1期生へのメール

1997.11.16

(・・・自由の森に保存)



コメント
 
私が書いた「脱自森(脱藩)のすすめ」 という文を読んですぐさま感想を寄せてくれた1期生の人に書いたメール。



Aさんへ

ホンコンからはもう帰ってきたのですか。
忙しい中、さっそく遠慮のないコメントをどうも。

はっきり言って、Aさんの頃の自森と今の自森は、勿論連続しているところもあるでしょうが、その落差もとても同一の学園とは思えないくらいひどいのではないか、と思う。だから、今、自森をおびやかすことのひとつは、あなたみたいな過去の自森を持ち出されるときです。
で、私自身は、その頃のことを何も知らないので、これまでいろんな機会にいろんな人に、どうにか、過去の自森のことを持ち出させようとしてきたのですが、なかなか誰もやってくれなかった(恐らく、過去から現在までの自森に関わっていると、今の無惨な自森を前にしてもう鮮やかには過去が思い出せないのだろうと思います)。その意味で、私は当初からひそかに、(今の自森と切断した)あなたにそのことを期待したところがありました。

それで、私が今、不思議に感じていることは、たとえ、過去の一時期にせよ、自森の中で、あなたのように、私の言うようなことをごく自然に受け止める姿勢を持てたのは、どうしてそれが可能だったのだろうかということです。

思うに、あなたがこうした認識を持っていたのは、ひとつには、当時、あなたは、あなたがかつて書いていたように、

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 非常に残念だと思います。わたくしは、わたくし自身が当時世間や周りを
信用できず、悩み、苦しみ、そして外へ外へと攻撃的に問いかけをすること
を結果的に"許していた"、あるいは"放っておいた"あの学校の混沌と、そし
て寛容さ、あるいは厳しさに、一定の評価を与えてはいました。(4.15付けのメール)
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こういった矛盾にあなた自身が激しく悩み、苦しみ、それに負けずに生きていたからではないかと思う。その意味で、今の矢納君や湯口君たちが、多くの教師たちの堕落ぶりに直面して、失意の底に沈む(ように見える)のは、はっきり言って情けない。そんなに周りを当てにしていたのか、それが自立というものとどう関係あるのだろうかとつい言いたくなる。

但し、ひと言弁解すると、とはいっても創立同時の自森は、やはりあなたがかつて書いていたように、

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  ビラ、チラシどころか、私が朝日ジャーナルの教育特集で(在学中に)思
い切り自由の森の問題点をしゃべって、それが掲載されてもまったく、何の
問題にもなりませんでした。そのような現状で、本当にビラ、チラシあたりが
許可制ならば、私は大問題になって何らかのアタックを受けていたに違い
ありません。しかし、少なくとも「おもしろいこと言っているね」とか、名雪さん
に至っては、「あの『この人本当に教師かと思える人がいる』ってのは俺だろ
」と笑っておっしゃっていました。(その時は、なんと柔らかい人だなと思いま
したが)(4.15付けのメール)
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といった(今では夢のような)教師たちがまだ多くいたのです。だから、あなたは今の(校長・教頭である)木幡氏や名雪氏の言動を目の当たりにしたら、創立当初と比べ、その変貌ぶりに返す言葉がないと思う(もちろん○○氏のように当初からいかがわしい人物もいたことはいたのでしょうが)。
だから、あなたが外部に出ていって、そこで経験したことを再び、自森という場で語り合えるような雰囲気がまだ当時の自森(教師や生徒たちの中)にはあったわけでしょう。でも、今は、そんなもんないですよ。ただの自閉的な面白くもなんともない空間になっている気がしてならない。

だから、私の言う「脱自森」のすすめは、あなたが在籍していた当時の自森をイメージしては理解できないと思う。それは、文字通り、坂本龍馬が脱藩した土佐藩みたいものです。もうこんな自閉的な場所にこだわり続けていても、一緒に腐っていくだけで何の意味もないという感じです。それに比べれば、貴方が経験した当時の自森は、いわば幕末の長州藩みたいなもんで、下級武士や奇兵隊が藩を揺さぶり、動かしていくだけのダイナミズムがまだ残っていた。

