとおり、別紙目録四上段の「北の波濤に唄う」朝日文庫版の七〇ないし七三ページの本件プロローグを翻案したものである。
(1) 本件プロローグの著作物性と内面的表現形式について
本件プロローグは、「北の波濤に唄う」の中の短編のうち、北海道江差町で開かれる「江差追分全国大会」を紹介する探訪記「九月の熱風」の冒頭部分にあたるものである。
本件プロローグの外面的表現形式に対応する内面的表現形式は、「@鰊漁で栄えたころの江差は、その時期江戸にもない賑わいを見せていた。Aしかし、鰊の去った江差にもはや昔日の面影はない。Bところが、その江差に華やかな一年の絶頂を迎える時が来る。それが九月の江差追分全国大会である。」というものである。
本件プロローグは、このように江差町の過去を振り返り、鰊漁で栄えた時代の江差は江戸にもない賑わいを見せたのに対して、これとコントラストされる現在の鰊の去った江差に昔日の面影はないことを思い比べ、その江差に、九月の「江差追分全国大会」を鰊漁で栄えた昔日の賑わいを見ることにより、江差追分全国大会についての本文へ導入する一個の独立したプロローグの役割を果たしており、思想又は感情を創作的に表現したものである。すなわち、江差では、誰もが、一年の絶頂は八月の姥神神社の夏祭りで、このときが一番賑わうと考えているのであり、九月の江差追分全国大会に昔日の復活を見る視点は、「北の波濤に唄う」に書かれた以外にない。
被告らは、本件プロローグは「客観的な歴史的事実、ないし社会的事実の単純な事実認識の問題」にすぎず、原告の創作活動というべきものではないと主張する。
しかし、本件プロローグは、被告らがいうような「単純な事実認識」ではなく、逆に単純な事実と全く相違する。なぜなら、「江差追分全国大会」の開かれる九月の数日間、江差町がかって鰊漁で栄えたころを彷彿させるような年に一度の賑わいを呈するような客観的事実は存在しないからである。
被告らのいうような「単純な事実認識」としてならば、江差町のかっての鰊漁で栄えたころに匹敵する一年の絶頂、賑わいは、被告NHKにおいても全国放送で紹介されている八月の姥神神社の夏祭りと表現されて然るべきである。それにもかかわらず、原告は、客観的事実としてはたいした賑わいでもない九月の「江差追分全国大会」を原告独自の視点から「一年の絶頂」とした。
これは、作家の内的風景ないし江差追分に寄せる一種の憧憬がもたらした、事実の「文学的認識」ともいうべき「創作」であり、被告らがいう「単純な事実認識」とはまさに正反対の立場にある。江差追分全国大会をこのように見る「視点」あるいは「思想」は、地元民の意識はもとより過去の文芸作品、エッセー等にも存在せず、原告の「北の波濤に唄う」の発刊後に出版された江差追分会編「江差追分」や「江差町史」にもそれに相当する視点、表現はない。
以上のとおり、本件プロローグは、江差追分賛歌に対する一個の独立したプロローグの役割を果たす部分として、当該部分自体独創性または個性的特徴を具有しているものにほかならず、単純な客観的事実や事実認識を表現したものではあり得ず、原告の「思想または感情を創作的に表現したものであって、文芸の範囲に属するもの」であることは明らかである。
(2) 翻案について
@ 本件ナレーションの外面的表現形式に対応する内面的表現形式は、本件プロローグの前記内面的表現形式そのものである。
被告らは、本件プロローグの表現形式上の本質的な特徴をそれ自体として感得させる態様において、内面的表現形式をそのままにして、外面的表現形式のみを要約変更している。すなわち、被告らは、本件ナレーションにおいては、本件プロローグ中の鰊で栄えた当時の江差の賑わい振りである「出船三千、入船三千、江差の五月は江戸にもない」の言葉から、「江戸にもないという賑わいを見せた豊かな海の町でした。」と剽窃し、「九月、その江差が、年に一度、かつての賑わいを取り戻します。民謡、江差追分の全国大会が開かれるのです。大会の三日間、町は一気に活気づきます。」との本件ナレーションが、原告の主張する内面的表現形式「Bところが、その江差に華やかな一年の絶頂を迎える時がある。それが九月の江差追分全国大会である。」に基づき、江差では誰もが一年の絶頂は八月の夏祭りであると考えているにもかかわらず、本件プロローグ以外に書かれたものはない九月の江差追分全国大会に昔日の賑わいを見る視点を、本件プロローグから剽窃しているのである。
A 被告らは、内面的表現形式Bについては、「江差では誰もが一年の絶頂は八月の夏祭りであると考えているとの事実は存しない」と主張する。しかし、江差追分全国大会の参加者は、実数千人余りであり、会場の収容人員が八百人、江差町内のホテル・旅館の収容能力が民宿を含めても五百人程度から推して、また参加者たちは会場一か所でただ追分節を論じたり歌ったりしてる状況から推しても、江差町全体がかっての鰊漁のころを彷彿とさせる賑わいを復活させたかにいうのは全く客観的事実に反するのである。また、「江差町史(第六巻)」は、夏祭りの説明に一四頁(江差追分には八頁)を費やし、「祭日の二日間は全江差住民はあげて祭典気分を満喫し、市中は平常の人口の数倍にふくれあがり、山車行列の豪華絢爛さと相まって、往時の繁栄を再現するとともに、江差人の気概をこれに向けて発散するのである。一方江差で生まれ育ち他出した者にとって、錦を着て帰郷し祭典に参加するのが夢であり、この祭りこそ江差人を故郷とかたく結んで離さない絆なのである。」と述べている。さらに、江差の夏祭りの名誉のためにあえていえば、夏祭りの山車一三台のうち二台は北海道教育委員会から民俗文化財に指定されている。祭りの社会的認知・評価にはこれで十分である。
以上から明白となったことは、両者の表現はまさしく「現実の江差追分全国大会の開催時の町の(客観的)状況をあらわすものではない」という厳粛なる事実であって、被告らの主張は、原告の著書から剽窃した表現を、あたかも江差追分全国大会の「盛況ぶり」や「町おこし」について述べた「単純な事実認識」であるかに取り繕うための言い逃れといわざるを得ないのである。これは、本件ナレーションの僅かな語数の内に、「去った(去り)」、「面影」、「その江差が」、「九月の二日間だけ(九月……年に一度)」と本件プロローグと同一語彙、用語が四個も並ぶという明らかな事実が物語るように、本件ナレーションの内面的表現形式は、本件プロローグの内面的表現形式そのものの単純な剽窃にすぎないのであって、被告らのいう「江差追分全国大会で人々が歌を歌い、聴くときの精神的状況についての原告(及び被告)の考え方、視点の比喩的な表現ないしそれになぞらえた表現」ということにほかならず、双方の内面的表現形式は全く同一だということなのである。
B 原告の江差追分観について
被告らは、原告の江差追分観について、「どんづまりの歌」、「敗残者」などの「怨念の唄」「恨み節」等と規定し、この一貫した視点・根本思想に沿って本件プロローグも表現されているものであるから、被告らが江差追分を「生命の歌」「人間賛歌」とする視点・根本思想とは異質であり、外面表現形式の類似性に反し内面的表現形式の同一性はないと主張する。
原告は、江差追分についての最終的な規定を「北の鎮魂歌」とするものである。「北の波濤に唄う」の単行本・文庫版ともに「北の鎮魂歌」を最終章とするのはこのゆえんである。一方、「敗残者」などの「怨念の唄」「恨み節」等は、北限の蝦夷地(北海道)をめざした人々の流転の生活・人生が追分節にどのような影を落としているかの側面からとらえた歌の性格、即ち歴史の投影を述べた表現である。原告は、「北の波濤に唄う」の最終章で、前代において「北の流転した敗者たちの歌」だった追分節が、時を経るにつれて成熟し輝きを増して、ついに洗練された「北の鎮魂歌」になったことを描写した。原告のこの江差追分観は次に引用した箇所により端的に示される。
「私たちは、この江差追分の代表的な歌詞のなかに、北を指した人間の心細さ、切々たる心情を読み取ることができるだろう。現代の江差の人たちの多くも、やはりそうした心細さを胸に、おそらくは食いはぐれ者の敗残の思いを背負って、内地から渡ってきた出稼ぎ者の子孫だからだろうか。追分を歌うときの彼らは、先祖の心になりきっている。人々は実はそうやって、先祖の魂をしのびながら、今を生きる自分たちの切なさ、辛さを慰め、明日への熱源を追分に求めようとしているように思える。江差追分が聴く者の心をとらえて放さない秘密は、そうした虐げられた者たちの歴史の投影にあるだろう。北の鎮魂歌・・・。江差の旅を重ねるにつれ、私はそう確信するようになった。」(二五九頁)
そもそも追分節が日本海沿いに北上したころの蝦夷地は、現代人の想像を絶する僻遠の地であり、よくよくの事情がない限り、あえて墳墓の地を捨てて海を越える者はなかった。初期の移住者、出稼ぎ漁民らが多くの場合、内地(本州)で生活に行き詰まった人たちだったことは北海道開拓史をひもとくまでもない歴史的事実である。追分節はそうしたいわば社会的弱者の立場にある人たちの、底辺に呻吟した日常の苦と情念によって練られ洗練度を増して、今日へと引き継がれてきた。盲目の座頭左之市が追分節を歌い始めたという古い伝承や、かっての商家では追分節が「漁師の歌、馬車追いの歌」と蔑まれていたというよく知られた事実などは、江差追分が少なくとも一時代前までは富める者、支配する側の歌ではなく、貧しい者、支配される側の血のにじむような感情の表白だったことを物語る。芸術なかんずく音楽に陰と陽、明と暗の対比が重視されるのは常識であり、江差追分が日本民謡のなかでも屈指の名曲とされる最大の理由は、おおらかで力強いうねりのなかにも聴く人の胸をうつ「陰・暗」の哀調が響いているからである。この「陰・暗」の美を、原告は蝦夷地という北限にたどりついた人たちの歴史に読み取ったのである。
しかるに、被告らの所論は江差追分の解釈に欠かすことのできない歴史を意図的に無視し、ただいたずらに「敗北者」等の言葉に異常なまでの執着を示す。被告らは、「北の波濤に唄う」がもっぱら「敗北者」の歌の視点で構成されているとし、そこにあるのは「いわば江差の「生命の歌」とか、あるいは「人間賛歌」とする視点などとは異質のものである」としたうえで、原告が今日現在の江差追分そのものを「敗北者の歌」と呼び、なおかつ江差町および町民までを「敗北者」扱いしているかに強弁する。浅薄な読み方であり詐術的な歪曲である。
原告は「敗北者・敗残者の江差町なのである」などと書くどころか、江差町の人々がいかに追分節を愛し生きがいとし力強く暮らしているかを、「北の波濤に唄う」の中の「道場二代」の床屋親子の話、「夫婦追分」の中年夫婦の物語、「九月の熱風」の大会参加者の喜び等で縷々描写し、追分節なしには考えられない人間像の明るく積極的な一面を活写している。さらに「通夜の追分」に登場する人物に託した「仏と追分の世界を語る男たちもまた、おおらかな生の肯定者であった」との記述や、前記引用文中の「明日への熱源を追分に求めようとしているように思える」との表現等も見れば、被告らの主張がいかに事実に相違した一方的な暴言であるかが明白となろう。
