感想15

----自主講座「ゲスト浅田彰」----

1996.01.30

(・・・自由の森に保存)


※生徒主催の自主講座「ゲスト浅田彰さん」(1月27日)の感想あれこれ
1、1月の自主講座
 1月の自主講座に取り上げられたゲスト(テーマ)だった1.ちばてつや、2.ミヒャエル・エンデ、3.浅田彰は、はからずもひとつの共通項で貫かれていました。
それは「逃走する」ということです。
 ちばてつやが最も愛する「おれは鉄兵」の鉄兵は親の決めた名門中学校から何でも好きなことができる東大寺学園に逃走し、そこで剣道の世界で頂点を極めると同時にまたしてもそこから得体の知れない宝探しに逃走するという人物です。
 また、エンデの「はてしない物語」は主人公の少年バステアンが現実世界からファンタージエンの世界へ逃げ出すお話、文字どおり逃走物語です。
 「逃走論」の浅田彰ももちろん逃走することの重要性を強調していました。
 つまり、世間では最もいけないこと、最も恥ずかしいことのひとつとされている「逃走すること」に彼らは最も重要な意義を見い出しているのです。なぜか?
 それは、人は逃走する中(或いは逃走する覚悟の中)でしか真〔まこと〕の意志を見つけられないからであり、また、逃走する中でしか自由を貫くことはできないし、あえて言えば、人は逃走する中でしか愛し続けることはできないからです。
 だから、逃走するとは必然的に闘争することになる、ソフトな管理にせよ我々構成員を管理・支配せずにはおれない共同体に対して。また、そのような共同体の権威にあぐらをかいて厚顔無恥に振る舞ってはばからない連中に対して。或いは、おのれの学歴・経歴・実績・努力・美貌といった過去の亡霊にすがりたがる(浅田彰言うところのパラノ人間的な)もうひとつの自分に対しても。さらには、過去の愛情の努力が今なお夫婦や親子の間に引き続き生き続けているなどととんでもない錯覚に陥っているパラノ人間的な自分に対しても。これらとの闘争抜きに、今現在の自由・愛情などあり得ない。
2、浅田彰と自森
 自森といえばまっさきに浅田彰の名が浮かぶくらい、私にとって浅田彰と自森は深い関係があった。
というのは、5年前の秋、自由の森という学校(の文化祭)を初めて見に行ったとき、私はそこで浅田彰的なものを最も期待して行ったからです。つまり、その少し前に今の「ソフィーの世界」ブームならぬ浅田彰ブーム(AA現象)があって、だから、自森は受験勉強の束縛もなく、好きな放題できる学校ということなんだから、きっと浅田彰を呼ぶとか、彼に関する企画を立てるとか、とにかく浅田彰に負けないくらい大人を脅かしたり、圧倒するようなゾクゾクするような生意気なやつらがいるんじゃないかと内心大いに期待して行ったのです。
そしたら、浅田彰のあの字もなかった。浅田彰的な生意気な知性のかけらもなかった。食物屋とか踊りとか全体にほんわかしたふぬけの感じで、なんだかアホ(痴性)のかたまりのような印象だった。それで、すごく失望して帰ってきた記憶がある。
もちろん私はだまされていたのであって、私がここで見たアホの正しい意義をきちんと理解するようになるのに、それから5年もかかったのです。
 しかし、世の中には二種類の知性というものがあって、ひとつは人を支配・管理したりするための知性や人を丸め込んだり弁解するために利用するような知性であり、これに対しもうひとつこれとは正反対の浅田彰的な生意気な知性すなわち逃走(闘争)し続けるための張り切った生き生きした知性、自由や人権の管理・束縛に断固として抵抗し続けるためのなまなましい知性といったものがある。そして、自森に後者の浅田的な知性が圧倒的に乏しいのは間違いないところだったので、それを持ち続けている本人の浅田彰に自森に来てもらえて、とてもよかったと思う。
 だから或る意味で、今回の浅田彰の登場は自森にとって今まで一度もなかったような交通事故であり、カルチュアショックであり、面食らった人が多かったと思う。不愉快とすら感じた人もいたと思う。しかし、それはまさしく浅田彰自身の望んだことであって、彼こそ人を気持ちよくさせたり、安心させたり、納得させたりすることから最も遠い人物なのだから。むしろ、彼の望むところは人がこれまで漠然と当然と思っている常識とか習慣とか権威といったものをとことんぶちこわして、それらが何の根拠もないことを明らかにする、つまり、いかがわしいものはいかがわしいものなのだときっちり唯物論的に暴いて、あんちょこな常識や習慣や権威に安住していた人たちの平穏さを徹底的にゆさぶり、不安にさせることにあるからです。だから、これが不愉快でなくて何だろうか。だから、彼はすごく生意気に見える。 しかし、よくよく見ると彼は(うわべはいかにもものわかりが良さそうなくせに、時としてすごく独裁的な生意気な人物に豹変する真にいかがわしい連中なんかとは正反対で)、一見すごく生意気そうで、実はとてもデリケートで素直な人ですね。だから、質問する相手に応じて対応がぜんぜん違う。彼にゴマをする浅田主義者のような連中に対しては、思いっきりつっけんどんに対応するし、彼と対等に向き合って彼の意見を聞きたいという人にはすごく誠実に対応していたと思う。私はその対応ぶりの見事さには感服した。自森でも往々にして目撃しますが、有名人(というつまらない人種)とか指導者とかはふつう、聴衆という大衆に対し、無差別にどんな奴に対しても愛想よく対応するか、その反対に無差別に無愛想に振る舞うかのどっちかになのに、浅田彰はそのどちらでもなかった。だから、彼が言っていたような「NHKの番組」的なノッペラボーな優等生的な対応にならなかった。それは彼の正体がマスコミで名を売るような亡霊的有名人でなかったからであり、同時に自森の側に彼に「NHKの番組」的な対応を無用にさせた聴衆とりわけ若者たちの力があったからだと思う。
