1996.02.15
(・・・自由の森に保存)
この前、君はこの私に関心があると言ってましたよね。でも、君と私の間には何の共通点も見あたり ません。現に私は、君とちがって踊りもしないし、歌も歌わないし、絵も楽器もやらない。ただのぐうた
らのモノグサ人間です。だから、むしろ私の方がそんなケッタイなことを言い出す君に不思議さを感じた くらいです。
でも、ひょっとしてひとつだけ、共通点があるかもしれません。それは、私自身がかつて、 ほかでもないただの瞬間感動人間、つまり芸術的感動に没頭した感性的人間だったのです。それが三十代
の半ばに、芸術的体験に思う存分浸り続ける中で、やがて行き詰まりが訪れ、その壁を打破するために、 思いがけず知性的に認識することの必要性を身にしみて体験したというような経験をしたからです。それ
は我ながら思ってみなかった、全く意外というほかないような体験でした。だって、それまでは、知性な んて、うわべはともかく、その内実は人を支配したり、言いくるめたり、管理するための手段、或いは人
を巧妙にだまくらかすための狡猾な道具ぐらいにしか考えられなかったからです。
図書館の大江さんが、
「自森の生徒って、それまでずうっとタガがはずれたような連中が高三あたりになると突然化けることが あるんですよ」
と言ってましたが、この私自身がまさにその時、突如化けてしまったのです。それまで、 音楽や映画や芝居の世界のことしか、要するに感覚的に感動できる世界のことしか頭になかったのが、そ
れが、ある晩のこと、突然「あゝ、オレはもう数学をやるしかない!」と口走ってしまったのです。それ でもう、すっかり憧れが数学の方を向くようになったのです。しかし、それは世間でいう数学というもの
とは全くちがっていました。それは音楽や映画といった芸術的体験の意味を認識論的に明らかにしてくれ るような数学、芸術的体験を積むのと同じくらいの全身全霊の感動をもたらしてくれるような数学、いわ
ば「芸術としての数学」といったものであって、だから、世間でやられているような数学では到底自分の 憧れを満たすことはできなかったのです。
だから、その頃、東北の花巻を旅行したとき、たまたま立ち寄 った宮沢賢治記念館で、晩年の賢治が病床で何度も何度も高等数学に熱中したという事実を知ったとき、
「やっ、賢治がそうだったんだ」
と、だから自分も賢治みたいにやればいいんだと、百万べんも彼に励まされる 思いがしました。
それで踏ん切りがついて、数年後、店じまいをして、数学の本物のニセ学生を 始めることにしたのです。
そして今、その後の散々の失敗と誤りの経験という「はてしない物語」を続け る中で、引き続き、認識の格闘をしている最中なのです。だから、私にとって、知性的な認識はすべて命
の源泉である芸術的体験に根ざすものですし、また、芸術的体験と共にいつもあるものなのです。そしてこのことを、ほかならぬ君だったら、単に頭ではなく、きっと体全身で分かってくれるにちがいないという気がしています。
そして、一番不思議なことは、世間一般で考えられているような知性とは全く異質な知性というもの、つ まり、芸術的な体験の積み重ねの中でそれを突き抜けるようにしてめぐり合う知性というものに私自身が 出会うのに、三十数年もかかったというのに、君は十八かそこらにしてそれに出会っているのではないかということです。どうしてそんなことが、君の場合可能だったのか。----きっと、それが自森のひとつの謎であり、全力をあげて解明に値する魅力ですよね。
そして、君は卒業後、各地を回って井戸掘りをしながら、踊りをしていきたいと言っていましたよね。 私はその抱負を語る君の言葉にすごく自然なもの、それゆえゆるぎない力強さというものを感じます。
それは、かつて私自身が数学をやるためには店じまいしても惜しくも何ともないと思えるようになったのと 同じように、君自身もきっと疑いようのない或る自然な信念に到達しているのですね。だから今、君はも
のすごい自信の中にいるような気がします。だからもう、私に言うべきことは何もありません。
ただ、もしあえて私の知りたいことを言わせてもらえば、それは、君のような人物の出現と自森という 空間とはどのように交錯したのだろうかということ、つまり、君の今の自分を形成するにあたって、自森
という空間はどのような意義があったのだろうかということです。
君はちらっと「管理をしないという自森に来てからの方が、実はそこで色々な困難があるのだ」というふうなことを言っていたけれど、君も間違いなく
「人間にとって一番苦しい刑罰は、自由という刑である」
ということを自森という空間において身をもって経験した口ですね。だからこそ、君は自由ということの素晴らしさと残酷さとを両方存分に味
わったのでしょう。もしかして、君にとって自森における最大の学びというのは、この「自由の素晴らし さと残酷さ」とを学んだことにあるのかもしれませんね。
とくにニッポン人は歴史上、自由の経験を五百年 前の戦国時代の自由都市や一向一揆のときとか百年前の明治の自由民権運動のときぐらいにしか味わった
経験がないから、自分でも知らずして、すぐ管理というものにはまってしまいます。だから、君が自森と いう空間で、ときには突き放されるような激しい経験として味わった「自由の素晴らしさと残酷さ」とい
うものは、一向一揆や自由民権運動のときの経験に匹敵するくらい日本史上ものすごく貴重な意味があ るのではないだろうかとすら思うのです。そしてまた、そのような経験を積むことによって、我々は世界
における自由のレベルにかろうじて匹敵するような水準を持ち得ているではないかという気すらするので す。ニッポンは、これまで東西冷戦といった条件に恵まれて、本質的には自由も人権もないニッポン的管
理社会の中で経済的繁栄を実現し、これを誇ってきたわけですが、しかし、こんないびつな代物が何時ま でも続くわけがない。ニッポンが生んだ世界に通用する言葉がミナマタであり、カロウシであるような、
