近況報告1

1997.11.16

(・・・自由の森に保存)



赤城さんへ

また体調を崩して、連絡が遅れてしまい、申し訳ありません。

> アップの用意はしたのですが、もし佐竹さんが了解してくれるなら、佐竹さんの
> 文も載せたいのですが、どうでしょうか。そんなわけで、勝手ですが一日アップ
> を伸ばしたいと思います。返事の部分だけでは、よくわからないと思いますの
> で。

これは、その後の佐竹さんのメールにもあるとおりですので、とりあえず私だけので結構だと思います(確かに、第三者にとっては、分かりずらいのは承知なのですが、それを意識して、この原稿は書いたつもりです)

> > それと、湯口君、矢納君が君を通じて、22日の集まりをみんなに提案します
> > と言っ
> > てはや1週間近くたちます。彼の催促してくれますか。
> > では。
>
> 22日の件をホームページにも載せたいので、なるべく早く連絡を下さい。

湯口君、これを読んでいたら、何とか反応して下さい。

> >  翻って思うのですが、今回、Sさんたちが学校に対してやっている「要望書
> > (質問
> > 状)」の提出といった一連の行為を見ていて、こういった行為こそが実は学校
> > を支え
> > ているのだということを痛感します。
>
> 私がノーテンキなのかも知れませんが、この論理は納得出来ません。他にやるこ
> とがあって、関われなくなるのは納得出来るのですが。私がそれだけ関わりが浅
> いという事なのかも知れませんが、堕落を止める事が出来たら、それはそれで意
> 味のある事だと思います。
>
> 舌足らずですが、今日はここまでにさせて下さい。

そのあとのコメントを期待しているのですが(^_^)、‥‥
私としては、2点感じたことがあります。

1つは、こうした感想自体をもっと気楽にホームページに載せられないものか、ということです。何か、いつも、まとまった論文調の文章でないと、載せられないのではないと、という雰囲気が知らない間にできているような気がして、これに対して、誰もが、たとえば、今度の赤城さんのようなコメントでもホームページに載せられるような雰囲気にしていきたいと思うのですが、そのための体制が必要かなと思います(以前、大庭さんが提案してそれっきりになっているフォーラム的なやり方について、再吟味したいです)。

2つは、ここで問題になっている事柄ですが、赤城さんの理解していることと私の言いたかったことにはギャップがあるように思いました。私がここで言いたかったことは、Sさんたちがやっている行動が客観的に果たしている役割・影響といったレベルについてであって、それ以上、「それはそれで意味のある事だと思います。」と述べる赤城さんが問題にしている、それにどういう評価を与えられるべきかというレベルのことまでは言及するつもりはなかったのです。

 もっとも、私の文の文脈から、私が、Sさんたちがやっている行動の努力が無駄ではないか、という風に読めるのかもしれませんが、それは違います。但し、私自身の気持ちとして、今の自森を運営している連中が、自森創設の理念を放棄して、自己崩壊の道を突き進むのは避けがたい、継承する会やSさんたちが他者として立ちはだかり、その崩壊の時期を少しでも遅らせることがあったとしても、というのは事実です。ただ、Sさんたちの自分の理念に基づく納得がいくまで突き進む行動は、自森の自己崩壊とは全く関係なく、それ自体で十二分に意義深いものがあるはずだと思っています、ちょうど、A君の被告にした裁判が自森の校長たちに何の自己反省のきっかけを与えなかったとしても、少なくともA君自身にとって、自分を認識し直す貴重な契機を与えたように、また、A君の血みどろの努力は、私にとっても、暴力を(「暴力はひとつの表現だ」とA君が言っていたように)文字通り表現に高めることによって暴力を克服する可能性を与えてくれたように。

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