原告が江差追分を最終的に規定した「北の鎮魂歌」という表現は、「北の波濤に唄う」において初めて江差追分に冠された原告による称賛詞である。歴史的に「敗北者の歌」の性格を持った江差追分を今日的に解釈した原告独自の表現といってよく、今日の江差追分が「北の波濤に唄う」の「通夜の追分」の章に描いた文字どおりの鎮魂歌としてばかりでなく、現代人の抱える孤独を癒す音楽でもあるとの視点からの表現である。被告らは、知ってか知らずか全くこの点に触れようとせず、もっぱら「敗北者」にこだわるが、「北の鎮魂歌」を育てたのが虐げられた人々、「敗れて北に流転した者たち」であった歴史は否定しようがない。被告らが町おこしの成果として挙げる内田康夫著「追分殺人事件」には、後記のとおり、原告の江差追分観を最終的に規定した称賛詞「北の鎮魂歌」の呼称が取り上げられているのであり、また、地元江差追分会編纂による「江差追分」にも「北の鎮魂歌」の項目がある。このように「敗北者の歌」という歴史的認識を経て成熟度・洗練度を増し現在の追分節へと伝承されたという原告の視点から生まれた「北の鎮魂歌」の呼称は、すでに第三者にも受け入れられ一般化したとさえいえるのである。被告らのように「敗北者」等の言葉尻のみをたたくのは木を見て森を見ない偏狭な態度との誹りを免れない。
また、原告の江差追分に対する視点が、被告らによっていかに意図的に曲解されたものであるかは、原告の「北の波濤に唄う」が読書界、言論界等においてどのように読まれたか、どのような反応をもって迎えられたか、を明らかにすることによってより客観的かつ明確なものとなろう。
例えば、江差出身のテレビプロデューサー脇哲、及び、札幌市在住の民謡研究家高田裕は、ともに江差追分を熟知した筆者であり、脇哲には「北海道民謡物語」(北粋出版刊)の著書があるところ、脇哲は、「この人の江差に対する思いのたけの深さは、こちらをたじろがせるていのものがある」とか、原告の「追分の歴史観になにがなし抵抗を感じるといいながら(脇自身、独特の追分観を持つ専門家としては当然の感想である)、再読した気持ちは「ヨクゾカイテクダサッタ」というほかない」と率直に評価している。また、高田裕も、「民謡・江差追分を求めて十年、とうとう木内宏というジャーナリストが音と言葉が詰まった本を出してくれた・・・朔北の歴史をささえる人達の<声>の現地録音盤(版)ということになる」と積極的に評価こそすれ、原告の追分観・歴史観には全く異を唱えていない。江差に深いかかわりを持ち江差追分に深い造詣を持つ両名だけに、もし内容に不快感や反感を覚えたならば、このような書評にはならないはずである。
また、読売新聞「フラッシュ」欄は、「思い入れが少し強すぎるように思われる」としながらも、「通夜の追分」に注目し、江差の人々が「この唄を守り育ててきた熱気」を「北の波濤に唄う」によって知り、さらに「熱気は全国にひろがって」と被告らの口癖にする「町おこし」の状況をも正確に読んでいる。朝日新聞「天声人語」もまた鎮魂歌としての江差追分に注目した記述である。
また、脇の書評を読んだ札幌在住の一市民である鈴木吉蔵は、「私も江差衆である」と北海道新聞に投書を寄せ、原告のことを「江差の町にただならぬ愛情を寄せている人だ」と被告らの言い分とは正反対のことを述べている。
またあえて付け加えるならば、右書評等は、被告らがことさら「北の波濤に唄う」朝日文庫版の修正・加筆に執着する以前の講談社版に対する評価であるという点である。
以上、被告らの主張は、「北の波濤に唄う」に対する世上の客観的評価、読み方とは正に正反対の悪意に満ちた独自の見解であることが明白である。
(ニ) 被告らの「町おこし」の視点について
被告らは、また、本件番組は、江差追分を、いわば江差の「生命の歌」とする、町おこしの視点を踏まえて構成されていると主張する。
江差追分を軸とする町おこしが本格的に開始されたのは、「北の波濤に唄う」が公刊されてから数年を経た昭和五〇年代後半に至ってからのことであり、これには原告の「北の波濤に唄う」が少なからず寄与した点を故意に無視している。原告は、「北の波濤に唄う」の公刊直後の昭和五四年、来宅した本田義一江差町長・江差追分会会長(退任後の現在は名誉町民)から、町の将来像について相談を受け、その際、本田氏から、「地域の活性化のためには何を軸に据えればいいか意見を聞かせてほしい。追分か、開陽丸か。」と聞かれ、原告は、「追分節だと思います。それ以外には考えられません。」と答えた。その後、江差町内に諸々の追分関連施設が建設され、それにつれて追分会の会員数も急速に増加した。原告が後年本田町長から私信の礼状を送られたのには、そのようないきさつがある。
被告らがいうサントリー地域文化賞、北海道新聞文化賞、北海道開発功労賞等の栄誉は、むろん江差町民をはじめ多くの人々の努力の賜であるが、その大半は「北の波濤に唄う」の公刊数年後からのものである。
被告らが町おこしの成果として引用する内田康夫著「追分殺人事件」にも、「北の波濤に唄う」の影響が見られる。登場人物の江差町役場職員が「江差追分は、単なる民謡というより、なんていうか、鎮魂歌のようなものなのです」(同書一五八頁)、「北の鎮魂歌といえば、なおカッコいいでしょうかなあ」(同書一五九頁)と語る場面は、「北の波濤に唄う」の「通夜の追分」章の冒頭(一四二頁)の「追分はただの民謡ではない、すぐれた鎮魂歌と表現していいのではないだろうか」とそっくり同じである。内田氏の小説の第四章は「北の鎮魂歌」となっているが、「北の波濤に唄う」にも「北の鎮魂歌」の章がある。
被告らは、ことさら曲解した原告の江差追分観と被告らのいうことさら誇張した「町おこし」の観点を対比して、原・被告らの間の内面的表現形式の同一性を否定しようと躍起になっているが、被告らのこの立論はそもそも論理的に成立し得ない問題である。
「町おこし」とは地域振興を目的とする具体的に動的な「政策・運動」であるのに対し、民謡江差追分の質をどう解釈するかという江差追分観は、主観的に静的な「音楽観・歴史観」である。概念の異なるこの二つの命題を、被告らは一つの対立軸のなかで同列に論じようとしているのであり、到底成り立つ道理がない。別の言い方をすれば、被告らの主張どおり、「北の波濤に唄う」が江差追分を「敗北(残)者の歌」と見る「音楽観」で書かれていると仮定しても、それが「町おこし」の「政策・運動」と相容れないとする客観的事実も根拠も存在しない。
(二) 被告らの主張
(1) 本件プロローグの著作物性及びその内面的表現形式について
本件プロローグ中の「出船三千、入船三千、江差の五月は江戸にもない」との記述部分は、そもそも原告の創作ではない。
また、「九月の江差の江差追分全国大会に昔日の賑わいを見る」という「視点」が、原告独自の創作であるとする点は強く争う。江差追分全国大会の有様を、江差の歴史(鰊盛漁の旧時と、衰微の現在)に照らして認識することは、客観的な歴史的事実、ないし社会的事実の単純な事実認識の問題であって、原告の創作活動というべきものではない。
本件プロローグは、その著者が江差追分の魅力にとりつかれ、北海道江差町で開かれる「江差追分全国大会」を機に、同町を初めて函館ー中山峠経由で訪問した際の探訪記である短編「九月の熱風」(甲二号証の文庫本で、本文正味二三頁)の冒頭部であって、一一個のパラグラフから成り、これから訪問しようとする江差町の過去をふりかえり、栄華(鰊漁の盛時)の時代に対して、これとコントラストされる現在(不漁の陰鬱な漁港)とを思い比べ、この衰退の中であるが、九月の二日間にわたる「江差追分全国大会」により、町が生気をとりもどすことになる旨の簡潔な前置きの記述である。このように、本件プロローグは、歴史的事実や社会上の事実の単なる記述にすぎない。
翻案権保護を主張する前提要件たる独立の著作物と認められるためには、表現形式上まとまりがあり、且つ、一定の思想の個性的発現展開ありと認められるものでなければならないと解すべきところ、右冒頭部の記述の内容は、江差町探訪記である短編「九月の熱風」において著者の探訪の行動の記述に先立ち、訪問先である江差町の過去(鰊漁の盛時)と現在(不漁のため衰退)という歴史(時の流れ)の中で、江差追分全国大会という現在の行事の盛行があるとの社会的事実の単純な事実認識を示すものであって、原告の創作成果ではない。また、この記述部分は、客観的に明白な実在の社会的事実の言明であるにとどまり、この冒頭部のみから「一定の思想」(まとまりがあって、創作性のある考え)の表現であるとは到底認められるものではない。
また、「九月の熱風」に示されている思想の体系(まとまりのある内容)は、江差追分会事務局からの、全国大会の準備が整った旨の電話連絡に始まり、現地に向かう行路(上野駅から青森、函館までの列車行、函館から江差行きバスの車内情景)、江差到着から大会会場の有様、予選会、ある出場者に係るエピソード、ソイがけの岩坂氏との問答、場外での経験、という一連の進行である。したがって、このような一連の出来事の語りと切り離して、この短編の内面的表現形式をいうことは、およそ成立し得ない。
(2) 翻案について
著作物の内面的表現形式なるものは、当該著作物の外面的表現形式に即して認識把握されなければならないところ、ここにいう著作物の内面的表現形式とは、本質論的に言えば、その著作物の基礎に置かれている著作物の一定の思想が、その著作物として見られる形態に表現展開されるに際してとられている個性的態様を指すのであり、例示的に言えば、小説であればその基本的モチーフ・ストーリー性・構成など、著作物のエッセンスを指すものである。
本件プロローグの内面的表現形式と本件ナレーションの内面的表現形式とを比較・対照し、その翻案権侵害の有無を検討する場合に最も重要、かつ基本的な事項は、客観的存在としての両内面的表現形式の比較・対照である。この内面的表現形式の同一性の存否の問題は、単なる影響関係の存否の問題とはその性質を全く異にするものであって、「同一性」と「影響関係」とを混同することの許されないことは当然であり、また、アクセスの有無の問題とも異質であり、両者を混同するべきではない。
@ 原告が主張する、本件プロローグの「外面的表現形式」に対応する「内面的表現形式@、A」について
原告の主張は、原告の主張する内面的表現形式「@鰊漁で栄えたころの江差は、その時期江戸にもない賑わいをみせていた。Aしかし、鰊の去った江差にはもはや昔日の面影はない。」について、原告が創出したものとの立場に基づくものであるが、原告が主張する「内面的表現形式@、A」はいずれも一般にひろく知られた歴史的事実、ないし社会的事実である。
また、鰊漁で栄えた当時の江差の賑わいぶりである「出船三千、入船三千、江差の五月は江戸にもない」の言葉は、「北の波濤に唄う」の原告の摘示個所において、「……の有名な言葉が今に残っている。」として原告自身が引用文であることを明示しているのであって、このことからも明らかなとおり、もともと原告自身が創出した言葉ではない。
したがって、本件プロローグや本件プロローグがある「九月の熱風」の章の記述の外面的表現形式・内面的表現形式を検討するまでもなく、「日本海に面した北海道の小さな港町、江差。古くはニシン漁で栄え、江戸にもないという賑わいをみせた豊かな海の町でした。しかし、ニシンは既に去り、今はその面影を見ることはできません。」との本件ナレーションについて、原告の著作物の剽窃や翻案権侵害が生じる余地はない。
A 原告が主張する、本件プロローグの「外面的表現形式」に対応する「内面的表現形式B」について
原告は、「九月、その江差が、年に一度、かつての賑わいを取り戻します。民謡、江差追分の全国大会が開かれるのです。大会の三日間、町は一気に活気づきます。」との本件ナレーションが、原告の主張する内面的表現形式「Bところが、その江差に華やかな一年の絶頂を迎える時がある。それが九月の江差追分全国大会である。」に基づき、「江差では誰もが一年の絶頂は八月の夏祭りであると考えているにもかかわらず、本件プロローグ以外に書かれたものはない九月の江差追分全国大会に昔日の賑わいを見る視点を、本件プロローグから剽窃した」旨主張する。
しかし、江差では誰もが一年の絶頂は八月の夏祭りであると考えているとの事実は存しない。
