感想12

1996.01.12

(・・・自由の森に保存)


上杉鉄兵さんへの手紙

 上杉さん、あなたは今年でもう40くらいになりましたか。
今日はひとつ、40くらいのあなたに宛ててとりとめもない手紙を書かして下さい。
1、ウチには2人の子供がいて、上の息子は公立小学校に入学して一週間で「ガッコウやめたい」と言い出した人物で、小学校卒業するや自分から自森に行った(というより自森に逃げ出した)タイプの人ですが、下の娘は昨春、中学入学に際し「私だってガッコウを選ぶ自由がある」と言って、こちらは自分から自森を蹴って公立中学へ行ったタイプの人物です(しかし実際のところ、自森に通う兄貴をはたで見ていて、「人間にとって一番苦しい刑罰は自由という刑罰である」という自由の大変さを痛感して、それで自分にはちょっと耐えきれないと思ったらしい。しかし、公立だって地獄には変わりないことを早晩思い知ることになった筈です)。
 それで先月、娘の中学校で初めて先生・生徒・親の三者面談があるというので、近ごろの公立中学校ってどんなものか知りたくて、(ニセ学生の)私が一応親という肩書で出かけて行ったのです。
 彼女の担任はまだ若そうな英語の先生で、クラス通信の見出し部分にいつも「Do your best! 」なんて書くような人なんですが(私としては「おれは鉄兵」みたいに、「Be relaxed! 」とでも書いてほしいところですが)、教室に入るなり、その先生はこわい顔をして(だから、こういう人こそリラックスしてほしい)、えらく立派な紙にしつらえてある、娘の期末テストの成績表を私に見せ、
「この学校には教育熱心な親が多くて水準が高いですから、今から頑張れば間に合いますから、頑張って下さい」
とか何とか要するに「修行をしなさい」というお言葉をのたまったのです。初めて口を聞くもん同士なんだから、もうちょっと「最近どんな調子ですか」とか人間としてのつきあい方というものがあって然るべきなのに、ただ
「私は教師(というより調教師だ!)、あなたは親、だからテストの話で十分でしょ」
といった役割分担を強引に押しつけられてしまったのです。ホントに30年前と何にも変わっちゃいないんですね。要するに、テストの点数(と最近は教師の内申書)というレースに勝つために、生徒を競走馬として日々調教(修行)に励ませることしか考えない。これだけ露骨にテストのことを話題にする分、むしろ悪くなったとしか思えない。胸くそが超悪くなったので、自森に行っている兄貴のことを話題にして
「実は彼女の兄は日本で一番遊べる、日本で一番勉強しない学校に行っているんですが、彼にはこう言ってあります----日本の大学というのは中学・高校とずうっとしょうもない受験勉強をせっせと励んだ連中が、そのごほうびとして4年間ゆっくり静養し、遊ぶために行くところなんだ。だから、中学・高校6年間と好き放題やるだけやった君はもうそんなところへ行く必要は毛頭ないし、そんなために私は学費を出す積りもない。ただ、もし君が本当に学問したいと思うようになったなら、その時はその学問を本気でやるに相応しいアメリカとか世界の大学に行けばいい。その時だけ必要な応援をする積りだ。
 そのことは、ここにいる娘の場合でも同じです。彼女がもし本当に学問したいと思うようになったら、日本を出て世界に行けばいいのです。だから、日本の大学に入るためにしょうもない受験勉強をして消耗することなんか全然必要ないのです。ただ『今から英語だけは、使いもんになる英語だけはちゃんとやっておきなよ』と言ってあります」
 すると、その担任の先生、しばし我を忘れたようになって、急に
「そうなんですよ。実は、私もここ最近外国に行くようになって、もっと若いときから外国に行っていればよかったとすごく思ったんです。若いときに外国に行って2年3年まわり道するなんてこと全然まわり道じゃないですよね(えっ、いいの、そんなこと言って!)」
と、さっきまで熱心に演じていた調教師という本分をいきなりプッツンして、ニコニコしながら言い出したのです。
 それで、すっかり調子が戻って(狂って?)、15分の面談時間を大幅に延長して、お互いに人間の顔を取り戻しながら時間を忘れて真っ暗になるまで思わず話にふけってしまったという訳です。もっとも、彼は、翌日からまた「Do your best! 」と調教師として励むでしょうが。

