編集委員へのメール

1998.05.29

(・・・自由の森に保存)


赤城さんへ

1、私の近況報告を丁寧に読んでいただき、恐縮です。

で、昨日、その裁判の記者発表をおこない、前回(裁判を起こしたときも同様に、記者発表をした)どこも記事に取り上げてくれなかったので、今回もあてにしてなかったのですが(おまけに、パキスタンの核実験で紙面がぶっとんでしまい)、幸い、読売に3行にわたり、掲載されました。
一応、これで全国600万の読売読者の目に触れたわけで、この悪辣出版社を暴く格好の機会になりました。

2、今日、別の著作権の相談で、オウムのドキュメント映画「A」を観て、そのあと打合をしてきました。なかなか見応えのある映画で、あそこに出てくる荒木という広報副部長が昔の私の雰囲気にどっか似ているのには困った(また、京都の出身のせいか、一耕君にも似ていると思った←ちなみに、2年ほど前、自森のある教師から、私と一耕君が並んで座っているのを「親御さんですか」と言われたことがあった)。
あの映画を観て、ちょうど、かつて宮崎務を観た若者のなかに「自分も宮崎だ」と思った人がいたように、今度もまた「自分は荒木だ」と思った若者が絶対出てきますね。

そして、この映画を観ながら、また、やっぱりオウムと自森はどこか似ている、と思ってしまいました。
それは、藤原新也が「オウムがあんな事件を起こさなかったら、もっときちんと考えるべきことがあったのに、それができなくなった」と語ったような事柄です。だから、自森を犯罪集団と同視するようなレベルのことでは全くないのです。どちらも、或る意味では、理想を目指して集まって出発した集団である点で共通であることにかかわっています。
いずれ、このことも死亡診断書の中で言及しておきたいと思っています。

なかなか、ずっしりと重い一日でした。

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