感想2

----教えること自体(教師自身)の見直し----

1995.06.25

(・・・自由の森に保存)


コメント
 自森という学校では、昨年95年は、創設者の遠藤豊という人の見直しというか、まあ彼のやってきたことに対する批判みたいなことがずっと続いていた。
 そして、それが一段落したところで、96年の今年になってから、今度は生徒の見直しということがしきりに言われるようになった。
 しかし、そこにいつも欠けているのは、教えるということ自体の見直し(=教師自身の見直し)ということだと思う。なぜなら、自由の森というガッコウに来て一番痛感することは、この場所ほど今までの教師というような存在がここでは透明人間みたいに箸にも棒にもかからない、スカスカのケッタイな存在であることをあぶり出してくれるところはないと思うからです。ここでは、これまでの教師像ではもうやっていけないことをほかでは経験できないくらいいやというほど思い知らされる貴重な場所だと思うのです。
 しかし、このいわゆる教師にとってつまずきの石である「教師自身の見直し」を直視して議論を深めることは、自森の先生たちにとって、恐怖ということも含めて、もっかのところ、彼らの手に余ることのように思えます。それで、先生たちは、彼らが依然自分たちの手の内で踊ってくれるような生徒を求めて、生徒の見直し(手に余る生徒の切り捨てなど)をやろうとしているように思えてならない。
 だからこそ、今、ここで自分が考えようとしたことを反復してみる価値があると思う。


 昨日24日にあった高1の授業参観・父母会・懇親会に参加して、自森の教育のことを少し考えたので、これについて率直な感想を述べさせて下さい。
 学年父母会で各クラスの先生たちから話された授業内容の説明に対して、これを聞いていた(障害児学校の教師している)ウチのカミさん曰く
「きれいにまとまりすぎていると思った。授業がつまらなくて授業に参加しない自森の生徒の現状のことがぶっ飛んでいる。例えば、英語の先生がいみじくも言っていたように、自森にはいまだにbとdの区別もつかない高校生がいるという事実(彼らはなぜそこまでして英語を嫌うのか)、このような事実を真っ正面から直視して、ここから出発しようとしなければしょうがないではないか。先生の素晴らしい話もみんな絵に描いた餅でしかなくなるではないか。こういう先生は一度障害児教育をやってみるといい。子供がだれひとり相手にしなくなるから」(やや辛辣気味?)
 実は私は不真面目な口で、この3年余りで、息子の授業を参観したのは今回が初めてです。だから、殆ど印象的なことしか言えないのですが、彼女の感想にほぼ同感です。
 確かに、自森には熱意と善意にあふれる教師集団がいるのを感じます。だから、ひとたび勉強の本当の面白さや意欲に目覚めた生徒にとってはきっと充実した授業が受けられるにちがいない。しかし、問題はそんな「勉強の本当の面白さや意欲にちっとも目覚めることができないでいる」(思うにかなりの)生徒たちの存在のことです。或いは、森毅が自分の学生時代を振り返って語った言葉「親父から、授業をサボってもいいが、その代わり、サボっても授業に出たのと同じだけの充実した時間をすごせよと言われた」をちゃんと実行できる生徒はいいのですが、実際にはただ漫然とタバコやジュースを飲んで時間をつぶすしかない生徒たちの存在のことです。こういう彼らにとっては、自森の教師集団の熱意と善意なんて現実には決して彼らの手には届かない高根の花でしかない筈です。彼らは一体どうしたらいいのか。
 しかし、かといってそこで落第や試験といった鞭を導入して、彼らが勉強の本当の面白さや意欲に目覚めようが目覚めまいがともかく勉強をやらせるというのは、最悪の強制労働(勉強)でしかなく、自由をめざす自森の死を意味する。もしかすると、ここにもっか自森の教育が直面する最大の課題があるのではないかと思えてきました。

