校長V卒業生損害賠償裁判

1997.09.04

(・・・自由の森に保存)



近況報告
皆さんへ

ずっとご無沙汰しています。相変わらず暑いですね。

8月の中旬に胃ガンの検査でシロと出たあと、どっと俗気が出まして、ずっとマニアックな生活を送っていました(机を占領したパソコンの放逐とかパソコンの買い換えとか自宅でLANを作るとか)。

 それで、何人かの方から連絡をいただいたA君の裁判のことで簡単な報告をします。
 6月の末に、第1回目の裁判が川越支部であり、このときは、家族でアメリカに行っていたので、(卒業式での行為は認める、しかし、それに至る経緯があり、次回、その点について全面的に反論するという内容の、やや過激な)答弁書だけを提出して、先週8月29日に2回目の裁判があり、A君とお母さんが出席したわけです。この日までにA君の側で全面的な反論をするという予定で、しかるべく弁護士を捜したのですが、結局、A君の考えで弁護士ナシでやるという方針になり、この2回目の裁判の時に全ての主張をして、あとは裁判所に判断(判決)を出してもらうということになりました。

 それで、彼は自分なりにもう一度、卒業式の出来事を引き起こした原因を何も知らない裁判所に分かってもらうように表現するという、恐らく彼にとって大変な作業に取りかかったわけです。それまで彼は何となく、今回の事件のことを茶化すというか、ナアナアにしてあいまいにしているところがあり、また、それまでに、(彼の重たい口から)出校停止の処分をめぐる事実関係を話してくれたときにも、その表現ぶりが稚拙で表面的で話にならなかった。

 でも、不思議なもので、ここまで追い詰められ、ここまで腹をくくったせいか、裁判期日の10日前くらいから、何だか様子が変わってきて、彼の初々しい文章に私の赤を入れた添削に、ぴったり対応するように、どんどん素晴らしい文章を書き始めたのです。そして、正確な事実を確認するために、自森の先生達関係者に何度も電話までしていました。
 最後の2日は丸々寝ないで、清書に追われていましたが、その清書に際しても、もっと練り上げてきちんとした文章にしたいと思って、何度も書き直したり、関係者に電話したりしていました。途中、私宛に何度も電話が入って、ここはこう書いたらどうだろうかという質問が入るのですが、彼は神経が弱く、吐きながら書いていると言っていました。
 ということで、彼は当日の朝まで書き続けて、合計80頁余りの長文の反論を書き、それでも最後の数頁が間に合わないと言うので、裁判所の脇の喫茶店で書き続けていました。私はそのボロボロになった彼の姿が不思議に自信に満ちているのに感動しました。裁判所に向かう際に、彼に「君はもう何も恐れるものはないからさ。あとは自信をもってやれよ」と言うと、どういう訳か涙ぐんでいました。
 ということで、私は裁判所の前で別れ、彼らは裁判所で裁判を受けてきて、結局、当日、裁判官の指揮で、A君は卒業式の行為を木幡氏に謝り、他方、木幡氏はA君の言い分(当日、書面で提出したもの)を謙虚に受け止めて反省すべき点は反省するということで、訴えを取り下げることにしたようです。

 当日、この裁判に関心を持った生徒や親たちが傍聴に来られたようで、この裁判の結末をめぐってもいろんな意見があったように聞いています。私にはそれらにコメントする用意はありませんが、私がこの間、私なりにかかわってきて思ったことは、この裁判をA君が何よりも自分自身の課題に引きつけて考えてほしかったということです。彼と木幡氏との2人の関係から目をそむけないで、或いは茶化さないで、そこで何があったのか、何が問題だったのかを、きちんと見つめてほしかったのです。それを、彼はものすごい不安の中で、何度も吐きながらそれでもそこから逃げないで、認識続けようとしたのです。そこで、私は、彼がそれまで彼にとっての表現手段だった暴力に替わる新しい表現手段を見出したような気がしました。
アメリカにいる彼のお父さんも、一緒に連れ添っていたお母さんも彼がこの間、変わったことを実感していました。私自身も、そのような人の変貌の瞬間に立ち会えて、ある種の感動を覚えました。所詮、教育というのも、こういった個人的な経験の中にしかないのでしょうが。

 最後に、今日、彼に送ったFAXを添付します。

どうですか。あれから1週間たちましたが、疲れは取れましたか。
私は、今回の事件の中で、君自身が、出校停止の事実と向き合って、これをきちんと認識しようとしたことを一番嬉しく思っています。きっと君は、この認識という作業(というより格闘)の中で、暴力とはちがう、もうひとつの表現方法の手ごたえというものを初めて実感したのではないですか。今回、君が寝る間も惜しんで書き留めた一連の表現は、実は暴力以上に相手に強烈なインパクトを与えたはずです。そのインパクトは、君自身が君が体験した事実から逃げずにこれと真っ向から向き合おうとしたその勇気、その迫力から生まれてきたものだと思います。だから、私は、先週の裁判のときに、君がある種の絶対の自信に到達していたのを感じました。この自信というやつは、いくらお金を積んでも得られるものではないし、ほかでもない君がこの間、苦しんで認識の格闘を続けてきた結果得られたものに他ならないと思う。

作家の武田泰淳は「司馬遷」という作品の中でこんなことを書いています。

司馬遷は生き恥さらした男である。‥‥司馬遷の場合は考えるといっても、書くことであり、書くといっても「記録する」ということである。‥‥記録というとごく簡単に考える人があるが、私は、記録は実におそろしいと思う。記録は大がかりになれば世界の記録になるし、世界の記録をなすものは自然、世界を見なおし考えなおすことになるからである。これはなかなか出来にくい事で、それ故たとえば司馬遷などが適しているというのである。

君も、実は、木幡氏が思ってもみなかったような大それたことをやってしまったのだと思う。君は、きっと知的であるということはどういうことであるか、(ついでに、横暴であるとはどういうことであるかも)そのイメージの一端をつかんだと思う。それはまぎれもなく君の宝ですよ。どうか、この貴重な(新しい表現活動という)体験をこれからの君の人生で絶対放さずに大事にしていって下さい。

 それで、ひとつお願いがあります。それは、私に、君が書き上げた準備書面1とその後、書き足したラストの文章を、是非ともください。郵便でも会って渡してくれてでも結構ですから。 では、また。

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