感想17

----B君への手紙----

1996.02.15

(・・・自由の森に保存)


コメント
 昨年約半年間、仕事も省みず書き殴ったこれらの感想文を、今あらためて読み返してみると、このとき自分が何に一番惹かれていたか、少しずつ分かるような気がします。
 それは、今あそこでしきりに大人たちに問題扱いされている生徒のことだった。私にとって、あそこで見る大人はとりたてて興味を引くものはなかった。しかし、生徒には時としてハッと驚かされるものがあった。それは、ちょうどヘンリー・ミラーの作品に驚かされるような感じに似ていた。
 それで、私はもしかしてここで初めて自分のことを語れるのではないかという気がして、それで思わず感想文を書きまくってしまったようだった。
 ここで書いている相手のB君の場合もそうだった。私は、B君(彼は千葉県から埼玉の飯能まで毎日通っていた)を見ていて、ここで自分は紛れもなく新しい質の人間に出会っているのだという不思議な気分に襲われた。それはホントに幸せなことだった。しかし、同時にそれは----大変な困難と深い喜びを一緒に感ずるような複雑な気分だった。
だから、あのB君も今後、勇気と知性を発揮し続けるしかないのだと思う。


 先日のクラス企画「すきま人間インタビュー」に、飛び入りのゲストとして参加してくれてありがとう。
 君がもうじき自森から卒業していなくなる寸前に、偶然、君や一緒に来てくれたC君たちと少しでも知り あえてよかったなという気持ちで一杯です。実は君のことを初めて知ったのは昨年十一月、小森さんをゲ ストに呼んだ自主講座の二次会のときです。このときとても印象的だったのは、君が「踊りなんかをやっ ていて、そのとき限りの瞬間だけの感動でない、もっとちがう何か持続する感動というものを考えていき たい」というような感想を述べていたことです。瞬間感動に対抗して持続感動 を君が言い出したのを聞い ていて、これは私がそのときの「感想8」で一番言いたかったことだったので、私も思わずビックリしま した。確か、このとき、君の発言を聞いて小森さんも思わず「そう、そうなんだ!」と歓喜の反応をして いましたよね。あれで彼はすっかり嬉しくなって、そのまま四次会までやろうということになったので す。
 そんな出会いをした君やC君は私にとって、とても不思議な人間でした。ひょっとして宮沢賢治がは るばる寄こした賢治の使者たちではないだろうかとさえ思ったりしました。それは先日のクラス企画のと きの君たちを見ていて、天性の踊り人賢治みたいに命の泉がたっぷり体中からみなぎっていて、そばにい る我々さえ思わず豊かな気分にさせてくれたからです。それはきっと君がこの3年間夢中になってやって きた踊りというものの原点(生の歓び・生の大肯定)からやってくるものなのでしょうね。
 私も、ようやく27、8にもなって、司法試験の万年受験生の仲間入りを果した頃、仲間と夜の海辺で、昔大流行し たピンクレディーの「ペッパー警部」という歌を歌いながら生まれて初めて踊りまくったとき、恥ずかし ながら踊りの歓喜というものを初めて知ったのですが。
 でも、私が面白いなと思ったのは、君が決して踊 りさえ楽しく踊れていればそれでいいんだというような、ただの感覚人間或いは瞬間感動人間ではないと いうことです。むしろ、並みの人間よりものすごく知性的だということです。これには驚いた。芸術的で あることと知性的であることとが君の中では見事に両立しているように思えたからです(まさに、こんな 奴が自森にもいたんだという感じです)。あけすけに言えば、これこそ私がひそかに自森の空間で期待し ていたようなものだったのです。要するに私が求めていたのは君のような人物なのです。つまり、私が求 めていたのは、単に歌や踊りといった芸術の体験にただ浸っているだけで終わってしまう(つまり、その 場限りの瞬間感動で終わってしまう)のではなく、或いはまたその反対に、感性とは無縁なところで、殆 ど命の水がひからびた感じのまま知的な問題に浸っているだけで終わってしまうのでもなく、歌や踊りと いった芸術の体験を積み重ねる中で、いつか知的な認識の体験の必要性に出会い、そこで、徹底的に知性 的ならざるを得ないようになることです。いわば、命の泉を与えてくれるような素晴らしい芸術的体験を 突き抜ける中で、その命の泉をさらにもっともっと豊かに沸き上がらせるために必要なものとして、(た だの知識でも理屈でもない)本物の知性の必要性を痛感するようになることです。
 もちろんこれだけが知 性と出会う唯一の道ではないでしょうが、しかし、私にとって、このような道こそ最も自然で、最も納得 がいくものなのです。私にとって、宮沢賢治がその適例ですし、現代ならもうひとりのケンジ中上健次と か藤原新也がそうです。それどころか一見知性だけの人といった印象の柄谷行人や浅田彰すらそうなので す。彼らも本質的には芸術家であり詩人なのです。だから、先日、君が話してくれた話----前回、小森さ んが言っていた「知らない間に世間の物差しを自分の中で内面化して自分の物差しにしてしまっている。 だから、自分では自由に感じ、考えている積りで、実はその世間の物差しでもって単に世界を眺めている だけでしかない。」という言葉が印象的だった。なぜなら、自分が踊りを見て、この踊りはいい、よくな いと思うとき、意外と知らない間に小森さんのいう世間の物差しというワナにはまって見てしまっているんだ----を聞いていて、君はホントにすごい知性の人だと思った。
 そして、その知性はきっと、君がこれ まで君自身の踊りに思う存分熱中する中で、ある時フト自分の中に何かものすごく欠けているものがある ということに気がついて、それが欠けていては、この素晴らしい踊りの歓びや感動がもうこれ以上深まら ないのではないかという気分にすらなって、それで、この踊りの歓びや感動をもっと深め、もっと持続さ せていくために、改めて、この欠けているものを埋めたいと考えるようになったのではないですか。それ がほかならぬ君自身の知性の運動(いや、知性の踊りといってもいい)なのではないのですか。