 もしそうならば、私はまずこの問題の存在をきちんと率直に明らかにすべきだと思います。なぜなら、ここで自森が直面している問題とは決して自森の先生の教育が不十分なためだとかいった「恥じ」に属することではなく(そんな甘いもんじゃなく)、自森が日本という国に属している限り、好むと好まざるにかかわらず、現代日本の現実の反映として否応なしに受け止めざるを得ない大変な課題だと思うからです。とりわけ、受験勉強というニンジンをはずされ、タガがはずれて暴れ馬のようになった自森の生徒たちこそ、『文明砂漠』に陥った現代日本が抱える難問を鏡のように映し出す落とし子・申し子だと思えるからです。
例えば、今年の3月の中学卒業発表会で3年3組の社会科では、生徒たちが「浦和高校教師夫妻による息子殺人事件」をやりたいとこの事件に意外なくらいこだわったそうです。彼らは一見、何の屈託も心配もないように見える。昨日の日本語の授業で取り上げた詩、つまり世にも稀な美声とぶ男とを合わせ持った陽水にして初めて可能な切ない恋歌「帰れない二人」でさえ、彼らにとっては「暗い」どうでもいい歌にしか思えない。にもかかわらず、そういう彼らが、陽水の歌なぞ比べものにならないくらい暗い恐ろしい出来事であるこの殺人事件にものすごく執着したのはなぜか。それは、彼らこそこの事件の中に(とくに殺されていった息子の中に)自分たち自身の姿を敏感に感じ取っていたからではないか、と思えるのです。
 また、数年前、作家の住井すえは小学3、4年の子を持つ母親の訴えをこう紹介していました。
「私の息子は原爆のことを考えると眠ることができず、母親の私に恐ろしいと言って毎晩涙ながらに訴えるので す」。
 さらに、文芸評論家の柄谷行人は、かつて高校時代、どんなヤクザの師弟も手が出せないくらい暴れまくったそうです。なぜそんなに暴れたかというと、当時の彼には東西冷戦の深まりの中でどのみち人類は早晩核戦争で消滅すると信じて疑わなかったからだそうです(つまり、人類の消滅を確信した者には恐れるものは何もない)。
 また、「モモ」の作者ミヒャエル・エンデは、「自分たちの未来をどのように考えるか」という問いに対するドイツの子供たちの回答についてこうコメントしています。
「その未来像は人々は地下室や地下鉄の構内でなければ生きることができず、太陽の下に出られないといったものでした。それは、オゾン層が破壊されているから、そして宇宙線が私たちや私たちの遺伝子を傷つけるからでした。子供たちの答えは私を震撼させました。子供たちが自分たちを待ち受けている未来をなんとはっきり意識していることか!」
  同じように自森の授業に出ない生徒たちも、自分たちを待ち受けている未来を心の奥底で大人である教師や親よりもずっとはっきり意識しているのはないか。彼らは自森に来て、小学校或いは中学校時代に受けてきた不毛な試験・受験勉強生活から何とか逃げ出せたあと、何もやっても自由という自森で、あの不毛な試験・受験勉強生活に代わって一体どのような内容の充実した生活を見いだしていけばいいのか、希望を持って求めているだろうか。
 自森の先生たちはくり返し「学校生活は、誰かがつくってくれるものではなく、自分で作り出すものなのだ」と語るが、では、かつて不毛で消耗な試験・受験勉強生活という過去を持ち、そして自分たちを待ち受けている未来には何の希望も展望も持ち得ていないという現状において、彼らは一体何をどのように「自分で作り出」していけばいいのだろうか。そんならいっそのこと、その場さえ楽しければいいような買い食いや酒やタバコやテレビゲームだってずっと自由で自然なことではないのか。否応なしに過去も未来にも希望が持てないような自暴自棄の中に置かれている者にとって、飲酒や喫煙や盗みやいじめだってどうして「自分で作り出したものなのだ」といってわるいのだろうか。で、こうした生活しか「自分たちで作り出した」学校生活としか実感できないような生徒は一体どうしたらいいのだろうか。