またそもそも、このような原告の主張が成立するためには、「北の波濤に唄う」か、あるいは本件プロローグが存在する「九月の熱風」の章の記述の中に、「一年の絶頂を迎える」が「かつての」「賑わい」を取り戻すことであることが明確に表現されていることが必要であるが、次に述べるとおり、「北の波濤に唄う」にも、「九月の熱風」の章にもそのような表現はない。
すなわち、本件プロローグは、「だが、その江差が、九月の二日間だけ、とつぜん幻のようにはなやかな一年の絶頂を迎える。
日本じゅうの追分自慢を集めた江差追分全国大会が開かれるのだ。
町は生気をとりもどし、かつての栄華が甦ったような一陣の熱風が吹き抜けていく。」となっており、「……だけ、とつぜん……」と期間の限定と不意・思いがけないことを表す言葉が重ねて用いられている点に特徴がある。そして、本件プロローグ中の「だが、その江差が……」とは、ふだんの衰退しきった「無気力な顔」をした「かつての栄華はあとかたもない」、「昔日の面影はない」江差町に、江差追分全国大会の期間中に限って、不意に、思いがけなく(江差町の人々の積極的な活動とは無関係に)、「一年の絶頂」が発生するものであることを表現するものである。そして、この記述は、江差追分全国大会の期間を過ぎれば、江差町が、もとの「無気力な顔」をした「かつての栄華はあとかたもない」町に戻ることを意味しており、これは、全国大会を江差町の人々の江差追分を軸とした「町おこし」の前向きな継続する積極的な活動との関連でとらえる表現ではないのである。
また、本件プロローグ中の「幻のようにはなやかな一年の絶頂を迎える。」との記述は、「幻」とは、「すぐ消えるはかないものであること。また、実在しないのに実在するようにみえるものであること。」であり、「はなやかな」とは「きらびやかで美しいさま。栄えて勢いがあるさま。きわだっているさま。」ということであるから(「大辞林」)、あたかも、この世の現実のこととも思われぬムード的表現であり、「かつての賑わい」と結び付く表現であるとは、到底いえないのである。
さらに、本件プロローグにおける「一年の絶頂」は、本件ナレーションで用いられている「賑わい」が社会的・経済的状況を明確に表す言葉であるのとは異なり、単に、現在の衰退した江差町にとって一年のうちで最高の状態であることを意味する抽象的な言葉に過ぎず、また、他のものに比してどの程度の段階であるかを表す言葉でもない。すなわち、現在の「一年の絶頂」が、過去の他のものに比して、同じ内容・性格のものであるのか、また、優っているのか、同じ程度なのか、劣っているのかは、この言葉だけでは不明である。
またさらに、本件プロローグの「町は生気をとりもどし、かつての栄華が甦ったような一陣の熱風が吹き抜けていく。」についても、「町は生気をとりもどし」とは、社会的・経済的な状況を表す言葉である「賑わい」と異なるものであり、また、「かつての栄華が甦ったような」は、江差町の状況を直接に表しているのではなく、「吹き抜けてゆく」「一陣の熱風」を修飾する言葉にすぎないのである。したがって、本件プロローグにある「生気」が「かつての賑わい」を意味するものでなく、これにより、「一年の絶頂」が「かつての賑わい」を意味しないことになるのであって、原告の主張する内面的表現形式Bは、これに対応する本件プロローグ(「外面的表現形式」)の意味を歪曲し、実際の記述から離れたものにほかならないのである。
B 原告の江差追分や江差追分全国大会に対する考え方、視点
原告は、「北の波濤に唄う」の「終着駅」の章の中で、江差を「どんづまり」、江差追分を「どんづまりの歌」として、江差追分には、海を渡り、「北の果ての辺境にたどりついた人たち」の「怨念」が込められた歌だとの視点を述べ、「北の波濤に唄う」の講談社版の「北の鎮魂歌」の章において、江差追分を「敗残者の鎮魂歌」、北へ逃れざるを得なかった「敗残者」などの「怨念の唄」「恨み節」で、「蝦夷地に辿りつき、腸をしぼった男や女たちの歌が、逃げ場を失った現代人の魂を慰める……現代人の鎮魂歌」「自己陶酔」「一種のマゾ」であるとの視点を述べており(原告のこの視点は、「北の波濤に唄う」の朝日文庫版においても、旧版の直截な表現ではなく、ソフトな言い回しを用いてはいるものの、何ら変わりはない。)、現代の江差町の人々や江差町の人々の江差追分に対する姿勢を「敗残者」である先祖と同一視する視点を述べているのである。原告は、本件小説やその他の著作においても同じ視点を述べているとおり、原告が江差追分を敗北者・敗残者・あぶれ者の「恨み節」「怨念の唄」ととらえ、また、現代の江差町の人々の江差追分を歌い、聴く姿勢を「敗残者」である先祖と同一視する視点に固執する偏った立場をとっているのである。したがって、本件プロローグ以外の原告の著作にも、原告が主張する「内面的表現形式B」を裏付けたり、あるいは説明する明確な記述がないのである。また、このことにより、原告が「九月の熱風」において、江差町を「無気力な顔をしている」「五月の栄華はあとかたもないのだ」などとことさらにその衰退ぶりを強調する記述をした理由も明らかとなるのである。
C 本件番組の内面的表現形式
本件番組は、民謡江差追分をもって敗残者の唄と解する偏った原告の視点に立つものではなく、むしろ、江差追分を、いわば、江差の「生命の歌」、さらには「人間賛歌」とする、「町おこし」の視点をふまえた上で構成製作されていることが明らかであるから、原告のいう「内面的表現形式」とは全く異質のもので、本件プロローグの剽窃・翻案権侵害の原告主張は失当である。
函館局は、この江差追分を貴重な地域文化として、数多くのニュース・番組でとり上げ、全国に紹介してきた。函館局は、江差追分全国大会には第一回大会から司会者、審査委員長を歴代派遣しており、大会の模様をニュースはもとより、番組でも度々とり上げ、大会の隆盛、江差追分を軸とした「町おこし」に大きな役割を果たしてきた。とりわけ、昭和五七年のNHK特集「熱唱二五時間〜江差追分全国大会〜」は、江差追分関係者の江差追分の普及、技能向上にかける熱意と江差追分の民謡としての魅力に引かれて、日本全国から全国大会に参加するありさまを描き、全国の追分ファンのみならず、民謡愛好者に多大な感銘を与えた。
また、昭和六二年一一月二二日放送の函館局製作「ほっかいどうスペシャル「江差追分ーうたで支えた町おこし」」(本件番組の製作担当ディレクターのB職員が担当した番組である。)は、地元出身の江差追分研究家の館和夫と江差追分の歌手佐々木基晴が出演し、江差追分の沿革や、「町おこし」の先駆として成果を上げている江差追分を軸とした江差町の再興活動を江差追分全国大会の状況と併せて紹介し、江差追分はかつての鰊に代わる「町の大黒柱として成長してきた」とのコメントで締めくくっているのである。
本件番組は、この「ほっかいどうスペシャル「江差追分ーうたで支えた町おこし」」の放送以後、江差町の江差追分を軸とする「町おこし」がさらに成果をあげ、社会的評価がさらに高まっている事実を踏まえて製作されたものである。
したがって、本件番組中の江差追分の全国大会開催時の状況に関する「九月、その江差が、年に一度、かつての賑わいを取り戻します。民謡、江差追分の全国大会が開かれるのです。大会の三日間、町は一気に活気づきます。」とのナレーションの内面的表現形式は次のとおりである。
本件ナレーションは、江差追分を「何くそ町を立て直そう、江差の灯を消すなの心意気を示す、いわば江差の「生命の歌」とし」てとらえ、江差追分を軸とした江差町の再興活動が、「新たな町づくりを果たした」とか、「追分節をもって郷土江差をよみがえさせ」たとまでいわれるほど社会的に評価され、数々の表彰となって結実している(本件番組放送直後の平成二年一一月には北海道文化賞、平成四年には北海道の最高の栄誉である北海道開発功労賞を受賞している)との広く知られた事実を踏まえ、本件番組が製作・放送された平成二年には全国大会に日本国内のみならずブラジルからも参加者があり、愛好者も全国に広がっていることや、日本からハンガリーに及ぶユーラシア大陸に広がる地域から追分タイプの歌の歌手や学者が集う江差・世界追分祭が併せて(いわば、威容を誇ったかつての鰊御殿にも比すべき江差町文化会館で)開催されるほど隆盛となった江差追分全国大会の盛況ぶりを述べる表現として、鰊漁の盛んだった時代に、日本各地から人々が集まった「かつての江戸にもない賑わい」に例えることが、最も適切な表現であるとの判断に基づくものである。
右の経緯を経て作成された本件番組は、「江差追分」をもって、基本的に、江差の「生命の歌」、「人間賛歌」ないし「郷土再生の歌」とする思想に貫かれており、この番組中に存する上記コメントもまた、右の基本思想に立つ認識判断である。
ところが、本件プロローグは、「江差追分」をもって、基本的に、「敗残者の唄」とする思想に貫かれているものである。
よって、本件プロローグと本件ナレーションとは、それらの各内面的表現形式(就中、根本思想・根本的性格)の点において、全く相異なるものというほかなく、本件プロローグの翻案権侵害が成立する余地はない。
3 原告が主張する名誉(社会的評価)は、存在していたか。
(一) 原告の主張
(1) 原告は、昭和四二年ころから江差追分に関心を寄せ、同五三年から五四年にかけて北海道檜山郡江差町へ七度の取材旅行をし、一年にわたる現地取材をした結果、同五四年「北の波濤に唄う」を発表した。原告は、同著書で追分節を今日の姿に近い形に練り上げたとされる伝説上の人物座頭佐の市が実在していたことを初めて実証し、また、追分節の挽歌、鎮魂歌としてのありようを見い出し、追分節と江差町の人々の人間模様を鋭く掘り起こした。同著書は、新聞、週刊誌等の書評、テレビ、ラジオ等の番組化で大きな反響を呼び、約五万部を売り尽くすベストセラーとなった。
また、原告は、昭和五五年には、江差追分の歌詞から書名をとり、江差追分歌いの第一人者青坂満との対談を含む対談集「何を夢みて」を発表し、同五六年には、一七編の短編中二編で江差追分をテーマにした「賽の河原紀行」を発表した。
原告は、その結果、作家及び江差追分に関する研究の第一人者としての地位を築き、昭和五四年九月の江差追分全国大会の席上で、江差追分の存在を全国にアピールし、その文化財的価値を見直す上で貢献したとして、江差町の江差追分会から功労者賞を贈られ、また、同年の全国大会の模様を記載したルポルタージュを同年一〇月発行の「朝日ジャーナル」誌に執筆した。原告は、その後もほぼ毎年の江差追分全国大会に出席し、また、朝日新聞その他の雑誌からも江差追分に関する執筆依頼を受け、それぞれ執筆したほか、江差町の広報誌に九回連載でエッセーを寄稿したり、「江差追分競演集」のレコード解説を担当し、講演の依頼を受けるなどし、さらに、江差追分会会長の江差町長本田義一から地域振興策について相談を受けるようになり、辞退はしたものの江差町から名誉町民となるように勧められるなど、江差追分の研究者として江差町町民及び江差追分愛好家から高い社会的評価を受けてきていた。
(2) 原告は、訴外札幌テレビ放送の開局三〇周年記念番組に追分節をテーマにしたドキュメンタリーあるいはドラマを製作するための原作の執筆依頼があったことを契機として、自費で約三週間のハンガリー取材を行い、東京大学在学中に専攻した歴史学の史実から着想、構想を練り上げ、平成元年四月、追分節の起源を探求し、追分節は騎馬民族フンとともにウラルから日本に来たという仮説、謎解きを最大のテーマとする本件小説を発表した。
本件小説は、追分節が歴史上の人物アッティラを首領とした騎馬民族フンとともに日本に伝流されたという、いわば追分節ウラル源流説ともいうべき独創的な虚構を縦軸に、追分節の挽歌、鎮魂歌としての色彩から悲恋小説の要素を横軸に展開させたものである。原告は、追分節ウラル源流説を学術的に実証することは現時点では不可能に近いことを考慮したため、小説という形式を採用したものであって、悲恋小説は従であり、あくまで追分節ウラル源流説が本件小説の主たるテーマである。