 この前、君はこの私に関心があると言ってましたよね。でも、君と私の間には何の共通点も見あたり ません。現に私は、君とちがって踊りもしないし、歌も歌わないし、絵も楽器もやらない。ただのぐうた らのモノグサ人間です。だから、むしろ私の方がそんなケッタイなことを言い出す君に不思議さを感じた くらいです。
 でも、ひょっとしてひとつだけ、共通点があるかもしれません。それは、私自身がかつて、 ほかでもないただの瞬間感動人間、つまり芸術的感動に没頭した感性的人間だったのです。それが三十代 の半ばに、芸術的体験に思う存分浸り続ける中で、やがて行き詰まりが訪れ、その壁を打破するために、 思いがけず知性的に認識することの必要性を身にしみて体験したというような経験をしたからです。それ は我ながら思ってみなかった、全く意外というほかないような体験でした。だって、それまでは、知性な んて、うわべはともかく、その内実は人を支配したり、言いくるめたり、管理するための手段、或いは人 を巧妙にだまくらかすための狡猾な道具ぐらいにしか考えられなかったからです。
 図書館の大江さんが、
「自森の生徒って、それまでずうっとタガがはずれたような連中が高三あたりになると突然化けることが あるんですよ」
と言ってましたが、この私自身がまさにその時、突如化けてしまったのです。それまで、 音楽や映画や芝居の世界のことしか、要するに感覚的に感動できる世界のことしか頭になかったのが、そ れが、ある晩のこと、突然「あゝ、オレはもう数学をやるしかない!」と口走ってしまったのです。それ でもう、すっかり憧れが数学の方を向くようになったのです。しかし、それは世間でいう数学というもの とは全くちがっていました。それは音楽や映画といった芸術的体験の意味を認識論的に明らかにしてくれ るような数学、芸術的体験を積むのと同じくらいの全身全霊の感動をもたらしてくれるような数学、いわ ば「芸術としての数学」といったものであって、だから、世間でやられているような数学では到底自分の 憧れを満たすことはできなかったのです。
 だから、その頃、東北の花巻を旅行したとき、たまたま立ち寄 った宮沢賢治記念館で、晩年の賢治が病床で何度も何度も高等数学に熱中したという事実を知ったとき、
「やっ、賢治がそうだったんだ」
と、だから自分も賢治みたいにやればいいんだと、百万べんも彼に励まされる 思いがしました。
 それで踏ん切りがついて、数年後、店じまいをして、数学の本物のニセ学生を 始めることにしたのです。
 そして今、その後の散々の失敗と誤りの経験という「はてしない物語」を続け る中で、引き続き、認識の格闘をしている最中なのです。だから、私にとって、知性的な認識はすべて命 の源泉である芸術的体験に根ざすものですし、また、芸術的体験と共にいつもあるものなのです。そしてこのことを、ほかならぬ君だったら、単に頭ではなく、きっと体全身で分かってくれるにちがいないという気がしています。

 そして、一番不思議なことは、世間一般で考えられているような知性とは全く異質な知性というもの、つ まり、芸術的な体験の積み重ねの中でそれを突き抜けるようにしてめぐり合う知性というものに私自身が 出会うのに、三十数年もかかったというのに、君は十八かそこらにしてそれに出会っているのではないかということです。どうしてそんなことが、君の場合可能だったのか。----きっと、それが自森のひとつの謎であり、全力をあげて解明に値する魅力ですよね。