 自主講座の始まる前、私が飯能駅に浅田彰を迎えに行ったとき確かに彼はとりつく島がないくらい無愛想だった。当初二次会まで約束していた筈なのにその場で突然、「五時には戻らなければならない、二時間も喋ればまあ充分でしょう」と付け入るすきも与えず話す彼を見ていて、「こりゃあ今日はお義理で来たのかな」と悲惨な事態を覚悟さえしました。しかし、終わってみれば、二時間ぶっ通しでガンガン喋ってくれて、その余波もあってか、飯能駅まで戻る車の中で、話がどうにも止まらないといった感じで、彼は、
「自分の給料が今三十うん万円だけど」とかいう教員の給料の話から「今度連絡があればまた来て話をしましょう‥‥だけど決して私から押し売りで言ってるんじゃありませんけどね」(いやいや、喜んで連絡させてもらいまっせ)
という早くも次回の講座の予定の話まで駅前で降りる寸前までひっきりなしに語って止みませんでした。
   さあこれで、浅田彰的な知性と自森とが交流する貴重なとっかかりがつかめたというもんです。
 主催者の若者たちの生意気ぶりに改めて乾杯!
3、 浅田彰の魅力
  私は10年ほど前、独立して事務所を開いたとき、名前をアキラ法律事務所にした。それは、当時黒澤明の自伝「蝦蟇〔ガマ〕の油」を読んで、彼の癇癪持ちと強情ぶりがすっかり気に入って有名人黒澤明のイメージを一変させられたのと、当時、唯一その番組が見たいばっかりにテレビのない私は妹の家まで毎週見に行っていたNHKのドラマ「事件」の作者早坂暁に心惹かれてアキラとつけたです。しかし、このとき浅田彰のことも考えないわけではなかった。しかし、当時の彼は抜群に優秀な人という感じで、これだけ頭が切れて、これだけ口が立つなら、ちょうど麻原彰晃のスポークスマン(代弁者)の上祐なにがしみたいに(レベルはけた違いにちがうが)、彼ならニッポンという共同体の権力者・支配者たちのスポークスマンとして十分通用するだろう。だとすると、今はさしあたりスキゾ的逃走とか言ってるけれど、いつ何時(何千万か何億か知らないが)大金を積まれて権力者たちのスポークスマンに鞍替えするかもしれないといった不吉な予感を感せずにはおれないくらい恐ろしく優秀だったのです。それで、彼については時間を与えて様子を見るしかないと思った。そしたら、この10年間という時間で見事に証明されたのは私の人を見る目のなさだった。
 彼は権力者たちのスポークスマンにならなかったばかりか(何千万、何億の収入どころか毎月三十うん万円の給料プラスアルファの収入の暮らし)、その上、10年前の生意気なチンピラぶりと全く変わっていなかったことです。もうちょっと丸くなるとか、愛想がよくなるとかといった一人前の成熟をしたんではないかといった期待を見事に裏切って、殆ど裸の王様を笑う少年のまんま、相変わらずズケズケと過激でちっとも可愛げがなく素直に生意気だったのです。これにはびっくりした。と同時に、この10年間、ひところはあれだけAA現象でもてはやされたにもかかわらず、マスコミの誘惑に乗らず、現代の隠者としてマイペースのライフスタイルを貫き通したということの凄さを改めて考えさせられました。あれだけ優秀なのだから、まちがいなくマスコミからひっきりなしに引きがあったはずです。だから、彼はたえまなくマスコミから逃走してきた筈だ。それが例えば、よそ者に対し示すあの彼独特の仏頂面なのでしょう。また、彼は大衆をいつも必要とし、大衆の支持にいつも依存しているようなマスコミ(本質的には学校というところも同じでしょうが)の登場人物ではないから、聴衆に対し媚びもへつらいもしない。だから、ただ単に自分の心に素直のまま気に入ったことは気に入り、気にくわないものは気にくわないという態度をざっくばらんにあっけらかんと示すことができる。これはすごく希少なことだし、すごくすがすがしいことだ。
(自森でも痛感することですが)こういう媚びもへつらいもない人の話というものが今どきどんなにか貴重で刺激的かということは、今回、浅田彰の話を聞いて唸るほど実感できた。というのは私自身、彼の話を聞いていて、素直に自分自身の心の中に別の形の望みが新しく芽生えるのを、それまで思いも寄らなかった新しい憧れがどんどんふくらんでいくのを実感できたからです。これまで、この1年近くの間ずっうと自分の憧れは自森という空間が持っている(秘めている)力というものを抜きにして考えられなかった。しかし今、浅田彰の話を聞いて、突然まったく別な形で新たな憧れが自分の中で目覚めたのに気がついたのです。それで私には、自分が自森という空間で今まで過ごしてきて、今や自分が過ごすべき時間というものがひとまず過ぎ去ってしまったのを感じたのです。だから、私主催の自主講座はこの2月でひとまず終わりにします(その代わり、今や若者や別の父母たちがどんどん自分たちで自主講座をやっていくことでしょう)。
