1997.5.15
(・・・自由の森に保存)
高3-6父母 柳原敏夫
1、前座
「私にも学校を選ぶ自由がある」と言って、兄貴の行っている自森に行かないで自ら公立中学を選んだ中3の娘が、突然「自森の体育祭に行く」と言い出して、学校を休んで友達2人で出かけた。
もともと群れるのが嫌いな高3の兄は、どういう心境の変化か、今度の体育祭で団長をやると言い出して、連休も返上して準備に燃え、当日もくたくたな筈なのに朝6時に起きて、私たちに「絶対見に来てはいけない」と言い残して出かけた。
こうなったら、5年間自森の義務者でいながら今まで一度も体育祭を見たことがない私も「最後に一度くらいは見物しなきゃあなるまい」と、兄妹にばれないように念入りに変装をして、何食わぬ顔をして出発。
2、現場
しかし、広い運動場のそばにさしかかるやいなや、警察犬みたいに、兄に見つけ出され、詰問される。「オレにだって、体育祭を見物して楽しむ幸福追求権という人権があるんだぞ!」と思わず言い返したくなる。しかし、寛容な彼は私を許してくれる。
そのうち、妹とその友人に出会う。公立中学に私が出かけると露骨に嫌な顔をして「シッ、シッ」と虫けらみたいに追い払うのに、ここだと随分寛容だ。一緒に見に来た大石静みたいなシナリオライター志望の友人は珍しそうに言う「どこに先生がいるのか、誰が先生なのか全然わかんない」。事実、校長の挨拶もなければ、教職員の競技もなければ、校長による表彰式も何もなかった。全部、生徒たちがやってしまった。
午後、兄のクラスメートたちと話をする。
私「体育祭って、いつもこんな感じなの?」
彼「いや、前はもっと沢山参加していたし、元気があった」
私「それじゃあ、随分おとなしくなったの?」
彼の母「何かさみしくなったわね」。確かに写真にとってみると、運動場が広すぎると嘆きたくなるくらい、生徒や見物人が少ない。
3、感想
閉会式で、生徒たちが表彰式をやっているのを見ながら、妹にたずねる
「どうだった?」
彼女「お兄ちゃんが頑張っているんだなあと思った」
私「??」
彼女「前見に来たときはさ、すごかった。パリパリのアンチャンたちが、ムカデ競争だっけ滅茶苦茶はげしかった。みんなすごく元気あったじゃん。でも今日は、みんなおとなしいね。だから、お兄ちゃんたちが一生懸命盛り上げているんだなあと思った」
ここで、彼女が「お兄ちゃんたち」と言ったのは、私も当日初めて知ったが、今日の体育祭の団長たちは殆ど、我が家に泊まりに来ては我々のことを「おとうさん、おかあさん」なんて呼ぶ、兄貴の遊び仲間(もともと勉強仲間はいませんが)たちだったから。
私も、普段バンドや旅行を楽しんでいるだけにしか見えない彼らが今日、生徒たちを盛り上げる先頭に立っているのを見て、不思議な気分だった。というのは、彼らはその性格からして誰かからやらせられている筈もなく、まちがいなく自発的にこういう役回りをかって出たのだ。彼らはいわゆる学力はいまだないかもしれないが、彼らがこの間存分につけた遊力というのはこんな風に力を発揮するのだろうか、と思った。
例えば、写真にうまく撮れなかったけれど、玉入という競技は、自森にはお金がないから、玉入のかごも棒も玉もなかったらしい。そこで、兄貴たちは考えて、かごは自分たちで段ボールで作るし、玉は生徒たちがめいめい見本を参考にして作ってくる。棒は(これは簡単に作れないから)団長自らが棒になる。それで、段ボールを背負った棒が逃げ回って、それに生徒たちが持参した玉を入れる、という競技を編み出した。それを聞いた妹の友人がキャッキャ笑いながら言う「だから、なかに変な玉があると思ったんだ。だって、ハンカチみたいのが玉からチラチラしてるんだもん」。これは、まるで浅田彰の逃走論の自森版ではないか。単に速い遅いを競うのでもなく、或いは単に激突して勝負をつけるのでもなく、いかに知恵を絞って逃げて逃げ回るかを競う競技にしてしまう。お金がないという悪条件を逆手にとって、自由と自立はこういう風にも発揮され得るんだ。
表彰式の最後に、団長たちがあいさつをしている。リラックスしていて気分良さそうだった。締めくくりに、実行委員長らしき生徒が立って話す。「さあ、帰ろうか」と妹たちに声かけようとしたら、その生徒が突然マイクの前でボロボロ泣き出してしまった。これには妹やその友達のほうがビックリ仰天した妹たち思わず
「ウソッ!信じられない。何っ、すっごい純情‥‥」
その生徒も、やっぱり家に泊まりに来たことのある、兄貴の遊び仲間だ。聞くところによると、今回の体育祭は、昨年は中止したように、今年も4月の上旬まで予定に入っていなかった。それを生徒たちの力で実現させてしまったらしい。だから、時間も準備も全然なくて、それで、実行委員長をやった彼も、果たして本当にオレたちの体育祭ができるんだろうか、ハラハラし通しで、ずっと緊張の中にあったのだろう。それがケチをつければ山ほどあるかもしれないが、しかし何とか自分たちの体育祭を無事やり遂げられて、責任を果たした解放感から思わずボロボロ泣き出したのだろう。
君たちの体育祭、君たちは何たって自分たちの手であそこまでやったんだろう。はからずもここでまた「ここには百のガタガタゴタゴタがある。しかし、にもかかわらず、その百のガタガタゴタゴタを上回って余りあるようなひとつの素晴らしい魅力」の実際を、実現不可能に思えた体育祭を自主的に本気で取り組んだ君たちからたっぷり体験させてもらったように思った。ありがとう。
4、後書き----長文嫌いの人へ----、
近頃、「いつも長々とした原稿で嫌になる、もっと締まった簡潔明瞭な文章を」と批判されているにもかかわらず、また、長くなってしまった。しかし、書きたいことがいっぱいあってどうしても短く書けない。自森の現実が長文にさせるのだ。
スミマセン。
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