 そして、君は卒業後、各地を回って井戸掘りをしながら、踊りをしていきたいと言っていましたよね。 私はその抱負を語る君の言葉にすごく自然なもの、それゆえゆるぎない力強さというものを感じます。
 それは、かつて私自身が数学をやるためには店じまいしても惜しくも何ともないと思えるようになったのと 同じように、君自身もきっと疑いようのない或る自然な信念に到達しているのですね。だから今、君はも のすごい自信の中にいるような気がします。だからもう、私に言うべきことは何もありません。

 ただ、もしあえて私の知りたいことを言わせてもらえば、それは、君のような人物の出現と自森という 空間とはどのように交錯したのだろうかということ、つまり、君の今の自分を形成するにあたって、自森 という空間はどのような意義があったのだろうかということです。
 君はちらっと「管理をしないという自森に来てからの方が、実はそこで色々な困難があるのだ」というふうなことを言っていたけれど、君も間違いなく
「人間にとって一番苦しい刑罰は、自由という刑である」
ということを自森という空間において身をもって経験した口ですね。だからこそ、君は自由ということの素晴らしさと残酷さとを両方存分に味 わったのでしょう。もしかして、君にとって自森における最大の学びというのは、この「自由の素晴らし さと残酷さ」とを学んだことにあるのかもしれませんね。
 とくにニッポン人は歴史上、自由の経験を五百年 前の戦国時代の自由都市や一向一揆のときとか百年前の明治の自由民権運動のときぐらいにしか味わった 経験がないから、自分でも知らずして、すぐ管理というものにはまってしまいます。だから、君が自森と いう空間で、ときには突き放されるような激しい経験として味わった「自由の素晴らしさと残酷さ」とい うものは、一向一揆や自由民権運動のときの経験に匹敵するくらい日本史上ものすごく貴重な意味があ るのではないだろうかとすら思うのです。そしてまた、そのような経験を積むことによって、我々は世界 における自由のレベルにかろうじて匹敵するような水準を持ち得ているではないかという気すらするので す。ニッポンは、これまで東西冷戦といった条件に恵まれて、本質的には自由も人権もないニッポン的管 理社会の中で経済的繁栄を実現し、これを誇ってきたわけですが、しかし、こんないびつな代物が何時ま でも続くわけがない。ニッポンが生んだ世界に通用する言葉がミナマタであり、カロウシであるような、 そんな恥ずかしい体制が何時までも続くわけがない。だから、一億総管理体制であるようなこのニッポン のシステムからはずれていくことをあえて試みる中でしかニッポンの未来はないと思うのです(元々自森 の創立というのもそれを目指していたわけでしょう)。つまり、(自森でもそうですが)そもそも与えら れた管理の中でお行儀よく振る舞うことができて、お褒めをあずかるような優秀な連中ではもはや未来は ないのであって、たとえ困難でもこれからはもう、善も悪も、優しさも攻撃性も両方含んだあるがままの 自分というものを素直に認めて、自分自身の中にある自分固有の生き甲斐を大事にしていくという試みを やる中でしか未来はないと思うのです。そして君には、その試みを行なうだけの勇気があるように思う。なぜなら、君はすごく自分に素直だから。
それは君を眺めていてそう思う。素直な人を眺めていると思わずこち らまで素直になれる気がしてくる、君はそんな人です。
 そして、素直であることは元来ものすごく知性が いることです。だから、君は知性的にならざるを得ないのです。勇気、素直、知性----与えられた管理の 中での自由を享楽するだけの惨めな自由とはちがう真の自由を目指す者にとって、真に必要なことは勇気 であり、素直さであり、そして知性です。我々を管理し、覆っている、ぬくぬくと安住できるシステムか ら逃走して、あるがままの自分らしさを発揮するために闘争するとき必要となるのは勇気、素直さ、知性 です。
 君の中にそのような勇気、素直さ、知性があることを私は信じて疑いません。人は無力になればな るほど、ますます権威とかシステムにすがりつきたくなるものです。だから、ニッポンでも今後学歴とか 肩書とかいった無力な権威がますますのさばることでしょう。しかし、そんなもん、どっちみち、未来を 持たない亡霊どものただの遠吠えのようなもんです。
 だからどうか、引き続き、今の君らしく生きていくことを頑張って続けていって下さい。

 最後に、「自由とは自らの手で世界を再構成することである」という理念を最も激しく貫いた人のひとり、 作家ヘンりー・ミラーの作品から一節を引用して、君へのはなむけの言葉とします。

