「自由の森の理念を継承する会」に参加してきて

1997.12.07

(・・・自由の森に保存)



赤城さんへ

ずっと体調不調なのですが、本日、継承する会の節目となる重要な会が開かれるというので(不参加の私は)、昨夜、自分の見解をまとめてみました。
とりたてて、新しいことは書いていませんが、(例によって言いたいことを吐き出してみて)少し自分なりに整理がついた気分です。
そこで、以下に引用するこの文をホームページに掲示していただけませんでしょうか。



        「自由の森の理念を継承する会」に参加してきて


                              1997年 12月 7日 (日)
                             H3-6義務者  柳原敏夫

1、私はもともと「自由の森」の学校組織というようなものに格別の希望を持ったことも、それゆえ幻滅も持ったこともなかった者です。それと同じような意味で、組織としての「自由の森の理念を継承する会」(以下「継承する会」と略称)に特別な希望を抱いたことはなかった。
 私はただ、2年前、自森が大分の某私学経営者に売り払われそうになったとき、この会がこれに対し唯一異議を申し立て、抵抗しようとした場だったので、それまで成り行きでクラス代表として「自森の教育を考える会」に参加していたような私(自分がいかにいい加減に自森にかかわっていたか分かる)は、この事態に対してこの会が何もやらないのでこちらに見切りをつけて、ごく自然に「継承する会」に参加したものです。
 もっとも、8月に、その準備会に誘われて参加したときの参加者たちの雰囲気は正直言ってドロドロした感じで、私にとってすこぶる印象の悪いものだった。私にとって話ができそうな人は唯一、作務衣みたいなのを着てギョロ目で大声を出していた家門さんだけだった(しかし、何と、彼はその後私を裏切って「継承する会」に参加しなかった)。
 それでもなお、私がこの会に参会してもいいと思ったのは、夏休みの終わり頃、第1回目の集会の当日、会場で中学3年間息子の担任だった人に会ったからだった。そのとき、その彼が怒りのような覇気を体中からみなぎらせてものすごい形相で会場に現れてきたからだった。私はビックリした。私から見て、この彼は息子の担任中、いつもかったるそうで、半分ぼけているんじゃないかと思えるような、生きる屍の代表格のひとりだったからです。「継承する会」がこういう生きる屍みたいな人を復活させる力を持つ場ならば、私もこの場に参加してもいいだろうと思ったのです。

2、その後、この「継承する会」が果たした役割はすこぶる大きいものがあったと思う。その最たるものは、この「継承する会」が自森という学校に対して初めて他者として存在したということではなかったかと思う。
 学校のファンクラブだったり、学校の息のかかった御用組織だったりすることはこの学校ではすっかりお馴染みのことだったが(そして、そういうなあなあの関係がこの自森はダメにしていった最大の要因の一つであることは今更言うまでもないが)、これに対し、自立した対等の他者として学校に緊張関係を持ち込んだことが、この「継承する会」の最大の貢献だったと思う。

 そして、この緊張関係はいわばリトマス試験紙のように作用した。つまり、これまで学校はぬくぬくとファンクラブ的な体質の中で適当にごまかしてこれたのが、この緊張関係のお陰で学校の正体を余すところなく明らかにしてしまったのである。
 ひと言で言うと、学校はこの緊張関係という試練に耐えられなかった。
 つまり、学校は、「継承する会」が導入した(貴重な)緊張関係のはざまで、苦しくも誠実に再生の努力を探っていくというのではなく、その反対に、こういうつらい緊張関係を持ち込んだ「継承する会」という他者を徹底的に排除して、異質な他者を排除した結果得られる平和で安定した快適な空間をめざそうとしたことがこの間はっきりした。

 もっとも、「継承する会」の参加者の中には、しょっちゅう問題行動を起こす現在の学校管理職たちに退陣を求める人たちがいたと思う。しかし、私は、彼らとはちがって、今の学校管理職たちが非行をやったからといって、ちょうど彼らが非行をやった生徒たちをひと思いに排除(退学)したように、管理職たちを直ちに排除するような真似はしたくなかった。
 あくまでも「その罪を憎んで、その人を憎まず」「その行為を罰するのであって、その行為者を罰せず」、
 つまり、問題の行為を批判し排除するのであって、その行為者そのものを排除(退陣)するのではないという立場から、貴重な緊張関係に基づいて異質な彼らとの共存の道の可能性を探っていきたかった。しかし、「自由(=異質なものとの共存)と自立」を旗印にして出発した筈のこの学校の現在の管理職の人たち及び大部分の教職員たちには、そうしたことがまるっきり分からなかったようである。その結果、私たちが目撃したのは、学校側の信じられないような一連の横暴な対応であった。

 私は、今でも、今年、7人の生徒の暴力事件・退学処分をめぐる6月7日の学校説明会の会場で、「継承する会」の会員の廣田さんが発言した光景を覚えている。人を信頼することの厚く、それゆえ人望の厚い(学校管理職の名で「継承する会」宛てに法的手段も辞さないぞと脅迫同然の抗議文が内容証明郵便で彼の自宅に送り付けられたときすら、その直後、この学校管理職のひとりが新潟の彼の自宅まで遊びに来たくらいである)その彼が、この日、今まで見たことのないような激しい、苛立った調子で発言をしたのである。それを聞きながら、学校は、こんな温厚で人望の厚い人をここまで追い詰めるところまで、とうとう来てしまったのだと思った。