2、今日、自森の父母で子供が不登校している方からお便りをもらいました。その時、印象的だったことは、そのお母さんがとても深刻に思えたことです。
 「今日をどう生きるか、そのことだけを考え、今日を生き抜くことが大事だとする私どもの立場」と書かれた文面から、不登校をめぐる生活にすごく苦しめられてきたのではないかという印象を受けたのです。でも(自分自身が職場不登校みたいな人間ですから、言うわけではないのですが)、鉄兵さん、あなたは十分分かっているだろうが、不登校ってそんな悪いことじゃないですよね。だって、代議士の誰それみたいに散々ウソをついて横領・背任といった犯罪を犯すような、そんな悪いことなんかひとつもしてませんしね。人間は本来自由な存在で、他人の自由・人権を侵さない限り何一つはばかることなんかないのだという立場からすれば、不登校って何にも恥じることなんかないですよね。だから、他人との関係で言えば堂々としていていいわけです。昨年12月9日に自森で生徒主催の「日本在住10代”自分”を語る」という企画をやったとき、ゲストとしてやって来たアメリカの少女なんかは不登校の子で、完全に学校から切れているのですが、しかし、その態度はそれで何が悪いの、一体どこがおかしいのといった見事なくらい実に堂々としたもんでした。
 ところが、不登校ですごく苦しめられている人が日本人にはずっと多いんじゃないかと思いました。というのはニッポンには間違いなく、不登校児を「みんな同じ」をモットーとするニッポン共同体というシステムからはみ出した落ちこぼれといったレッテルを貼り付けて、暗にバカにし、非難するような息が詰まるような視線に満ち溢れているからです。ですから、何よりもその視線に苦しめられるのだと思う。その意味で、ニッポンには人権というものが基本的にはないと思う。「みんなと同じでなく」「自分らしく振る舞う」ことを、本質的には絶対容認しない国(システム)ですから。だから、ぶっちゃけた話をすれば、そんなことで苦しむのはアホらしい。だから、そういう非難する根拠のない視線に対しては、これと闘うしかない、ちょうどガリレオが根拠のない天動説と闘ったように。そして、それを戦い抜けるかどうかはひとつには、「認識」の力にかかっていると思う。自分を苦しめる「視線」に果してどのような根拠があるのか、を問い詰める「認識」の力にかかっていると思う。だから、(私も含めて)不登校の奴ほど、実は不登校でい続けるために、「認識」のための勉強をしなくっちゃならないんだ、不登校として平然と堂々と生きていくために誰よりも「認識」の武器を磨かなくちゃならないんだ。共同体の中で学歴だの肩書だのいったレッテルでぬけぬけと生きていくことができないんだから。だから、不登校を選んだやつこそ、幸いなことに、学ぶことの必然性・必要性がしっかり見つかっているという訳なんだ。それに、不登校ということは、何も人生の少年少女時代だけにあることじゃない。人生の終わりまで、職場との間で、社会との間で、夫婦の間で、親子の間で、友人との間でいっくらでも不登校(コミュニケーションの不通)という事態はあるわけで、学校とのコミュニケーションの不通だけが別段珍しいもんでも何でもない。むしろ、人生の最初のうちに、この種の難問に取り組んでおいたほうが、人生の先々で否応なしに訪れる不登校現象を乗り切る上では先見の明があるとさえいえる。だから、あれこれ悩むといった消耗なことはしないで、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」の主人公バスチアンのように、たっぷり、思う存分、この不登校現象を経験したらいいと思う。ただ、そのためにはただぼんやりと過ごすのではなく、「不登校現象を経験」することを自らきちんと学ばなくてはならないと思う。私がやろうとしている、この自主講座も「不登校現象を経験」することを学ぶ場のひとつになればと思っているのです。