この追分節ウラル源流説は、原告の一〇数年の江差追分に関する研究及び大学在学中に専攻した歴史学の知識を基礎に初めて整合的に成り立ち得る歴史上の仮説であり、独創的虚構である。これまでユーラシア大陸に帯状に拡がる追分タイプと呼ばれる歌がただ点と点の存在として認識されるに止まっていたのに対し、本件小説は、点と点の間を具体的な線(ウラル↓日本、ウラル↓ハンガリー)で繋ぐことに成功し、しかも、追分節が不特定の騎馬民族によって大陸からもたらされたとする一般論ではなく、伝播者をハンガリーの歴史伝説上の人物チャバ(アッティラの息子)に率いられたフン族と特定し、戦いに敗れたフン族がチャバに率いられ東方へ敗走し、大海のほとりにたどり着いたというハンガリー歴史伝説と、古代日本の歴史書「続日本紀」に記録される歴史上実在する人物、東北蝦夷の首領阿弖流為(アテルイ)をフン族の末裔と結び付けることによって、歴史的整合性を獲得したのである。すなわち、四世紀ギリシャの歴史家アミアヌス・マルケリヌスによる歴史書に記載されているフン族独特の、一旦退却すると見せかけ敵を油断させ急襲する戦法と「続日本紀」に記録される阿弖流為(アテルイ)の戦法との同一性から、チャバ率いるフン族がたどり着いた大海を日本海と推定し、フン族の首領アッティラ(ハンガリー、トルコ読みではアテレ、エテレ)と蝦夷の首領阿弖流為(アテルイ)の表記の類似性と、アッティラと阿弖流為が生存していた時期が五世紀と八世紀とずれていることから、阿弖流為(アテルイ)をアッティラの息子チャバの末裔と想定したものである。
本件小説が発表されるより前には、ウラルとハンガリーの両地域が民族音楽的に同系の関係にあることは証明されているものの、右のような仮説を扱った学問的論文も文学作品も一切存在しなかったものであり、右の歴史的整合性に基づく江差追分のルーツ論である追分節ウラル源流説こそが、本件小説の社会的評価を獲得した核心的部分である。そのため、本件小説は、毎日新聞、産経新聞等の書評のみならず、歴史関係の雑誌「歴史読本」の書評においても紹介されるなどの反響を呼んだのである。また、被告NHK国際局のAからも、平成元年一〇月六日、被告NHKのスペシャル番組で原告の独創的虚構である追分節ウラル源流説を取り上げたい旨の提案があった。
被告らは、本件小説においては、追分節ウラル源流説の記述はない旨主張するが、本件小説では、ブダペストの研究所で見つかった古いテープが日本の追分節とウリ二つであること、ハンガリー人は、一五〇〇、一六〇〇年前ころはウラル山脈の麓でオスチャークやヴォグールと一緒に暮しており、このテープの葬送歌をその頃から歌っていたこと(本件小説三〇ないし三四頁)、この歌を最初にハンガリーに伝えたのがフン族であること(同一四六頁「たぶんフン族がまずハンガリーに伝え、後はマジャール族が歌い継いでいったのでしょうね」)、及び、東へ敗走するフン族の王子チャバの一行にマジャール族とその歌姫も合流していたこと(同一七三、一七四頁)が明確に記載されており、追分節とウリ二つの歌がウラルに起源を持つことがこの創作部分に描かれていることは、何人にも明らかである。本件小説では、右の虚構により、追分節とウリ二つの葬送歌がウラルを軸にして、いずれもフン族及びフン族とウラルで合流した種族によって、一つはハンガリーへ、もう一つは日本へもたらされたことが明確に表現されているのである。チャバがハンガリーから東へ敗走したことをとらえて、追分節はウラルではなくハンガリーから日本にもたらされた、ないしは、ウラルは中継点にすぎず、ウラル以前の起源は不明であるとするのは大きな読み違いである。すなわち、右葬送歌は、ウラルに起源を持ち、そこにいた民族がフン族のチャバと合流して日本に向ったときに、右の歌も一緒に旅に出たのである。なお、フン族がウラルにいたマジャール族等と合流したとする虚構を補強するために、本件小説では、「もともとユーラシアの一つの輪のなかで、互いに皆親しく付き合っていた。そこでは歌も踊りも共通だった」(本件小説一四五頁)という別の虚構で物語に整合性を持たせている(なお、ここで「ユーラシアの一つの輪のなかで」といっているのは、文脈からすれば、ウラルを指し示すものであることは容易に理解できるところである。)。
なお、民謡は、もともと作曲者も作詩者も不明の民族音楽を意味し、土器や人骨のような、その出自を特定し得る物的証拠は残さない無形文化財であるから、「何処で生まれたか」を論じることは無意味である。これに対し、歌の起源とは、それが歌われていた土地と歌っていた主体(民族)について、時代を遡及し得る範囲で把握できる実態についていうものであり、「何処で生まれたか」とは別次元の問題である。本件小説は、追分節の起源が、時代を遡る限りではウラル地方に行き着くという虚構に基づいて書かれているのであり、それ以前にどこで歌われていたか、ウラルで生まれたのかどうかは誰にもわからないことである。
以上のとおり、原告は、史実と江差追分に関する二〇年来の蓄積に基づき追分節ウラル源流説という歴史的整合性のある精緻な独創的虚構を、本件小説において初めて公表したという名誉(社会的評価)を得ていたものである。
被告らは、追分タイプの歌はソ連ウラル地方から広がったことは、民族音楽の研究者にとって、一般的知見であり、また、この推論は、情報を得れば、研究者であれば誰もが考えつく常識的な推論にすぎない旨主張するが、右の考え方が一般的知見であることを裏付ける証拠はなく、かえって、被告谷本が民族音楽学会の世界的権威と認めているハンガリー科学アカデミー音楽研究所民族音楽部門主任のヴィーカル・ラスロー教授は、右の考え方が一般的知見であることを及び常識的推論であることを明確に否定しているのである。また、世界追分祭での小島美子、柘植元一、藤井知昭の発言も同様であり、このような説を唱えたものがいないことは被告谷本自身本人尋問で認めているのである。
(二) 被告らの主張
(1) 本件小説は、原告のいう追分節ウラル源流説を内容としてはおらず、原告は、その発想を第一に提唱した者でもない。
すなわち、源流とは、水の流れるみなもと、物事のおこりというものであり、その内容としては、@最も古い発生時期が特定できること、A発生した一定の場所ないし地域が特定できること、B発生地点から他の地点へ伝搬、波及、移動したこと、及びその伝搬経路、状況が一定程度特定できることが必要である。しかし、本件小説には、追分節の発生場所に関する記述を欠いているのであり、原告が主張する追分節ウラル源流説という記述はなく、あるとすれば、追分節はフン族を起源とするという記述である。すなわち、本件小説では、追分節に似た葬送歌を一番昔から歌っていたのは、マジャール族、オスチャーク等ではなく、フン族である旨記載されているところ、フン族は、漢に追われて中国北部から中央アジアを経てハンガリーに移動した民族であるから、右葬送歌の起源は、ウラル山脈とは限らず、中国北部から中央アジアのどこかであると記載されているとみるのが、一番素直な結論である。また、本件小説では、フン族が葬送歌をハンガリーに伝え、これをマジャール族が歌い継いだことが記載されており、右葬送歌がウラルを起源としてハンガリーへ伝播したとの明確な記述はない(フン族の移動については、中央アジアのバルハシ湖からドナウやテイサの対岸での出現(本件小説一三二頁)までの間について何ら記載されていない。)。さらに、本件小説では、チャバが東へ駆け、ウラルを越え、ウラル山脈に住んでいたマジャール族等が合流し、例の葬送歌もこのとき東への旅に出た旨の記載があるが、この記載も、チャバ一行の出発地がハンガリーであること等を考えると、この記載から追分節ウラル源流説を読み取ることもできない。
また、原告は、追分節がどこで生まれたかどうかについてはよく分からないことであり、本件小説ではそれについては書いていないと主張するが、これは追分節ウラル源流説を自ら否定するものである。
そのほか、本件小説を紹介した新聞、雑誌の記事(甲三二、三三のもの)でも追分節ウラル源流説は全く出てこないし、本件番組の視聴者であり本件小説の読者でもある者から被告NHKに来た手紙(乙一六の1ないし3のもの)でも追分節ウラル源流説に言及したものはないのであり、本件小説から追分節ウラル源流説が客観的に読み取れないことは明らかである。また、原告自身も、本件小説の出版直後、本件小説の内容について放送等で述べた発言等(甲六七、六九に記載のもの)の中にも追分節ウラル源流説はないのである。
これは、そもそも、原告が追分節ウラル源流説を本件小説の内容やテーマとして意図していなかったことによるものである。
したがって、原告が追分節ウラル源流説という独創的虚構を、本件小説により初めて公表したという原告についての名誉(社会的評価)は、客観的に存在していないのである。
(2) 仮に、本件小説から追分節ウラル源流説が読み取れるとしても、原告のいう仮説を公表した文献として、本件小説が最初のものであるとの立証もないのであり、本件小説は、追分タイプの民謡がウラルを含むユーラシア大陸の各地に分布、存在していることと、モンゴルの歌が東は日本、西はハンガリーに伝播したとのモンゴル源流説や、ハンガリーの民謡の東洋・中央アジア起源説や、ハンガリーの民謡とアイヌの民謡の類似や、江差追分に似たアイヌの歌の存在等の既存の先行資料によって容易に着想し得るものであり、法的保護に値しない。
また、原告の主張する名誉権は、それがあったとすれば著作者人格権にほかならず、著作権法によって保護されるべきものであるし、著作権や著作者人格権として保護されないアイデアないし学術上の先行権は、民法その他の法制度の中でも法的権利として認められないものである。
4 被告らの行為によって、原告の名誉が毀損されたか。
(一) 原告の主張
(1) 被告NHKは、平成元年一〇月一八日、本件番組を北海道で放送したが、本件番組は、前記のとおり、「江差追分のルーツは、ソ連ウラル地方のバシキールに求めることができ、その旋律は、古代騎馬民族の移動によって日本列島にもたらされた。」との原告の独創的虚構を、あたかも学者である被告谷本独自の研究に基づく仮説であるかのように構成したものである。すなわち、本件番組においては、被告谷本の仮説として、ハンガリーの東洋的な追分タイプの民謡が騎馬民族によってもたらされたこと、ハンガリーから江差までの一万キロの追分ロードの中心がウラル地方であり、ヨーロッパとアジアを分けるウラル山脈で追分タイプの歌の原型が生まれ、そこから東西に追分タイプの歌が広がっていったことが、被告谷本自身及びナレーターによって語られているのである。
また、被告NHKは、新聞社向け宣伝資料及びステラ一一月九日号において、前記一7のとおり、江差追分がユーラシア大陸の各地の民謡と深いつながりがあるとの被告谷本の仮説に従い、モンゴル、ソ連、ハンガリーの各地で取材を行ったこと、被告谷本が追分のルーツと考えるバシキールには、尺八そっくりの楽器で伴奏する民謡が存在していたことなどを掲載し、新聞雑誌等を通じてその旨を全国に流布した。
さらに、被告布川は、前記一8のとおり、本件番組の視聴者数名からの手紙に対し、本件番組は被告谷本の学問的推論をもとに製作したものであり、原告も被告谷本の推論を聞きそこからヒントを得て本件小説を書いたと思われる旨の本件返書を数通送付し、また、北海道新聞及び週刊新潮の取材に対し、前記一9のとおり本件コメントを行った。
