1996.01.13
(・・・自由の森に保存)
コンピュータと私
かく申す私がコンピュータ嫌いの典型でした。私はずっと著作権の仕事をしてきたにもかかわらず、コンピュータだけは用心深く避けてきた。なぜなら、私にとってコンピュータは単なる金儲けの道具、しかもうまく当たれば莫大な金が転がり込んでくるようなドロドロした莫大な富の争奪戦の道具のようにしか思えなかったからです。しかし、幸いなことに、その考えが実はいかに浅はかで一面的なものであるかをのちに思い知らされることになったのです。
1、それが、ひとつは「ハッカーズ」(1987年工学社刊)という本との出会いでした。今から8年前の11月30日の夜、私は、思いがけずこの本と出会って、それまで抱いていたコンピュータやハッカーに対するメージを根本から揺さぶられ、そこで知った新たなイメージに心底震撼させられました。そのことを当時、次のように記しています。
昨年、冬が訪れたとき、11月30日の夜、私は、それまで骨の髄まで忌み嫌っていたコンピュータに対して、改心をしました。それまで、私は、コンピュータを、莫大な富の象徴か、人間疎外の象徴かのような愚劣なものにしか思っていなかったのです。しかし、この夜、私は、自分の考えが、いかに一面的であり、自分がこれまで、「コンピュータ出現の、人類の精神史における意義」について殆ど無知であったことを、改めて思い知らされました。
当時、具体的にどんな風にショックを覚えたのか、何も記憶に残っていません。しかし、このとき、ちょうど自森がそうであるように、物事を或る一面だけで評価してダメであるとか素晴らしいとか言ってもしょうがないのであって、我々が今何とか自森の可能性というものを探り、見い出そうと努力するように、私もコンピュータの可能性----コンピュータが自由や民主主義とものすごく深いところでつながる可能性といったものをこのとき、ついに見出したような気がして、それで衝撃を受けたのです。そして、この自由や民主主義とのつながりを身をもって体現している連中が、世にいう「ハッカー」という連中だったのです。
この本「ハッカーズ」のまえがきで、作者スティーブン・レビーはハッカーのことをこう紹介している。
世の中には、「ハッカー」という名称を、社会のはみ出し者(ドロップアウト)とか、ぎこちない非標準的プログラムを書く素人プログラマーという意味を込めて軽蔑的に使う人たちもいるが、ぼくの目から見たハッカーたちは全くちがっていた。外見的には目立たない連中が殆どだが、しかし、実は冒険家、空想家、大胆な行動家、芸術家であり、何よりもコンピュータがなぜ革命的な道具なのかを一番はっきりと知っていたのがハッカーたちだった。
彼らは皆、ハッカー的思考様式である深い集中状態に没入することで、どれほどの可能性が開けてくるのかを知っていた。可能性は無限大になるのだ。ぼくは、なぜ真のハッカーがその名称を蔑称ではなく、名誉の称号だと考えるのか分かるようになった。
彼らと話をしているうちに、或る共通の要素、つまりコンピュータのすっきりした論理の流れそのものと結びついたひとつの共通の哲学があることに気がついた。それは、共有し、開放(解放)し、分け与えることを旨とし、マシンを世界を向上させるために、どんなことをしてでもマシンに手を触れてみようとする哲学だ。このハッカー哲学こそ彼らからぼくたちへの贈り物であり、コンピュータにちっとも興味のない人たちにとっても価値ある贈り物だ。‥‥
