1997.05.31
(・・・自由の森に保存)
阿部君へ
メールありがとう。
どういう訳か、君からメールをもらうとそれだけで(内容にかかわらず)何か嬉しくなってしまうのです。
> 元気ですか、あまりそうでもなさそうですね。なんだか大変そうです。ところでこの
> あいだ「こんにちわ」という標題でいただいたメールへのお返事を送ったのですが、
> ちゃんとあなたのところまで届いたのでしょうか。
失礼しました。受信箱を確認したら、21日に確かに届いていました。でも、翌日来たメールの数だけで20通といった感じで、ここ1週間くらいこんな感じなので、このメールも読ませてもらっただけで返事できずにいました。
歴史上でも、(フランス革命前後や今世紀の世界大戦前後や近くは天安門事件のように)時間がものすごいスピードで動く瞬間と、それ以外の大河のごとくゆったりと流れるときと両方あるようですが、自森でも今、創設の当時の疾風怒涛の時間に勝るとも劣らないスピードで時間が突っ走る瞬間が到来したのを感じます。
他方で、自分にはやらなくてはならない仕事があり、それと自森との間に挟まれて、ときどき思わずうめいてしまう、という感じです。でも、こんな稀な瞬間に立ち会えた、その幸運にはただただ(神に)感謝していますが、だから、その幸運を全身全霊で受け止めきれない自分に苛立ち、「時間よ、待ってくれ!」と叫びながら、ときには元気をなくしているのです。そういう元気のなくしかたですので、ご安心下さい。
> ずいぶんとたくさんの転送メールをいただきました。少しとまどってしまうのと、
> 最新の自由の森の情報をいただけてありがたく思うのとで、なんだか複雑な気持です。
スミマセン。文句言われるのを承知で出しました。だから、ちょっとやめて欲しい、と思ったら遠慮なく言って下さい。
> なんだか柳原さんたちと木幡たちのあいだにあまりにも距離がありすぎて、すごく
> 不毛な感じがします。学校に対して批判的(協力的?)な立場をとっているというだ
> けで、木幡が全く心を閉ざしてしまっているのように見えます。
そうですね、もうちょっとていねいに言いますと、私は、この入学式のビラ配り禁止事件があるまでは、そこまで批判を表明する気はなかったのです。だから、私のほうがむしろこのビラ配り禁止の件で、彼の横暴さにビックリ仰天してくらいです。私はその意味で、それまで自分から積極的に彼を批判していこうと思ったことは一度もなかったのです(内心いろいろ彼に疑問を持っていたけれど)。
やっぱり彼のビラ配り禁止という横暴さを目の当たりにして、そのことのとんでもない誤りを指摘してもただ開き直ってしまう彼の(かつての彼を知る者には信じがたいことらしいですが)横暴さをもうこれ以上ほっとおくことはよくないと判断し、それで異議申立という抵抗をすることにしたのです。
だから、あんな横暴をふるった彼がかたくなになり続けるのは或る程度承知の上です。ですが、私は、彼が他方で、自分に気にくわない奴はたとえば弁護士を使って刑事告訴するぞと相手を脅したり、裁判に訴えるという強権的・不毛な態度を取ることに対して、我々は決してそれを同じ不毛な土俵には乗らないつもりです。あくまでも、オープンな態度で、今回の人権侵害事件の問題の核心を堂々と意を尽くして論じ合うつもりです。その上で、そこで話し合いのためのギリギリの努力が尽きたとき、我々が精一杯努力しても彼がその話し合いに誠意が全くないとき、やむなく話し合いの場を法廷に移すことはあり得ます。でも、決して弁護士を使って強権的にやるのではなくて、あくまでも木幡さんたちを話し合いをさせるために法廷を使うつもりです。その意味で、私は、これまでの裁判のイメージ(仰々しい権力的な場といった)を一から塗り替えて、我々市民のための本当に身近で意味ある裁判所ということをここでも、追求していく積りです(すべてを一からやり直すのです)。
>僕は他の教員がこう
> した一連のことの推移をどのように見ていてなにを言っているのか全く知る立場にな
> いので、木幡の事しか言えないのですが…。僕は、表面でしか人の言葉を聞かないん
> だ、彼の心を動かすようなところに言葉を送り込むのは難しいんだ、彼は僕を一人の
> 他人として見ているのではなく彼の見守るなかで成長していく「教え子」としてしか
> 見てくれないんだ、というようなことを在学中に感じて彼に反発しました。
…。以降の文の意味が(とても重要なことを言っているように思えるにもかかわらず)
よく分かりません。もしよかったら、もう一度説明して下さいませんか。
> 確かにこ
> ちらにも彼に対してそうした閉ざしている部分があったのかもしれませんが。もし彼
> が、僕らに「教え子」というレッテルを貼るのと同じように、批判をするものに対し
> て「扇動者とその手先」というレッテルを貼って心を閉ざすのだとすれば、いくら言
> 葉で真正面から言ってもあまり意味がないような気がします。だったらどうすればい
> いのか、といわれてもどうしたらいいのかわからないので、まあただそう感じたのだ
> と受け取っておいてください。
阿部君は君なりに木幡さんとの関わりの中で、いろんなことがあったようですね。君がそれを話してくれる気があったら、いつか(君が旅立つ前に)じっくり聞いてみたい気がします。
或る卒業生がこの前、ちらっと言ってましてね。
「阿部って、木幡のことを評価している。」
(それが、私には)
「だから、オレは阿部を信用しない」