被告らは、右各行為によって、原告が史実及び二〇年来の江差追分についての蓄積に基づいて本件小説において表現した独創的虚構である追分節ウラル源流説が、あたかも被告谷本の独自の学説であるか、又は、学会において被告谷本によって立証されている見解であり、原告は、被告谷本から教示を受けた二番煎じの仮説を、本件小説で借用し、引き写したにすぎないかのような、事実と全く正反対の印象を本件番組の視聴者及び本件小説の一般読者に対し与えた。そのため、独創的虚構である追分節ウラル源流説をメインテーマとする本件小説は、その価値が著しく損なわれ、ひいては、原告は、学者の説を自己の研究成果のごとく取り込み、借用し、作品とする研究者、作家であるとの印象を、江差追分ファンの一般読者、視聴者に与え、原告の江差追分に関する研究者、作家としての名誉が著しく毀損された。特に、原告の北海道なかでも江差町での社会的名声、評価は、被告らの前記各行為によって、著しく低下した。
このことは、本件小説の一般読者から原告への「江差追分の源流のテレビを見た時、当然この番組の編成には木内さんが参与していると思いました。例の小説の内容と殆ど同じ箇所がいくつもあり、予て源流の話をおききしていたからです。」という手紙(甲五四のもの)、札幌市在住の主婦の原告に対する「リポーター役の先生は大学学長で、そのうえ外国から勲章までもらったですものね、木内さん(原告)がいくら自分の説だと言い張っても、誰だって偉い先生の言うことの方が正しいと思うわよ。仕方ないわね。」という発言からも明らかである。
なお、本件番組の全国放送が中止された後、江差町及び江差追分の宣伝ともなる本件番組の全国放送を中止に追いやったのは原告であるとの誤った風評が、江差町に流布され、原告が一〇年以上かけて蓄積、形成してきた金銭では評価し尽くせない貴重な財産である江差町及び江差町民からの評価、人間関係も損なわれ、原告は、江差追分全国大会への出席はもとより江差町への訪問すらできず、江差町民との交流も没交渉の状態に追いやられている。
(2) 名誉とは人の社会的評価ないし名声であるところ、名誉権侵害については、実体のない名誉とその毀損行為(名誉の低下)の具体的立証を要求すれば、およそ名誉毀損は成り立たないのであり、名誉毀損の成立には名誉が現実に害されたことの立証は必要なく、刑法の名誉毀損罪についての法理と同様に、侵害の危険の立証をすれば足りると解すべきである。
また、本件番組は、原告や本件小説に直接言及しているものではないが、本件番組が原告の名誉を毀損しているかどうかは、一般視聴者の通常の注意、関心及び聴き方を基準として、一般視聴者が本件番組から受ける印象によって判断すべきなのであり、本件小説刊行後、時を同じくして、被告NHKがドキュメンタリー番組と名打って、国立大学学長を全面に出し、その口をして江差追分のルーツをウラルと断言させ、実証されたと放送すれば、一般視聴者は、本件小説の内容は、既に学会で実証された見解の引き写しであり、二番煎じであるとの印象を与えられることは、明らかである。
(3) 侵害行為の態様が、特定人に対する告知という方法による場合は、その内容が広く社会に流布するに至らないときでも、その告知だけで名誉侵害が成立すると解すべきである。すなわち、公然性が要求されている刑事の名誉毀損罪についても、伝播性の理論によって、公然性の要件は希薄となっているのであり、民事の名誉毀損については、公然性の問題は、さらに希薄である。
したがって、被告布川が数名の視聴者に対し送付した本件返書は、それ自体で名誉毀損行為が成立し、違法性が認められるのは当然である。なお、被告らは、本件返書について、原告が被告谷本からいろいろ協力と助言を受けてきた経緯があったことから、類似する部分があっても不思議ではない旨説明したにすぎないと主張するが、右主張は、一般人の通常の注意、読み方を基準として、一般人が受ける印象ではなく、本件返書を歪曲化して読んだ主張である。
(二) 被告らの主張
(1) 本件番組と本件小説とは、ドキュメンタリー番組と、恋愛小説という点で基本的に異なっている。したがって、本件番組の視聴者は本件番組を追分タイプの起源を探るドキュメントとして見るし、本件小説の一般読者はこれをそもそも創作・架空のものとして受容するのであって、両者を同一次元のものとして受け止めることはない。
また、本件小説においては、江差追分の起源に深い関心をもった新聞記者がハンガリー探訪旅行をし、一つの物語を構想する中で、フン族が昔から歌っていた葬送歌が、ユーラシアの一つの大きな輪の中で親しく付き合っていたフン族、マジャール族、オスチャーク・ヴォグール等の民族によって歌われ、時代とともにその輪がばらばらに崩れ、各民族が東西に散り散りになったこと、フン族のアッティラ大王の死後、その子孫のチャバがハンガリーからウラルを経て、中国東北部を通り、日本海を渡り、その子孫が日本史の古代蝦夷の阿弖流為となったこと等を創作ストーリーとして記述している部分があるが、本件番組は、このようなストーリーを取り上げておらず、アッティラ、チャバ、阿弖流為等にも触れていない。したがって、本件番組の一般視聴者が本件小説を被告谷本の見解の二番煎じと印象づけられるはずはなく、本件番組が原告の名誉を毀損することはあり得ない。
さらに、本件小説の一般読者から原告への手紙(甲五四のもの)にも、本件番組が本件小説や原告の話を参考にしていると思った旨を述べているのであり、本件小説が被告谷本の仮説の二番煎じであるという印象を受けたとか、本件番組が追分節ウラル源流説と似ているとか同源流説を盗用したなどの記述はない。
さらにまた、原告は、追分の起源について、原告が第一提唱者であるのに、被告らが本件番組でそれに言及せずに本件番組を放送したという不作為により、原告の名誉権が侵害された旨主張するものと解されるが、被告らには、そのような不作為が違法性を有するような作為義務はない。
なお、原告の「北の波濤に唄う」等を発表した江差追分の研究者、作家としての名誉については、本件番組との抵触はなく、名誉権侵害の問題とはなり得ない。
(2) ステラ一一月九日号及び新聞社向け宣伝資料については、いずれも本件番組の内容の紹介にすぎず、何ら原告の名誉に言及しておらず、原告の名誉を毀損する事実摘示が存在しないことが明白である。
(3) 被告布川は、本件返書において、「本件番組は、民族音楽の専門学者である被告谷本の協力と助言を受け、かつ、ユーラシアの諸地方に探訪取材したうえで、ドキュメンタリー番組として構成した」との番組製作の経緯を説明し、そのうえで、本件小説が、本件番組と同じく江差追分のルーツという民族音楽の問題を取り扱っている上に、原告が被告谷本からいろいろと助言を受けてきた経緯があったところから、本件小説が本件番組と類似する部分があっても不思議はないという説明を付加しただけであり、それ自体原告の名誉を毀損すべき記述事項ではない。
また、本件返書は、少数(三名)の特定された者への返信であり、不特定多数人への頒布ではないから、原告の名誉を毀損しない。
(4) 本件コメントのうち北海道新聞のコメントは、被告布川のコメントを正確に記事にしていないが、被告布川は、北海道新聞の取材に対し、本件番組は被告NHKがオリジナリティをもって作り上げたものであり、原告の著作権も名誉も侵害していない旨の発言をしているのであり、何ら原告の名誉を侵害していない。
本件コメントのうち週刊新潮のコメントも、被告布川が「原告にお断りしなかったのは悪かった」旨の発言をしたことはなく、被告布川のコメントを正確に記事にしていないが、仮にそのとおり被告布川が発言したとしても、何ら原告の名誉を侵害するものではない。
5 名誉毀損行為について被告らの責任はあるか、あるいは、違法性阻却事由は存するか。
(一) 原告の主張
(1) 被告NHK
被告NHKは、本件番組の放送によって原告の権利を侵害しないように注意すべき義務を負うにもかかわらず、原告の再三の警告を無視して、本件番組を放送した。また、被告NHKは、被告仁平及び被告布川の使用者としてこれを監督する義務があるにもかかわらず、それを怠った過失がある。
なお、新聞等マスメディアの報道の場合には、名誉毀損の違法性の判定には、報道の自由について公序良俗規範が作用すると共に、社会的評価を低下させられる人の不利益と当該情報を知ることによる他人の利益(報道の自由ないし知る権利)との比較衡量が重要であるが、本件番組は、学会に研究発表されておらず、学問的論証や専門家の支持も全くない仮説に基づいたにすぎないものを、学者による実証、ドキュメンタリーと偽って製作されたものであり、本件番組の放送行為自体、国民の知る権利に奉仕するどころか、国民を欺瞞する表現行為であるにすぎない。
(2) 被告仁平
被告仁平は、原告が追分節ウラル源流説を創作し、本件小説においてこれを展開していることを熟知していたにもかかわらず、原告を被告谷本に置き換え、被告谷本が立てた仮説として本件番組を製作した。
このことは、函館局には江差追分に関する番組製作の実績がなく、資料も十分でなかったこと、被告NHK国際局の佐藤が本件小説を基にテレビ番組化を発案し、それが函館局との共同提案となったのに、函館局が単独提案として、本件小説を原案とする国際局AのNHKスペシャルの企画案を盗み、独自の取材、企画と称して、原告を被告谷本に置き換えて、本件番組を製作したとの経緯、函館局の番組提案書(甲七のもの)に、本件小説「ブダペスト悲歌」そのものの題名と、本件小説の中で主人公が書いたノンフィクションの「彷徨える旋律」という題名を使用し、「かつてユーラシア大陸を西へ東へとさすらったひとつの旋律があった」と、本件小説の表紙の帯にある文章と同一の記載があること、また、世界追分祭実施計画書(甲一一の2のもの)中にもNHK放送計画(予定)として、「彷徨える旋律」という番組タイトルが記載されていること、前記2(一)の原告の主張のとおり、本件ナレーションは、「北の波濤に唄う」の文章を実質的に利用していることから明らかである。
(3) 被告布川
被告布川は、本件番組が本件小説の著作権を侵害しているおそれが大きい旨の原告の平成二年一〇月一二日付け被告NHK札幌放送局長宛の警告書等を無視して、本件番組の放送を許可し、また、事実関係を十分調査確認せずに、原告の名誉を毀損する本件返書を不特定多数人に送付し、新聞雑誌に対し本件コメントを行った。
また、被告らは、本件返書について、真実と信じるにつき、相当な理由があるとして、被告谷本の陳述書(乙九五のもの)を相当性の根拠として主張するが、学者である被告谷本が学術上何らの支持もない追分節ウラル源流説を原告に説明したとはありえない話であり、原告が原告の仮説について被告谷本に学者としての助言を求めたという事実はない。
(4) 被告谷本
被告谷本は、江差追分について研究したことはなく、江差追分の起源に関する著書、研究報告等の学問的実績のない全くの門外漢であり、本件番組において述べられた「江差追分のルーツはソ連ウラル地方のバシキールに求められ、そこから広がった。」という仮説の持ち主ではなく、しかも、ハンガリー取材旅行に際し便宜を図ってもらった謝礼の意味で原告から本件小説を贈呈され、その内容を本件番組製作前に十分知っていたにもかかわらず、本件番組に出演して、原告に入れ替わって、右仮説をあたかも自己の研究に基づく仮説であるかのような発言をしたのである。
また、被告谷本は、追分節の起源について、一般的知見など存在せず、その起源については現時点では学問的に論証不可能であることを熟知しているにもかかわらず、本件番組において追分節ウラル源流説が自己の仮説ないし学会における一般的知見であるかのように発言したことは、一般視聴者を愚弄するものであり、学者としてのその社会的地位に鑑み、極めて悪質である。