3、最後に、鉄兵さん、あなたの思い出について書かして下さい。
 年を取るということは嫌なもんでして、体中にガタが来て段々くたばっていくのを年々思い知らされるといった感じです。しかし、年を取ることにもひとつだけいいことがあって、それは自分の中にある記憶が時と共に選別されていくということです。その結果、どうでもいいことはどんどん忘れていくし、その反対に真に貴重なものは決して忘れることなく、私の中で生き続ける。
 例えば、金儲けしたときの経験なんて今ではカスみたいに夢のように消えてしまっている。反面、大学時代、授業なんか一度も出ないで、毎日、足立区の荒川や川崎の多摩川周辺で子供会で子供たちと遊んだ経験は今でも焼きついて残っている。だから、経験した当時には、その経験が一体いかなる意義があったのか分からなかった経験でも、長い年月の経過の中で風化することなく、まざまざと生き続けたことを(年を取ることを通じて)知ったとき、改めてその経験の重要性をそこで思い知ることができるようになるのです。
 そのひとつが私にとって、あなたを主人公にしたちばてつやさんの作品「おれは鉄兵」を読むという経験だったのです。私は、ずっと不登校だったあなたとちがって、小学校3年生から大学受験を目指してきた受験優等生の口ですから、マンガなんか読んだことがなかった。それがどうして「おれは鉄兵」を読んだ経験を忘れないでいるかというと、それは友人にまんまとだまされて司法試験という日本が世界に誇る最も異常な試験にはまってしまい(もちろん毎年不合格をくり返し)、おかげで受験優等生という過去の栄光も消え去った28にもなった頃に、偶然この「おれは鉄兵」を読んで、異常な感動に襲われたからです。
 当時、「修行するぞ」という意気込みの下で、いろんなマインドコントロールの類の本を読んでは、自分を試験にまい進する競走馬に仕立て上げようと必死に努力したのですが、結果は惨憺たるもので、いつも最悪の駄馬(ダバ)で終わったのです。その頃、自分を試験制度というシステムに無理矢理合わせようとした結果、自分が冷凍人間みたいにもうどうしようもなくガチガチになってしまったのを感じていました。すっかり生き屍みたいになっていたのです。だからもう、ありきたりの受験テクニックで乗り切れるような症状(軽症)ではなかった。そんな時、私の前に偶然出現したのが、ほかでもないあなただったのです。私はあなたの「あるがままの自分」を平然と貫き通す姿に、「あゝこれでいいのだ、こういう自然なままで、自分らしさを生かすことでいいんだ。」と涙が出るくらい嬉しかった。そして、「何よりも大切なことは、試験制度に自分を無理矢理合わせることなんかではなく、まず、このあるがままの自分を取り戻すことなんだ」ということに気がついたのです。だから、当時、他の誰よりもあなたから心底激励されたのです。私は、このとき初めて解放ということを全身でもって知りました。「あるがままの自分」でいつづけようとすること、それが解放なんだと分かったのです。つまり、そのとき、私は自分が氷のようにガチガチに死に絶えていたのが、再び、ものすごくリラックスできるようになり、生を取り戻したのです。そして、自分が自分らしくあることによって人は初めて自分の力、自分の存在意義といったものを実感できるということを感じたのです。これは私にとってものすごく貴い啓示でした。全てをここからやり直すことができる、という出発点をそこに見い出したのです。そのあと、私は生意気にも、よし自分はこれから自分だけしか作れない憲法、「柳原憲法」というものを作ってやろうじゃないか、或いは自分だけの刑法、「柳原刑法」というものを作るんだ、それでもって、司法試験に臨んでやろうじゃないかとあくまでも自分を貫き通すことを誓ったのです。要するに、開き直ったのです。でも、苦しくなると、しょっちゅう「おれは鉄兵」を読み返しては、勝負に意地汚くも無節操、破廉恥なまでもこだわり続けるあなたから何度も激励をもらいました。第一、あなたって、絶対あきらめない人でしょう。そのためには、浅田彰の「逃走論」じゃないけれど、逃げて逃げて逃げまくることもぜんぜん厭わないですよね。私はあなたのあの意地汚いまでも逃走続ける姿を見ていて、これがまさしく逃走(=闘争)なんだと大いに合点が行きました。だから、あなたって、全然ニッポン的な感じがしなかったのです。ニッポン的というのはやっぱり,どう頑張って駄目だったら潔く負けを認めるという潔さを重んじるでしょう。でも、あなたはその正反対ですもんね。だから、作品も終わりも、全然美しくない終わり方で、鉄兵の世界が見事に完結するんじゃなくて、またずるずると無節操に横にずれていくといったあんばいで、だから、あなたはちょうど「はてしない物語」を生きるような人物ですね。というようなことを、今回あなたの作者のちばさんを呼ぶ企画を通じて、あれこれ考えました。どうか、引き続き、私の「はてしない物語」の登場人物のひとりとして私の記憶の中で生き続けていって下さい。
また手紙書きます。

