息子へのメッセージ

1998.03.10

(・・自由の森に保存)



大庭さんへ

>  こうした、不具合を是正するためにも対抗馬がでるまで、アンチWindowsとしてMac
> .を好んで使うことにしようかと思ってます。

そんなにおっしゃるんでしたら、いっそのことUNIXをやってみたらどうでしょう。そして、例によって私に
また教えて下さい(^_^)。

>  石川さんの企画なので、当然NGOメンバーは知っていると思いました。石川さんは
> 中学・高校の特定な学年に対してビラを配布したようです。
>  宮台さんの講演は「援助交際」についてでしたが、若者が目的を失っている状況と
> 承認を家庭・学校・社会のいずれからも受けられないことに根本的問題があり、これ
> を与える仕組みとして、学校教育の改革が必要だと述べてました。
> この講演から子供への接触の仕方について示唆と若者の苦悩の一部が見えた気がして
> 、実りあるものでした。

決して、突っかかるわけではないのですが、私自身も中学・高校時代と、「若者が目的を失っている状況と承認を家庭・学校・社会のいずれからも受けられない」状況にあり、それが高じて高3のときに教師を殺そうと思ったくらいでしたし、柄谷行人も高校時代、山口組の組長の息子でさえ、手を出さないくらい荒れていた(彼の場合、原爆で早晩世界は壊滅するという確信、その意味で、やはり「若者が目的を失っている状況」にあったわけですが)ということで、要するに、そういったことはずっとあったわけで、認識としてありきたりというか全然新鮮じゃないのです。
もう少し、今という時代の特徴というものが手応えある形で見えていくようなお話を聞きたかった、いや、これは今度会ったときに、聞かせて下さい。

> > 最後に、先日、日経新聞で藤原新也の初小説「ティングルの入江」の紹介がありまし
> > たが、目から鱗が
> > 落ちるような話でした。藤原新也はこの10年近く失業していて、えらいビンボウだ
> > ったかもしれないけれど、しかし反面ものすごく豊かだったんだと思った。「自由と
> > 自立」について、いろいろ考えさせられた記事でした。私は、自森という場所から「
> > 自由と自立」について学べるものはもう殆どないと思いますが、しかし、藤原新也の
> > こうした生き方から「自由と自立」について考え続けるということは不滅であって、
> > そういうことを考え続けられる場が重要なのだと思います。

>  日経を読んでみようかと思いますが、いつの記事なのでしょうか。

忘れました(^_^;)。確か、先週の書評のときです。

昨日、卒業した息子宛に、誕生日のメッセージを書き、送りました(彼の卒業式に出なかった、否、出たくなかった(^^;)ものですから)。

すると、書きながら、これはもしかして、自分を励ますために書いているのではないか、と気がついたのです。

私は、7年前に事務所を閉めて、ニセ学生の生活を始めるというひとつの転機を経験したのですが、今また、次の転機にさしかかっているのを感じます。一回、今まで築き上げたものを全部捨てて、裸になって一からやり直す、やっぱりもう本気でニッポンから出るしかないのを感じます。

以下は、そのメッセージです(最近、この場のメールが枯れているので、何とかのにぎわいで添付しました)


最後のメッセージ

18回目の誕生日、おめでとう。
確か、1年前にこんなメッセージを書いた記憶がある。

17回目の誕生日、おめでとう。
こんなふうに、家族で君の誕生日を祝えるのは、あと1回だけとなってしまいましたが、来年ではちょっと遅すぎる(その時にはあと2ヶ月もしないでこの家から巣立つことになる)ので、今回、少しメッセージを書こうと思った次第です。

だから、今回はもう遅すぎるので、メッセージは書かない。
ただ、一言だけ書き残します。

君は、10代の一番充実できた筈の、この6年間を「ニンゲンにとって最も苦しい刑罰である『自由』という刑」の処罰を受け続け、何とか刑期をつとめあげて、自由の刑務所から旅立つことになったわけだ。しかし、いくら自由とはいっても、君が味わってきた自由というのは所詮(しょせん)親の保護のもとで、ぬくぬくと好きなことができるという自由、言ってみれば王子様の自由、鳥かごの中の飼われた鳥の自由でしかない。
だから、君がもし、これから、世間という荒波の中で、ほんとうに自分で納得した自由な生き方をしていきたいと願うんであれば、これまでの「鳥かごの中の飼われた鳥の自由」とは一度きっぱりと縁を切らなくてはならないだろう。なぜなら、自分で納得したほんとうの自由な生き方というのは、親の保護とか誰かにおんぶしてもらうとか、そういう甘ったれた生き方とは全く反対の生き方だからだ。そして、君自身が、世間という荒波の中に飛び出していったとき、いずれ次のことがいやというほどよく分かるだろう。
━━(自森という守られた空間ではなく)この世間という荒波の中で、自分で納得したほんとうの自由な生き方を実現するためには、コジキになるくらいの覚悟・決意・信念と浅田彰や坂本龍一やビートたけしのように自分の才能を磨き続ける努力が必要なのだ、と。

そういうところに身を置いてみて、初めて分かることが山ほどあると思う。
たとえば、なぜ、外国、ニューヨークといった場所が魅力的なのか?━━それは、日本のような狭い空間でお宅的に生きているのではなく、世界中から、真に自由な生き方を実現するために、コジキになるくらいの覚悟・決意・信念を持って、自分の才能を磨こうと張り切っている連中が集まっているからだと思うね(もちろんそうでない連中もいっぱいいると思うけど)

だから、今の君にとって、必要なことは今までの君の生き方を一度きっぱり断ち切ることだ。だから、身の回りのいろんなものを全て処分していって、いってみれば歯ブラシいっちょう持って旅立つのが、これから、何もかも一から自分の自由な人生を切り開いていこうとしている君に最も自然で君の願いにピッタリだと思う。言ってみれば、君はこれからまっしろな画用紙に君自身のほんとうに自由な人生をえがいていくんぜ、だから、今までのいろんな荷物はまっしろな紙にはかえってじゃまだ。←そりゃあ、あんまりだと思うとしたら、それは君の自分の心があんまり貧しいからだと思う。君の心さえもうちょっと豊かだったら、全く新しい旅立ちに立とうとしている今の君には、その心だけでもう十分だと思う。そして、これからの新しい生活の中で、君のまっしろな紙に君自身の人生をえがいていくという喜び(こんなに素晴らしい、こんなに熱中できる喜びはほかにない!)に思う存分熱中していけばいいんだよ。

その君の心に向けて、最後の言葉を送ります。さようなら。

映画「ニューシネマ・パラダイス」より

・失恋し、悲嘆にくれるトトがアルフレッドに会いに行ったとき

アルフレッド「人生はお前が見た映画とはちがう。
       人生はもっと困難なものだ。
       行け
       ローマに戻れ
       お前は若い
       前途洋々だ          」

・トトがローマに旅発つ日、駅で

アルフレッド「帰ってくるな 
       私たちを忘れろ   
       ノスタルジアに惑わされるな
       すべてを忘れろ
       ‥‥‥‥‥‥
       自分のすることを愛せ  
       子どもの時、映写室を愛したように           」

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