1997.05.25
(・・・自由の森に保存)
皆さんへ
13日に発生した7人の生徒の暴力事件をめぐって、自森の学校は、ものの1週間あまりの超スピード裁判で、昨日の深夜、処分の結論を出したそうです。何としてでも、昨日中に結論を出さなければならないという並々ならぬ決意が深夜に及んでまでも職員会議を続行させたようです。
まだ被害者の回復もおぼつかなく、彼の今後の生き方に関する話や加害者との関係についての検討もまったくされないままに、、或いは(彼らにとってこれまでの生きざまのがある意味で集大成されているような重大な意味を持つであろうこの事件の)加害者がまだ冷静になって自分のこれまでの人生を振り返って今回の事件の意味を認識できるだけの余裕も全く与えられないうちに、なぜ、このような1週間足らずという超短期間で結論を出そうとしたのか。
学年集会や全校集会が持たれたというが、その中で明らかになったことは、教師たちが悲痛な顔をして被害者の被害の重大さを語るのみで、ひと言、突っ込むと問題にならないくらい何も考えていないということだったようです。
外部生の高1の生徒はこう言っていました、
「そんな深刻な顔をしなくていいから、もっと中身のある話をちゃんとしてほしい。教師は真面目に考えているのか」
普段、能天気の息子ですらこう言っていました、
「教師が信用ならないのがよく分かった」
今回の、このような馬鹿げた即決裁判のようなやり方がもたらした唯一最大の功績は、教師と生徒たちの間の決定的な亀裂、生徒たちがもう教師なんて絶対信用ならないという確信だと思いました。だから、もうこう断言していいと思う。5月24日は自森の命日だ、と。杉原バーバラさんが珍しく電話をかけてきてくれて、こう言いました、
「自森は今度の処分で解体するよ」
だから、この際、欺瞞はやめて、「自由の森」ではなく、「秩序の森」と呼ぶ方がまだましではないかと思う。
でも、絶望が深まれば深まるほど、他方で希望もまた生まれてくるもので、今回の職員会議は生徒たちの職員会議傍聴の要求・この日の処分決定の中止の要求で始まったことです。
前のメールにも書きましたとおり、金曜日に矢納君と電話で、「今日の職員会議の間、職員室の脇ででも、生徒たちで今回の事件を考える自主的な会をやろうよ」と(お互いかなり疲労しきった状態で)確認したのです。
ちょっと疲労困憊で翌日、自森に「入学式のビラ配り人権侵害事件の協議申入れ」の書面を作成し、FAXするのに手間取って、自森に行くのが遅れた締まった私は、行ってみたら、雨の中、既に職員室の脇には誰もいず、校内を探し回った結果、小会議室に矢納君たち生徒が20名くらいゴロゴロしていたのです。みんな初顔の人たちばかりで、何となくかったるいという感じでゴロゴロしていたのです。
矢納君に事情を聞き、朝、寮の前で何となく、生徒たちが集まってきて、職員会議に行って、傍聴とこの日の処分決定の中止を要求しようということになったらしく、それで、会議の冒頭に生徒たちが会議室に入っていって、要求したのだそうです。しかし、そこで、(ここで生徒たちは教師のすごい正体を目の当たりにした)すったもんだあった末、結局、追い出されて、この要求を検討して報告するまで小会議室で待たされていたのです。
約2時間くらい待っていたら、依田さんとマッシーがやってきて(私には久しぶりの対面でしたが)私が依田さんに「こんにちわ」と言うと、彼は一瞬ドギッとして、それから、私に退席して欲しいと言う。「なんでですか。私はこの学校の構成員のひとりなのですよ。この問題に重大な関心があって話を聞きに来たのです」と問い返すと、彼は思わず「あなたがここにいるのが気にくわない」と答えたのです。それを聞いていた生徒たちも思わず「えっえっ!」とブーイングをあげたし、私が一歩も動く気配もなかったので、彼は「まあ、いてもいいんですがね」とのらりくらりと話をはぐらかしたのです(いかにも今の自森の排除の体質を如実に現わす好例ですが)。
それから、二人は回答を説明し始めたのですが、途中、生徒から「あとから質問していいんですか」と質問があると、依田さん思わず曰く「質問は受け付けません」。
しかし、さっきまでゴロゴロしてかったるそうな生徒たちが途端に変わったように、どんどん質問をし始めたので、その迫力に押された二人はまた質問に答えざるを得ず、延々と質問は続きました。その結果、再び、午後の会議の冒頭で、生徒たちの要望を表明する機会を与えるということになりました。
午後の冒頭、生徒たちは再び、会議室に集まって、意見を表明しました。別に送った写真は、このとき、廊下に待っている生徒たちの姿です。
そのあと、2時から6時まで、飯能公民館で一粒塾の集まりに、この生徒たちはほぼ全員集まり、今日の出来事を一部始終語りました。その後、6時から9時過ぎまであって、ビンちゃんの読書会にも、この生徒たちはそのまま合流し、暴力についてなど様々なことを話し合った末、結局、この日、12時間一緒に行動を共にして帰宅しました。
まるで、一ヶ月も一緒に行動したような密度の濃い一日でした。生徒たちを寮に送っていく帰りの車の中、助手席に座った新高校1年生の女の子がぼそっと言いました。
「こんなこと言うの変なんだけど、私、今日、すごく嬉しかった。こんだけ一生懸命話して、こんだけ頑張っている人たちがいたんだもの。矢納君と喋ってみたかったんだけど、彼って、すごい人だなあ」
Aさん、Bさん、Cさん、‥‥御苦労さまでした。10年にいっぺんあるかないかのような昨日の出来事のことは忘れません。
そして明日から、第2ラウンドが始まります。
紛争は人間の本性を否やおうなしに剥がし、映し出す無慈悲な鏡です。第1ラウンドで、うちの息子が言ったように「教師のことがよおく分かったよ」と多くの人たちの前に真実が明らかにされました。そして私は、昨日1日で、いっぺんにものすごく沢山の連れ合いを見出してしまったようです。帰りには、もう何カ月もつきあってきたような(先週、インターネットの講座に来たちえ子ちゃんとも、固い友情を感じています)、不思議な気分に包まれていました。
第2ラウンドは、真実に目覚めた人たちと共に、思う存分、今回の問題をスッポンのように考え続けていきたいと思います。
私は、改めて、情報公開の原理について徹底的に学ぼうと思う。
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