在学生へのメール

1997.10.17

(・・・自由の森に保存)



聞きたいのですが
湯口クンへ

メールをどうも。

> 最近メールが無いですが忙しいのでしょうか。

その通りです。ここ数日、脳疲労が激しく、このメールもろくろく読んでいません。
今、これが私宛に書かれたものであることを知り、返事を書かなくてはならないのに気がつきました。
簡単ですが、君の質問にコメントします。

> さて、今月の18日に職員会議に行ってテープを要求しようかと思うのです
> が、その文章を考えていて義務と言う事を聞きたいのですが。
>
> ・学校の全校集会の内容というのは父母が「要求するなら公開する」という
> のは法律的に義務づけられてるのでしょうか。
> ・また、どのくらいの人まで今回の全校集会というのは法律的に公開の義務
> があるのでしょうか。(見ず知らずのインターネットではじめて見にきた人
> までも要求されれば公開する義務はあるのか。※もちろん、無いと思います
> が。)

学校の全校集会の内容というのは父母が「要求するなら公開する」という、法律はありません。その意味で、法律的に義務づけられていると簡単に言うことはできません(反面、法律があればそれを盾に簡単に義務を主張できる)。
しかし、この種の情報公開の義務というのは、根本的には憲法の人権に由来するもので、そこからのみ最も説得力のある議論ができるのだろうと思います。もっとも、憲法にも、このような場合に公開する義務を定めた条文はありません。しかし、憲法はもともと条文に明文化されていなくとも、その内容が個人の尊厳に照らして必要不可欠と思われるものは、歴史的に人権として認められてきたものです。例えば、知る権利というのも、平和的生存権というのも、嫌煙権というのも、そういう流れの中で人権としての地位を獲得してきたのです。その意味で、情報公開を求める権利も知る権利や民主主義の徹底の立場からこれを認めてきたものであり、さらに、君の場合は、個々の生徒が持っている教育を受ける権利を実効あらしめるために不可欠(君たちひとりひとりが教育現場の主人公である以上、教育現場の重要な問題について、きちんとこれと取り組み、意見を表明することができるはずであり、そのためには「教育現場の重要な問題についての情報公開を求める権利」が必要不可欠だと思うのです)なものとして、これを要求する権利があると思います。

要するに、憲法では、教師でも親でもない、君たち生徒ひとりひとりが教育を受ける権利の主体であって、教育現場の主役と認めているのだから、要するに、この際、教育現場の主役にふさわしい行動・振る舞いが保障されるように、情報公開の問題もどうあるべきか考え抜けばいいと思います。ちょうど、それまで単なる脇役でしかなかった市民や労働者や農民が社会の主人公であることを自覚して、それにふさわしい行動を取るようなものですね。
ためらうことは何一つないと思う。

頑張って下さい。
では。

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