自主講座の感想1〜17を自森NGOホームページに掲載するにあたって

12.02/96

 私は、これまでもう5年も息子を自由の森に通わせていたにもかかわらず、去年までこの学校に何の関心も興味もなかった極めていい加減な親のひとりです。

 ですが、私は、昨年、ふとしたことから、この学校の空間とりわけここで出会った生徒たちから一種異様な印象を受け、以来、この自由の森という空間が自分にとってはからずも切実な場になってしまったのです。

 それは、受験勉強の申し子としてはギネスブック級の病人すら自負している私のような者が、管理と競争の無意味さを散々に味わった末に、それへの抵抗と批判をくり返した挙げ句に、ようやくたどり着き、見出したようなものに、私はここで出会ったと思ったのです。

 それで、私は、自分がめぐり合えたことの意義をもっと明確にしたいと思い、そこで、これまで私にとって批判と自由の導き手であったような人物(柄谷行人とか藤原新也や浅田彰などの人たち)とこの自森の空間とを激しく交わらせてみたらどうだろうかと思い立ち、厚かましくも無謀にも彼らを自森に来てもらおうとしたのです。

 しかし、何事も願ってみなければ始まらないという言葉通り、それまでだったら考えもしなかったこの計画を自森の生徒たちと実行に移す中で私や自森の生徒たちの声が彼らの心に届き、昨年の秋以来、次のような人物が自森まで来ては、熱を帯びた交流を実現していってくれたのです。

95年10月28日 ゲスト柄谷行人
   11月11日 ゲスト小森陽一
96年 1月13日 ゲストちばてつや
    1月27日 ゲスト浅田彰
    2月17日 ゲスト小森陽一
    6月27日 ゲスト藤原新也
    6月29日 ゲスト小森陽一

 これらの自主講座をやる中で、私はこのとき自分が感じ、考え、発見したものを感想文として17通ほど書き殴りました。しかし、その後しばらく、これをほっといたのです。なぜなら、それを眺めていても単に追想に浸るだけの後ろ向きな気がしたし、しかもその後、インターネットの可能性にのぼせ上がっていたからです。

 しかし、インターネットの取り組みに一区切りがついたという気分になった最近、ようやく、昨年、このとき熱にうなされながらも感じて書きつづったことの意味を、改めて問い直してみようという気になったのです。


 それで、このとき、書き殴った以下の感想を先月から始動はじめた自森NGOホームページに紹介することにしたのです。