3、しかし、学校側の殆ど無茶苦茶な対応ぶりの原因は、「継承する会」にあるのではなくて、根本的には学校自身の今の無力さに由来するものである。
 本当に自信があれば、もっとちゃんと堂々と対応できる。そのような自信を完全に失っているから、殆ど恐怖とか憎悪に基づいて反射神経的に保身的な振る舞いしかできないのだと思う。
 だが、本当言えば、自信などなくていいのだ。自信なぞなくたって、もし学校が「継承する会」に対し、自分たちは今こういうところで悩み、苦しみ、行き詰まっているのだということを率直に表明して、世の中も最も困難な課題「自由と自立」と取り組んだ自森が直面している困難さを我々と共に共有できるとしたら、それだけでも状況は全く変わったと思う。
 しかし、この学校は一切そのようなことはしなかったし、出来なかった。

 そして、そこに今の自森の本質的な問題があると思う。最初、私は、この学校は設立当時、世間から注目され、ちやほやされたからプライドがめっぽう高いために、こうした困難さを率直に語れないのだと思った。
 しかし、その後、どうもそれだけではないと思うようになった。それはズバリ言って、この学校は「自由と自立」についてまともに語れるようなものを実は殆ど何も持っていないのだということが分かったのだ。
 というのは、私はせっかく「自由と自立」を「継承する会」に入ったのだから、是非ともここで「自由と自立」のことを深く考える機会を与えられたいと思った。にもかかわらず、それ以来、自森で「自由と自立」のことがちっとも深まらなかったからである。確かに学校側の一連の人権侵害とも言うべき横暴な行為のおかげでネガティブな意味で「自由と自立」の侵害を考える機会は与えられた。しかし、もっとポジティブな意味で「自由と自立」のことを考える機会を期待していたにもかかわらず、こうした機会は遂にこなかった。
 それははっきり言って、まず第一に、学校が「自由と自立」のことをこれまでの自らの体験を踏まえて(フレネとか何とかではなく)自らの考察と言葉でもって語ってこなかったからだと思う。その意味で、これまでに「自由と自立」をめぐる様々な貴重な体験をしてきながら、これを殆ど意義深く対象化してこなかったため、その怠慢とツケが今、学校を覆っていると思う。
 もっとも、その点では、「継承する会」自身もさほど変わらないと思う。その名称からして、いかにも既に「自由と自立」の理念は把握されていて、あとはそれを「継承する」だけだという気分が反映している。だから、会として、切実な課題としていったい「自由と自立」の理念とは何かをめぐって深い吟味の機会をこれまでに持たなかったのだと思う。

 しかし、この「継承する会」自身もそうであるが、学校はどうして「自由と自立」のことを深く考え続けてこなかった、或いは考え続けられなかったのだろうか。
 自森が「自由と自立」に対して思考停止に陥った原因を明らかにすること、これが今、ポジティブな意味で「自由と自立」自体のことを考え続けていくことと並んで私にとっての課題です。
 私にとって、自森は創設以来、「自由と自立」の理念を考え続けることを阻止するような根本的な体質があったように思えてならない。それは創設者遠藤さんと今の管理職の対立を越えた根本的な体質です。そのレベルでは、今の管理職もみんな遠藤さんの後継者にすぎない(だから、「遠藤さんがいれば今の自森にはならなかった」とは全く思わない)。
 そして、その根本的な体質を明らかに自覚していかない限り、今後、いろんな場でポスト自森として自森の試みが反復されようとしても、またしても同じく「自由と自立」を無効にしていくような根本的な体質も反復されていくと思う。そのような忌まわしい反復を断ち切ること、それが、私がこれから自森の死亡診断書を書きたいと思う理由です。

4、その意味で、今後、「継承する会」が存在していく価値があるとしたら、「自由の森の理念を継承する」のではなく、あくまでも「自由の森の理念を探究する」中にしかないのではないかと思う。そして、「自由と自立」の理念を考え続けるとしたら、その場は何か自森とかいった組織にあるのではなく、それと主体的に取り組む個々人同士のネットワークの中にしかないと思う。その意味でもともと自森という学校組織にこだわるものは何もないと思う。それどころか、この10余年の自森の実践は「学校制度の終焉」といったことをも露骨に明らかにした筈で、私たちは、むしろ、近代の産物である学校制度に依拠する(というより近年ますます依存しようとする)自森という組織から離れて、もう一度、「自由と自立」の中での教育ということの意味を一から問い直す時期に来ていると思う。そういう探究をする場としてこの会が引き続き存続するのなら、もう自森が亡くなろうが存続しようがそれとは無関係に、ものすごく意義があると思う。


赤城さんへ(あとがき)

 それと、(うすうす感じておられると思いますが)そろそろこのホームページのあり方をめぐっても一度話し合いをしたいと思っています。
 端的にいって、もう、自森を応援するようなイメージ、自森を全面的にアシストするようなイメージはやりたいくない、この際、自森ともっと距離をおいて、「自由と自立」そのものを探究するネットワークとして再出発していきたという気分です。だから、さしあたって、このホームページの題名からして改めたいという気持ちです。

 というようなことを、最近さみしいと連発するAさんの自宅にお邪魔でもして話し合おうかと思っています。どうでしょうか。

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