Sさんへの手紙

----自森の死亡診断書への試み----

1997.11.14

(・・・自由の森に保存)



                             1997年 11月 14日 (金)
                             H3-6義務者  柳原敏夫

 こんにちわ。(メールでやりとりする以外)ずうっとご無沙汰しています。
 Sさんたちが、この5月の暴力事件と退学事件のあと、粘り強く精力的に学校側にこの処分のみならず、この間の学校の一連の人権侵害行為について「要望書(質問状)」をくり返し提出し、コミュニケーションを取ろうとしているのに対して、(その際、私自身が当事者でさえある入学式におけるビラまき禁止事件のことも取り上げられ、質問されたにもかかわらず)私はずっとただ見ているだけでした。
 実は、私自身、入学式におけるビラまき禁止事件について、最初、この問題については裁判を起こしてでも、学校自身がその誤りを認識するまでコミュニケーションを取ろうと思っていました。しかし、そのあと起きた暴力事件・退学事件の中で学校が示した無惨な態度を目撃し、たまたまこの夏、私自身のガン検査で命拾いする経験を通過したあと、さらに、自森の高校校長が個人で今春の卒業生を訴訟に訴える裁判において明らかにされた学校側の卑劣としかいいようのない行為を目撃して、もうこんな連中を相手にしていてもしょうがないという思いをいやというほど味わいました(誰かから、今になってようやくそんなことが分かったのかい、と言われそうですが)。それで、それまで、ひたすら権力的・閉鎖的になっている学校に対して粘り強くコミュニケーションを取ろうと思っていたのですが、この夏、その気持ちすら死んでしまったことを確認しました。
 でも、そのことはあくまでも私自身の自森とのかかわりとの経験の末に導き出された結果であって、誰にも当てはまる普遍的な事実ではありません。だから、SさんはSさんなりに自分が気が済むまで自森とのかかわりをとことんやったらいいと思う。私は、Sさんたちがやっていることを軽蔑とか否定をする気は毛頭ありません。ただ、私自身が自森の死を確信したため、Sさんの行為に一緒に参加する気にならないのです。

 翻って思うのですが、今回、Sさんたちが学校に対してやっている「要望書(質問状)」の提出といった一連の行為を見ていて、こういった行為こそが実は学校を支えているのだということを痛感します。もちろん学校はものすごく嫌がりますし、逃げ回るだけなのですが、しかし、そのために、彼らははからずも、のほほんと堕落することから免れているのですから。今までもそうですが、今、自森をますます堕落させているのは、学校や教師たちを崇め、ちやほやし、持ち上げている大人たちのファンクラブ的体質です。なぜなら、もともと自閉的で独善的な傾向の強かった自森をますます独善的にし、ナルシシズムに追いやってしまうからです。その意味で、Sさんたちがやっていることは、自森に対して、この世の中には考えも感性も異なる「他者」がいることを思い知らせる、それゆえ、「他者」との緊張した対話抜きに何も始まらないことを思い知らせているのです。そのために、自森は、少なくともSさんたちに脅かされている間だけは、意に反して堕落から免れているのです。 
 その行為は、はっきり言って、ものすごい愛校精神だと思う。それに対して、今の私は、そのような愛校精神すら死んでしまったのを感じています。

 それと同じ意味で、この間、学校から徹底的に嫌われ、排斥されてきた「自由の森の理念を継承する会」(以下、継承する会と略称)というのもSさんたちと同じ役割を果たしてきたと思う。この「継承する会」の個々のやり方の中にいかにいろんな問題があったにせよ、私が知っている限り、この会が初めて自森の中に「他者」というものを持ち込んだと思う。自森にはそれまでいろんな親たちの会があったかもしれないが、基本的にはみんな学校となあなあのファンクラブの類でしかなかったでしょう。その意味で、自森は、他者である「継承する会」と出会う中で、初めて「自由と自立」の問題に直面したともいえる。そして、Sさんたちの場合と同様、他者である「継承する会」が自森に向かい続けてきた間、自森は、意に反して堕落することから免れてきたのです。
 しかし、堕落することから免れてきたとはいえ、決して生まれ変わろうとしないあいも変わらない自森の閉鎖的、独善的な体質を目の当たりにしてきて、「継承する会」の人たちも、正直言って、深く失望している人が多いと思う。私が先日、「脱自森のすすめ」を書いたのは、もうそこまで自森に失望している人たちに、これ以上、引き続き、自森に対する愛校精神を持たなくてもいいのではないか、かといって、その失望感の裏返しで自森に対する憎しみを強めるのも消耗だと思ったからです。それで、自森に対する憎しみに代えて、「脱自森」をすすめたのです。

 9月に、自森の高校校長が個人で今春の卒業生を訴えた裁判を傍聴した或る父母の人から、傍聴の直後に感想をもらいましたが、その中で、彼女は、この被告になった卒業生が卒業式のとき、この原告の校長に酒を吹きかけた場面を目撃したとき、「やった!やった!と内心の喜びを隠しきれず、思わず大きく手をたたいてしまった人間です」と告白していました。私は、彼女がいかに自森の中で、自由と自立の問題を熱心に考えてきたか、知っていましたから、このような憎しみがどこから生まれてきたものか、想像がつきました。しかし、この「憎しみというワナ」にはまってしまっては、もう袋小路で、相手も同様な憎しみ(さらには権威や権力)をもって答えるという、殆ど内ゲバと変わらない事態になると思う(私は、自森の校長や教頭たちが、いかにこうした父母たちの憎しみの視線をビンビン感じていて、それに反射神経的に感情的に対応するしかできないのを感じます)。
 それで、Sさんたちは別として、既に、私やこの感想を書いてくれた父母のように自森に失望してしまった者は、そのまま憎しみを野放しにするくらいなら、いっそのこと「脱自森」を試みた方がいいと思ったのです。

 でも、私は単に失望してこの自森から去るのではありません。それどころか、ようやく初めて自森と向かい合えるという気がしています。それは、自森の死亡診断書を書こうという試みです。
 私がこれから検討し、書こうと思う、自森の死亡診断書は、決して自暴診断書ではなく、むしろ、こうした憎しみから解放されて初めて可能になる作業です。どのみち、我々はこれからいろんな場でまた「自由と自立」をめぐってそれと取り組むという反復をしていくしかないのです。そのとき、このままでは、また自森と同じことを繰り返すのは目に見えている。そのような無惨なくり返しをしないためにも、この自森の10年間の試行錯誤の実験の意味を批評していく必要があると思うのです。

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