感想7

----第1回自主講座「ゲスト柄谷行人」----

1995.10.28

(・・・自由の森に保存)


1、第1回自主講座(10月28日)の感想
 私も、オウムの青山元ベンゴシみたいに本質的には人を脅かすのを商売にしている ようなもんですから、最初自森に来るのを嫌がった柄谷さんを「行くよ」と言わせた あとになって、フト
「ホントに柄谷さん自森に来るのかなあ……第一、あんな人が何で自森 みたいな所に来るんだ!」
と我ながら思えば思うほど不思議になって、疑念は深まるば かりで、あれだけ大々的に宣伝した手前もあって、講座が近づくにつれ「もし、当日 すっぽかされたらどうしよう」と不安がふくらむばかりで、どうしょうもなかったで すね。
だから、当日、待ち合わせ場所の飯能駅で柄谷さんの姿を見つけた時、夢でも 見ているんじゃないだろうなと思わず、彼の体を触ってしまいそうになりましたよ。
 でも、彼は当日、朝8時まで仕事をして、睡眠時間3時間で来たそうです。風邪も引 いているらしく、やたらくしゃみをしていました。よくそんなひどいコンデションで 来てくれたなあ、自森の感覚だったらきっとゴメンでドロンすると思うのに、改めて 彼の他者に対する姿勢というものがどんなものか垣間みるような気がしました。

 柄谷さんの印象はまず質素だなあということです。下手すると、みすぼらしいんじ ゃないかと思えるくらい服とか持ち物に金をかけていません。聞くところによると、 彼は大学で週2コマ教えているだけで(普通の教師はそれだけでは余裕のある生活が できないので他にもアルバイトするそうですが)、ほかの仕事をしないで勉強してい るそうです。だから、お金がなくて車もないし、いいものを買う余裕もないらしい。
彼を見て思ったのですが(しかも、現代に至るまで人類の歴史を通じての真理でしょ うが)、我々はホントに好きなことに没頭しようと思ったら、やはりコジキをする覚 悟というものが必要らしい。ただ、本人は好きなことをやれているわけだし、自分の やっていることに自信を持っているから、それでとくに不満もないし、格別みすぼら しいとも何とも思っていない。
世の中、ホントにみすぼらしいのは、背広を着て生きる屍になったような連中です。

  次に感じたのは、柄谷さんはとにかく圧倒的な知性の持ち主なのに、その前に圧倒 的に素晴らしい感性の持ち主だということでした。ものすごくリラックスした人で、 下手をすると(自森の連中みたいに)アホみたいに見える瞬間すらある。あれだけリ ラックスできて、あれだけズケズケ言えるというのは、彼の心が根本的には童心なの でしょうね(それは彼の笑い顔を見れば分かるような気がする)。
 かつて、ミヒャエル・エンデは現代の人間に最も必要なものはポエジー或いはファ ンタジーだといいました。しかしそれは、エンデに言わせれば、決して(日本のつま らない童話作家が言うような)単なる空想力とか夢見ることではなくて、世界を新し い、今までとは違った目で眺める力つまり創造的能力のことを指します。そして、こ の創造的能力とは人間の「永遠の子供らしさ」だというのです。なぜなら、創造的な 能力の根本には世界に対する素朴な驚き、不思議さ、好奇心が伴うけれど、世の中に 子供くらい世界に素直に驚き、不思議に思い、好奇心を持った者はいないからです。
だから、人は創造的であり続ける限り、永遠に子供らしいのです(逆に言えば、人は 創造的であることを止めたときにはまた、子供らしさも失うのです。しょうもない大 人になってしまうわけです)。
だから、柄谷さんが有している圧倒的な「永遠の子供 らしさ」は、彼の圧倒的な創造的活動に由来するものに違いありません。
 ただ、柄谷さんの場合、エンデなんかとちょっと違って、同じ「永遠の子供」でも、 過激な子供という感じがしました。つまり、世の中の常識とか良識とかいわれている ものをことごとく疑ってかかって、どれもこれも実はそれらがのさばる何の根拠もな いんだということを暴かずにはおれないという感じ(この点はエンデも同じですが) で、その徹底ぶりは、まるで裸の王様をあざ笑い続ける永遠の激烈チンピラ少年という趣 があります。

