感想10

1995.11.18

(・・・自由の森に保存)


 A君への手紙

1、A君、君はものすごくいそがしい人なのに、時間を割いて、これまで2回の自主 講座とそのあとの感想会に毎回参加してくれて、ありがとう。毎回熱心に参加してく れている君のことを見ていて、ちょっと思ったことがあったのでとりとめもなく言わ せて下さい。
 それは君が講座に参加した感想として2回とも「もっと勉強しなければ」といった 言葉を述べていたことです。はっきり言って、そんな感想なんて言う必要ちっともな いし、むしろ言うべきではないと思う。現に君は一晩たてば、そんな感想言ったこと 自分でも忘れているくらいなんだから。もし言うんだったら、「勉強しなければ」な んて世の教育ママを喜ばせるようなあいまいで誤解を招くよういまいましい言葉を使 わないで、自分の思った通りのことをズバリ、そしてもっときちんとした言葉で表現 すべきだ(まさに「表現活動」ですね)と思う。現に、柄谷さんや小森さんの話を聞 いて感じなかったですか、彼らがいかに自分たちが使う言葉に対し厳密でちみつでデ リケートであったかを。そして、自分の言葉に対し厳密でちみつでデリケートである ということは、自分の心に対し厳密でちみつでデリケートであるということです、自 我というものや自分自身に対して厳密でちみつでデリケートであるということです。 だから、自分の言葉があいまいでもやもやしていい加減であるということは、ほかで もなく自分自身の心があいまいでもやもやしていい加減なのです。このように言葉と 心は元来切っても切れない関係にあります。
 それでもし、君がこの「言葉と心の切っても切れない関係」を身を持って実感した いなら一度英語を徹底的に勉強してみればいいのです。私も昨夏、初めてアメリカで 語学学校に通って日本語を一切使わないで英語だけで生活してみたとき、(英語の殆 どできない私が)どうなったかと思います?まるで塩をぶっかけられたなめくじのよ うに身も心もすっかり萎縮して、半ばノイローゼに陥ったのです。そのとき、英語の 教師から「君はすごく暗い!」と言われたように、或いはたまたま現地で知り合った 自森の中退組のやつからも生意気にも「何だ、随分おどおどしていて」と言われたよ うにね。つまり、殆ど強制的に日本語という言葉を取り上げられて、まるっきり使い ものにならない英語だけを言葉として与えられたとき、私は単に喋れなくなったので はなく、私自身の心まで取り上げられてしまったのです。言い換えれば、私は、日本 語という言葉を捨て去ったとき、一緒に自分の心まで捨て去ってしまったことにうか つにも気がつかなかったのです。日本語という言葉を失ってみて、どれだけ自分自身 を失ったか(ついでに、どれだけ髪の毛も抜けたか!)、それは「暗い」「おどおど した」私を見ていた連中が証言してくれます。だから、私にとって言葉を取り戻すと いうのは、自分自身の心を取り戻すことでした。だから、私はときどき夢中になって 書くということをするのです。だって、書くということは私にとって自分自身の心を 取り戻すこと、あるがままの自分を取り戻すことにほかならないからなのです。だか ら、あなたも「勉強しなければ」なんてハンパな言葉を使わないで、ぜひとも自分の 言葉にもっと厳密に忠実になって下さい。そして、そのような言葉の使用を通じて、 自分自身の心・精神にもっと厳密に忠実になって下さい。

2、そのことに関連して余談をひとつ。
 昨日の感想会のあと、自森から息子と車で帰 ったとき、彼の(サッカークラブの)友達が同乗したのです。そしたら、ふたりが何 やらサッカーの話をしているのを聞いていて、とくにその一学年上の友達がサッカー の練習方法について話しているのを聞いていて、その話がまちがいなくその彼自身の リラックスした言葉で語られていながら、同時にものすごく明快で理にかなっていて 説得力ある言葉で語られていたので、私は思わず息を飲んでうなってしまいました。 話しかけられていた息子がかたずを飲んで聞いていたのはもちろんで、彼が今ここで ものすごい充実した時間を過ごし、貴重な経験(対話)をしているのだということが 分かりました。これは一体何なんだろう。やっぱり競争原理や管理教育から解放され た自森のような場にして初めて可能なことではないかと、ひそかに自森の力というも ののイメージをそこでまざまざと感じたのです。すると、その友達の素晴らしい話に 触発されてか、息子が一昨日参加した自転車のレースでゴール前の混戦の模様をその 友達に話し始めたのです。ところが驚いたことに、そのとき彼が、そのゴール前の様 子を、いかにして自分がその混戦から抜け出してゴールに飛び込んだかという様子を 自転車レースなんて何にも知らない私にも手に取るように分かるように語っていたの です。授業に殆ど出たこともない彼は一体いつの間にどうやって、自分自身の言葉で これだけ自分の経験した世界のことをきちんとリアルに表現することができるように なったのか。これを可能にしたものとは一体何なのか。それは、もしかして、受験一 色で塗りつぶされた私の無惨な高校時代なんかとはちがって、彼が自森で自分の憧れ に思う存分熱中し得たからではないか、つまり、何の恐怖もなく、心おきなく自分の 見つけた憧れにとことん没頭できたからではないか。ともあれ、私は、彼や彼の友達 が自分の言葉でもって自分の経験をリアルに表現しているのを目撃して、彼らが自分 たちの世界を(それが世間の物差しから見てどう評価されようが、紛れもなく自分自 身の世界というものを)間違いなく手に入れたのを感じたのです。これって、やっぱ り、すげえことだと思うんだ。だから、こういった点で、自森って、もっと絶対の自 信持っていいと思う。

