感想3

----自由の意味について----

1995.07.02

(・・・自由の森に保存)


 講演会「子育て、自分育て」の後にやった反省会は、自森の子供たちが現在置かれている深刻な状況(もちろんこれはひとり自森だけのことではない筈ですが)について、かなり率直に話ができたと思いました。いいですよね、鈴木先生も結構ズケズケ言ってくれたし。お互い今さらカッコつけたって何も始まらないんだし、こういう雰囲気、大事にしていきたいと思いました。

1、今回、私がとても印象に残ったことは、みんなが一番不思議に思っていることが(自分の息子も含めて)一体自森の子供って何だ?タバコぷかぷか吸ったりしているけど、あいつら一体何なんだ?という「得体の知れなさ」だということでした。
 また、私自身に関してこの間最もショックだったことは、高一の息子がクラスの外部生に対して「あいつらお宅で、むかつく」とか「気に入らない」という風に露骨に嫌う発言をしたことです。自分だって、4年前、自森に入るまでは、小学校で仲間から「(ガチャガチャうるさくて)アメリカ人みたいだ」という風に異質な人物として十分嫌われてきたはずなのに(だから自分からすすんで自森に逃げて来たのに)、わが身のことなんかすっかり忘れて、たかが3年ぐらい自森の住民だというだけで偉そうに何いってんだ。私がショックだったのは、彼がいわば異質な者に対してむき出しの排他性を示したことです。これは南寮事件の報告書に書いてあった加害者側の発言とそっくりだったのです。彼は南寮事件の根底にある世界観(異質な者に対する排他性)を完全に共有している。だから、今後ああいった暴力事件をいつ引き起こしてもおかしくない、しかもそれを「自由」という名において。
 このことに関連して、実は最近になってようやく「自由」ということと「暴力」ということが深い関係にあることに気がついたのです。或いは「自由」と「性」、「自由」と「犯罪」とが切っても切れない深い関係にあるということに気がついたのです(こんなこと既に分かっている人から見たら、何だと思われるかもしれませんが)。
 つまり、「自由」というものを全面的に肯定し、これに突き進むときには必ずといってよいほど「暴力」「性」「犯罪」といった問題に直面せざるを得ないということです。ひとたび「自由」の道に進むことを選んだ以上、好むと好まざるにかかわらず、これらの問題はどうしても避けることのできない宿命のものです。たとえば、「修行」を通じて個人の全面的な自由が得られることを確信した者にとっては、自分の中に完璧な自由とそれと同時に限りない万能の力というものが実感されているわけで、そこでそのような万能者にとって、この自由を阻害し、妨害するような(被害者の会の弁護士とか肉親といった)邪魔者は絶対許しがたい存在なわけです。そこで、こういった邪魔者は消し去るするしかないといとも容易に「暴力」「犯罪」に走るのです。万能の自由と力を実感しているが故に、この自由を邪魔する妨害者たちに対しては何の躊躇なく情け容赦のない「暴力」に出れるわけです。今年3月にオウムの捜索が始まって以来、オウムの問題の根底にはこの「自由」と「暴力」の問題があるのではないかと考えてきました。そして、これは同時に自分の問題でもあり、また自森の問題でもあるのではないかと考えてきました。
 こういうことを言うのは、実は私自身がかつて本質的にはオウム信者であったと思うからです。もう今更語っても構わないでしょうから言いますが、20年以上前、私が田舎の高三だったとき、当時の学園紛争のあおりで、それまで真面目を絵に描いたような私も生まれて初めて授業ボイコットを経験し、担任の警告を無視してそれを続けました。それは、いつもいつもただの受験勉強しかやらないしょうもない授業に対する生まれて初めての抗議、今から思えば本当に価値のある勉強をさせろという学習する自由の宣言だったのです。私はこの行動の中で生まれて初めて自由を経験し、その経験を通じ自分の力というもの、まぎれもなく自分がしたいことをするという自由の力というものをしかと実感したのです。しかし、これには当然報復措置が取られました。教師による恫喝・脅迫が始まったのです。ところが、一度タガがすっぽりはずれ、自由の力(それは全身全霊をもって実感できる万能の力ともいうべき強烈なものでした)を身をもって体験した私には、もはやこれらの恫喝・脅迫に屈服することがどうしてもできませんでした。そこで、警告を無視し続ける私に対して、或る日、担任の教師から最後の恫喝が加えられました。
「そんなに授業がいやだったら、退学しろ」
その瞬間、私は咄嗟にこう思ったのです。
「こいつを殺す」
この時ほど自由を渇望したフランス人民が圧制者ルイ16世をギロチンにかけて処刑した気持ちが分かったことはないと思いました。もっとも、これは他の事情で実現されるに至りませんでした。だが、もしスターリンかヒトラーの下でしたら、私はこれだけで充分殺人未遂ということで牢屋にぶち込まれたでしょう。たまたま日本の刑法だったので犯罪にならずに済んだのです。しかし、そんな法律的な責任とは別に、その後、私は自分がしでかしたことの異常さに、自分で心のバランスを狂わし、病気に、ずっと心の病気になりました(だから、大学時代は勉強どころの騒ぎではなかった。体育以外ひとつも授業に出なかった)。それで、無意識にせよ、自分が体験したこと----どうしてあの時、本気で人殺しをしようと思ってしまったのか----の意味がずっと頭から離れなかったのです。そして、ようやく最近になって、自分の「暴力」が自分が生まれて初めて体験した「自由」の問題と深く切り離しがたく存在していたことに、オウムの犯罪を見る中で気がつかせられたのです。そしたら、もしかして自森にも、全面的な自由が保障しようとする自森のような場所こそ、自分の経験に勝るとも劣らないくらい「自由」に不可避に伴う「暴力」「性」「犯罪」といった問題が避け難く存在しているのではないかと思うようになったのです。

