感想13

----「ミヒャエル・エンデを語る」への誘い----

1996.01.13

(・・・自由の森に保存)


 小島君の幸せ
 今回、自主講座の主催した小島大君は小学校3年の頃に、エンデの作品『はてしない物語』に出会ったんだそうです。これはうらやましいとしか言いようがない。私の小学校3年の頃に、エンデの作品なんてなかったし、しかも日本でエンデに一番似ていると思える宮沢賢治にしても、当時の学校教育のおかげで、賢治は(実際はその正反対にもかかわらず)あの「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」といった厳格な理想主義者・道徳家として仕立て上げられ、面白くも何ともない人物として私の前に現れていたからです。だから、エンデがまだ登場していない代わりに宮沢賢治の世界の中で思う存分エンデ的体験を積み重ねるということもかなわなかったのです。
 だから、学校の教材にも取り上げられず、まるで『はてしない物語』の主人公バスティアンのようにエンデの作品を思う存分読みふけることができた小島君はつくづく幸せ者だと思う。

 エンデの不思議さ
 私はもともと翻訳文的口調というのが(その正体をまだよく知らないくせに)どうも苦手です。まるで靴の上から足を掻いているような歯がゆさ・いら立ちを覚えてしまうからです。生々しい現実感がぜんぜん感じられないのです。だから、外国の作品は殆ど苦手です。しかしかといって、日本の現代小説も殆ど読まない。これまで藤原新也以外の作品で読むに耐えるようなものに出会ったことがなかったからです。
 ところが、ミヒャエル・エンデの作品だけは翻訳物でありながら、ものすごく生々しく迫ってくるものがあるのです。彼の作品を読み、彼の言葉を聞いていると、まるでタルコフスキーの映画でも観ているような親密感・一体感を経験できるのです。こうした親密感・一体感の経験を通じて、はからずも私は「学ぶ」ということを経験している自分を感じます。
 というのは、賢治の場合もそうですが、エンデの作品を読み、彼の言葉を聞いていると、彼が経験した事柄、彼が認識した内容、彼が味わった感情それらを全て、自分自身の手で改めて追体験してみたい(つまり真似をしたい)と心から願わずにおれないからなのです。だから、学ぶということは、本来、学歴とか評価とかといった何か世のごほうびや己の野心を目当てにして行なわれるものではなく、自らのうちに沸き上がらずにはおれない、ただ「学びたい」という渇望だけに支えられて行なわれるものなのだということを、私はエンデから教えてもらったような気がします。
 それは、ちょうど子供が遊びに心から熱中するようなもんです。なぜなら、そこでは「学ぶ」ということが至上の喜び以外の何物でもないからです。だから、「学ぶ」ということと「遊び」は本来切っても切れない深い関係にある筈です。そのことを絶えず思い出させてくれるのがエンデです(だから「遊び」ではなく、「調教」を本質とする学校教育ではエンデは用心深く取り上げられないのか‥‥)。

 エンデと自森
 私は昨年、自森で自主講座を開こうと思ったとき、まっ先にゲストとして浮かんだのがほかならぬミヒャエル・エンデでした(幸い、夫人が日本人だから、日本語の手紙を書いても大丈夫だろうと思ったのです)。しかし、ちょうどそのとき彼の訃報に接し、実現するに至りませんでした。どうして、わざわざドイツからエンデに来てもらおうなんてことを思ったかというと、それはエンデ自身が少年時代に、自森みたいなケッタイな学校(シュタイナ−学校)に通っていた経験があったからです。しかも、彼の場合、ヒットラ−のファシズムの時代に中学一年生で早くも落第して、自分の無能さをいやというほど思い知らされて、落第の決まった日、エンデはもう家に帰れないと思い、溺れ死のうとさえしたのです。こうしたバスチアン顔負けの屈辱と挫折の苦い経験を積み重ねさせられてきて、エンデは17歳のときにシュタイナ−学校に通うことになったのです。そこで、彼は「一種のポジティブな異文化ショック」を体験したそうです。なぜなら、そこでは、
「まず教室がバカに騒がしい。授業中なのにみんな勝手にしゃべっている。教師と生徒の間に自由なやりとりが飛びかう、それが攻撃的な声の調子でなかった。教師の言うことが分からない生徒は、ケロッとして分からないからもう一度説明して下さいと叫ぶ。テストもない。或るとき、数学の問題が配られたので、てっきりテストだと思い込んでカンニングしようと隣の生徒をねらったら、彼が私に気がついて、そしたら、平然と私に向かって問題の解き方を教え始めるではありませんか。教師はにこにこしながらそれを聞いていました。私はあきれました。ここはどうなっているんだ。とたんに世界がひっくり返った気がしました。」
 しかし、エンデはこの素晴らしいシュタイナ−学校でも立ち直ることはできなかったと語っています。つまり、彼はシュタイナ−学校で心を「治癒」しようとした生徒だったけれど、たかだか2年間の学校生活ではそれまで10年以上積み重ねられてきた屈辱と挫折の学校拒否感を完全に克服するには至らなかったと言っています。
ということで、エンデから、シュタイナ−学校とエンデとのかかわりについて、あれこれと聞いてみたかったのです。

 エンデと自由
 最後に、エンデにとって最も切実な問題とは何だったのだろうか。恐らくそれは、「自由」の問題「人間とりわけ文明社会における人間にとって、自由とは何か」にあったように思われます。「モモ」も「はてしない物語」も、見ようによっては全てこの課題を探究するために書かれたものといってもいいでしょう。では、エンデは「自由」をどんなふうに考えていたのだろうか。

 しかし、それはまた別なお話。これから、皆さんとエンデの世界の「はてしない物語」の旅に出かける中でこういったことを一緒に考えていきましょう。
 では、第1回目(1月20日)でお会いしましょう。

 ここまで読んで下さり、ありがとう。(この感想続く)

(エンデEND:96年1月13日)
(インタ−ネット・アドレス:PXW00160@niftyserve.or.jp )

※エンデの著作
「はてしない物語」
「モモ」
「鏡のなかの鏡」
「サ−カス物語」
「ゴッゴロ−リ伝説」
「遺産相続ゲ−ム」
「ジム・ボタンの機関車大旅行」
「ジム・ボタンと13人の海賊」
「オリ−ブの森で語りあう----ファンタジ−・文化・政治----」
「闇の考古学----画家エトガ−・エンデを語る----」
「芸術と政治をめぐる対話----ヨ−ゼフ・ボイスとの対話----」(以上、岩波書店刊)
「ハ−メルンの死の舞踏」
「エンデと語る」(以上、朝日新聞社刊)
「アインシュタイン・ロマン6----エンデの文明砂漠----」(NHK出版)
雑誌「第三の道----特集ミヒャエル・エンデ----」(人智学出版社)

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