自森に唾をかけようか、‥‥それとも花を盛ろうか
--ビラまき規制事件について--

1997.05.11

(・・・自由の森に保存)



     自森に唾をかけようか、‥‥それとも花を盛ろうか


                            高3-6父母 柳原敏夫
                                  97.05.11

まえがき
 これまで自森の中で経験してきたことを書くたび、できるだけ個々人のことに言及することは避けたいと思ってきた。しかし、先月の入学式におけるビラまき規制事件を契機に、今、自森が抱えている問題を掘り下げるにあたって、もはや教師一般とかいう書き方ではかえって不正確になると思い、個々人の言動としてこれを取りあげるしかないと思った。よって、以後、私の経験した範囲で、個々人の言動についてきちんと取りあげることにした。
 もとより、これは言及した個々人の攻撃や憂さ晴らしが目的ではないから、原則としてそれらは匿名にしてある。しかし、読んだ本人はすぐ分かると思う。そして、きっと不愉快になると思うが、しかし、私があくまで「名誉毀損と批評表現活動のはざま」で書いていることを、法律的に言えば名誉毀損を定めた刑法230条と表現活動の自由を保障した刑法230条の2のはざまで書いていることを理解して欲しいと思う。
 そして、彼らとの間で、権力的ではない、自由で対等な反論や対話という開かれたコミュニケーションが実現することをいつでも歓迎する。




 去る4月12日、入学式において、「自由の森NGOホームページ」を紹介するビラまきに対し、学校の管理職の人たちから「事前の許可」がなかったらやめるようにと命じられた事件の経緯については、既に、4月19日付けの「自森の人権侵害を考えるスッポンの会」の発足に向けて、という文書で書いたのでくり返しません。

 でも、今回の事態は、学校の管理職の人たちにとって、例によって「つまらない小事」だと思っているでしょうが、しかし、これは今の自森の実態をリトマス試験紙のように明らかにするような象徴的な事件なのです。ですから、ニッポンでは稀な「自由と自立」を正面から目指そうとしてきた自森という空間において5年10年かけても取り組む価値のある事件として、あらゆる角度から問題を深めていきたいと思っています。

 今回の事件で私にとって最も印象的だったのは、まず、管理職の人たちから私たちに「ビラまきをやめるように」と命令された場所が職員室だったことです。だから、周りには大勢の教師がいた。しかし、不思議なことに、私たちがこのような人権侵害の目にあっているというその最中に、そこにいた教師の人たちは誰一人として関心を示す人がいなかったのです。管理職の侵害行為に抗議までできないとしても、沈黙でもいいから、事態の重大さを受け止め、せめてそばに来て傍聴するくらいの勇気が欲しかった。しかし、誰一人そばにきて一緒になって話を聞こうとする人はいなかったのです。この中には、自森の設立当時の中心人物だった人もいたそうです。かつて、人権侵害の裁判を何年も闘ってきて人権擁護に身をもって捧げてきたこの人は、今や自分がただの「見猿、言わ猿、聞か猿」になってしまったこと、そのため、これを目撃した同席の生徒に、彼の百の授業なんかよりもこの時の一瞬の行動から実に多くのことを教えてしまったことをよく考えて欲しいと思う。

 また、私の目の前にいた教師の人なんかは、机の前にガバッと座ったままだったが、しかし、微動だにせず、肩がこちんこちんに張っていて、必死になって耳をそばだてて事態の推移を聞き取っているように思えた(残念ながら、これが自森の現状をあらわしている現象なのかもしれない)。

 さらに、私にとって異様なくらい印象に残ったのは、このとき、沈黙する教師たちの中で、ひとりだけ発言した人がいたことです。しかも、それは、管理職の人たちの「ビラまきについて事前に教職員会議にはかって配ってよいかを決める」という言い分は「検閲」にあたりますよ、と私たちが指摘したことに対し、突然、「それが検閲かどうかは認識の違いじゃないでしょうか」と口をはさんだのです。私はビックリした。そもそも「検閲」はチェックする側の動機や目的の中身を問わず、一切の事前審査をいうものであって形式的なものであり、そこに「認識の違い」を云々する余地なぞないと思っていたので、「検閲かどうかは形式的に決まるものです」と反論すると、彼はなおも食い下がった、きちんとした証明もしないで。
 それで、私はすっかり頭に来てしまった。なぜ、彼は「検閲」の何たるかをきちんとわきまえてもいないで、あいまいなまま「認識の違いじゃないでしょうか」なんて口をはさんだのか。私にとってそれは一目瞭然だった‥‥管理職の人たちをかばいたかったからです。しかし、管理職の人たちが父母から何か一方的に糾弾されてひどい目にあっているなら管理職をかばうのも理解できないわけではないが、しかし、実際はその正反対で、私たちこそ言われのない、自由と自立を目指してきた自森において前代未聞の人権侵害行為がなされようとしているその瞬間に、侵害者たちをかばってしまっているのです、その無神経さに愕然としたし、猛烈に頭に来たのです。
 実は、この人物は、以前息子の副坦だったから、私はよく知っていた。息子に言わせると、彼の授業はつまらなく、事実、方々でもそういう噂をよく聞いたことがあった。しかし、私は彼と話をしていて、得てしてエリートで頭がいいだけの教師が多い中で、彼は下積みのすこぶる豊かな人生経験をなめてきた、いわば男はつらいよの寅さんみたいな雰囲気の人に思えたのだった。その意味で、私には、一種得難い人間らしい魅力を備えていた人物のように思えた。ですから、そのような彼の人間らしい魅力は、人より頭がいいとかといった世間のモノサシで人を計らないことを目指そうとした自森のような空間でこそ、思う存分発揮できる筈だと期待しておったのです。だから、いつも、(ちょっと自信なさ気な)彼の姿を見るたびに
「あなたのような人こそが、自信を持って、あるがままの自分であり続けてほしい。それが、この自森で沢山の人たちにきっと勇気を与えることになるはずだから」
と願ってきたのです。ところが、今回の彼の態度を見て、彼はもうこの自森で「あるがままの自分であり続けること」への努力を断念したのだ、そしてこの挫折の上に立って、今さら頭がいいなんてことで競争しても勝ち目がないとあきらめた彼は残された道として、今日のようなことをしたのだった、ということが分かった。
 私は「坊ちゃん」の野だいこみたいな彼のしぐさを目撃して、思わず「こいつ、水ぶっかけてやろうか!」と憤りに駆られた。しかし、そのあと「あるがままの自分であり続けること」への道を断念した彼に対する憤りのみならず、寅さんのような多くの人間的な可能性を秘めた彼をこんな惨めな道に追い込んだ連中に対する憤りが来た。それは、この自森の今を象徴するような出来事に思えた。