というニュアンスが言外に感じられたのです。それを聞いて私は何か複雑な気分になりました。阿部君は、そんな単純に、木幡さんのことを見ていないだろう、と。阿部君は、その卒業生なんか以上に、木幡さんとのつきあいが長いし、深いし、その点でその卒業生(そして私)が知らない木幡さんの側面を阿部君は知っているんだろう、と。
思うに、この問題の最大の原因は、(君なんかには信じられないかもしれないけど)木幡さんが或る時点で変節したことにあると思います。先日、バーバラさんが、「創立当時、息子が担任だった頃の木幡さんを思い出すと、今の彼は信じられない」と言っていました。変節の要因はいろいろあると思うけど(彼に校長という権力のえさをまいた連中とか)、彼自身にとって一番大きかったことは、彼なりに創立以来の自森の現実に直面してきて、それまで抱いてきた彼の希望・理念を或る時点であきらめたことにあるような気がします。彼は決して口にしないが、その体験を絶対していると思う。実は、そのようなことを、この入学式のビラ配り禁止事件の話し合いの中で、彼に迫ろうという魂胆もあったのです。
> あまりにもおおきな無力感がただぼんやりとあるだけ
> で、なかなか「自由の森」などというものを考える気力がでてきません。しばらくな
> んとなく無為な時間をすごそうかな、と思っています。
君にこんな(おおきな無力感)感情を植え付けた経験が何だったのか、とても気になります。君自身が、かつて木幡さんが経験したであろうような「それまで抱いてきた希望・理念を或る時点であきらめた」のと同様な経験をしたのではないか、と思えてくるからです。
> 柳原さんのメールのどれかに「彼のような人物を生み出すような自森的精神という
> ものさえ受け継げれば、飯能という場所の自森にこだわる気は毛頭ない--」というよ
> うな文面がありましたが、「自由の森的精神」というのは、既存の思考の枠組み--い
> まなおあまりにも強くこの日本という社会に残っている--をなんなく笑いとばして飛
> びまわり続けるだけの「文化」のようなものと受け取って差し支えないでしょうか。
そう思います。私自身、ニッポンから亡命するつもりで、ここ数年間企んできて、自分でも外国をうろつく中で、帰国して自森の中に、非日本的な、世界性を持ったような精神を(生徒の中にでしたが)初めて見出したのです。だから、そのときは、自森はニッポンの中の「世界」だ、と思ったのです。でもまあ、そういうものはたとえば一期生のA君とか小島大君たちなんかが営々と作り上げてきたものだったのをあとから知ったわけですが。
> やはり自由の森の内側だけで理想主義的にやっていこうという姿勢は「馬鹿の一つ覚
> え」でしかないと思うし、「文化」をばらまくという役割を果たすことが一番重要か
> と思います。まあやっぱりそのためにも思考を促し続ける場として、「許容範囲」(
> 安易にそう言っていいのかどうか知りませんが)が狭くなっては面白くないですね。
> 「混沌の神様」が死んでしまいます。
> とりとめのない文章で申し訳ありませんが、とりあえずここまで。
いえ、読んでとてもよかったです。不幸にして、今の自森は自閉の森ですから、君みたいに自分でこれだけ考える経験をして卒業した以上は、思い切って世界に飛び出していけばいいですよ。
それに対して、私は或る意味でこれまで存分にいろんなことをやってきて、その中で改めで自森の可能性を再発見して、それで、それを守ろう、少なくとも、阿部君みたいな、かつて「甘ったれて暴れて迷惑かけた」少年でも、自立を目指して自分なりの歩みを踏み出そうと決意するような人たちが入られるような場を引き続き確保しようという思いですね、そういう思いでやっているところがあるのです(もう自分自身のことではなく、自分の死んだあとのことを考えているような、ジジイの発想ですが)。
でも、君は若いんだし、まだまだ未知のことがいっぱいあるんだから、自森なんかにこだわることは全然ないと思う。ちょうど「はてしない物語」みたいに、ファンタジーエンの世界に飛び立って、思う存分、いろんな経験をしてきて下さい、と送り出したい心境です。
ちなみに、昨日、一昨年の卒業生の黒澤未央子さんのお母さんから電話があって、彼女は、一年間、プータロウみたいにして貯金と語学をして、来月からアメリカに行くそうです。ニューヨークが目的らしいのですが、まずはフィラデルフィアに腰を落ちつけて、それからニューヨークの活動拠点を見極めるそうです。親も付いていくんですかと尋ねると、いいえ、うちの子はずっと一人旅ですから、と単身の出発だそうです。未央子という人は面白い人で、話と長くなるので、やめますが、おお、こんな感じでどんどんやったら、自閉の森もちっとは世界の風が吹き込むんだろうと嬉しかったです。
> ちなみに今日は夜勤が5時間弱で終わってしまって(定時は8時間)よかったのですが
> 、明日は僕が北寮にいた頃の日直さんの告別式です。体をこわしているということは
> 聞いていたのですが、甘ったれて暴れて迷惑かけたので、いつか顔を出そうと思って
> いたのですが…。
そうですか。いろんな人が自森にかかわっていて、お互いがその中でいろんな影響を受け合っていたことがあったのですね。かつて「甘ったれて暴れて迷惑かけた」ガキ大将みたいだった君がどんな少年だったのか、またいつかお話聞かせて下さい。
最後に、君が書いた長文の論文は我が家ではカミさんなんかただ驚嘆しています。私も、これを小森陽一さんのところに送りつけたりしましたが、私自身のコメントをきちんとしたいと思っています。もうちょっと落ち着くのを待ってからにして下さい。
では。
Copyright (C) daba