ぼくは、コンピュータの魔力を知っただけでなく、実践し、みんなのためになるようにこの魔法を解放しようとした人たち(ハッカー)がいることを、読者のみなさんに知らせたい。
つまり、私はこの本から、ちょうど教育という制度がこれまで(そして今なお)人々を支配し、管理するための道具として利用されてきたのに対し、これとは正反対に、自森のように、教育を人々を解放し、ひとりひとりのあるがままの人間性を高めるために、ひとりひとりの自由の可能性を追求するための空間として逆転させようというもうひとつの教育が存在するように、或いは、ちょうど法というものが長い間(そして今なお)、人々を支配し、治めるための手段として機能してきたのに対し、近代西欧の諸革命の中で、これとは反対に、法というものが権力者・統治者の行為を規制し、彼らの権力の濫用を防止し、その結果として人々の人権を守ることを実現するものとして逆転させようというもうひとつの法(こちらこそいわゆる法治国家の法のことです)が存在するように、実はコンピュータにも、まさにこれらの教育や法と同じような意味で二つの全く相容れない対立する意味があることを、つまり、アメリカの草の根民主主義の歴史の中で、若き理想主義者たちが、従来のコンピュ−タのイメ−ジを逆転させ、人々を解放するための道具としてコンピュ−タを存在させようとしたこと、いわば「人民の、人民による、人民のためのコンピュータ」という理念をめざして実践しようとしたことを知ったのです。その若き理想主義者たちこそ、この本に登場するハッカ−たちだったのです。そして、この理念をめざしていたハッカーたちが暗黙のうちに了解していた「ハッカー倫理」というものがあって、それは次のようなものです。
1.コンピュータへのアクセス、加えて何であれ、世界の機能の仕方について教えてくれるものへのアクセスは 無制限かつ全面的でなければならない。実地体験の要求を決して拒んではならない!
つまり、ハッカーたちはシステム、さらには世界についての教訓とは、自らものを分解し、その動きを観察し、そうして得た知識を用いて、新しくより面白いものを自ら作り出していくという経験(まさに創造的な経験!)を通じて、世界を学ぶことができると信じている(ここに学びということの貴重な実例がある)。だから、彼らはそれを妨げようとするあらゆるもの、人間、物理的障害、法律に憤る。
2.情報はすべて自由に利用できなければならない。
なぜなら、何かをよりよいものに改善しよう、何かを創造しようと思うときに、そのために必要な知識を得られないとすれば、どうして課題を解決することができるだろう?だから、自由な情報交換こそ創造性を全面的に豊かにする基礎となる。
3.権威を信用するな----反中央集権を進めよう。
自由な情報交換を促す最良の方法はオープンなシステムを持つことである。そのために絶対いらないものが権威主義・官僚主義である。政府であれ、会社であれ、学校であれ、権威主義・官僚主義はシステムをダメにする。
4.ハッカーは、成績、年齢、人種、地位のようなまやかしのうわべの基準ではなく、そのハッキングによって判断されなければならない。
5.芸術や美をコンピュータによって作り出すことは可能である。
6.コンピュータは人生をよいほうに変え得る。
コンピュータはハッカーたちの人生を変えた。人生を豊かにし、生き甲斐を与えた。そして、人生は冒険に富んだものになった。その意味で、コンピュータはちょうどアラジンの魔法のランプだった。この魔法のランプみたいに、コンピュータに命令さえすれば、何でもいうことを聞いてくれた!