 さらに付け加えれば、今回の処分は、或る教師の通報によって始まったのです。つまり、今回ビラまきをした自由の森NGOホームページの編集委員である生徒が途中から思い立って、カンパの呼びかけをしたのですが、その場に居合わせ、これを見たひとりの教師が管理職に言いつけたのです(その当人は単に連絡したぐらいにしか思っていないかもしれませんが、呼び出された側としては密告されたような気分ですね)。編集委員である生徒のこのときの憤りは激しいものでした。それは彼のカンパの呼びかけをその教師がおかしいと思ったからなのではありません。彼はそんな度量の狭い人間ではありません。そうではなくて、彼の怒りは、もし、その教師がカンパの呼びかけをおかしいと思ったんなら、どうしてその場で彼に面と向かってそのことを言ってくれなかったのか、もし時間がなければ、入学式が終わったあとにでも話し合おうとどうしてひと言言わなかったのか、ふだん「生徒と教師の信頼関係が大事だ」と口にしておきながら、どうしてこういうときに、生徒と面と向かおうとしないのか、にあったのです。念のために言いますが、写真にもある通り、この彼はいたって冷静沈着で、その教師が呼びかけたなら、その場で暴力沙汰になるなんて心配は全くなかったのです。ちなみに、彼と一緒にいた私も暴力を振るうようなタイプでないことを示すために、気になる人は写真を見て下さい。

 私自身、この教師のやった通報が卑劣だなんて非難する気はないのです。しかし、この光景を見ていて愕然とするのは、この教師の人は自分のやっていることの意味や影響のことを殆ど理解していないのではないか、ということです。私から見て、そこにはもう意識にも登らない一種のあきらめ
「教師ひとりひとりが生徒にじかに向き合って交わっていくなんて不可能なのだ、だから、問題が起きたときにはすべて(権力を持った)管理職に通報して権力者である彼らに任せるしかない」
というあきらめがあるように思えてならなかったのです。そして、こういうあきらめこそ、実は知らずして生徒ひとりひとりの心に水が染み込むように決定的な教育的効果を及ぼしているのです----私たちはもう自由と自立なんて誇り高い生き方を目指しても無意味なのだ、と。

 こうして、私は、先だって、発足した「自森の人権侵害を考えるスッポンの会」という名称をこう訂正したいと思う、
「自森の挫折と人権侵害を考えるスッポンの会」、と。
 なぜなら、自森に今蔓延している恥ずかしいくらいの人権侵害の事態は、遡れば必ず、かつて「自由と自立」を目指そうとしてきた自森が或る時点で(もちろんその時期は人によって違うでしょうが)「自由と自立----そんなことは所詮理想でしかない。人間がそんなことを目指してもやっぱり無理なんだ」とあきらめ、挫折を受け入れていった経験を抜きにしては理解できないからです。
 例えば、南寮事件がもたらした最大の影響というのは、単なる暴力事件ということではなく、「自由と自立」を目指そうとしてきた自森でこのような暴力事件を解決することができないのだというものすごい無力感と挫折感だと思う。こうして、無力感と挫折感に襲われた人たちは(大人・子どもを問わず)病気になるか不登校になるか投げやりになるか権力に取り付かれるか、そのごますりになるかしかなくなったのだと思う。

 だから、私はこの自森の人権侵害(のみならず、自森の教師・父母の病気や不登校)を考えるにあたって、どうしても、自森がこの12年間の間遭遇してきた様々な困難な経験とそこでおかした誤りや失敗の意味を、たとえ困難でも再吟味するしかないと思う。
 それまで、ただの「無力感と挫折感」しか見いだせなかった過去の困難な経験に今、改めて新たな光を当てるために、認識上の格闘をするしかないと思う。それが、この「自森の挫折と人権侵害を考えるスッポンの会」を発足させる最大の目的です。

 だから、私は、「自森に唾をかけようか」とも「それとも花を盛ろうか」とも思わない。ただ、できることならこうしたい、

自森に認識の光をもう一度、そしてそのための勇気を!

最後に、(管理職の)名雪さん。我々の会が管理職をいじめるなんて、そんな次元の低いしょうもないことで時間を費やす気なんかないことを、分かって欲しい。

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