 最後に、柄谷さんという人は日本でよりも外国で名前の知られた人です。なぜか。
それは、日本のことを知ろうと思ったら彼に尋ねるのが一番だということを外国の人 は承知しているからです。その意味で、彼は、世界において日本の代表的な知識人で す。しかし、彼がそのような人物になったのは、彼自身がかつて30を過ぎてから日 本を捨てアメリカに亡命する気で渡米し、そこでポール・ド・マンといった素晴らし い亡命的知識人たちと出会ったからです。そこで、知識人であるとは亡命的知識人以 外あり得ないこと、つまり、日本とかアメリカとかいった共同体のシステムの中に安 住するような形では決して知識人たり得ないことを知ったからです。かつて、柄谷さ んは日本という共同体はもうダメだと見捨てていました(この自主講座でも、ダメな所にいつ までもいる必要はない、そこから逃げ出せばいい、それで、ダメなものは自ずからダ メになっていくのだから、というようなことを言ってました--一瞬、思わず自森のことを言っているのではないかと空想した人もいたかもしれませんが)。
 でも、そう言いなが らも、このますますダメになっていく日本を彼は完全に見捨てて亡命することは(少 なくとも今のところは)していません。というのは、ますますダメになっていく日本 に誰も抵抗するような勢力もいないところで、ダメになった末に何か大事変でも起き たとしても、そこで決して新しい社会が築かれるわけではなく、むしろその反対にオ ウムのような最悪の社会になるだろうことを知っているからです。だから、彼はこの 間、湾岸戦争に反対し、平和憲法を守れと(回りから嘲笑されながらも)言ってき た。だから、彼は自森にも来た。私には、彼が自森を、このますますダメになってい く日本に抵抗できる可能性を秘めた場所のひとつとして希望を抱いたから、こんなへ んぴな所まで一日かけて足を運んだのだと勝手に思う。
でも、自森はいったいどういう意味 で、そのような可能性を秘めた場所であるのか、そのことについて彼は語らなかった し、また語りようがなかった。それは、自森にいる人たちひとりひとりが自問自答し て探究していく課題だと思う。そしてもし、我々がその課題を少しでも解いたときに は柄谷さんは再びこの自森に来て、それを聞きたがるかもしれない、そんな期待を彼 が抱いているのを感じた、第1回自主講座でした。

※柄谷さんの著作
 沢山あるので、今回の講座に関係ありそうなものだけピックアップします。
*太田出版(岩井克人との対談集)「おわりなき世界」
 今回の講座のような明晰で  分かりやすい話が、90年ころの激動の出来事について語られています。知性とは どんなものであるかを感ずるための入門編として最適。
*文芸春秋「戦前の思考」
 自由・友愛について語ったもの
*筑摩書房「ヒューモアとしての唯物論」
 存在に決定されている筈の人間にとって 自由がいかにしてあり得るのかを探究したもの

2、次回第2回の自主講座のお知らせと小森陽一さんの紹介
※自主講座「自由について(続)」
11月11日(土)午後2時〜 場所:音楽ホ−ル 人:小森陽一

 小森さんは1953年生まれで、もっか日本近代文学の若手研究者の論客と言われ ている人。彼も日本では余り知られていないようですが、アメリカなどでは柄谷行人 と並んで、知る人ぞ知るという人物です。
 彼は、一度会って話を聞いてみれば分かる のですが、浅田彰と同じようなタイプで、抜群に頭が切れるといった感じの人です。
 しかし、私が彼に自森に来て欲しかった一番の理由は、彼の経歴の特異性の中にあ ります。つまり、彼はいわゆる帰国子女なのです。小学校ほぼ6年間を東欧チェコの 首都プラハで過ごし、そこで日本では味わえない生活を経験してきて、日本に戻って きて、それから、ものすごい深刻な、いわばカルチュア・ショックを受けるのです。
言葉の問題にせよ、つきあい方の問題にせよ、それまでの生活と日本的生活とのギャ ップにものすごく悩むのです。具体的には、日本の生徒たちからいじめや総すかんを 食らうのです。そこで、彼はいわば日本人としてはじき飛ばされ、日本人としての居 場所を持てないまま、そのような特異な条件を背負わせられながら、まるで「吾輩は 猫である」の猫のように生きてきたのです(ちょっと自森の生徒たちとも似ているか もしれない)。
 しかし、彼はそこで単にめげるのではなく、自分の中の非日本人的体 質の意味するところを(柄谷さん言うところの)「認識」し、かつ、非日本人的な立 場から、この日本的体質なるものの正体を情け容赦なく「認識」してきたのです。彼 の頭脳の抜群の優秀さの本質はここにあります。だから、ただの頭のいい奴とは訳が 違う。要するに、彼は、非日本人的体質を背負った、あるがままの自分として生きて いくために情け容赦ない認識をするしかない、つまり猫のように優秀にならざるを得 ないのです。言い換えれば、彼が単に「帰国子女である」ことから、自ら「帰国子女となる」ために徹底的に優秀にならざるを得なかったのです。
 だから、彼はいわば自 由の道を突き進むために猫のように優秀になったような人物です。だから、そのよう な彼の生きざまの話は、同じく自由を渇望するこの自森のみんなにとっても、興味深 く、意義あるものだと思うのです。
※小森さんの著作
*岩波ブックレット325「夏目漱石を読む」
*ちくま新書「漱石を読み直す」
*岩波セミナーブックス48(共著)「漱石をよむ」(柄谷行人も書いています)
*東大出版(共著)「知の技法」
*東大出版(共著)「知の論理」

 なお、今回の柄谷さんの講座に出席した方の感想・意見何でも結構です。いつかそ れらを柄谷さんに見せて読んでもらおうとも思っています。どんどん書いて左記まで 送って下さい。
    〒350 川越市郭町二ー一七ー八    柳原敏夫
   TEL・FAX 0492-25-9117
    NIFTY-Serve PXW〇〇一六〇

 なお、この種の自主講座を始めると、情報の連絡網についてすごく苦労します。や はり、パソコン通信かインターネットでやるしかないと思うのですが(自森の連中は 暇なんだから、こういうのをやって世界中と交信しているやつがいっぱいいるでしょ う)、既にやっている方は私の右のID(アドレス)まで連絡下さい。お待ちしてい ます。

(1995年10月28日)
(NIFTY-Serve PXW00160)

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