 なんで私がこんなことを言うかというと、ひとつには、自森における「暴力」「性」「犯罪」の問題に対する見方をずらしたいからです。とりわけ私が否定したいのは、自森で「暴力」「性」「犯罪」といった問題が発生するたびに、これを個人を尊重する自森の教育理念にとって絶対あるまじき恥ずかしいことだとまるで汚らわしいもののように見なす見方です。これは、「自由」をめざす自森にとって「暴力」「性」「犯罪」といった問題が「自由」というメダルの表裏をなす避けがたい困難な問題であること、それ故これまで人類が営々と取り組んできて今なお解決がつかないような極めて難しい問題であることを完全に忘れた見方です。こんな観念的な見方をしたって事態は何ら改善されないどころか、事態の本質に1ミリも近づけないと思うのです。柄谷行人も、この自由(=「生の肯定」「生の蕩尽」)が辿りつく先について、こう述べています。

我々の疑問は、たとえば「生の肯定」「生の蕩尽」としてカーニバル的にあらわれたものが必ずファシ ズムに転化するのはなぜかということだ。

(「終焉について」63頁)

 次に私が言いたいことは、このように、「暴力」「性」「犯罪」といったことが「自由」に不可避につきまとう避けがたい問題だという認識に立ったときにはじめて、我々がこの「自由」を行使するためには同じく「自由」を有する他者(むかつく相手、うざったたい相手、気に入らない相手等)という者の存在を忘れてはならないこと、自分と外見も性格も考えも感じも異なるけれど、しかし自分と同じく「自由」を持っている異質な他者という者の存在を絶対見失ってはならないこと、このことの重要性をしっかり理解できるようになるのだと思うのです。なぜなら、このような他者だけが本来無制限、無制約な「自由」を暴走させない唯一の歯止めだと思うからです。それは「良心」ともいうべき問題です。「自由」に直面した者のみが初めて「良心」の問題を単なる世間向けの常識としてではなく、真に我が身の問題として真剣に考えられると思うのです。
 それはたとえば、映画「シンドラのリスト」で「自由」を享楽する男シンドラが様々な経験の末、最後には異質な他者であるユダヤ人たちと真正面から向かい合い、そこで無知の涙を流しながら他者の尊さ(「一つの生命を救える者が世界を救える」こと)を思い知るというようなことです。だから、是非ともこのことを自森で、子供たちも(それに我々だって)自由の尊さを学ぶと同時に学びたいと思うのです。しかし、これはきっと「言うは易き、行ない難し」でしょう。現実には失敗とまちがいの連続だと思います。でも、それでもいいんじゃないですか。
 映画「ニューシネマ・パラダイス」の中で、若い主人公トトは、親父のようなアルフレッドから言われた教えの意味をさっぱり理解できぬまま、教えの通り故郷を捨て成人し、中年になるのですが、理解できぬまま、しかしずっとそのことの意味を心の中で反芻し続けていて、アルフレッドの死がきっかけとなって30年たってその意味をはじめて、全幅の感動をもって知るのです。そこで、トトは生きる希望をつかむのです。あんなふうに30年かかったっていいじゃないですか。自森の生徒が、50近くなって、そういえばあの時自森の先生たちが口をすっぱく言っていたことがこういうことだったんだなということが分かったっていいじゃないですか。ずっとすいすい順風満帆に人生を歩んできた奴が、50すぎてからハイジャック起こしたってしょうがない。