ここまで読んで下さりありがとう(この感想続く)。

※次回以降の各種の自主講座のお知らせです。
◎1月20日(土)午後二時〜 場所:会議室
        主催者:小島大君(高3ー1)・私
 「ミヒャエル・エンデについて語り合う第一回」
 エンデの作品と人柄に魅せられた人たちが集って、その魅力を語り合うものです。
 飛び入り大歓迎です。
 第1回目は、主に「はてしない物語」(岩波書店)をめぐって語ろうと思います。

◎1月27日(土)午後二時〜 場所:音楽ホール
        主催者:丸谷一耕君(高2ー5)
 「ゲスト 浅田彰さん」
  世界に通用する知識人のひとりである浅田さんと自由について、音楽について、世界について大いに 語り合いましょう。
 なお、この企画は一耕君がこの冬休み、故郷の京都で、浅田さんに電話で会見を申し込み、拝み倒し て、自森に来てもらうことを実現したものです。このことを知った小森陽一さん、深夜私に電話をか けてきて、「これは画期的な事件だ」と絶句。
 一耕君の破廉恥、無節操ぶりに乾杯!
 ★浅田彰さんの参考文献
 いろいろありますが、とりあえず次のものを紹介します。
 *対論集『「歴史の終わり」と世紀末の世界』(小学館)
  九十四年度の画期的な作品のひとつです。
 *『逃走論』(ちくま文庫)

◎2月10日(土)午後2時〜 場所:音楽ホール
 「インターネットの魅力を探ろう1」
 「ゲスト 大庭有二さん(高2ー5父母)」
 インターネットが今まで予想もしていなかった新しいコミュニケーションの可能性を切り開いてくれ る画期的なものであることに注目して、その可能性と魅力をインターネット研究の専門家の方から分 かりやすく解説してもらおうという企画です。
 とりわけ、これまで、自森の情報の閉鎖性に辟易し、悩んできた人には目からウロコが落ちるような 必見の講座です。

◎2月17日(土)午後2時〜 場所:音楽ホール
 「日本の学校制度と自由について」
 「ゲスト 小森陽一さん」
  テキスト 宮沢賢治「風の又三郎」
  語り 大竹麗子さん(高1ー1父母)
  明治以来、日本の学校制度というものが生徒の自由をどのように擁護・抑圧してきたかを、宮沢賢治 の「風の又三郎」を素材にしながら読み解くものです。

(1996年1月12日)
(NIFTY-Serve PXW00160)

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