だから、誰もがこの力を味わうことによって、得るものがあるにちがいない。誰もがハッカー倫理に基づいた世界から得るものがあるにちがいない。(32頁以下)
かく申す私自身が、その改心の日からまもなく、このアラジンの魔法のランプの力に魅せられる羽目になったのです。それは、その直後にたまたま友人がゴミにする中古のパソコン(NECの88というやつです)を私にくれたからです。その殆どゴミにしても惜しくないようなポンコツのパソコン一式がほかならぬアラジンの魔法のランプだったのです。ワープロとぜんぜん勝手がちがって、そもそも電源を入れるまでが一苦労で、付録の説明書(閉鎖的なニッポンをみごとに象徴するかのような、業界の人間だけしか通じない言葉でつづられている素人にはおよそ理解不可能な説明書のこと)を読んでもチンプンカンプンでしょっちゅうむかついたり、ほとほと愛想が尽きたりの連続でしたが、それでもあきらめずにガチャガチャやっているうちに、とうとうその魔法のランプは私の前に姿をあらわす瞬間が訪れたのです。そのときのことを、当時、私は次のように記しました。
そして、今年の1月26日、私は、初めて、中古のパソコンを使ってプログラムをディスクに保存することに成功したのです。感激の一瞬でした。この時から、私の冬眠状態は、一気に過熱し、パソコンの虜となって、文字通り、寝食を忘れてプログラミングに明け暮れたのでした。コンピュータは、私にとって、最も刺激的な「謎」そのものであり、この謎解きのために、この時、私は、全身全霊をかけて取り組みたい、そのために、自分の仕事を失うことになっても構わない、極論するなら、家族を失うことになっても止むを得ないとまで思い、近年にない激しい渇望に捕われました。その渇望の激しさのあまり、私は、一時、蒸発することを本気で考えました。周りの人と、ちゃんとやっていく自信が、全然なかったのです。しかし、なにはともあれ、パソコンは、ちょうど、スタンダールにおける「恋愛」のごとく、私にとって、久々の、情熱の存在様式だったのです。
こうした数か月に渡るプログラミングの末、家庭環境が険悪の極に達し、疲労も限界に達したので、そして、なによりも、肝心の冬眠があける時期に達したので(注:私は冬眠人間ですので)、私は、この作業に一つの区切りをつけなければ、と思いました。
このときのことは正直言って思い出したくないので、殆ど覚えていないのですが、今でも生々しく覚えているのは、このとき私は一瞬たりとも、このオンボロパソコンのそばから離れていたくない、まるで生涯で最愛の人にでも出会ったような激しい気分で、このポンコツのパソコンから少しの間でも離れるのが身を切られるようにつらくてたまらなかったのだけは覚えています。
それで、私もこのような経験を通じて、アメリカのハッカーたちの精神状態を全幅の共感をもって受けとめることができるようになったのです。そして、私はこのとき、ハッカーたちのやっていることが「ユートピアをめざした遠大な運動」のひとつであることも分かったような気がしたのです。というのは、この当時、私は人がもし何ごとかひとつのことを成し遂げることができるとすれば、それは野心や功名心とは無縁の、ただ己の欲するところに従って、憑かれたごときエネルギーをもって狂奔する中でしかあり得ないのではないか、ということを感じていました。そしたらその予感は、このポンコツパソコンによるプログラミングにはまることによって的中したのです。私は、このプログラミングに身も心もぞっこん奪われるくらいのめり込み、そして、その狂熱のさなか、私は
「そうだ!この状態、この感じこそが自分の予感していた精神状態に一番近いのだ、このような状態で狂奔する中でこそ、人は初めて何ごとかを成し遂げることができるのだ」
という確信に達したのです。ですから、私はこの狂熱を少しでもためらうとか恥ずかしがるどころか、ただただ歓喜の中で、これを全面的によしとして、プログラミングの作業に思う存分浸りきったし、同時にこの感じこそアメリカのハッカーたちの抱いたものにちがいないという確信を持ったのです。
2、もうひとつのコンピュータとの出会いが、インゴ・ギュンターという人物を知ったことです。これは例の浅田彰さんによる啓蒙で初めて知ったのですが、当時、西ドイツに住む単なる一市民にすぎないインゴ・ギュンターが個人の資格でランドサット衛星にアクセスしているうちに、1986年のチェルノブイリ原発事故をソ連の発表前に、西側諸国で国や組織などに先がけてまっ先に発見して、この事実を世に公表したというのです。それを聞いたとき、一瞬、ウソッ!と我が耳を疑いました。しかも、インゴ・ギュンターは軍や情報の専門家でも何でもなくて、ただのヴィデオ・アーティスト、一介の芸術家なのです。