3、それと、もうひとつ印象に残ったことは柄谷さんや小森さんの話を聞いたときの 君の反応が今一つすっきりしなかったということです。
ひょっとして君は彼らの話を 殆ど分かんなかったんじゃない? で、そのことをかなり気にしていたんじゃない? でも、そんなこと全然気にする必要ないね。そんなこと気にするなんて、それこそ小 森さんが言ったように、人の言った言葉をすぐ理解できることがさもえらいとか優秀 であるかのように見なす俗世間の物差しという「視線」を君自身が(その「視線」に 負けてしまって)自ら自分の中に内面化し、不本意にも君自身の物差しにしてしまっ て、それでもって自らを恥じているということじゃない?もしそうならば、それはお かしいよ。君は人の言った言葉を受け止める際、あくまでも君なりに受け止めていく いきかたをすればいいんであって、それこそそこに君の自由というものがあるわけで しょ。それに対して、そういうあくまでも自己流にマイペースで物事を理解していく いきかたを決して認めようとしないのが、小森さんが口をきわめて批判していたこの 日本の学校制度というものなんでしょう。そもそも君自身そのような学校制度がおか しいと思ってわざわざ自森に来たんだから、物事を理解する道筋という点においてだ って君は君自身の個性と自由を貫けばいいんだ。つまり、今の十六歳の君の目から彼 らを見て彼らの話を聞いて、そこで感ずるもの、思うものがあればそれで十分なので あって、それ以上無理して彼らの話を分かろうとか、分かった気になるなんて必要毛 頭ないよ。現に、柄谷さんはこう言っている。

「村上(龍)君が僕の本をわりあい最近になって読んだということは、非常にいいで すよ。最近、がいいわけよ。昔から読んでるとよくない。(僕と)関係なくやってき たっていうことでいいんだと思うんだよね。(僕の)理論に基づいてやるとか、影響 されたということじゃなくてさ、ああ、こういう感じだったのか、っていうこと(が 大事なん)でしょ。」(EV.Cafe超進化論)

つまり、柄谷さん自身が、彼の本をかっこよくオウムのように口真似するような読み 方だけはしないでほしいと、あくまでも各自が現実に直面しているその人固有の生々 しい問題と取り組む中で、その問題を深める中で、いつか「ああ、柄谷行人ってこう だったんだ」と合点が行くような読み方をしてくれることを願っているのです。なぜ なら、彼こそ常に現実と向き合うことを最も自分に課してきた人間であり、彼が最終 的に目指しているのはこの現実以外のなにものでもないからです(だから、自森にも 来たわけです)。だから、彼が探究する理論というのは、彼にとって次のようなもの なのです。

「私は、もっと具体的な現実の状況をたえず念頭においてきた。しかし、それに対処 するためには、問いをより基礎的なものにしていかねばならない。第一部・第二部の ような(理論的な)探究がどうしても不可欠なのである。‥‥むろん、これはたんに 理論の問題ではなく生きるということの問題だ。」(「探究2」のあとがき)
「いま現に不正がありそれに対して闘わねばならないとき、そこから退いて思索する 思想家の「責任」とは、根底的(ラディカル)に世界をとらえること以外にはない」 (「アメリカの息子のノート」のノート)