2、さらに、最近いろんなお母さんから、子供の不登校・授業不参加・タバコ・飲酒といった心配事を聞くたびに、つい思うのです。冗談じゃない、オレなんてこの年になってもまだ仕事につくとすぐ自律神経失調症やぜんそくにかかって(そこで、誰かみたいにプッつんしてハイジャックなんかしないかわりに)いまだに職場に不登校で、ニセ学生なんかしてフラフラしているというのに!何言ってるんだ、ああいうふうにフラフラ悩むなんてすごくまともなことじゃないか、と。たとえば、そんな悩みなんか全然縁がなくて、すくすく順調に頑張ってきた知り合いの奴(いずれも体育系の人でしたが)が数年前、バタバタとあっというまに過労死であっけなく人生を終えたのを目撃したとき、或いはちょっとした日本的陰口を気に病んで首をくくってあっけなく命を絶ったのを目撃したとき、私が(しばらく茫然自失になった後)、ただ真面目に頑張ってきたというこの人らの人生って、いったい何だったんだ、オレは絶対こんなみじめな人生送らないぞ、と決意して以後職場に不登校になるのがどうしてまともでないといえるのだろうか?
 或いは、(自森の親子らとちがって)母親からみて自慢の息子だったエリート銀行員がバリバリ仕事に燃えていたところ、バブルの崩壊と共に仕事に行き詰まって(そんなのは当然だ。だから本人がくよくよすることは全然ないのに)、くよくよ悩んで自律神経失調症やぜんそくにかかって、エリートコースから転落するやとたんに自暴自棄になって(意地きたなくも)同僚の自分より出世した奴の名前をかたって、(ただてめえの「自由」だけを満喫した以外何の意味もない)ハイジャックで世間を騒がせた男の話を聞いたとき、或る人が、このぶざまな男こそ世にいうエリートの本性だということを悟り、オレは決してこんな阿呆な生き方をしないぞと決意して「バリバリ頑張る」のを拒否するとしたら、それがどうしてまともでないといえるのだろうか?
 或いは、89年の宮崎勤事件が発生したとき、意外なことに世のかなりの若者から宮崎勤について、「あいつこそ実は自分なのだ」という感想が聞かれた。で、そんな風に宮崎勤の中に自分たちの正体を見出したからといって、それがどうしてまともでないといえるのだろうか?否、それどころか、自分たちの正体が既に「宮崎勤的な存在」でしかないのであれば、まずはそのことをきっちり認識するところから始めなければしょうがないではないか。幻想的な美しい自分から出発して、いくら理想を云々したところで、絵に描いた餅でしかないではないか。
 幸か不幸か、自森という場は、もっか日本の現代社会の姿を映し出すリトマス試験紙みたいなもんでしょう(私はしんどくても絶対「幸い」のほうだと思いますがね)。なぜなら、ほかの場所ならきっと飴とムチの管理で巧妙に臭いものにふたをしてウミが見えないようにするでしょうが(要するに矛盾を先に先にと先送りして解決を引き延ばそうとするわけで、そんなことしたっていずれプッつんしてハイジャックなんか起こしたり過労死になったりして破綻するだけのことだ)、ここ自森ではそういう管理をとっぱらったため、臭いやらウミやらが一挙にむき出しになっているからです。それを単に自森の連中はだらしないとかだらけているとかいって非難してみたってしょうがない。むしろ、自由を満喫できる自森がゆえに、自森でこそ初めて隠蔽されることのなく、現代の日本社会の無惨な姿がむき出しになっていると捉え、そのため生徒の心がどんな風に病んでいるのかを理解するしかないでしょう。そこから始めるしかないでしょう。
 オウムの事件が世間で騒がれたとき、私はエンデの「オリーブの森で語りあう」という対談を再読し、そこで既に10年前にオウムの出現が予言され、なおかつどうしてそういう事態が起こるのか説明してあるのを知りました。オウムの問題は、いわば現代日本の腐敗やウミの縮図ともいうべき問題です。それゆえ、それは、同じく現代日本の病理やウミをむき出しに反映させている自森の問題とも共通する側面を持っているはずです。だから、エンデが「オリーブの森で語りあう」という本で語った例えば次のような言葉は自森にとっても意味があるのではないでしょうか。