 わたしが生まれ育ったブルックリン第十四地区がわたしの祖国である。‥‥‥‥‥‥
 街の中で生まれるということは、一生を放浪してすごし、自由であることを意味する。またそれは偶然 とか、事件とか、劇とか、動きとか、そしてなによりも夢を意味し、不釣りあいなものの調和であって、 それが放浪に形而上学的な裏付けを与える。われわれは街の中で、人間とはほんとうにどういうものであ るかということを教わるのであって、それ以外には、あるいはそのあとでは、自由で勝手にその観念を作 り上げるだけでしかない。街のまん中でおこなわれないことはすべて贋ものであり、要するに文学にすぎ ない。人がふつう「冒険」とよんでいるものは、街というものが持っている味にくらべれば、なんでもな いのである。北極まで飛行機で飛んでゆこうと、紙の束を一つ持って海底に行って暮らそうと、九つの都 会での歓楽生活を次々に味わいつくそうと、あるいはまた、コンラッドのカーツのように、河をさかのぼ って行って、しまいに発狂することになろうと、そんなことはたいして意味を持たない。どんなに熱情を 燃やすに足りる出来事でも、あるいはどんなに耐えがたいことでも、いつも何かその結末が用意されてい て、事態の改善とか慰めとか埋め合わせとか新聞とか宗教とかいうものが、そこに出てくる。しかし、昔 はそんなものはなかった。昔は、人間は自由で、野放しにされていて、血なまぐさかった。
 街というものと最初に接触して以来、我々の憧れの的になっていた街の子どもたちは、一生我々の頭か ら離れないものである。彼らのほかに英雄というものはなくて、彼らに比べれば、ナポレオンもレーニン もアル・カポネなどというのは----作りごとにすぎない。
 私にとっては、私を最初に殴って眼のまわりを真っ黒にしたエディー・カーネイに比べれば、ナポレオン なんていうのは問題にならない。私は街を歩いているのを見ただけで誰もが震えあがり、そしてすっかり 心を奪われてしまったレスター・リアドンのような威風ある人物に、その後出会ったことがないとはっき り言える。また、夜になるとスタンレイ・ボロウスキイが連れ回ってくれたその縄張りに匹敵する場所 は、ジュール・ヴェルヌの小説にも出てこない。ロビンソン・クルーソーも、ジョニー・ポールほどの想 像力は持っていなかった。こういう第十四地区の子どもたちは、今でも私にとって、そのめいめいの味を 失わずにいる。彼らは作りごとでも、想像上の人物でもなくて、実在していたのである。エディー・カー ネイや偉大なるレスター・リアドンのほかにも、トム・ファウラー、ジム・ラックレイ、マット・オーエ ン、ロップ・ラムゼイ、ハリー・マーティン、ジョニー・ダンなどという名前は、私の耳には金貨のよう に響く。今でも、ジョニー・ポールと呼んでみると、聖人たちの名前がとたんに平凡な感じになってく る。ジョニー・ポールは第十四地区のユリシーズだったので、----彼がのちにトラックの運転手になった というのは、このこととは全然関係がないことなのだ。
                      「暗い春」より(

 ここまで読んで下さりありがとう(この感想続く)。


 次回以降の各種の自主講座のお知らせです。
◎4月20日(土)午後2時〜 場所:図書館
         主催者:丸谷一耕君(高2ー5)・私

 「インターネットの魅力を探ろう第2回--パソコンってなあに?--」
引き続き、ゲストに大庭有二さん(高2ー5父母)におこしを願って、前回、電話回線の事情でうま くいかなかったインタ−ネットの接続を実際にやって世界中(ホワイトハウスとかクレムリンとか)か ら情報を市内料金で入手しようと思います。またパソコン通信も実際にやってみますし、いろいろパソ コンを持参して、皆さんに実際に手に触れて動かしてもらいます。

◎4月27日(土)午後2時〜 場所:図書館
         主催者:村上麻衣(高1ー3)・私

 「ミヒャエル・エンデについて語り合う第2回--『はてしない物語』をめぐって--」
エンデの作品と人柄に魅せられた人たちが集って、その魅力を語りあう企画の第2回目です。
今回も、引き続き「はてしない物語」(岩波書店)をめぐって語ろうと思います。
「はてしない物語」のアメリカ版とも言うべきちょっと変わった映画も上映したいと思っています。

(1996年2月15日 )
(インタ−ネット・アドレス:PXW00160@niftyserve.or.jp )


注:「暗い春」(吉田健一訳・福武文庫7頁〜)

Copyright (C) daba