すなわち、追分節ウラル源流説が一般的知見ではないことは、ヴィカール・ラスロー教授のインタビュー(甲四九のもの)及び江差・世界追分祭報告書中の小島美子の記述(乙五の同報告書一二頁)並びに公開討論「追分節のルーツ/歌の系譜」における柘植元一及び藤井知昭の発言(同四三頁、四八頁)からも明らかである。また、被告谷本は、追分タイプの歌が、@モンゴルから日本へ移動したことについては、小泉文夫、長尾真道等の騎馬民族説を根拠とし、Aウラルから東方へ移動したことについては、「日本語の起源に関するアルタイ語説」、「日本民族の起源に関する騎馬民族説」、「ある文化要素が遠くに行くほど精緻なものになる」という民族学の理論を根拠とし、そして、B「同心円的な地理的分布」とか「その同心円の中心に位置する場所での濃さ」も江差追分ウラル源流説の根拠である旨主張する。しかし、@の騎馬民俗説については、著名な民族音楽学者である小島美子によれば、まだいろいろと問題があるといわれている(被告NHK教育テレビ「人間大学」平成四年一月〜三月期のテーマ「音楽からみた日本人」のテキスト)のであり、一般的知見であるということもできない。また、Aについても、「日本語の起源に関するアルタイ語説」、「日本民族の起源に関する騎馬民族説」は、定説になっておらず、また、Bについても、地理的中心であるからルーツであるというのは根拠となり得ず、結局、被告谷本の右根拠を裏付ける学説はない。さらに、被告谷本自身、本件番組の放送直前の平成二年九月一一日付け北海道新聞の記事においても、また、同月一四、一五日に開催された国際民族音楽シンポジウムにおいても、江差追分ウラル源流説については一言の言及もしていないのである。にもかかわらず、被告谷本は、本件番組と、江差・世界追分祭報告書四九頁以下において、追分節ウラル源流説を述べ、本件番組の全国放送中止とともに同説を放棄しているのである。例えば、被告谷本は、本件番組の二ヵ月後に出版されたライオンズクラブ機関誌「ザ・ライオン」平成三年二月号のインタビュー記事において、「追分タイプの歌と五音音階を持っている民族を並べると日本からハンガリーまで帯ができるというところまで確認できました。・・・ルーツというのは、実際難しいものでして、これはあくまでいまのところ、いくつかの事実を背景にした仮説ですね。あの話も、非常にロマンチックな仮説なんですけれども・・・あまりルーツはどこかということに、いまはこだわらないようにしています。」と述べているのである。
(二) 被告らの主張
(1) 被告NHKの函館局は、昭和三八年に始まった江差追分全国大会に当初から加わって、同大会の司会、審査委員長を歴代つとめ、大会の模様をニュースや番組で度々取り上げてきたが、特に同五七年のNHK特集「熱唱二五時間〜江差追分全国大会〜」は、全国の追分ファン、民謡愛好家に多大の感銘を与えた。函館局は、このように江差追分に関する番組を数多く製作してきており、その資料の蓄積を持っていた。
そして、函館局の放送部の源川チーフディレクターは、昭和六三年に、江差町の文化センターのこけら落としに、国際的な民謡大会を開催するアイデアを同町の観光課長と話し合っていた。被告仁平は、そこへ平成元年七月に着任し、源川と話合ったり、追分のルーツを本州の馬子歌に求めた番組を視聴するなどして、追分のルーツはユーラシア大陸とのロマンあふれる説をテーマにNHKスペシャルのような全国放送ができないか、それには世界民謡祭とか世界追分祭のような大きなイベントの開催を考えてみることが必要ではないかと考えていた。
函館局は、そのころ、国際局の佐藤から、函館局とテレビ番組を共同製作できないかとの打診を受けた。被告仁平は、佐藤が右番組の企画において本件小説を話題としていたが、本件小説を読んで、これが恋愛小説であるうえ、古代蝦夷の首領阿弖流為がフン族の王アッティラの子孫で、フン族がハンガリーに追分節の原型を伝え、それをまた日本に伝えたという部分は文字どおりの物語で、これを資料にドキュメンタリー番組を製作してNHKスペシャルに提案することは成り立たないと判断した。そのため、被告仁平は、佐藤にその旨と世界追分祭のようなイベントを開催すれば番組化しやすいことを述べた。
被告仁平は、平成元年九月二四日、被告谷本と会い、ユーラシア大陸の各地に江差追分に似た民謡があることや世界中に幅広い人脈があることなどを聞き、世界追分祭やNHKスペシャル番組を提案したいと考えていることなどを説明し、被告谷本がこれに対し協力することを約した。被告仁平は、平成元年一〇月下旬、被告谷本と共に江差町役場を訪れ、観光課長や町長と会って、世界追分祭の開催を提案し、被告谷本の協力が得られることを伝えたところ、江差町も全面的に賛成し、一年後の「江差・世界追分祭」へ向けての準備が始まった。
函館局は、この時点で、江差追分のルーツを求めてユーラシア大陸を横断し、追分に似た歌をもつ民族を現地で映像としてとらえると同時に一つの旋律の底に流れる民族の想いを描こうとする企画に向けての作業が始まり、太田を担当ディレクターに決めた。
国際局と函館局は、平成元年一一月二九日、NHKスペシャルへの共同提案についての打ち合せを行った。国際局の提案は、一九九〇年の東欧の動乱期、特にハンガリーの総選挙の時期に取材を行うことに力点をおいたものであるのに対し、函館局の提案は、世界追分祭と追分のルーツをさぐることを番組内容とするものであった。右同日の国際局と函館局との打ち合せは、物別れに終わったが、その後、国際局が譲歩し、函館局案で共同提案することが合意され、国際局と函館局の共同提案が平成元年一二月に正式に被告NHKの東京・編成局に提出された。
函館局は、右共同提案後、被告谷本の説明によりウラルからハンガリーとモンゴルから日本までの追分の流れについては、これまでにも数多くの研究があるが、ハンガリーとモンゴルの間の音楽の流れが問題であり、その中間にあるウラル地方がポイントになると思われたため、平成元年一二月にソ連に出張することになった被告谷本を通じ、ソ連の民族音楽学者ゼムノフスキーに江差追分に似た民謡がウラル地方を中心とした地域にあるかどうかの調査を依頼した。また、函館局は、NHKスペシャルへの提案が不採択になった場合に備え、北海道ブロック放送のための準備も必要と考え、平成二年一月、「ほっかいどうスペシャル」提案として「甦る絆〜世界追分祭」(甲五のもの)を札幌局に提出し採択された。
国際局案と函館局案とは、共同提案が前提で、追分のルーツを日本からハンガリーに求めるという同一のねらいを持っていることから、表現の一部やルーツ捜しという内容の点で結果として類似ないし同一のものがあっても、その提案内容の力点の置き方や主催対象等に明らかな隔たりがあり、全体としてみた場合、両者はその内容において全く異質のものである。
国際局と函館局のNHKスペシャルへの共同提案は、平成二年二月、不採択となり、その結果、右共同提案の計画は終了した。函館局は、同年一月、北海道スペシャルとして「甦る絆〜世界追分祭」の提案を行って採択されていたが、その提案も共同提案の函館局案(甲七のもの)と同じく、世界追分祭を重視し、追分ロードの検証をめざすドキュメンタリー番組を意図するものであった。したがって、本件番組は、函館局が独自に製作するものであり、本件番組の提案書は、もともと製作意図の異なる国際局案の内容とは明確に異なるものとなっている。被告仁平と被告谷本は、同年三月、ゼムソフスキーから届けられたウラル地方を中心とした民謡のテープを検討したところ、メロディも伴奏も最も追分に似ているのがバシキールの民謡であったため、未だ外国のテレビ取材が入ったことのないバシキールでの取材ができれば、本件番組の目玉になると判断した。
函館局は、平成二年六月末から八月にかけて、モンゴル、バシキール、ハンガリー、ルーマニアと取材を続けながら、学者や歌手とも打ち合せをすませ、四〇日間のロケを無事終了したが、特に、バシキールでは、結婚式で歌われる別れの歌、尺八とよく似た音色のクーライ、馬が生まれそこから東西へ散っていったという伝説のある湖などを取材することができた。函館局は、平成二年七月末、バシキール取材を盛りこんだ番組の全国放送の提案をし、同年九月に、秋期特集として同提案が採択された。
一方、世界追分祭の準備も進められ、平成二年四月一一日、実行委員会設立総会が開催された。
国際局の岡本は、平成二年八月、函館局の布川に対し、「NHKスペシャルの共同提案を検討した経緯からして、函館局が秋期特集の提案を出す際には連絡をしてほしかった」旨の電話をしたが、被告布川は、共同提案後、函館局独自の調査取材を踏まえて、秋期特集中の別の番組として函館局が独自に提案を出していたことから、「正式に採択が決定された後に岡本に伝えるつもりであった」旨答えている。また、札幌放送局長は、平成二年八月末、佐藤から同年一一月三日放送予定の函館局提案の秋期特集番組について抗議の手紙を受け、同年一〇月一二日付で、原告から右番組が本件小説の著作権を侵害しているおそれが大きく、速やかに適切な措置を取るべきことを希望する旨の手紙を受領した。函館局は、著作権侵害はないと判断していたが、原告と話合う機会を持とうとしたものの、日程の調整が付かず、平成二年一〇月一八日、本件番組が予定通り、北海道ブロック放送として放送された。
(2) 追分節の起源がバシキールであるとの被告谷本の仮説は、@追分様式と呼ばれる民謡が、騎馬民族の影響を受けたユーラシア大陸の各地(韓国、中国、モンゴル、カザフ共和国、バシキール、ハンガリー等)に客観的に存在していること、Aハンガリーの追分タイプの民謡は、四世紀にはフン族、九世紀にはウラルからマジャール族が現在のハンガリーに定住し影響を与えており、また、一三世紀には、モンゴル帝国がハンガリーにも影響を与えているとの歴史的事実、Bバシキールには追分様式の最も古い素朴な原型を残している民謡が残っていることが被告らの現地取材によって確認されており、また、日本からハンガリーまでの追分ロードの中心に位置するのがバシキールであること、Cバシキールもモンゴル同様家畜を追って移動する遊牧民であること、Dハンガリーの民族音楽の最近の研究ではハンガリーの民謡に似ているのは、フィヌ・ウゴール系の民族の民謡より、トルコ系の民族の民謡であるとされ、バシキールはトルコ系の民族であること、Eトルコ族とモンゴル族とは、民族的、発生地的、文化的親縁関係があること、F民族や文化の移動、交流は、常に東あるいは西に偏ることなく行われており、日本も大陸の動きと一体のものであること、G楽器の音色に対する趣向(バシキールのクーライ、モンゴルの馬頭琴、日本の尺八)が共通していること、H世界追分祭の交流討論でのバシキール作曲家同盟議長のガシゾフの話など、かなりバシキールやトルコ系の民族に焦点を当てて行われた討論の内容、以上を総合的に判断した結果得られたものである。
このように、被告谷本の右仮説は事実に関する知識を重ねて総合的に判断した結果得られた知識であり、一般的知見ないし一般的知見の枠の中のものであり、また、本件番組は、右の客観的事実が存在することを紹介し、そこから合理的に推論された内容を紹介したものであり、仮にそれが虚構の創作内容とたまたま同様の結果になったとしても、それをもって右虚構の創作内容を盗用ないし依拠したとするのは筋違いであり、主張自体失当である。また、原告も、客観的諸事実を根拠にして、合理的に推論した結果、右仮説に至ったとしても、相互に客観的諸事実を根拠にして合理的に推論した結果同様の結論に至ることについては、盗用ないし依拠という問題は生じない。