 しかし、今回誕生した私のこの新たな憧れは、この間自森の中で経験させてもらったこと抜きにはあり得なかったものです。だから、私は、この憧れを気がつかせてくれた浅田彰に感謝し、今芽生えたこの新たな憧れをこの間密かにはぐくんでくれた自森という空間での沢山の人たちとの出会い・経験に深く感謝しないではおれない。それは「はてしない物語」のバスチアンがアイゥオーラおばさんの家から出ていくときに口にした次の言葉のようなものでしか言えない。
「ありがとう!ほんとに、ありがとう!」
4、 「王様を笑い続ける少年」から「頑固親父」への変身
  浅田彰の話の中で一番印象に残ったのは、彼が----あらゆる理念がついえ去ったのであればもはやホンネに居直るしかないというシニカルなホンネ主義に抵抗するために、それまで「王様を笑い続ける少年」だった彼が、今や、不本意で面白くないのを重々承知でゴリゴリの「頑固親父」という役割を演じようとしていることです。
 これは柄谷行人が啓蒙主義とロマン主義の関係で、柄でもないのに啓蒙主義者の役割を演じようとするのと全く同じです(感想8参照)。つまり、これまではNHKや朝日新聞や岩波書店といったところが、自由とか人権といった理念を掲げてくれていたので、それを前提に心おきなく、彼らの啓蒙主義の不十分さ、不徹底さを批判すればよかった。ところが、今や彼らがこぞってただのホンネ主義者に堕してしまった以上、啓蒙主義の不十分さ、不徹底さを批判してもしょうがない。そこで改めて、ダサいのを承知で浅田彰は自ら自由だの人権だのといった基本理念を声を大にして言うという役回りをあえて引き受けようとしたわけです。
 だから、彼はくり返し「とにかく、まずは理念を言わなければならない」と言う。なぜなら、確かに理念は絶対にそのまま実現されることはない以上、理念を語る人間は宿命的に何がしか偽善的にならざるを得ない。しかし、偽善には少なくとも向上心というものがある。ところが、人間はどうせこんなもんだからと(だから自由なんか認めてもしょうがないとか何とか)開き直って認めてしまえば、そこからはもはや向上心とか否定的契機といったものは何も出てこない。そもそも自由という契機があるからこそ、我々人間はこれではおかしいんじゃないか、これではいかんのじゃないかといった否定的契機(向上心)も初めて出てくるのであって、もし「自由、そんなもんただの幻想だ、虚偽だ」と言ってしまえばもはや否定的契機も向上心も何も出てきやしないこない。だから、結局、(あきらめてシニックになって)今の現状のただの肯定にしかならない。だから、どんなに自由が抑圧されようがそれを肯定することにしかならない。だからこそ、我々はこの向上心とか否定的契機を失わないために、自由に対する抑圧にあきらめないで最後まで抵抗するために、野暮ったくても柄でもなくてもやっぱり声を大にして、もう一度、自由や人権の理念を掲げるという「頑固親父」(=啓蒙主義者)になるしかないのだと浅田彰は言う。
 これは全く誠実だと思う。そして、同時に自森に全く当てはまると思う。そもそも自森という場は本質的には自由も人権のないニッポンにおいて本気で自由をめざそうという無謀な実験と試みに敢えて挑戦したパイオニアの場であり、それゆえこれまで必然的に様々な困難や誤りや失敗に直面してきた筈です。しかし今や、そのような自由への道を突き進むことの困難さ・大変さに恐れをなして、もう自由という理念を掲げること自体を放棄しようと(そして代わりに、もっと手っ取り早いところで、与えられた枠の中での管理された自由=ソフトな管理を導入しようと)いう気分が濃厚にあるのを自森に関われば関わるほど実感せずにはおれない。
 それは紛れもなく、理念を放棄したただのシニカルなホンネ主義にほかならない。そして、一度このホンネ主義に陥ったら、もはや何の向上心も現実を乗り越えていく否定的契機も起きてこない。だからそうすると、もはや人を支配する喜びにはまるか或いは生きる屍のような覇気のない姿をさらしていくかの無惨な道しかない。だからこそ、我々はこの悪臭が漂うようなシニカルなホンネ主義に対して、「自森は死んだ」なんてあきらめないで、今一度浅田彰みたいに野暮ったくても自由と人権の理念を声を大にして言い続けなければならないのだと思う。それをきっちりと言い続けていったときに初めて、自由への道を突き進むときに必ずや直面する様々な困難な課題に、へこたれずに向上心や否定的契機を持ち続けて、自らを永続的啓蒙主義者として奮い立たし、激励し続けることができるのだと思う。
 幸い、この自森には自由と人権の理念を今なお心から大事にしようという野暮ったい連中がまだまだ健在のようです。そのことは、あの、他者に対して原則として仏頂面でもって接する人浅田彰でさえ自森に来てあれだけ喋りまくってくれて、その上自ら次回の講座の予定の話までしてくれたことからして明々白々です。