 クラス父母会で、担任の若林先生から「一日中、タバコとジュースを飲んで時間をつぶしている生徒たち」の話を聞いた瞬間、私は彼らの無気力な態度の背後には「世界に対する吐き気」といったものがひそんでおり、この吐き気をもよおすくらい実は絶望に打ちひしがれた彼らの姿が目に浮かびました。そして、無気力で絶望に打ちひしがれた彼らの姿こそ実はその逆に、人間は希望なしには絶対生きていけない生き物なのだということを、どんなに君たちは自分の人生を「自分で作り出すものなのだ」と自由を与えられても、希望を持たずには自由な人生に一歩も踏み出していけないことを身を持って我々に示しているのではないかということに気がついたのです(もっと、きちんと自分で確認する必要がありますが)。

 その意味で、私が自森の先生に最も希望するのは、この「希望」をこのような生徒の胸に灯してほしいことです。何という大それたことを、と我ながら思います。しかし、それは実際そんな大袈裟なことじゃないのです。例えば、息子は最近、英語の森田先生の授業が糞つまらなねえよ、と文句言います。まあ、それはそれで改良の余地が色々あるのかもしれない。しかし、私は昨年副担だった森田先生のことを見ていて、彼女はいつも生徒と心を通わせようとする人なのです。で、なかなか目覚めてくれない生徒の現状にいつも殆ど打ちのめされそうになりながらも、それでいて決してあきらめないのです。だから、年がら年中バカのひとつ覚えで「アホになる」としか言えない私なんかが絶対気がつかないちょっとしたことで、息子の変化した面をきちんと見ていて「スゴイ!」と言ってくれる。むろん本人はすぐ元のだらけた生活に戻るのですが、しかし、そういう瞬間に励まされたということは本人にとっても忘れがたい経験として深く記憶に刻まれることでしょう。こういう本人にとって貴い記憶の積み重ねこそが「希望」の糧になるのだと思うのです。だから、どんな生徒とも心を通わせることをあきらめないでほしいのです。とくに自暴自棄になった生徒が「世界に対する吐き気」をもよおさずにおれないくらい不愉快な気持ちであることを共有するようにあきらめないでほしいのです。なぜなら、そういう生徒こそ実は希望を、自分の心の支えとなるような希望を何よりも激しく望んでいる筈だからです。
 そのことを考えると思い出すことがあります。それはバイオリニストのメニューヒンが語った次の言葉です。
「第二次世界大戦中、私がナチスの強制収容所にそれまで収容されていた人々への慰問に回ったときのことです。彼らは人間らしさを全く失って立っていました。ところがです。私が演奏をした後で、彼らの表情が変わったのです。私はこの時くらい音楽の偉大さを感じたことはありません。音楽を通じて私たちはお互いを理解しあえたのです‥‥」
 これと同じようなことが自森の音楽(=合唱)でも起きていたのではないでしょうか、言い換えれば、自森にとって音楽という芸術が最も意義をもったのは、こういう意味においてではなかったろうか。過去や未来に何の希望も展望もなかった生徒たちでも、合唱という芸術の魔術的な空間に参加したとき、そこではからも、思いも寄らなかった素晴らしい充実した瞬間を経験できたのではないか。そこで、何も知識が増えたわけでも利口になったわけでもない。それは、ただ単に今まで思いも寄らなかった素晴らしい経験を身を持って味わったということでしかない。しかし、この身も心も揺さぶられるような経験が打ちひしがれてひからびた彼らの心に命の水を注いでくれたのではないか。ひょっとして彼らはここで、これこそ自分が心から願っていたことのひとつではないかという発見をしたのではないか。だから、10年もたって、卒業生たちが沢山わざわざ自森に集まったのは、あの合唱の経験の貴さが忘れられなくて、もう一度是非ともこれを経験したかったからではないか、とそんな風に思ったのです。
 また、私たち親子は根がバカ陽気なせいかイタリアという国が大好きで、数年前、テレビで「ニューシネマ・パラダイス」というイタリア映画を見たときのことです。はじめ、ふたりしてゲラゲラ笑いながら見ていたのに、最後になったら息子は人が変わったように神妙になってしまいました。見終わった時、すっかり言葉を失うほどの感動に襲われていました。それはヘラヘラしていた自分が何かすっかり別人になったような、目もくらむような素晴らしい経験だったのです。もしかして、彼はこのとき、自分が本当に願っていたものに出会ったのではないかとすら思いました。私はこの底なしに脳天気な息子をかくも感動させ得た映画というものを考えさせられ、芸術という魔術的な空間がもたらすものすごい力に改めて圧倒されました。