また、被告谷本は、江差追分の研究歴があり、原告のハンガリー取材の際、原告に対し、ウラル、モンゴル、トルコとの関係を研究している学者に絞って三名紹介し、ハンガリーと日本との関係を調べる場合、特にハンガリーとウラルとの民族音楽上の関係が大切であること、フィヌ・ウゴール系の民族音楽とハンガリー民謡との間には深い親縁関係の存在が指摘されていることとその研究者名、ハンガリーと日本との関係についてウラルがポイントであること等を説明し、原告の要請でハンガリーとフィヌ・ウゴールとの民族音楽上の関係を書いた「ハンガリー音楽小史」「ハンガリーの民族音楽」など書籍数冊を提供し、さらに、五音音階メロディーの旋律構造、特にハンガリーの古い層の民謡とフィヌ・ウゴール系民族のマリ族の民謡が同一構造であることや葬送歌のこと等を説明し、古代マジャール民謡の旋律をレコードやテープで原告に聴取させ原告にハンガリーの民族音楽の学者を紹介したほか、被告谷本の長女も原告のハンガリーでの取材の通訳等に協力しているのである。
以上のとおり、本件番組の内容は、被告谷本の経歴も含め、真実であるし、また、その内容は公共の利害に関する事実であり、もっぱら公益を図る目的に出たものであることも明らかである。よって、被告らが本件番組を放送した行為については、違法性がない。また、仮に、右の真実性の証明が十分になしえなかったとしても、本件においては、被告らが右の事実を真実と信じることについては相当の理由があるから、被告らの右行為には故意又は過失がない。またさらに、本件番組の放送は、いわゆる公正な論評の法理に照らし、違法性はない。
なお、原告の札幌放送局長への手紙は、直接には一一月三日放送予定の全国放送番組に対する著作権侵害の問題であり、函館局では、全国放送番組はまだ完成していなかったものの、番組のテーマ、構成のいずれをみても原告の指摘するような著作権侵害はないと判断した。しかし、函館局は、原告の誤解を解くために話合いを求め、原告とその打ち合わせをしていたが、その間に本件番組の放送が行われたのである。
(3) 被告布川は、次のような事実があったために、一つの有り得る成り行きとして本件返書を記載したのであり、本件返書の内容は、虚偽の記述ではなく、十分な根拠があったのである。
@ 被告布川は、本件番組製作過程で被告谷本の諸々の教示に接していた。
A 被告谷本は、昭和五一年ころ江差追分、モンゴル民謡、ハンガリー民謡の関係を追跡しようという構想の北海道のラジオ局の放送番組に出演関与していた。
B 被告谷本は、北海道学芸大学、北海道教育大学においてハンガリーやロシアの民族音楽について研究し、ハンガリー文化交流功労者賞、バルトーク記念メダル受賞などの栄誉を受け、ハンガリーをはじめ民族音楽の専門家として高名である。
C 札幌テレビ放送が追分節のルーツをテーマとする番組の企画を立て原告がハンガリー取材に同行することになった際、被告谷本は、原告に対し、ハンガリーの民族音楽学会の研究状況、研究者名、及び、ハンガリーとモンゴル、モンゴルと日本との間に民族音楽上の親縁関係を指摘する諸説があり、ハンガリー民族がかって居住していたウラルがポイントであること、並びに、ハンガリー民族と日本人との間には、人類学上、言語学上、民族学上共通性があること等について説明し、「ハンガリー音楽小史」やゾルターンコダーイ著「ハンガリーの民族音楽」ほか数冊を提供し、後者の本については、ハンガリーの古い層の民謡とフィヌ・ウゴール系の民族であるマリ族の民謡とが同一構造であることを説明した。
D これらの被告谷本の協力や助言の片鱗が本件小説の中に数多く出ている。
以上のとおり、本件返書の内容は、真実であるか又は被告布川が真実と信ずるにつき相当の理由があったのであり、また、追分節の分布ないしルーツに関する事実は一般公衆の関心事であり、公共の利害に関する事実であるから、被告布川が視聴者に対し本件返書を送付した行為は、違法性はないか有責な行為とはいえない。
また、被告布川が本件返書を送付した行為が仮に原告の社会的評価に負の影響を生ずると仮定しても、いわゆる公正な論評の法理に照らし、違法性はない。
第三 争点に対する判断
一 本件番組の製作、放送は、原告が本件小説について有している翻案権及び放送権並びに氏名表示権を侵害しているか。
1 本件番組は、本件小説を翻案したものであるか。
本件番組が本件小説の翻案権を侵害したものであると認めるためには、被告らが本件小説に依拠して本件番組を製作し、かつ、本件小説における表現形式上の本質的な特徴を本件番組から直接感得することができることが必要である(最三小判昭和五五年三月二八日・民集三四巻三号二四四頁参照)。
(一) 依拠について
本件番組の製作責任者である被告仁平は、本件番組を製作する前に、国際局の佐藤と連絡を取り、原告の本件小説を読んだ上で、国際局との共同企画の立案をしていたものである(甲四八、乙一二)。また、被告谷本は、本件番組の製作に当たり、被告仁平らに助言、指導し、コメンテーターとして本件番組に出演しているものであるが、原告から本件小説の第一稿の送付を受けこれについてコメントをし、また、本件小説刊行時に原告から本件小説を贈呈され、これを読了している(甲二二)。
したがって、本件番組の製作責任者の一人である被告仁平及び本件番組の出演者であり、コメンテーターの一人である被告谷本が本件小説を読んでいたとの事実は右のとおり認められる。
(二) そこで、本件番組が客観的にみて本件小説を翻案したものであるといえるか否かについて、次に判断する。
著作権法は、著作物において表現されているアイデア自体を保護するものではないから、原告の著作物と被告らの著作物との間にアイデアの同一性があるとしても、そのことにより直ちに翻案権侵害が認められるわけではなく、むしろ、本件番組が本件小説を翻案したものであるか否かは、前記のとおり、本件小説における表現形式上の本質的な特徴を本件番組から直接感得することができるか否かにより決すべきである。
本件小説は、前記第二、一2認定のとおり、(1)組織の主流からはみ出した社会部の新聞記者の秋間が、三年前から休暇を取っては江差町に出かけるようになり、追分節に託して自分の胸中を描いたノンフィクション「彷徨える旋律」という本を執筆したが、その本がきっかけで、日曜版に連載する「世界歌物語」の執筆スタッフに抜擢された、(2)秋間は、そのころ、札幌の大学で民族音楽論を講じる谷川英之と会い、ハンガリーのセーケイ教授より、最近ブダペストの国立音楽アカデミーにある録音テープの中から、日本の追分節とウリ二つの曲が見つかったとの連絡を受けたとの話を聞き、右の曲と追分節との関係を探り、世界歌物語を執筆するため、ハンガリーへ取材旅行をすることになった、(3)秋間は、ブダペストで、セーケイ教授から江差追分とウリ二つの曲のテープを聞かされ、かつ、その曲が葬送歌であるとの説明を受け、江差追分も葬送歌である旨を説明した、(4)セーケイ教授によれば、右葬送歌は、四、五世紀ころからウラル山脈に居住しているオスチャークやヴォグールによって現在まで歌い継がれているとのことであった、(5)秋間は、ブダペスト滞在中に、五年前から国立リスト音楽院ピアノ科で学んでいる日本人留学生野島友子と出会ったが、友子は、ハンガリー人の恋人ミクロシュとの別れを決意したところであり、秋間の著書「彷徨える旋律」を通して、秋間に惹かれていく、(6)秋間は、追分節とハンガリーの葬送歌との関係について取材を続け、@フン族については、五世紀末ころ、アッティラの死後に、その息子チャバに率いられて、東の果てまで駆けて、ヨーロッパに現れるよりはるか以前の故郷へ帰ったのであるが、それは大海のほとりであるとの伝説があったこと、A続日本紀によれば、八世紀ころ、東北地方に勢力を張った蝦夷一族の英雄阿弖流為がいて、大和朝廷軍を相手に騎馬兵を率い、毒矢を放って果敢に抵抗したことで知られており、いったん退却すると見せかけ、敵を油断させておいて急襲するとの戦法もとったことが記載されていたこと、Bアッティラとは、古代ハンガリー語でアテレ又はエテレと発音され、阿弖流為(アテルイ)と類似の発音であることと、いったん退却すると見せかけて急襲するという戦法は、アッティラのフン族と全く同じ戦法であることを総合すれば、チャバがたどりついた大海のほとりとは、日本海であり、阿弖流為は、フン族のアッティラの子孫であると推測されること、以上@ないしBから、チャバが五世紀末に東へ駆け、ボルガを渡りウラルを越えるときに、途中で幾つかの種族がこれに合流したが、当時ウラル山脈付近で遊牧生活を送っていたオスチャーク、ヴォグール、及び、ハンガリー人の先祖マジャール族の一部やマジャール族の歌姫もこのときこれに合流し、オスチャークやヴォグールが今も歌っている葬送歌(ハンガリーで発見された葬送歌)は、このとき東への旅に出て、チャバにより日本へ伝えられ、追分節として残っているのであり、長い歳月をかけてユーラシア大陸をさまよった右葬送歌の西の終着駅はハンガリー、東の終着駅は江差であるとの構想を得たものであり、帰国後に「ユーラシアの悲歌」と題して右の構想で執筆する予定であった、(7)ハンガリーでの取材をほぼ終わった秋間は、友子とトカーイへ旅をして結ばれ、その後、友子がリスト音楽院を卒業したら迎えに来ることを約束して帰国する、(8)日本に帰った秋間は、補足の取材を行い、一週間かかって、前記の構想に基づいた原稿を書き上げ、そのタイトルを「ブダペスト悲歌」としたが、その原稿については社内の局長会議での了承も得られ、編集幹部からもねぎらいの言葉を受けた、(9)秋間は、東北旅行の計画をし、一方、友子も、年末に一時日本に帰国することになり、一緒に東北へ旅行することになったが、友子は、そのころピアノのコンサートへの出演依頼を受け、帰国をあきらめていたところ、ミクロシュに連れ出され、交通事故のため死亡する、(10)秋間は、友子と一緒にくるはずだった恐山で、友子の死の知らせを受けるが、傷心の秋間の耳に、ラジオの音か、チャバや阿弖流為の葬送歌か、遠くに幽かな歌声が聞こえた、というものである。
本件小説は、このように、追分節とよく似た葬送歌がハンガリーにあることから、追分節とその葬送歌との関係を探り、追分節の起源を探求していくことを一つの重要なテーマとし、また、主人公秋間と友子との悲恋をもう一つの重要なテーマとして、両者を経糸及び緯糸として織り込みながら構成されているものである(なお、本件小説において追分節ウラル源流説が記載されているか否かの詳細については、後記三2認定のとおりである。)。