どうしてそんな素人が最高の技術を備えた西側の国どもを出し抜いて、そんなすごい情報を入手できるんだとびっくり仰天しました。しかし、彼はのちに浅田彰にこう語っています。
今日、システムはあまりに遍在的になったため、至るところに裂け目を生じています。軍産複合体が巨大な一枚岩だというのはマス・メディアの作り上げた幻想にすぎない。実際にはいろんな穴があって、そこから内部に忍び込み、情報を得ることもできるのです。
七〇年代にランドサット衛星が打ち上げられて以来、その映像は政府や大企業だけが独占してきた。しかし、実際にはちょっと工夫さえすれば、個人や小さなグループでもデータをアクセスし、解読することができたのです。おそらく、そういうものは個人の手に届かない巨大なシステムだという思い込みが強すぎるために、やってみようとする人がいなかったんでしょうね。幸い、私と私の友人はそれに成功しました。実に簡単なことで、見たい場所の上を衛星がいつ通るか計算して、データを注文し、それをコンピュータにかけて分析すればいいわけです。‥‥実際、衛星というのは人々が地球を観察するためにある。我々はますます小さくなる世界に住んでいるから、たえず世界を観察し、どこで何が起こっているか知る必要がある。一部の人たちだけでなく、みんながです。その当然の事実を思い出させたとすれば、私たちの仕事(チェルノブイリ原発事故の公表)も少しは意味があったと思います。くり返しますが巨大システムは個人の手の届かないところにあるという思い込みを捨てるべきです。もちろんうまくいかないときもあるけれど、軍人とちがってアーティストは失うものが何もありませんからね(笑)。
(浅田彰対論『「歴史の終わり」と世紀末の世界』小学館刊172頁以下)
インターネットって何?
一昨年秋、私は(生意気を承知で)アメリカのボストンにあるMIT(マッサチューセッツ工科大学)のメディア・ラボ研究所主催のシンポジウムに初参加したとき、そこで、8年前に読んだ「ハッカーズ」という本がいまだにMITの書籍部に山のように積まれてあったのを発見して、異様な感動に襲われました。
というのは、ニッポンでは、この本を読んで感動した経験を分かち合える連中にはこの間誰一人めぐりあわず、そのうちこの本も本屋から姿を消してしまったからです。ところが、アメリカではこんなコンピュータ関係の書籍がいまだに10年以上にわたって読まれ続けている。私は、私のコンピュ−タのイメ−ジにコペルニクス的転回を与えてくれた、私にとってのバイブルみたいな(しかし、ニッポンではすっかり忘れ去られた)この本が異国のアメリカの地で発見出来て、まるで自分の居場所を見い出したような気分になりました。それはニッポンでは決して味わえないようなものすごい幸福な、感動的な気分でした。
そして、かつての若きハッカ−たちの舞台となったMITで行なわれた、オープンでときにハチャメチャなメディア・ラボのシンポジウムもすごく刺激的でした。それでこのとき感じたのです、このインターネットというやつも、これを推進してきた連中を支えている精神というのはおそらく、あの「ハッカーズ」に描かれたハッカー倫理やインゴ・ギュンターが抱いている「誰もがみんなひとしく世界で起きていることを認識することができるべきである」精神といったものであり、彼らこそ「人民の、人民による、人民のためのコンピュータ」という理念をめざして狂奔している連中ではないか、と。
だから、私にとって、インターネットと取り組むということは、通常、商売の道具であり、金儲けの手段であり、権力者の支配・管理の道具と見なされているコンピュータを逆転させ、「コンピュータによる自由の実現、民主主義の実現」といった可能性と取り込むことであり、それはまた同時に、アメリカや世界ですでにそのような理念をめざして1950年代から現在まで取り組み続けてきた連中との出会い・連帯を求めるということです。それはまた何という喜びでしょう。宮沢賢治がもし生きていたら、一番喜んでくれるに違いない。
ここまで読んで下さりありがとう(この感想続く)
(1996年2月8日)
(アドレス:PXW00160@niftyserve.or.jp )
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