 これらがもっか私なりに思う、過去や未来に何の希望も展望も抱いていない生徒たちに「希望」の火を灯すためのささやなかイメージです。
 つまり、前に述べた通り、生徒にどんなことがあっても決して希望を捨てないこと、あきらめないことを身をもって示すことと、それに加えて、生徒一人一人が芸術のような魔術的な空間の中で自らたっぷりと素晴らしい経験を積み、そこで、自分がいったい本当には何を願っているのかをそのような素晴らしい経験を通じて、発見するということです。
 そして、そのことは単に生徒各人に任せていいことではないと思います。自森という貴重な空間において、生徒一人一人がこのような人間関係と経験と出会えるように、先生や親たちが意識的に様々な形で働きかけをしていく必要があると思います。それはもちろん授業の中でも追求されるべきでしょう。しかし、それはきっと普通にいう授業とは違うものだと思います。なぜなら、それは普通にいわれる授業に生徒が、とりわけ過去や未来に何の希望も展望も抱いていない(まともな)生徒たちが参加するための不可欠な準備活動としての授業だからです。いわば授業を成立させるために必要となる授業というべきものです。そして、私はこの意味での授業こそ、知識や認識を増やす普通の授業に比べ、比較にならないくらい重要な、その意味で最も自森にふさわしい授業なのだと思います。なぜなら、この授業こそ、生徒一人一人が自分の本当の願いを知り、彼らの胸に「希望」の火を灯し、命の水を注ぐためのものだからです。自分自身の本当の願いを知り、「希望」の火が灯り、命の水が注がれた者にとっては、極端なことを言えば、普通の授業で得られる知識や認識なんて学ぼうと思い立ったら、何時でもどこでもできることなのです。急ぐことなんてちっともない。この学ぶというこ とについて、作家ミヒャエル・エンデも「はてしない物語」を例にあげてこう語っています。

「はてしない物語」で大切なのは、主人公バスチアンの心の成長のプロセスなんだ。彼はとにかくまず、自分の問題と対決することを学ばなくてはならない。そのために彼は逃げ出す。世界から逃走する。しかし、この逃走が彼には必要なんだ。なにしろ逃走することによって彼は変わるんだし、自分というものを新しく意識するようになる。そのお陰で、彼は世界と再び取り組めるようになる。

(オリーブの森で語りあう)

 これは何というリアルな認識でしょう。大切なことは逃げるか逃げないかではなく、いかにして意義のある逃走をするかということです。そのひとつとして芸術的体験をたっぷり味わうことがあげられるでしょう。
 そして、このような芸術としての教育を真正面から考えてみるとき、エンデや映画監督タルコフスキーが言ったように、私たちにはもはや「教える」なんてことはできないのだということに気がつくべきです。私たちに残されたことは「ともに体験し、ともに感動すること」だけしかないと思うのです(かといって、それは教師に固有の役割を否定するわけでは毛頭ありませんが)。

 それはまた、我々親たちの偽らざる気持ちでもあります。自森とは決して子供だけが学んでいる場ではく、実は親自身もひそかに激しく、身も心もひっくり返るような強烈な思いで、自分たちの人生を子供とともに学び直しているのです(親自身の授業料は払っていませんが)。

 最後に、この、もっぱら私自身が自森が私たちに突きつける問題をあきらめないで考え続けていくために書いた感想文を、一緒につきあって読んで下さった方々に感謝します。

(1995年6月25日H1 T・Y )
         (NIFTY-Serve PXW00160)

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