 柄谷さんは、自森に来た翌週の講演会で、自森に行ったことを話題にして、そこで、 暴力・いじめのことを論じたそうです。つまり、彼も「暴力・いじめ」に関する理論 を語るとき、彼の頭には南寮事件といった具体的な現実の状況をたえず念頭において いるわけです。彼の理論のすごみは何よりもそこにある。だから、同じく、自森が置 かれている現実の生々しい問題から決して目を背けようとしない君こそ(柄谷行人の 理論をまるっきり知らないかもしれないけれど)、実は知らずして最も柄谷的な人物 として行動しているのです。
 それから、余談ですが、小森さんは君を一目見て「あれは自森の子ですか」と私に 尋ねてきたのです。そうだと答えると、彼はにんまりと嬉しそうに「久々にああいう 面の子を見た」と言ってました。彼はきっと君の中に、世界に対するみなぎった緊張 感といったものを、この平和で自閉的な平成ボケの日本においてそれに染まらないよ うな緊張感あふれるものを感じ取ったのです。のみならず、君にはおかしいことをお かしいと素直に感ずる今どきにしてはすこぶる珍しい感性がある人です。しかも、そ の「おかしい」と感ずる感性は、決して人を冷ややかに突き放して見るようなひねた 生き方に由来するものではなく、その反対に、君のお母さんが「あの子は人間大好き 人間なのです」と言っていたように、人を愛し、信頼してやまないヒューマニズムか ら沸き上がってくるものなのですね。だから、君は自信を持って、君自身の道を自主 的に突き進んでいけばいいのです。そうすれば、いつかきっと「ああ、あれはこうい うことだったんだ」と柄谷さんや小森さんの話が合点がいくときが訪れるにちがいな いのです。そして、それこそ柄谷さんや小森さんが最も期待しているような学びの道 すじというものであり、自由な生き方そのものだと思うのです。
 「はてしない物語」の作者エンデも柄谷行人のような怪物シュタイナーについて、 こう言っています。

「いつもシュタイナーがくり返し嘆いていたことのひとつは
『なぜ彼ら(=彼の支持 者たちのこと)はいつも私の言うことを何もかも真似するのか、なぜ彼らは自主的に その先を進んでくれないのか、間違える危険をおかして』
ということでした。自主的 に道を歩むことは必ず危険がつきまといます。でも、私がシュタイナーから学んだこ とがひとつあるとすればそれは、彼が自分の道を歩むときに示す、いわば信じ難いほ どの無頓着さということでした。‥‥
 自分自身の道を歩む勇気を持て----間違えたり、失敗したりする危険をおかして。 間違いと失敗はともに人生で最も価値あることです。いつも前もって全てを正しくお こなおうとする者は、何事も正しく行えないでしょう。つまり、いつもあらかじめ結 果を知りたがる人は、決して精神と生の真の冒険に身を委ねることができないので す。」

どうか、君が普段の君らしいままで、「自分自身の道を歩む勇気を持って」「精神と 生の真の冒険」に身を委ねるつもりで引き続きこの自主講座に参加してくれることを 願ってやみません。また会いましょう。お元気で。

 ※次回の自主講座のお知らせ
 96年2月17日(土)午後2時〜 場所:音楽ホール
 ゲスト:小森陽一さん(前回の後編)
 テーマ:「自由について(続)----自由と学校について----」
 テキスト:宮沢賢治「風の又三郎」

 明治以来今日に至るまで、日本の学校という装置が私たちの自由というものをどの ように抑圧し奪ってきたか、そしてそれが今なおどのように続いているかについて、 宮沢賢治の名作「風の又三郎」を読み解く中で明らかにしようとする試みです。この ように、日本の現実の学校制度の歴史を「認識」する中で、自森がいま持っている可 能性と問題点もおのずから一層浮き彫りにされたなら面白いと思うのですが。
 ともあれ、チェコからはるばる日本に転校してきた小森さん、だからきっと「『又   三郎』は小森だ」という思いが彼の中にはあるのではないでしょうか。

 このように、自主講座がもっか試みようとしていることは一回一回ごとに、感想9 にも書いたように「ニッポンというシステムの外部」に出ること、ちょうど「はてし ない物語」で主人公バスチアンが現実世界からファンタージエン国へ旅に出たのと同 じような意味で、その都度様々なファンタージエン国への旅に出ることをめざしてい ます。だから、ここに来たからといって決してお利口になったり、現実世界がすぐさ ま変わるわけでも何でもありません。ですが、自主講座に参加したひととき、もし、 ひとりひとりが「ニッポンというシステムの外部」に出てみて、そこで出会った想像 力や認識力に溢れる未知の空間の中で思いきり旅をして、自分なりに新たな見者とな って、そのような経験を通じて得られた「意識した変化」をおみやげにして、再びも との現実世界(=「ニッポンというシステム」)に舞い戻ることができたならばどん なにかいいことだろうと思います。
そして、そのような経験の積み重ねの中で、いつ か、私たちがこの「ニッポンというシステム」という現実世界を、これまで我々を縛 り付け我々を散々みすぼらしい目にあわせてきた「既存の視線」に代えて、新しい 「現実の豊かさ・多様性を余すところなくとらえることのできる視線」でもって眺め ることができるようになれたらどんなに素晴らしいことだろうと思います。

 皆さんの率直な意見・感想をお待ちしています。柄谷さんや小森さんに見せて読ん でもらおうとも思っています。左記まで送って下さい。よろしくどうぞ。
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