 また、今日、前回ゲストで来てくれたちばてつやさんから電話があり、
「あなたや参加した父母の人たちの感想文を読んで感動して電話したのです」「自森に行って自分でも思いがけずあんなに喋ってしまって、私の方こそ不思議なくらいで、自分で自分に感動しているくらいなんです」
と語っていたのです。つまり、自森には自由とか人権の理念というものを本気で考えている人たちを惹きつけて止まない力がまだどこかに存在しているのです。そんなものはこのニッポンですごく希なことだから、浅田彰も小森陽一さんもちばてつやさんもこぞって自森で何か不思議な感銘を受けたにちがいないのです。
 かく申す私自身、この間磁石のように自森に懲りもせず惹きつけられてきたのも、実はその不思議な力のせいなのだ 。だから、我々はもっと自信を持っていいのだ。自信を持って、たとえ百の欠点と百の不十分さがあったとしても、まずはともかく自由と人権の理念を言い続けることを浅田彰みたいにやればいいんです。そのことを「自由について考える」なんていう野暮ったい題名の一連の自主講座がきっちり証明したと思います。
ミヒャエル・エンデもこう言っています。

  「ユートピア(理念)を欠いているということは、未来に投影すべきヴィジョン、懸隔を跳び越える時の指標となるヴィジョンをもたないということです。人は本来、ユートピア(理念)なしでは生けていけない存在なのです」(オリーブの森で語りあう)

 さて、自森における自由その他の問題についてあれこれ悩んでいる方、迷わず「頑固親父」になって、そういう悩みを率直に話せる自主的な企画をどしどし作っていったらいいです。
 ともかく実際に自分たちで自主的に行動を起こしてみること。すると、とたんにいろんなリアクションがあってなまなましく自森のことが見えてきますから。そうすると、今断固として「頑固親父」として頑張ることがいかに重要であるかを改めて確信できますから。

ここまで読んで下さりありがとう(この感想続く)

  ※浅田彰の作品
 「頑固親父」としての彼の面目躍如たる姿は対論『「歴史の終わり」と世紀末の世界』(小学館)とくに 最後の柄谷行人との対論を参照して下さい。
 それと、音楽を深く愛好する彼の面目が発揮されるのは、次のような音楽家たちとの対談のときです。
高橋悠治との対談「カフカ・音楽・沈黙」(高橋悠治「カフカ/夜の時間」晶文社刊)
坂本龍一との対談「テスティモニー1.」(坂本龍一「本本堂未刊行図書目録」朝日出版社刊)
坂本龍一・村上龍との鼎談「金属」(村上龍+坂本龍一「EV.Cafe超進化論」講談社文庫)

  ※2月の自主講座のお知らせ
 2月10 日(土)午後2時〜  場所:音楽ホール「インターネットの魅力を探ろう1」
 2月17日(土)午後二時〜 場所:音楽ホール「日本の学校制度と自由について」
 「ゲスト 小森陽一さん」  テキスト 宮沢賢治「風の又三郎」

(1996年1月30日)
(インタ−ネット・アドレス:PXW00160@niftyserve.or.jp )

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