6月14日の自主企画「自由と暴力のはざまで」に参加して

1997.10.15

(・・・自由の森に保存)



                              1997年 9月 15日 (月)
                             H3-6義務者  柳原敏夫

1、私にとって自森の葬式ともいうべき、暴力事件と退学処分の報告がおこなわれた1週間後、今度は初七日ともいうべき、自森の生徒たちの自主企画「自由と暴力のはざまで」が開かれた。暴力をめぐる問題について、生徒・父母たちがレポーターとなって報告をおこない、これらをもとにゲストの近代文学研究者の小森陽一さんと一緒に考えるという企画だった。この、言うに言われぬ重苦しい時期に、当日の会場の美術室はびっしり参加者で埋まった(スナップ1参照)。
 私は、まず最初、この自主企画の表題に目が行った。「自由と暴力のはざまで」。今の自森の管理職だったら、決してこんな表題は思いつかないだろう。精々、「自由を守るために、暴力を追放しよう」といった紋切り型の、それゆえ、現実には何もそこから生まれないような、無力なスローガンしか思いつかないだろう。これに対し、これを企画した生徒たちは、恐らく、暴力の問題の本質を実感として感じているのだ、暴力と自由とは切り放せない関係にあることを。だから、我々が自由の道を選択した以上、好むと好まざるにかかわらず、「自由と暴力のはざまで」生きていくしかないことを、彼らも承知しているのだ。そう思えた。
 現に、今回の暴力事件を起こし、退学処分を受けた生徒たちの大半を、私の息子はよく知っていたし、泊まりに行ったことがあるような間柄だった。息子の後悔は、今回退学処分を受けた一人の友人がある時から際立って暴力的になり、クラブの後輩を殴りつけている場面を目撃したことがあったにもかかわらず、それを放っておいたことにあった。また、当時、我が家に来た息子の友人はいともあっけらかんとこう言った「もし、ボクがその場にいたら、きっとボクも一緒になって殴っていたと思う」
 今回の暴力事件は特殊な事件でも何でもない。自森においては、何時でも起きておかしくない、日常的な出来事である。それをバイ菌みたいに追放すれば済む問題ではない。

2、しかし、残念ながら、当日、この会場で発言した人たちは、かつて自ら暴力を振るってしまった経験を殆ど持っていないような人たちばかりだった。実は、私は、このような企画の場でこそ、自ら暴力を行使してしまった持ち主たちから、その経験から感じてきたもの、考えてきたもの、後悔したもの、無知の涙を流したもの全てについて思う存分聞けるものと期待していったのだ。彼らのような人物はこの自森にはごまんといるはずだった。だが、せっかくこのような場が開かれたにもかかわらず、彼らはこの場で自分の経験を表現しなかった。
どうして、彼らが進んで自らの表現をしなかったのか(或いはできなかったのか)、そこに、今の自森の重要な現状のひとつが如実に反映しているように思えた----つまり、暴力の渦中にあるような生徒たちは、自らの暴力をめぐる経験を認識にまで高める機会を奪われているのではないか、或いは、この自森ではやたらと「表現活動」「表現活動」と声高に叫ばれているけれど、しかし、実は本当に表現活動を切実に必要としている、こうした暴力にかかわっている生徒たちの経験を改めて言葉で表現する機会こそ、実際は決定的に奪われているのではないか。
そうして、学校は、彼らに暴力の経験を言語表現を通じてその意味を認識するという機会を奪っておいて、いざ、彼らの暴力がエスカレートして刑事事件がらみにまで及ぶと、ばっさり切って捨てるというのは、もともと「自由と自立」をめざして始まったはずの自森の自らの無力さをさらけ出している以外の何物でもないのではないか。
 
3、このことに関連して、高3のある女生徒が次のような発言をした。
「だって、もともとこの自森みたいな場で自由とか自立とかの大変な経験を学生時代にしてきたことがなかった(その反対に、受験競争に勝ち抜いた優秀なエリートでしかないような)人たちが自森の教師になっているんでしょ。そういう人がなんで、生徒に自由とか自立とかのことを語れるのかしら」
そして、この発言の時に、自森の創設以来深く自森に関わってきたアメリカ生まれの父母のバーバラさんが、大笑いしながら聞いていたのが印象的だった。紛れもなく、この「もともと自由とか自立とかを自森のような場に放り投げられて身をもって経験したことがないような人たちが教師になって、一体、生徒たちと、自由とか自立とか、それに必然的に伴う暴力の問題についてどうしてまともに語り合い、向き合っていけるのだろうか」というのが、自森創設以来のパラドックスだった。そして、事実、今では、多くの教師が自分たちが経験してこなかったこの厄介な自由とか自立の問題から避けようとしているように思える。そして、問題が起きたら精神分析医とかの専門家に委ねようとしているように見える。
 しかし、私は、このパラドックスを完全に解決するまでに至らなくとも、解決の方向に向けて歩み出すことは精神分析医とかの専門家に頼らなくとも、自分たちでも可能だと思っている----批評、しかも自己批評という活動を通じてであれば。それは単に「ある立場に立って他人を批判することではない。それは、われわれが自明であると思っていることを、そういう認識を可能にしている前提そのものにさかのぼって吟味することである」(柄谷行人)
 しかし、残念ながら、この自森ほど批評精神が欠けている場所はないのではないだろうか。それは意図的に欠如しているようにすら思える。かつて自ら自由とか自立とかの経験を身をもってしてこなかった者にとっては、自森のような場において、それだけに一層、苛酷なまでに自己批評精神が求められるはずなのに、おかしなことに、それが徹底的に欠けている。その反対に、ナルシシズムとか能天気とかファンクラブとかナアナアのズルズルベッタリとかといった、要するに共同体内部でしか通用しない気質でよどんでいる。
 前にも書いたように、私は、このふやけた自森の気質は、自森創設以来の根本的な体質に由来するものだと思う。例えば、ここに解放区が実現したといったような錯覚にずっと毒されてきたといった。しかし、このような自森の気質は一度徹底的に死ぬしかない。

4、小森氏は、当日、随分疲れているようだった。彼は、最後に締めくくりというべき話をしたが、そのときも暴力について一般的な説明或いは立ち入った説明は一切しなかった。むしろ、暴力の具体的な問題に立ち入らなかったこの日のディスカッションの状況から、私たちは暴力の問題についてどのような構えで望むべきなのか、についての彼の考えを語ってくれたように思えた。
 それを聞いた、途中から参加したある父母の人が次のようなことを語った。
「私は、さっき、別室で精神科医の人の話を聞いてきましたが、ばっさばっさと説明してくれるその人の話より、ここで語られたような、一つずつていねいに考えていくことの方が大切に思えました」
 多忙な小森氏は、そのあと、二次会の会場にもつきあってくれた(スナップ2参照)。そして、その会場では、今回の退学処分を受けた生徒も数名参加したそうである。
 仕事の都合で、二次会に参加できずに、小森氏と別れた私は、その1ヶ月ほど前、彼が語ってくれた或る話を、帰り道、思い出した。
----自森創設の理念を継承すると言っても、何か、自森が設立されたときに「自由と自立」といった理念が自森で実現されており、その後、実現された理念が放棄されてしまったかのように思い込む人がいるとしたら、それはとんでもない幻想です、なぜなら、「自由と自立」といったような理念は、これと対立する「管理・徒党・レッテル張り・依存・マインドコントロール」といった根深い理念に対する絶えざる批判の中でしか存立しえないものであって、一度、自森という空間ができてしまえば、一緒に出来上がってしまうような簡単なものではないからです。

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