「しばしば現代では、力は自己破壊としてしかあらわれない。ほかの形の表現を知らないし、見つけられないからだ。とりわけ現代のナルシズム的文化は、自己破壊的な若者を見捨てている。若者たちの絶望した道化のしかめっつらの背後には、世界に対する吐き気がひそんでいる。吐き気があるのは、本当だし、当然のことだ。だが、この吐き気がいったいどういうものなのか、現代の文化には分からない。
‥‥(そこで)、なによりもまず最初に、心の奥底において状況を共有することが必要だ。外面的な協調は、そんなに重要じゃない。しかし、内面的にはしっかり追体験できなくてはならない。なぜ若者がかくも不愉快な姿を見せているのか。自分自身を『裕福のゴミ』の中に投げ込むほど、なぜ若者にとって現代の世界は絶えがたいのか。なぜ若者は救いようのないほど反抗的な態度をとってしまうのか。まずそうしたことを追体験してから、はじめて問題にすることができるんだ」(256頁)

 我々も、あの得体の知れない自森の子供たちと、まずは心の奥底において状況を共有することから始めるしかないのではないかという気がします。そして、私が藤原新也という一見自森に何の縁もなさそうな人物を自森に呼ぼうと思ったのも、彼こそ、これまで若者と心の奥底において状況を共有しようとしてきたし、その姿勢を今なお最も強固に持ち続けていて、それゆえ自森の得体の知れない生徒たちの心に届くような稀な人物ではないかと思ったからです。

3、先日、自森の高校に入学させた或るお母さんが、自森の子供たちは自由の意味をはきちがえているのではないか、という感想を漏らしていました。確かに、見た目にはそう思えることが一杯あるかもしれません。しかし、翻って思うに、では、我々大人は一体「自由をはきちがえる」とかはきちがえないとかについてどれだけしっかりしているというのだろうか。
 先日のNHKの「二〇世紀の映像」という番組で、今世紀における社会主義の歴史に触れて、ちょっと前までは世界中の多くの大人がこぞって社会主義の実現の中でこそ真の自由が達成されると信じて疑わなかったことが映像で紹介されていました。しかし、それは幻影でしかなかったことが九〇年の東欧・ソ連崩壊という事実をもって証明されたわけで、つまり、この点で実に多くの大人たちが、しかも真面目に真剣に取り組んだ筈の多くの大人たちさえ百年近くにわたって「自由の意味をはきちがえてきた」わけです。
 或いは、産業革命以来、経済発展こそが社会の進歩の基本であり、個人の自由を実現する基盤となるものだという信念から、ここ二百年以上にわたって、猛烈な経済成長が成し遂げられてきたわけですが、しかし、わずか二、三百年ばかりの経済成長が四十六億年の歴史を通じて築き上げられてきた地球上の資源と環境を食いつぶそうとしているのです。いわば経済成長がもたらした自由快適な生活を享受する中で、我々は知らずして我々の子供、子孫たちの生きる空間を奪い尽くそうとしているわけです。これをエンデは、
「私たちが気がつかないあいだに既に始まっている第三次世界大戦。従来のような領土を奪い合う戦争ではなく、未来の資源や環境を奪い合うという意味で、未来の子孫たちに仕掛けられた時間の戦争。私たちの予想をはるかに上回るかつてない深刻な世界戦争」
と呼んでいます。ところが、我々大人は、自分たちがもっかごく素朴にこのような経済的発展がもたらした自由な生活を享受することが実はとんでもない「自由の意味をはきちがえている」ことになるのだと果して気がついているだろうか。
 大の大人でさえそうだとすれば、どうして、まだ年端もゆかない自森の子供たちだけが「自由の意味をはきちがえている」と非難されなければならないのだろうか。「自由の意味」----これは、答えが出ないかもしれないが、しかし誰もが問い続け、考え続けていくしかない人生の最大の難問じゃないですか。自森の生徒たちがこの年でこの難問を突きつけられて右往左往し、迷ってジクザクな生き方をしたとしても、ある意味では当然のことでしょう。歴代数え切れないほど「自由の意味をはきちがえてきた」我々大人としては、彼らと一緒になって「自由の意味」を問い続けていくしかないのではないでしょうか。

