卒業生へのメール

1997.07.25

(・・・自由の森に保存)



一耕君へ

ご無沙汰しています。

> 今僕は、所沢の家にいます。2週間ここにいる予定です。

ボクは、宮沢賢治殺人事件に巻き込まれたり、ガンの精密検査待ちの状態だったり、今調子が悪いのです。ですが、せっかく所沢くんだりにいるんでしたら、(君は女の子とのデートで忙しいと思うけど)よかったら電話下さい。川越で飯でもどうぞ。

先日まで、ずっと映画の製作にまつわる仕事をしていて、(実際に映画を作ったことがないくせに)実際の製作プロセスを知らなければなりませんでした。それを踏まえて、本ちゃんのプロデューサー相手に大喧嘩をするためです。だから、結構必死こいて映画製作を頭に叩き込みました。
それが終わるとすぐ、今度は翻訳の本質をめぐって、この中身を(素人が)素人に分かるように説明しなくてはならず、ああでもない、こうでもないといって考えていました。
そしたら、或る瞬間に、そうだ、元々数学も(自森の数学の教師は原則として別ですが)、貨幣も、法律も、芸術もみな翻訳(変換)なのだということに気が付かせられて、それらの相互関係に目が開けるような思いがしたのです。
と思いきや、今は、コンピュータプログラムの契約問題の核心をめぐる宿題に追われています。
で、こんな生活に、ちょっと頭の切替ができないなあ、と嘆いていたところ、想い出せば、少し前までは、小森さんと一緒に、小説の読みをめぐる問題と取り組み、そのすぐ前は、歴史叙述(歴史研究)の本質を解明するという作業をやっていたのです。
でも、これって、形式的にはみんな著作権の仕事なのです。でも、中身は文学から歴史、言語、コンピュータ、映画製作と、まるで、自森であらゆる教科をひとりで教えているような感じです。それで、このペースに頭がついていけなくて、ちょっとダウンしているのです。

もともと不器用な人間なのだから、もっともっとペースダウンしなければと痛切に思います。それで、一耕君たちとのコミュニケーションはバッサリ端折った訳です。

では。

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