ただ、これだけ自森の内部崩壊が進む中で、我々ははからずもまた「自由と自立」をめぐる矛盾を知り、悩み、苦しむことを経験できたわけです。だから、その苦しみを突き抜ける中で、また新しい輝きを発揮することもまた初めて可能になるのだと思う、ちょうど、最も矛盾の激しかった土佐藩の中で生きてきた龍馬が、その息詰まるような苦悩を突き抜ける中で、徹底して新しい生き方を見出していったように。

それにしても、設立当初から、もし、あなたのような考えの持ち主がもっといっぱいいれば、自森はこんなぶざまな姿にならなかった気がする。
(これはこれから書くべき死亡診断書に関することですが)、でも、実際は、この自森は、あの遠藤さんからしてそう思ったけれど、宗教団体みたいなところだったんじゃないですか。いわば題目を唱えて信じるものなら救われる、といった善意の信仰心はあふれていても、物事を根底からたえず問い直すといった批評精神はどれほどあったのだろうか。もし、自森が当初からこの批評精神にあふれていたとすれば、たとえば○○氏みたいな批評精神に無縁な人物はいられなかったんじゃないですか。しかし、今の自森は、批評精神に無縁な人物ばかりがのさばりかえっている。

また、

>そういう、いわば「理想の学園」をあてにしてきたとす
>れば、そのような心構えこそ、実は「自由と自立」の精神
>に最も反するものではなかったのか。

 いまさら、こんなこと、わかりきったことを、あえて問わ
なくてはならない柳原さんの心中察するものがあります。

 もし、この柳原さんの言葉に、今更「ハッ」っと気づき、
反省するような生徒が、柳原さんの呼びかけている生徒たち
でしたら、もう無理です。同時代の自分たちに比べても、そ
の認識はあまりにレベルが低すぎますし、馬鹿すぎます。

こうAさんは言いますが、しかし、この「理想の学園」という言葉は、私が勝手につけたのではなくて、昭和60年、自森設立の1年目に、遠藤さんが書いた本「理想の教室自由の森学園」(角川ブックス)の副題から取ったものです(若干表現がちがいますが)。いわゆる遠藤さんが創立当時から、そう名付けていたのです。しかも、この本のカバーには、
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ほんとうの教育を生み出すには、教師と子どもたちとの出会い、心の通いが必要である。
自由の森学園は、「その場」を実現した、きわめてまれな例である。
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なんて、あたかも「理想の学園」が実現したかのように、うたってある。

その意味で、私は、むしろ、Aさんは、在籍当時、もともと自森的な環境からはずれていた人間ではなかったのか、と推測したくなります。自森の基本的な環境は、やはり
<<自由の森学園は、「その場」を実現した、きわめてまれな例である。
なんて信仰してしまうものでなかったのか、そして、そういった信仰を強化する教師たちも遠藤さんを初めとして実は結構いたのではないか、と思ってしまいます(ちがったら指摘して下さい)

おしまいに、

ということで、私にとっては、たとえばあなたみたいな、今の自森を脅かす力量を持った過去の自森の通過人たちとの交流こそが核心です。だから、こういう感想が聞けたこと自体をすごく嬉しく思うのです。また、こうした交流をこのホームページでも大事にしていきたいと思っています。
そこで、今回のあなたの感想を、ほかのメンバーにも是非読んでもらいたいのですが、構いません?(確か、よかったでしたよね)
そして、この感想をできれば、ホームページに掲載したいのです。個人名などをイニシャルにするなど最低必要な修正をしていただけませんか。

そういえば、以前、このホームページで、フォーラムみたいに気楽に感想・発言ができるシステムを考案したことがあって、色々ゴタゴタの中でそれきっりになっていますが、今回のAさんのような感想をそのままホームページ上に書けるようにしたいと改めて思います。もう、このホームページを自森という枠で縛る必要もなく、もっといろんな人に参加してもらうためにも、今、新しい参加の形式が求められているのを感じます。

どうも、ありがとう。
今度、一度、会いましょう。今月22日の夕方、飯能の銀河堂(?)で私たち編集委員の集まりを持とうと思っています。よかったら、参加下さい。
では。

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