そんな恥ずかしい体制が何時までも続くわけがない。だから、一億総管理体制であるようなこのニッポン のシステムからはずれていくことをあえて試みる中でしかニッポンの未来はないと思うのです(元々自森
の創立というのもそれを目指していたわけでしょう)。つまり、(自森でもそうですが)そもそも与えら れた管理の中でお行儀よく振る舞うことができて、お褒めをあずかるような優秀な連中ではもはや未来は
ないのであって、たとえ困難でもこれからはもう、善も悪も、優しさも攻撃性も両方含んだあるがままの 自分というものを素直に認めて、自分自身の中にある自分固有の生き甲斐を大事にしていくという試みを
やる中でしか未来はないと思うのです。そして君には、その試みを行なうだけの勇気があるように思う。なぜなら、君はすごく自分に素直だから。
それは君を眺めていてそう思う。素直な人を眺めていると思わずこち らまで素直になれる気がしてくる、君はそんな人です。
そして、素直であることは元来ものすごく知性が いることです。だから、君は知性的にならざるを得ないのです。勇気、素直、知性----与えられた管理の
中での自由を享楽するだけの惨めな自由とはちがう真の自由を目指す者にとって、真に必要なことは勇気 であり、素直さであり、そして知性です。我々を管理し、覆っている、ぬくぬくと安住できるシステムか
ら逃走して、あるがままの自分らしさを発揮するために闘争するとき必要となるのは勇気、素直さ、知性 です。
君の中にそのような勇気、素直さ、知性があることを私は信じて疑いません。人は無力になればな るほど、ますます権威とかシステムにすがりつきたくなるものです。だから、ニッポンでも今後学歴とか
肩書とかいった無力な権威がますますのさばることでしょう。しかし、そんなもん、どっちみち、未来を 持たない亡霊どものただの遠吠えのようなもんです。
だからどうか、引き続き、今の君らしく生きていくことを頑張って続けていって下さい。
最後に、「自由とは自らの手で世界を再構成することである」という理念を最も激しく貫いた人のひとり、 作家ヘンりー・ミラーの作品から一節を引用して、君へのはなむけの言葉とします。
わたしが生まれ育ったブルックリン第十四地区がわたしの祖国である。‥‥‥‥‥‥
街の中で生まれるということは、一生を放浪してすごし、自由であることを意味する。またそれは偶然 とか、事件とか、劇とか、動きとか、そしてなによりも夢を意味し、不釣りあいなものの調和であって、 それが放浪に形而上学的な裏付けを与える。われわれは街の中で、人間とはほんとうにどういうものであ るかということを教わるのであって、それ以外には、あるいはそのあとでは、自由で勝手にその観念を作 り上げるだけでしかない。街のまん中でおこなわれないことはすべて贋ものであり、要するに文学にすぎ ない。人がふつう「冒険」とよんでいるものは、街というものが持っている味にくらべれば、なんでもな いのである。北極まで飛行機で飛んでゆこうと、紙の束を一つ持って海底に行って暮らそうと、九つの都 会での歓楽生活を次々に味わいつくそうと、あるいはまた、コンラッドのカーツのように、河をさかのぼ って行って、しまいに発狂することになろうと、そんなことはたいして意味を持たない。どんなに熱情を 燃やすに足りる出来事でも、あるいはどんなに耐えがたいことでも、いつも何かその結末が用意されてい て、事態の改善とか慰めとか埋め合わせとか新聞とか宗教とかいうものが、そこに出てくる。しかし、昔 はそんなものはなかった。昔は、人間は自由で、野放しにされていて、血なまぐさかった。
街というものと最初に接触して以来、我々の憧れの的になっていた街の子どもたちは、一生我々の頭か ら離れないものである。彼らのほかに英雄というものはなくて、彼らに比べれば、ナポレオンもレーニン もアル・カポネなどというのは----作りごとにすぎない。
私にとっては、私を最初に殴って眼のまわりを真っ黒にしたエディー・カーネイに比べれば、ナポレオン なんていうのは問題にならない。私は街を歩いているのを見ただけで誰もが震えあがり、そしてすっかり 心を奪われてしまったレスター・リアドンのような威風ある人物に、その後出会ったことがないとはっき り言える。また、夜になるとスタンレイ・ボロウスキイが連れ回ってくれたその縄張りに匹敵する場所 は、ジュール・ヴェルヌの小説にも出てこない。ロビンソン・クルーソーも、ジョニー・ポールほどの想 像力は持っていなかった。こういう第十四地区の子どもたちは、今でも私にとって、そのめいめいの味を 失わずにいる。彼らは作りごとでも、想像上の人物でもなくて、実在していたのである。エディー・カー ネイや偉大なるレスター・リアドンのほかにも、トム・ファウラー、ジム・ラックレイ、マット・オーエ ン、ロップ・ラムゼイ、ハリー・マーティン、ジョニー・ダンなどという名前は、私の耳には金貨のよう に響く。今でも、ジョニー・ポールと呼んでみると、聖人たちの名前がとたんに平凡な感じになってく る。ジョニー・ポールは第十四地区のユリシーズだったので、----彼がのちにトラックの運転手になった というのは、このこととは全然関係がないことなのだ。
「暗い春」より(注)
ここまで読んで下さりありがとう(この感想続く)。
次回以降の各種の自主講座のお知らせです。
◎4月20日(土)午後2時〜 場所:図書館
主催者:丸谷一耕君(高2ー5)・私
◎4月27日(土)午後2時〜 場所:図書館
主催者:村上麻衣(高1ー3)・私
(1996年2月15日 )
(インタ−ネット・アドレス:PXW00160@niftyserve.or.jp )
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