これに対し、本件番組は、前記第二、一3のとおり、北海道教育大学学長の被告谷本を番組のコメンテーターとして出演させ、被告谷本のコメントとナレーション、及び、ハンガリー、バシキール、モンゴル等への取材により、江差追分のルーツに迫ろうとしたものであり、また、世界追分祭の様子も伝えているものであるところ、その内容は、(1)追分節と類似の曲が、騎馬民族の影響を受けた日本、韓国、中国の東北部、内モンゴル、モンゴル、そしてソビエトのカザフ共和国、バシキール、さらにハンガリー、ルーマニアまでユーラシア大陸に帯のように存在し、一万キロに及ぶ追分ロードがある、(2)九月に江差町で年に一回江差追分全国大会が開かれ、町は一気に活気づくのであるが、今年は、海外からも参加者が訪れる、(3)被告谷本は、二〇年前に江差追分と出会って以来、江差追分に取り付かれ、ユーラシアの歌と江差追分とが一つの絆で結ばれているのではないかとの思いを持ち続けてきた、(4)モンゴルには、オルティンドゥーという追分によく似た歌があるが、馬とともに暮らす民が、広大な草原の中で人間の狐独を唱ったのがオルティンドゥーである、(5)バシキールにも追分に似た歌がある、(6)追分の名人青坂満が、追分とは、別れの歌であり、故郷をしのびながら父や母への思いを歌うものであると語る、(7)追分の原形は、七世紀ころ、大和朝廷が農耕のため、大陸から馬を輸入し、馬とともに大陸から渡ってきた馬飼いが歌を伝えたともいわれているが、オルティンドゥーも追分も人間の狐独を歌う点で共通している、(8)追分ロードの東の端が日本であるのに対し、西の端がハンガリーであるとの考えは、被告谷本が三〇年にわたってユーラシアの民族音楽を研究する中で、ハンガリーのエルディ地方(トランシルヴァニア)の不思議なメロディー「兵士の歌」に出会ったときに生まれたものであり、ハンガリーの東洋的なタイプの民謡は、騎馬民族がもたらしたものである、すなわち、四世紀にはフン族、九世紀にはウラルからマジャール族がヨーロッパへ侵攻し、一三世紀にはモンゴルが大帝国を築き、ハンガリーにも影響を及ぼしている、(9)五音音階でこぶしがはいっている古いハンガリー民謡と似た民謡は、現代のハンガリーを取材してみたが、見つからなかった、(10)九月の世界追分祭は、ユーラシア大陸の各地に散らばる追分タイプの民謡を比較するシンポジウムやコンサートを開く初めての試みである、(11)被告谷本は、ウラル山脈がアジアとヨーロッパを分ける場所であること、バシキールの民謡が素朴であることからすると、ハンガリーから江差までの一万キロの追分ロードの中心は、ウラル地方であり、そこから追分タイプの歌が東西へ伝わっていったといってよいと考えている、(12)バシキールの結婚式では、バシキールの追分に当たる別れの歌が歌われる、(13)ウラル山脈の山奥に馬の群れが現われて、東西へ散っていったという伝説の湖があるが、この湖の源にある洞窟の馬の絵は、馬と暮らす人間は別れの悲しみを一つの歌に託し、その歌がやがてユーラシア大陸の各地へと伝わっていったとの空想へと駆り立てる、(14)世界追分祭のコンサートでは、韓国、モンゴル、バシキール、ハンガリーの民謡が歌われ、被告谷本は、その多くが離別、悲しみを歌っていると語る、(15)ユーラシア大陸、東西一万キロ以上に及ぶこの大陸に、かって民族から民族へ伝えられ、時代を超えて歌い継がれてきた素朴な民の歌があるが、大地の無限の広がりと、人々の狐独を歌うその歌は、今も各地で歌われている、というものである。
右によれば、本件番組と本件小説が、いずれも追分節と類似の民謡が騎馬民族の影響を受けて、ユーラシア大陸に存在し、西の端はハンガリー、東の端は日本であること、追分節の起源がウラル山脈周辺の地域であることをそのメインテーマとして表現しているものであることは認められるが、ウラルから日本へ追分節を伝えたとされる主体と時代の特定については、本件小説では、五世紀末のアッティラの息子のチャバに率いられたフン族と、当時ウラル山脈付近で遊牧生活を送っており、このときこれに合流したオスチャークやヴォグールやハンガリー人の先祖マジャール族の一部であり、オスチャークやヴォグールが今も歌っている葬送歌(ハンガリーで発見された葬送歌)は、このとき東への旅に出て、チャバにより日本に伝えられたことが述べられているのであり、これに対し、本件番組では、ハンガリーに東洋的なタイプの民謡をもたらしたのは四世紀のフン族、九世紀のマジャール族、一三世紀のモンゴル大帝国である旨を述べているが、日本へいつ誰がどのようにして追分節を伝えたかについては、本件小説のように具体的には述べておらず、単に騎馬民族の影響によりとしていること、また、本件番組では、ウラルが追分節のルーツである根拠としては、地理的な中心であることと、バシキールの民謡が素朴であることを理由付けとしているものであって、この点も本件小説とは異なるものである(原告は、右のような理由は、追分節のルーツがウラルであることの根拠とはなりえないと主張している。)。このように、本件番組は、追分節のルーツをウラルに求めている点で、本件小説とそのメインテーマを共通にし、また、追分節と似た民謡が、騎馬民族の影響を受けて、西はウラル、ハンガリー、東は日本にまで存在することから追分節のルーツを探求していること、追分節と類似の歌が四世紀のフン族の移動によりハンガリーに伝搬されたと述べていることなど一部共通した要素を表現してはいるものの、追分節が日本へ伝えられたとする時代や主体、経路及びその根拠となる理由付けに関しては、本件小説の前記のような基本的な筋や構成を表現しているものとはいえないことは明らかであり、本件小説の表現形式における本質的な特徴と、本件番組の表現形式における本質的な特徴とは異なるものであって、本件小説における表現形式上の本質的な特徴を本件番組から直接感得することができるということはできない。すなわち、本件小説のような文芸作品の場合は、著作者の思想、感情の創作的な表現形式としての基本的な筋、構成等に依拠し、これと同一性の認められるものがあれば、それは表現形式の本質的特徴を直接感得できるものとして翻案と考えることができるのであるが、しかし、文芸作品の全編に流れる創作的なテーマについては、それが文芸作品における最も重要な生命というべきものであり、これを翻案の判断において当然に考慮すべきであるとしても、文芸作品におけるテーマとは同作品における基本的な筋、構成によって表現されているものである以上、基本的な筋、構成と密接な関係をもって存在しているものであるから、基本的な筋、構成と一体として翻案の判断をなすべきであり、そのような基本的な筋、構成と離れて抽出される抽象的なテーマ自体は、アイデアとして著作権の保護範囲外にあるものと考えるべきである。よって、本件番組は、追分節のルーツをウラルに求めるという独創的なアイデアにおいて本件小説と共通するアイデアを表現しているものではあり、また、前記のとおり、追分節とよく似た民謡が騎馬民族の影響を受けてウラル、ハンガリーにも存在しているとする部分や、四世紀のフン族についても触れている部分等は一部共通しているところもあるが、本件小説の基本的な筋、構成を表現しているものとまではいえないものであるから、基本的な筋、構成と一体として翻案の判断をなすべきであり、本件小説における表現形式上の本質的な特徴を本件番組から直接感得することができず、本件小説を翻案したものであるということはできない。
この点について、原告は、「内面的表現形式が同一の場合の外面的表現形式の変更は、著作物の翻案に当たる。文芸作品の場合には、その具体的表現自体を利用するものでなくとも、文字等で表現されている著作者の思想、感情の表現形式としての基本的な筋、構成等に依拠するものであれば、翻案と考えるべきである。・・・文芸作品においては、基本的な筋、構成だけでなく、全編に流れる創作的なテーマを内面的表現形式から除外することはできない。すなわち、文芸作品における最も重要な生命というべきものは、テーマであり、これを抜きに文芸作品は成り立たず、その点でいかに独創性を有するかによって作品の優劣が決定されるといっても過言ではない。文芸作品の根本となる中心的な思想がテーマであり、具体的な文章の内容のあらすじが要旨であるところ、・・・本件小説においては、追分節ウラル源流説が主人公の内面を動かして長期の旅へと駆り立て、追分節の起源を追求する情熱の根源として扱われているのであり、物語がこのテーマの内包する謎から出発し、それの解明へ向けて一貫して流れていることは明らかである。本件小説の冒頭から結末に至るまで滔々と流れるテーマは、追分節ウラル源流説であり、それが本件小説の内面的表現形式であり、著作物の外面的表現形式に即して認識され得る具体的展開体系である。・・・前記被告谷本の仮説は、本件小説で原告が発表した創作を剽窃したものであって、単なる史実や事実の模倣とは次元を異にし、本件小説の内面的表現形式の盗用である。すなわち、本件番組は、追分節ウラル源流説を核とする本件小説の仕組、構成に大きく依存した二次的著作物であって、何人が見ても本件小説の本質的特徴を連想させるのであり、本件番組が本件小説の翻案権を侵害していることは明らかである。」と主張する。しかし、右に述べたとおり、文芸作品の全編に流れる創作的なテーマが文芸作品における最も重要な生命というべきものであり、これを翻案の判断において無視することができないとしても、文芸作品におけるテーマとは同作品における基本的な筋、構成によって表現されているものである以上、基本的な筋、構成と密接な関係をもって存在しているものであるから、基本的な筋、構成と一体として翻案の判断をなすべきであり、本件番組は、右にみたとおり、本件小説と基本的な筋、構成において異なるものである以上、本件小説を翻案したものと認めることはできない。
2 結論
よって、原告の被告らに対する、本件番組の製作、放送が本件小説の翻案権及び放送権並びに氏名表示権を侵害するものであることを理由とする請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。
二 本件番組中の本件ナレーションの製作、放送は、原告が「北の波濤に唄う」の本件プロローグについて有している翻案権及び放送権並びに氏名表示権を侵害しているか。
1 「北の波濤に唄う」における本件プロローグの著作物性について
「北の波濤に唄う」における本件プロローグは、別紙目録四上段のとおりである。
「北の波濤に唄う」の本件プロローグにおいては、(一)江差が昔鰊漁で栄え、その漁期の四、五月が一年の華であったこと、(二)当時の江差町の様子(追分の前歌に歌われる津花の浜や海べりの下町、山手の新地が、ヤン衆、旅芸人、その他の人であふれた様子、漁がはじまる前後の漁師たちの様子、「出船三千、入船三千、江差の五月は江戸にもない」との有名な言葉の紹介、鰊漁が江差にもたらした莫大な富についての記録)、(三)鰊漁が去った江差の町の現在の様子(そのにぎわいも明治の中ごろを境に次第にしぼんだ、鰊の去った江差に、昔日の面影はない、冬の太陽に似た、無気力な顔、けだるく陰欝な北国のただの漁港、鰊を煮た鍋の残骸等)、(四)その江差が、九月の二日間だけ、日本中の追分自慢を一堂に集めて、江差追分全国大会が開かれるため、とつぜんはなやかな一年の絶頂を迎え、町は、生気をとりもどし、かっての栄華が甦ったような一陣の熱風が吹き抜けていく旨を記述している。
本件プロローグは、「北の波濤に唄う」の中の短編「九月の熱風」のプロローグとして記述されているものである。すなわち、「九月の熱風」は、原告が初めて江差追分全国大会を聞きに行ったときの、大会の参加者や観客の様子等を描写し、同大会の独特の熱狂と感動を描写した短編であるが、そのプロローグとして、江差町の過去と現在の様子を紹介し、江差追分全国大会を昔の栄華が甦ったような一年の絶頂としてとらえたものが本件プロローグである。(甲二)
しかし、江差町においては、八月の姥神神社の夏祭り(姥神大神宮祭、姥神神社の例祭)を、江差町の町全体が最も賑わう行事としてとらえるのが一般的な考え方であり、九月の江差追分全国大会を江差町が最も賑わう行事としてとらえる考え方は一般的ではない。すなわち、この夏祭りにおいては、町内から一二、三台の山車が繰出し、三日間にわたって町を巡行し、昼間は幼児から児童生徒、主婦らが多数加わり、夜は大勢の若者が綱を曳き、沿道は人並みで埋まり、帰省者、各地からの親類縁者、祭り見物の観光客、祭り取材のアマチュアカメラマンなどが江差町内に溢れ、商店街、飲食店も賑わい、町の人口がいつもの数倍に膨れあがるなどとマスコミで報道される賑わいとなるものである(甲七二ないし七五の各1・2)。また、「江差町史(第六巻)」は、夏祭りについて、「祭日の二日間は全江差住民はあげて祭典気分を満喫し、市中は平常の人口が数倍にふくれあがり、山車行列の豪華絢爛さと相まって、往時の繁栄を再現するとともに、江差人の気概をこれに向けて発散するのである。一方江差で生まれ育ち他出した者にとって、錦を着て帰郷し祭典に参加するのが夢であり、この祭りこそ江差人を故郷とかたく結んで離さない絆なのである。」と記述し、その賑やかさを克明に表現して