4、最後にやや事務的な感想をひとつふたつ。まずは、ここ10年の自森の教育の歴史についてです。率直なところ、この10年間に自森に何があったのか、建学の基本理念に照らし、どういう成果と課題があったのか、すごく知りたいのです。ところが、どうすれば知ることができるのかさっぱり分からない。見ようによっては、そんなことに構っている暇なんかない、今起きている毎日のゴタゴタに対応するので精一杯だという雰囲気があるのかもしれない。また、高い理想と現実とのギャップや、親たちによる教師に対する糾弾などで明け暮れた疾風怒涛のここ10年間を振り返ってみたところで建設的なものなんか何も見えてきやしないという悲観的なムードがあるのかもしれない。だけど、臭いものにフタをしないという非日本的な態度を採用した以上、否応なしにすったもんだするのは自森の宿命だったわけで、ここ10年間が一見混乱と破壊だらけだったとしても、そんなことで恥じることも萎縮することも全然ないと思う。イギリスの歴史家(コリングウッド)が言っていた言葉だそうですが、
「歴史上のできごとを短い時間の単位で見ていくと破壊の相しか出てこない。ところが長い単位でみたとき、はじめて存在するようなできごとがある」
というのですね。或いはエンデは、
「人類の歴史の99.9%は、外側から見ると失敗した試みだ。しかしそういう試みは、失敗したにもかかわらず----いやまさしく失敗したからこそいっそう----ずっと意味を持ち続けるんだ。」
と言っています。で、一見混乱と破壊だらけかもしれなかった自森でも10年間の経過によってはじめて見えてくるものがあるのではないか。それが何か知りたいのです。
 それはたとえば、かつて花田清輝が言ったような
「宗教のばあいでも、芸術のばあいでも、思想のばあいでもそうであるが、それらのものが地下深く真に根をおろすのは、運動の隆盛期ではなく、かえって、衰退期である」
といったものに関わるものです。つまり、今後の自森に深く真に根を下ろすに相応しいものがそこで見えてくるはずだと思うのです。
それを知りたいために、どなたか自森10年の歴史をつづる、あたかも史記を書いた司馬遷のような書記のかたがいないものか、その出現を熱望しているのです。
 次は、学校経営や不登校などの諸問題を話し合う組織についてですが、私はこうした諸問題を話し合うた めに「教育を考える会」とは別にそれぞれ組織があった方がいいと思うのですが、しかし、これを上から誰かが作ってもしょうがない。やはり、熱意と関心がある人たちが自主的に作って運営していくしかないと思 う。ただ、「教育を考える会」は、ほかの学校ならいざ知らず自森という場ではそういう組織を自主的に作れるんだという画期的な事実を一般の親たちに知らしめ(これを知るだけでもすごく意義がある)、必要と能 力に応じてこれらの組織作りを応援するという、いわば誰もが参加し、話が聞けるオープンな会にするの が大切だと思う。つまり「教育を考える会」は、自森の教育のことをしっかり考える会と同時に自森全体の諸問題について必要に応じて窓口になれるような「たまり場的な会」でもあることが、もっかのところ、求め られているような気がします。紙面がないので、また改めて書きます。

 長々と読んで下さり、ありがとう。要するに、目下、私が一番心に留めようと思っていることは、ひと りひとりが得体の知れない自森の生徒たちの「状況を心の奥底で共有すること」です。
またよろしくどうぞ。

(1995年7月2日 H1 T・Y )
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